1話
魔女ーー彼女らはその生涯の大半を自らの研究に費やす生き物である。そんな彼女らが生活の糧を得る手段としては、機関や国家、あるいは個人から依頼を受け、それに対する報酬を受け取るのが一般的である。
魔法研究のために国家に雇われている魔女も存在するが、それはごく一部に過ぎない。だって魔女は自らが望む研究を行いたいのであって、国家の意向に沿った研究を望んではいない。そのため、国家に雇われている魔女よりも、依頼を受けて受け取る報酬で生計を立てている魔女の方が多い。『知識の魔女』グレイヤもまたそういう魔女の一人である。
そして今グレイヤに依頼を求める少女が、彼女の家に押しかけてきた。
「魔女様どうかワタシの依頼を受け入れてください」
「依頼?」
まだ目の前で星がぐるぐる回っているグレイヤは首を傾げた。少女は両手をキュッと握りしめながら、顔をグッと近づけてきた
「はい! ワタシの人生がかかっている大事な依頼です。ですからどうか依頼を」
「ちょっと待って」
グレイヤが手のひらを前に差し出して彼女の話を遮った。そして体を起こして机の椅子に腰を下ろした。しばらくすると、目の前でぐるぐる回っていた星が消えたに感じられた。やっと落ち着いたグレイヤは無表情のまま少女を見つめた。
茶色のボブヘアの可愛い子で、どこかで見覚えのあるような気がする少女だった。
ーーあ、この子果物屋さんの娘だ
その店の果物は甘くて美味しく、グレイヤの記憶に残っている数少ない店の一つであった。たまにその店に訪れるたびに、両親の仕事を手伝っている少女の姿を見かけた記憶があった。
ーーどころで、名前なんだっけ
グレイヤは目を閉じて少女の名前を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。まあ、別に重要なことではないか、そう思ったグレイヤはそれ以上思い出そうとするのをやめた。
今はどうでもいい少女の名前より、依頼の方が先だった。
「それでワタシに依頼したいことがあるんだと?」
「はい。受け入れてくれるんですか」
「いや」
グレイヤは即座に断った。その返答に、少女は戸惑いを隠せなかった。
「なんで、なんでですか。もし報酬のせいなら、今まで貯めたお金全部あげるから」
少女の言葉に、グレイヤは静かに首を横に振った。
「では、一体何でワタシの依頼を受けてくれないんですか」
「今はお金が十分あるから」
グレイヤはきっぱりと言った。
そもそも依頼を受け入れるのは生計のためにやむを得ず行うもの。別に人を助けるためにやるものではなかった。あと今は教団から報酬でもらった金貨が八枚もある。これだけあれば、数年間は依頼を受けずに研究に専念して暮らすことができる。したがってわざわざお金もなさそうなこの少女の依頼を引き受ける必要はなかったのだ。
「そういうわけでお金が尽きた時にまた来て。その時はあんたの依頼、引き受けてあげるよ。値段は結構高くなるけど」
「えっ、ちなみにその時っていつですか」
「ふーむ、多分三年後?」
「そりゃだめですっ!」
少女が机を強く叩きながら大声を上げた。
「その時になると遅すぎちゃいます。どうか今、依頼を受けてください」
「いや、ダメだってば」
グレイヤがそう言った瞬間、急に彼女のお腹の中からグーッという音が家の中に響き渡った。それを聞いた少女は顔に笑みを浮かべた。
「魔女様、お腹が空いていたんですね。もっと早くおっしゃってくださればよかったのに」
そう言ってから少女は懐から真っ赤に熟したリンゴを一つ取り出し、机の上に置く。さらに、ミカン、梨、バナナなど、次々といろんな果物を懐から取り出しては机の上に並べていった。少女の懐から果物が一つ一つと取り出されるたびに、グレイヤの目は見開かれていった。
「あんたいつもこんなにたくさんの果物を持ち歩くの?」
「そりゃ果物屋さんの娘ですから」
少女は誇るように胸をポンと叩きながらそう言った。
「ご飯の代わりにはならないけど、これでもどうぞ。魔女様うちの果物好きじゃないですか」
「それでもいいの?」
「代わりにワタシの依頼を受け入れると約束してくださるなら」
「そういうのならいいの。そんなに腹減ってるわけでもないし」
グレイヤは目の前に並べられた果物からそっと顔を逸らした。するとまた、グレイヤのお腹からグーッと鳴った。
「本当に大丈夫ですか。さっきからずっとお腹鳴っていますけど」
「いいの」
「依頼を受けて食べる方がいいとっ」
「大丈夫だって」
グレイヤは少女から完全に顔を背けた。そんなグレイヤの様子を見て、少女はこのままではダメだと考えたのか、顎に手を当ててじっと考え込む。
「ではこれはどうですか。ワタシの依頼を受けて下されば、これから魔女様にはうちの果物をただであげます」
「ただで?」
「はい、しかも一生」
「一生・・・」
少女の提案に、グレイヤはかすかに反応を見せた。これを見逃さなかった少女は、この流れを逃すまいと、さらに話を続けた。
「それに魔女様がご希望の時に連絡さえ下されば、いつでもうちの果物を魔女様のお宅までお届けしますよ。それもタダで!」
「お届けまで?!」
少女の提案が心を動かされたのか、グレイヤは少女を横目でチラット見る。
「全部タダで?」
「はい、ぜーんぶタダで」
「どんな果物でも関係なく?」
「はい、どんな果物でも魔女様には全部タダであげます」
一生あの果物屋の果物をタダでもらえるなんて、それは結構魅力的な提案だった。グレイヤは目を閉じて、しばらく考え込んだ。やがてグレイヤは決めたように目を開けて体をひねって机の上に置かれた真っ赤に熟したリンゴに手を伸ばした。グレイヤはリンゴを手に取り、大きく一口ガブリと噛み付いた。
そして、空いている方の手を軽く上げると、次の瞬間、手のひらの上に小さな魔法陣が浮かび上がり、そこから一枚の羊皮紙が現れた。羊皮紙には赤いインクで「契約書」という文字が大きく書かれている。その羊皮紙はふわりと宙に浮かび、少女の目の前に移動した。
少女はきょとんとした顔で羊皮紙を指差しながらグレイヤに聞いた。
「これは、なんですか」
「依頼契約書。ここにサインして」
「はい? ということは・・・ワタシの依頼を引き受けてくださるってことですよね?!」
「そう、だから早くサインして」
グレイヤはもう一度リンゴを大きくかぶりついた。少女は浮かれて契約書にサインをしてそれをグレイヤに渡した。だがグレイヤは契約書を確認することもなく、軽く手を振った。すると契約書はふわりと宙に浮かび、自ら本棚の隅に収まった。
「さあこれで契約成立。それで依頼したいことって何」
グレイヤがもぐもぐリンゴをかじりながら聞いた。少女は喜びに満ちた顔でグレイヤに身を乗り出し、大声で言った。
「ワタシの好きな人が一生ワタシのそばにいてくれるようにしてください!」