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ピサンゴレン島B5攻防戦

作者: jima

「とにかくこのペースで毎日攻撃が続いたら我が軍は一ヶ月も保たないぞ」

 アヤム司令官が甲高い声で叫んだ。


「まことにごもっとも。誰かベース(ファイブ)への対策はないのか」

 ナシ参謀長が追従する。


 問題はこの基地の島から100㎞ほど先にあるピサンゴレン島の基地『ベース5』である。チャンプル共和国の最前線である彼らのテリマカ島基地は毎日のように空爆を受け、疲弊し続けている。

 対空兵器や航空機戦力が乏しい彼らにはそれに対してめぼしい対抗策がない。


「ええい、役立たずどもがっ!」

 声の上がらない幕僚をアヤム司令が罵った。


 一人の幕僚が恐る恐る声を出す。

「あの…ブブール参謀でしたら作戦を提示していただけるかと…」

 幕僚達がお互い顔を見合わせる。頷く者、下を向く者、司令の方をそっと伺う者…


「…この()れ者が!この男を独房に入れよ」

 司令が青筋を立てて、言い渡した。


「お許しを!お許しを!司令官!」

 この場合の独房は基地内の地下壕であり、出獄が許されない事実上の死刑である。





「ナシ参謀長、名案でなくてもよい。何か出せ」

 会議が終了し、幕僚が退出した司令室でアヤム司令とナシ参謀長がコソコソと話す。

 この二人は要するに家柄による親のコネと政治力、そして悪巧みによってこの地位に就いている。戦術戦略、武器の取り扱い、武勇、戦歴等、特に何もないのだ。


 だからこそ元幕僚のブブールは司令室から追い出された。事実上この島の防衛戦略を一人で担っていたブブールが独房に送られ(はや)ひと月、そろそろ彼の限界も近いと思われる。

 そもそも本土防衛に重要なテリマカ島に二人が着任できたのは、本土中央司令部によってブブールがいればこそと判断された人事であった。だがそれだけ優秀で信頼されている参謀の存在がこの二人には許せなかった。

 ブブールは些細な書類上のミスやでっち上げの軍法違反を押しつけられて独房に入れられた。


「司令、いい考えがあります」


「ナシ参謀長、話せ」


「ベース5秘密工作隊を組織します」


「制空権が完全に取られてピサンゴレン島の海域に入れんから、毎日爆撃されてるんだろうが。どうやって工作員を送るんだ!」

 アヤム司令が怒鳴るが、ナシ参謀長は卑しい笑みを浮かべる。


「ボートですよ。ボート」


 アヤム司令が眼を瞬かせる。

「ボート?」


「ゴムボートに推進スクリューをくっつけて、ピサンゴレン島に送りましょう」


「馬鹿な」

 さすがに軍略に疎いといわれるアヤム司令も呆れる。

「たどり着く前に沈められて全滅だろう」


 ナシ参謀長がさらに卑屈な笑みを深めた。

「それでも構いませんよ」


「どういうことだ」

 チャンプル共和国軍始まって以来の無策無謀無駄作戦が始まった。






「ブブール参謀、ここからはゴムボートです」

 サテ軍曹がボートに荷物を積みながら声をかける。


 ブブールは無表情のまま頷きもしない。

 前述のとおりブブール参謀はアヤム司令とナシ参謀長がテリマカ島に赴任するまではこの島の防衛ライン維持をほぼ一人で担っていた。彼が様々な策を巡らし、相手の作戦を先読みし、共和国の極端に乏しい戦力を集中運用してようやくギリギリのところで防いでいたといってよい。

 だが、二人の無能が基地にやってきてしまった。しかも縁故採用にして最高権限の保持者という救いのなさである。二人の無能…アヤム司令とナシ参謀長はブブールを徹底的に排除した。


 ブブールが独房入りしてからは行き当たりばったりの作戦が多くなり、ピサンゴレン島ベース5の航空戦力は自由にテリマカシ島の海域に行き来し攻撃や工作を行うようになった。本土への空爆も幾度か許している。

 そんな時にこの秘密工作隊が組織された。

 ブブールはもちろん判っている。これは(てい)の良い厄介払いである。奇跡的に作戦が上手くいってベース5にいくらかの損害でも与えられれば、それに越したことはない。駄目でもブブールをはじめとする邪魔者が相当数始末できるのだ。本土にはこれで防衛網破綻の責任を彼らに被せることが出来るだろう。死人に口なしだ。

