3話
少女の願いを聞いたグレイヤは何の表情も浮かべないまま、じっと彼女の目を見据える。
そもそもグレイヤは少女の話を理解できなかった。頭では理解していると言いながら、心がついてくれないなんて、何事も論理で判断するグレイヤにとって到底理解し得ない話だった。
そして想像するだけで心の底が痛くなるなんて、そんな経験したこともないし、そもそも心が痛んだことすらなかった。
グレイヤが少女の答えで唯一理解できたのは、「それでも彼と結ばれたい」これだけだった。
「あんた本気なの?」
「はい。本気です」
少女は何の躊躇いもなく即答した。
「どんな形でも構わないの?」
「はい。どんな形でもイヴァンが一生ワタシの隣にいてくれるなら」
「わかった。じゃあんたの願い叶えてやるよ」
「ありがとうございますっ! ほんとありがとうございます!」
少女はグレイヤの手を取って何度も感謝の言葉を伝えた。グレイヤはその様子を、無言で見つめる。
ーー魔法で結ばれたとして、果たして幸せになれるのかな
「恋」をわからないグレイヤは疑問に思った。だがグレイヤはその疑問の答えをあえて探さなかった。
ーーまあ、この二人の先はどうでもいいから
実は少女がどんな答えをしたとしても、グレイヤにとってはどうでもよかった。そもそもグレイヤが少女にあんな問いを投げかけたのも、この二人の先を心配してのものではなく、ただ自分の知らないものへの好奇心に過ぎなかった。自分が理解しているものとは異なる形の「恋」に、ほんの少し興味ができただけだった。
だからこそ少女がどんな答えをしても、グレイヤは少女の願いを叶えてくれるに違いない。この二人の先より、依頼の報酬の方が重要だから。
「それでそれで、どうやってワタシの願いを叶えてくれるんですか。恋の妙薬みたいなものがあるんですか」
はしゃぎまくった少女は興奮を抑えきれず、次々を質問を投げかけた。グレイヤはバナナを一口かじりながら、もぐもぐと噛みつつ答えた。
「恋の妙薬なんて現実に存在しないよ」
「じゃやっぱ魔法で?」
「いや、それは危ない」
グレイヤはバナナを飲み込んでから答えた。確かにグレイヤは魔法の天才であるが、感情に対する理解度が乏しいまま、感情を操作する魔法をかけるのは、相手にとってあまりにも危険すぎた。
「えっ、じゃどうやって叶えてくれるんですか」
グレイヤの返答に、少女は戸惑いを隠せなかった。少女の問いに、グレイヤは何も答えず、皮だけになったバナナをゴミ箱に放り投げて椅子から立った。そして机の前にしゃがみ込み、引き出しの中を探り始めた。
「確かここに入れてたはずなんだけど・・・あ、見つけた」
首を傾げながら引き出しを探っていたグレイヤは、やがて小さな瓶を取り出した。グレイヤは瓶を手に椅子に戻り、それを机の上にそっと置いた。
少女はきょとんとした目で瓶をじっと見下ろす。
「なんですか、これは」
「あんたの希望を叶えてくれる薬」
グレイヤはそっと瓶を少女の方へと押し出した。少女は何も言わずにそれを手に取り、中身をじっと見る。透明なガラス瓶の中には、淡いピンク色の液体が入っていた。
「これをあのイヴァンに飲ませて告白すれば、あんたと結婚することになるよ」
「え、マジで?」
「そう、だがあの人はあんたを・・・あら?」
落ち着いた声で説明を続けていたグレイヤは、首を傾げた。さっきまで目の前にいた少女が、いつの間にか跡形もなく消えていたのだった。
「もう行っちゃったのか。まだ説明中だったのに」
グレイヤは小さくため息を吐いた。そして机の上、少女が残っていった果物に手を伸ばしてみかんを取る。グレイヤは静かに皮をむき始めた。
「まあ、依頼内容通り聞いてやったから、後で文句言いに来たりしないだろう」
グレイヤはみかんの一切れを口に放り込み、静かに呟いた。ほのかに酸っぱいみかんの味が口いっぱいに広がった。
「とにかくこれで依頼完了」
******
人々の賑わう村の市場のど真ん中。茶色ボブヘアの少女が、ガラス瓶を大切に胸に抱えながら、人混みをかき分けて走っている。
ーーこれさえイヴァンに飲ませると、イヴァンと結婚できる
少女の口から荒い息が漏れていたが、その顔は喜びに満ち溢れていた。
そうして少女は疲れを感じることもなく、ひたすら走り続けた。そしてついに、少女が探し求めていた男の姿が視界に入った。
「イヴァン!」
少女は大きく手を振りながら彼を呼んだ。自分を呼ぶ声に、イヴァンは少女の方へと顔を向けた。
「この声は・・・」
「あんたちょっとこっちきて!」
少女はイヴァンの手をパッと掴んで何も言わずに人通りのない路地へと走り出した。イヴァンはわけもわからず、少女に引っ張られてそのまま走った。
しばらくして、誰もいない路地裏にたどり着いた二人は、肩で息をした。
「お前急にどうしたんだ。なんか変だぞ」
「イヴァン早くこれ飲んで!」
少女は胸に抱えていたガラス瓶を、強引にイヴァンの胸元へ押し付けた。イヴァンは戸惑った表情を浮かべながら、少女が差し出した瓶を受け取った。
「いきなりこれを飲めって・・・これ、何なんだ」
「とりあえず何も聞かずに飲んで。それを飲んだらちゃんと説明するから。早く飲んで」
「わ、わかったよ」
イヴァンはわけもわからぬまま流されるように、瓶の蓋を開けて口元へ運んだ。そして少女の言葉に従い、瓶の中身をそのまま喉に流し込んだ。その姿を黙って見守っていた少女は緊張した面持ちでそっと頬を赤らめながら口を開いた。
「あのさ、ワタシね、実はさイヴァン、あなたのことが好きなんだ。大大大だぁーい好きなの。だからさ、ワタスと付き合って・・・いや、結婚してくれない? 一生ワタシと一緒にいてくれる?」
少女は目をぎゅっと閉じて魔女に教えられた通り告白した。魔女が作った薬だから、その効果は確かだろう。しかしいざ告白してその返事を聞くと思うと、すこく緊張にしてきた。返事を聞くのが怖くてどうしても目を開ける勇気が出なかった。少女は何も見えない闇の中で、イヴァンの返事を待っていた。
鼓動が高鳴る静寂の中、突然、少女は自分の肩を誰か掴むのを感じた。少女は戸惑って目を開けた。すると目の前でイヴァンが頬を赤らめて自分のことを見つめていた。
「・・・だ」
「ん? 今なんだと」
「ボクもあんたのことが好きだ。ボクもあんたと結婚したんだ」
イヴァンは照れ臭そうにそっと目を逸らしながら、小さな声で言い続けた。
「だからボクと結婚してくれ、リエ」
「・・・・・・」
イヴァンの求婚に、少女は嬉しすぎたせいか、ただぼんやりと目を開けたまま何も返せなかった。