二人分の通行証とB3Fへの階段
疲れ果て、泥と水でずぶ濡れになったニコが、再びボブの「オフィス」の前に立った時、入り口の部下たちは、まるで幽霊でも見るかのような目で彼を見た。あの第7浄水槽から生きて戻ってくるとは、誰も予想していなかったのだろう。驚きを隠せないまま、男は無言でニコを中へと通した。
ボブはデスクにおり、ニコの姿を認めると、その爬虫類のような目を大きく見開いた。
「…生きていたのか、小僧。その様は、本当に汚水槽から這い出してきたみたいだな」ボブの声には、嘲りよりも純粋な驚きが滲んでいた。「で、首尾はどうだ? まさか、本当に…」
ニコは言葉を発さず、懐から布に包まれた部品を取り出し、デスクの上に置いた。緑色の基板と、ガラスの真空管。泥は付いているが、破損はない。
ボブは部品を手に取り、紙切れの図と見比べ、念入りに検分した。そして、満足したのか、あるいは呆れたのか、ふっと息を漏らした。「…大したものだ。本当に取ってきやがった。運がいいのか、ただの命知らずか…。まあ、どちらでもいい。約束は約束だ」
ボブはデスクの引き出しを少し開け、中から鈍く赤茶色に光る、古びた金属の円盤――コインを取り出した。「今夜、日付が変わる頃、東側の階段へ行け」ボブはそのコインをニコに放り投げた。「警備兵には話を通してある。これを奴に見せろ。それが『印』だ」
「…二人分、なんだろうな?」ニコは念を押した。
「ああ、分かっている」ボブは面倒くさそうに言った。「お前ほどの『働き』をしたんだ。二人分くらい、手配してやる。そのコイン一つで二人分だ。なくすなよ。代わりはない」
ニコはコインを強く握りしめ、頷いた。「感謝する」
彼は一礼もせず、ボブに背を向け、部屋を出た。
(やった…!二人分の約束、守らせた!)
ニコは、カイが待つ隠れ家へと急いだ。カイは、ニコが無事に戻り、しかも二人分の通行の許可(印としてのコイン)を得てきたことを知ると、驚きと喜びを露わにした。
「信じられん! よくやった、ニコ! あのボブ相手に、本当によくやった!」カイはニコの肩を力強く叩いた。「お前のおかげで、道が開けたぞ!」
「カイが助言してくれたおかげだ」ニコも、カイと喜びを分かち合った。
「よし、準備はいいな?」カイは気持ちを切り替え、確認した。「時間も迫っている。行くぞ」
ニコは頷き、カイから預かっていた道具(EMP装置、ピッキングツール、データチップ)と、ボブから得たコインをしっかりと確認した。
二人は、B4Fの闇の中を、息を潜めて東側の階段へと向かった。一人ではないというだけで、ニコの心はずっと軽かった。カイが隣にいる。それだけで、これから向かう未知の階層への恐怖が和らぐ気がした。
階段の前には、一人の警備兵が、退屈そうに壁に寄りかかって立っていた。ニコとカイが二人で近づいてくるのを見て、警備兵は訝しげな顔をした。
「…何だ、お前たちは」
ニコは、カイと視線を交わし、一歩前に出た。そして、握りしめていた古びたコインを、警備兵の目の前に差し出した。「ボブから」
警備兵はコインを一瞥すると、次にカイの姿を見て、わずかに眉をひそめた。だが、ボブの名前とコインの効力は絶大らしかった。彼は一瞬ためらった後、面倒くさそうにため息をつき、コインをひったくると自分のポケットにねじ込んだ。
「…ちっ、二人かよ。聞いてねえが…まあいい。行け。さっさと行っちまえ!」
彼は階段を塞いでいた簡易なバリケードを、乱暴にどかし、道を開けた。
ニコとカイは、互いに頷き合い、その隙間を通り抜けた。背後で、警備兵が舌打ちする音が聞こえた気がした。
一歩、また一歩と、錆びた金属の階段を上る。彼らは、ついにB4Fを突破したのだ。二人で。
振り返ると、B4Fの薄暗い闇が、急速に遠ざかっていく。もう、戻ることはないだろう。ニコとカイは前だけを見据えた。未知なるB3Fへ、そして、さらにその先へと続く、長い長い上昇への第一歩を、今、共に踏み出したのだった。




