2話
数時間後、礼拝堂の扉がキーッという音を立てて開かれた。礼拝堂の中はさっきとは違って全てのろうそくが消えていて薄暗い。礼拝堂の説教壇の前には神父が後手に組んで立っている。
開かれた扉の間から礼拝堂へ入ってきた修女は、きちんとした歩みで神父に近づいた。修女は神父の後ろに立ったが、彼は彼女に目線すら向けてくれない。
「お客様は?」
「お客様はさっき眠ったばかりです」
「そうでしょうか。では儀式の準備を始めましょうか」
「その・・・お客様が眠っているとはいえ、本当に儀式を行なっても大丈夫でしょうか。もしバレたら」
「大丈夫です。そんなこと絶対ありません。あの部屋は中から絶対出られないように魔法をかけておいたから、たとえ目覚めてもあの部屋からは出ることはできません。あともしバレたとしても殺せば問題ありません」
「でも・・・」
「それとも修女様は我々の神様に信じられないってわけですか」
神父は目を見開き、横目で修女を恐ろしい勢いで睨みつけた。
「ちっ違います。そういうのじゃなくてただ心配になって」
「次からは気をつきなさい」
そう言って神父は険しい眼差しを収め、視線を前に向けた。神父はそっと顔を上げ、説教壇の上にそびえ立つ巨大な像を見上げた。それは、唯一神を信仰する教会にあってはいけないものであった。
体は人間の形をしており、両手を前に差し出している。頭は牛頭でデカイ角が生えている。教会で信仰する神とは全く異なる神の偶像が、今教会の最も高いところに置かれている。
「火をつけなさい」
じっと偶像を見上げていた神父が言った。神父の言葉に修女は何も言わず頷き、偶像の前へ歩み寄り、あらかじめ準備しておいたマッチに火をつけた。そして偶像の腹の部分に仕込んでおいた藁にマッチを投げ入れた。まもなく藁に火がつき勢いよく燃え広がり、濃い煙と熱気が偶像の隙間から立ち上り始めた。
火がしっかりとついたのを確認した修女は静かに神父の後ろへ戻り控えめに立った。神父は満足げな表情で偶像から立ち昇る濃い煙をじっと見つめている。炎は勢いを増し、やがて偶像の鋼鉄は真っ赤に焼け焦げ、熱気が周囲に充満していった。その光景を見据える神父の顔には、満ち足りた笑みが浮かんでいた。
「さあ、これで準備は終わりました。今から我々の本当の神様へ捧げる儀式を始めましょう」
神父は偶像に向かって両手を挙げ大声で叫ぶ。
「バアル様、ここにあなたに従う者たちがおります。どうかワタシたちをお守りくださり、あなたの力をお授けください」
神父の声が教会の礼拝堂に響き渡った。
「ここにあなたへの生贄を用意しました。どうか、ワタシたちに目線を向けてくださいませ!」
そう言って神父は礼拝堂の椅子に座っている子供たちへ顔を向ける。
「子供たちよ、前に出てこい」
神父の言葉に、子供たちは一斉に席を立ち、整然と神父の前に歩み出た。彼らの一挙手一投足はまるで軍人のように振る舞いが整っている。
神父は一番先へ立つ男児と目線を合わせて、穏やかに軽く腰を折った。
「小さな子よ、恐ることはない。痛みはほんの少しだけだから」
神父は腕を広げて男児をそっと抱きしめた。男児は何の反応も示さず、ただぼんやりと前を見つめるだけだった。
神父は男児を抱き上げて説教壇へゆっくり歩いていく。熱い熱気が噴き出す偶像の前、神父は抱き上げた子供を敬虔な面持ちで偶像の御前へと差し出した。
「バアル様、今あなたへこの子を捧げます。どうかワタシにあなたの慈愛深い眼差しを向けてください」
神父は横目で修女をそっと一瞥した。
「太鼓を鳴らせ」
神父の命令に、修女そっと頷くと、予め偶像の横に用意されておいた太鼓へと歩み寄った。修女は太鼓のバチを握り、力強く打ち鳴らし始める。ドドンという太鼓の響きが礼拝堂内に鳴り響き、その音はあまりにも大きく、隣にいる者の声すら聞き取れないほどだった。
耳をつんざけるような太鼓の音が響く中、神父は男児をじっと見下ろした。やがて手を差し伸べ、熱く焼けた偶像の両手の上に男児を置く。
熱く焼けた鋼の上に男児の体が触れると、これまで何かに取り憑かれたような虚ろな表情を浮かべていた男児は顔が、激しい苦痛に歪んだ。
「・・・・・・・!」
男児は激しい苦痛に悲鳴をあげるが、太鼓の音のかき消されて誰にも聞こえなかった。苦しむ男児を見つめながら、神父の口元は不気味に歪んでいた。
「バアル様、どうかこの子をお受け取りいただき、ワタシたちをお守りください」
神父はだんだん命の光が薄れていく男児を見つめながら静かに祈りを捧げた。完全に男児が息絶えると、神父はまだ残された捧げ物に視線を移した。
「次は」
神父は小さく呟きながら子供たちのところへ降りていく。左端にいる幼い女児が神父の目に入った。次の生贄を定めた神父は、女児に向かって歩いていく。
「この子をバアル様への生贄に・・・」
突然神父の足がピタリと止まった。
「なんであなたがここに」
神父の瞳孔が戸惑いに揺れた。神父の視線の先にはある少女が礼拝堂の椅子に静かに腰掛けていた。黒いローブに尖り帽子、灰色髪に何の感情の一切読み取れない無表情の少女ーーグレイヤだった。グレイヤは礼拝堂の最後例にじっと座って冷たい冷たい眼差しで彼らを凝視していた。
やがて神父と視線が変わったグレイヤは胸元から長い何かを取り出して軽く振った。すると礼拝堂に鳴り響いていた太鼓の音が一瞬にして静まり返った。神父は戸惑いの色を浮かべながら、太鼓を打ち鳴らしていた修女に顔を向けた。そこには、さっきまで太鼓を打ち鳴らしていた修女が死んでいた。
「やっと静かになった」
グレイヤ特有の抑揚ない冷たい声が神父の耳に突き刺さる。人を殺してもあんなに淡々とした声で語るグレイヤの姿に、神父は背筋が凍る思いをした。
グレイヤは席から立ち、神父に向かって一歩一歩ゆっくりと歩み寄った。グレイヤが一歩ずつ近くなる度に神父の本能が彼に警告を発した、あの人は危ないと。
「おっお前一体何者だっ!」
慌てた神父の問いかけにも、グレイヤは何も答えず、黙々と彼に向かって歩み続けた。
やがて神父の目の前で立ち止まったグレイヤは静かに口を開いた。
「ワタシは『知識の魔女』グレイヤ・アステア、デス」
グレイヤは一切の感情もない無表情のまま、右手に握った杖を持ち上げ、神父に突きつけた。