 そのくらいこの作戦は無謀だ。100%誰も帰投は望めない。



 ブブールがようやく一言発した。

「ふむ、タバコを忘れたな。一本くれるか」


 サテがポケットから慌ててタバコを取り出す。

「ど、どうぞ。参謀殿」


 ブブールはそのタバコに火を点け、うまそうに煙を吐き出した。

「サテ、お前家族は?」


「ハッ。独り者ですが、田舎に母がいます」


「フン。嫁や子供がいないだけ痛々しさがないか」

 ブブールは吐き出すように言った。


「…?」



 ゴムボートは深夜の海をボコボコと泡を立てながら進んでいく。

 ナシ参謀長の「作戦」とはこうだ。

 工作隊は全部で40名、ピサンゴレン島まで80㎞の海域までは揚陸船や小型巡洋艦で接近する。その後2名ずつ20艘のゴムボートに乗って深夜密かに上陸を果たすという。

 レーダー網に引っかかりにくいゴムボートで島に近づき、後はおのおの決死の覚悟で破壊工作を行う予定だ。その攻撃目標は滑走路の破壊に集中されている。とにかく爆撃機が離陸できないようにしようというその一点が作戦目標と言っても良い。

 他にも基地近くのジャングルにガソリンをまいて火事を起こす陽動係やレーダーの破壊を目標とする人間もいる。2人ひと組で20チームがこの夜のうちに騒動を起こし、またボートで引き上げてくるという説明をされている。



「おい、サテ。ここでストップだ」

 ブブールがまだ島までだいぶ距離のある段階で指示を出した。


「えっ?参謀殿、まだ島までだいぶありますが」


「アホウ、ここまで来れただけでも超ラッキーだ。これ以上進めば、大多数のボートが哨戒船に発見されてお仕舞いだ」

 ブブールはサッサと用意してきた防水の大きなザックに色々なものを詰め込み始める。

 ザックの底に自分のタバコを発見した。

「フン、こんなところにタバコが紛れていた。返すぞ」


「い、いえ。結構です。あ、あのそれより」


「受け取れ。借りたものは返す主義だ」


「は、はあ。いやいや。そうではなく、ピサンゴレン島はまだだいぶ先で…」

 サテがタバコを受け取りながら、しどろもどろで聞き返す。


「だからお前はここで引き返すのが最も生存確率が高い。まだ味方の揚陸艦も残っているかもしれん」


「はっ?作戦終了後、この地点で合流と…」


「待っててくれるわけないだろう」

 

 ブブールの言葉を聞いて、サテの顔が青ざめる。

「そんな。ではこの作戦は」


「ダメ元で少しは滑走路を汚せたらいいな…という程度の作戦だな。それと基地の厄介者を一斉処分するというのもある…というよりそっちが本命だろう」


 サテは言葉も出ない。ブブールの後をついて行けば、何らかの功績を挙げられると甘く考えていた。もちろんサテも現司令部にはお覚えが悪く、厄介払い要員の一人だったのである。


「さ、参謀殿。参謀殿はこれからどうなさるのですか」

 震える声でサテが尋ねると、ブブールは相変わらずの無表情である。

「どっちにしろ、テリマカ島に戻れば再び独房行きで今度は助からんだろう。まずはピサンゴレン島に上陸する、泳いでな」


「参謀殿。わ、私も同道させてください」


 サテの涙目にブブールはハアとため息をつく。

「あのな、上陸できても助かる可能性は少ない。というかほとんど望みはないぞ」


「揚陸艦に一人で戻ったら間違いなく独房行きです。連れてってください」


「俺のいうことにすべて従うか?」


「えっ?」


「答えが全部『はい』でなくては連れて行けない」


「…は、はい!すべて従います。お願いします!」


 ブブールはじっとサテの顔を見て、胸を拳で軽く突いた。

「わかった。ついてこい。ま、たぶん死ぬけどな」


 顔色をなくして黙っているサテをブブールが睨む。

「返事がないな」


「…はい」


「よし、できるだけ沢山の弾薬と武器をこの防水ザックに入れろ。お前が抱えて泳げる量だ」

 

 サテは受け取ったザックに機関銃や手榴弾、小型ミサイル砲などを詰め込んでいく。

「このくらいなら…」


「2㎞は泳げるんだろうな。助けはしないぞ。俺もギリギリだからな」

 ブブールが海に飛び込んだ。


「参謀殿、そっちからでは遠回りになります」


「もうすぐ先に行ったボートの奴らが見つかる頃だ。その隙にあっちの断崖から上陸する」

 ブブールがゆっくりを泳ぎはじめた。


「そんな無茶な」


 ブブールはすでに泳ぎ始めていた。

「行くぞ。岸壁に近づくほど、波が荒くなる。誰かを助ける余裕はない。自分でどうにかしろ」

 ブブールの言葉に泣き顔になりながら、サテが続いた。





 遠くの方から機銃の射撃音や機雷の炸裂音が響き始めた。

 ブブールとサテが波間を漂いながら、何とかピサンゴレン島の東側断崖に取りついたのは1時間後のことであった。

「ゲホッ、ハアハア。参謀殿、げ、限界です。この崖を登るなど、もう…」


「そうか。気の毒にな。さらばだ」

 ブブールはそう言い捨てて、崖にへばりつく。

 それからザックの中からロープや何かに使う金具を取り出した。


「ま、待ってください。頑張ります。行きます!見捨てないでください」


 ブブールはサテを相変わらず冷たい眼で見た。

「まあ、いい。…そうだな。5分したら追いかけてこい。このロープは2人は無理だからな」

 そう言って、手袋を一揃えサテに投げた。

「後はお前の頑張り次第だ。生きたかったら、何があっても登ってこい」


「…はい」







 ピサンゴレン島ベース5基地はその夜も通常営業であったといっていい。

 基地司令も参謀長も特別な警戒はしていなかったけれど、いつもより油断をしているというわけではなかった。

 そしてそんな彼らが島の警戒水域に妙なボートが近づいてくるのを見逃すはずもなかった。ブブールとサテを除いたこの夜の秘密工作隊が全滅したのは彼らが崖に辿り着く数分前であった。

 無謀にもゴムボートで哨戒船にぐんぐん接近してきたチャンプル共和国の兵士は機銃が数分だけ一斉照射することで付近の海の藻屑と消えた。

 ベース5基地司令室は逆にこの行動を怪しんだ。真夜中にレーダーを持たないゴムボートが目視のみで敵基地の巡回海域に突っ込んでくるなど、いくらなんでも無意味すぎる。



 ベース5は通常営業ではあったけれど、ここのところの圧倒的優勢で若干判断力が麻痺していたのかもしれない。

 参謀長は明らかにゴムボート作戦を何らかの陽動と考えて、チャンプル軍の攻勢を警戒するよう必要以上誇張して基地指令に進言した。

 結果的に哨戒行動はテリマカ島への最前線に集中することとなり、ブブールとサテ二人が今まさに島の崖をハアハア言いながらクライミングしているなどとは誰も考えない。まったくの偶然だが、今彼らは基地の警戒がもっとも手薄となった足元に辿り着こうとしている。午前1時を少し過ぎた頃であった。


 


「ゲホッ、ゲホ。さ、参謀長、待ってください。もう少し休ませて…」

 断崖をどうにか必死に登り切ったサテが涙目でブブールに訴える。


「基地が騒がしい。明らかに連中の眼が前線に向けられている。飛行機を分捕るなら今だ」

 ブブールはゴソゴソと基地の南方にあるジャングルへと消えていった。


「ひ、ひいぃっ!待ってください!待って!ついてきますから、つれ、連れてってください」

 ハアハアと息も荒くサテがその後に続いた。

 そこで彼は深い茂みからブブールの手がニョッキと出てきたのに驚く。


 手は茂みから「おいでおいで」をするように指をヒラヒラとさせ、ブブールの低い声がする。

「ここからは声を出すな。俺の指示がわかったら頷いて合図をしろ」


 サテがブンブンと首を縦に振る。


「よし、ここまでよくついて来た。生きてチャンプルに帰ろうぜ」

 さらに低いブブールの声。

 サテが涙を零しながら大きく頷いた。






 ベース5基地は慌ただしく警戒態勢を整えている。ゴムボート陽動作戦の間にチャンプル共和国がどんな攻撃を企んでいるのか。ここしばらくは完全に制空権をその手に抑えているとはいえ、窮鼠猫を噛むということがある。ヤケクソで何をしてくるか判らない。

 ピサンゴレン島ベース5基地司令部が最も警戒していたのは切れ者として有名なブブール参謀であったが、どうやらこの人物は新しい基地司令と折り合いが悪くなって幽閉されているという情報があった。

 今回のゴムボート突撃作戦が彼の作戦としたら無謀すぎる。まだブブールはテリマカ島基地の作戦中枢に復帰できていないと考えても良いだろう。

 だが万が一この作戦がブブールによるもので、何か深い意味や目的があるとしたら…


 …などとベース5基地司令部は深読みしすぎた。今回の作戦の本当の攻撃目標はここよりさらに西方の海中油田採掘施設ではないのかと。

 もちろんテリマカ島はその油田に関する情報など何ひとつ持っていない。 


「テリマカ島方面の前線とともに西方航路周辺にありったけの偵察部隊を送れ」

 ベース5基地司令は指示した。


 それから数分後、基地の南方から爆発音が数回響き、さらに機銃掃射の炸裂音がけたたましく唸り始めた。


「何事だ。敵の上陸を許したのか」

 ベース5基地司令はチャンプル共和国軍の作戦意図を読めず恐慌を(きた)した。

 実際には何の実体も伴っていなかったのだが。




 その時すでにブブールとサテは南の森を抜け、その反対の北側滑走路で小型偵察機群の陰に潜んでいた。

 この作戦の内容を聞いたブブールが半月かけて製作した装置は小型ミサイルを自動で撃ち出すと同時に手榴弾のピンを抜き、そこから数十メートル離れた機関銃が敵の武器庫に向かってこれも自動で掃射を開始するという手の込んだものだった。

 その装置はブブールの計算通り機能し、島の南側で見事に本当の意味での陽動を果たした。

 ピサンゴレン島ベース5基地の眼がジャングルの南方に向けられるとともに、さらに滑走路上は前線と油田方向への偵察機離陸で大混雑をしている。



 これもどこで準備してきたのかブブールは敵軍の制服を(まと)い、サテは目立たないよう軍服を脱いで上半身は下着姿だ。そのまま軽い駆け足で移動し、堂々と滑走路の真ん中を横切って無人の機体を捜した。


「おい、この機体なら操縦は難しくない。これに決めた」

 ブブールが前方座席に乗り込んで燃料を確認する。サテも続いて後部席に潜り込んだ。

「滑走路が混雑しているうえに、誘導灯のサインが判りにくい。補助が必要だな…」

 ブブールは呟く。


 サテが緊張のあまり貼り付いたような無表情でいるとき、あろうことかブブールが滑走路脇の兵に声を掛けた。

「おい、そこのお前!お前だ!」


 サテは驚愕の余り、声も出ない。せっかく(から)の機体に忍び込めたのに敵軍兵士に話しかけるとは。

 整備兵と(おぼ)しき男が機体に近づき、訝しそうにこちらを覗き込む。


「何だ。いや…何でしょう」

 堂々とした態度で、しかもベテランパイロットの雰囲気を醸し出しているブブールに整備兵の口調が丁寧なものとなった。


「前線への偵察を指示されたが、この騒ぎでまったく管制と連絡がとれん。通信が回復したら司令室には本機の出発を通告してくれ。ああ、それから離陸の誘導も頼む。混雑してるからな」


「はっ、承知しました。お気をつけて!」


「うむ、ご苦労!」


 サテが後部座席で頭を低くして肝を潰している。流ちょうに敵国語を話し、ベース5基地のシステムを熟知した偽装を行い、加えてこの大胆な演技力…

 感心する間もなく、ブブールとサテの搭乗した機体はその整備兵の誘導で無事空に飛び立った。



 その数分後、(くだん)の整備兵は管制塔に連絡をした。通信状況は問題ない。

(多分機体と管制のチャンネルの問題だろうな。混乱しているからな)

 彼はそう思い、基地であまり見かけないパイロットの乗った偵察機のことは明け方までに忘れた。


 その不思議な偵察機出発の報告は大混乱する司令室でも数十機離陸した中の一機としてホワイトボードにチェックを受けただけだった。誰の指示でどのパイロットが操縦しているというような確認は為されなかった。当然島から遠ざかっていくブブールの機を怪しむ者はいなかったのである。


 



 ブブールはそのまま北西に向かって飛行を続けた。

 明け方にサテが居眠りを始めたとき、ブブールが後部座席を拳骨で叩いた。

「う、うわっ、すいません。起きております!」


 ブブールが苦笑いをする。

「いいからまた泳ぐ準備をしろ。海面に不時着するぞ」


「ええっ?チャンプルに帰るのでは?」


「この機体で沿岸に近づくのはヤバすぎるだろう。チャンプルから20㎞の離島に上陸する」

 機はぐんぐんと高度を落とす。


「ど、どういうことですか?」


「あの馬鹿どもが基地に来てから、一応脱出の準備はしておいた」

 操縦桿を握りながら、平然とブブールが呟いた。


「馬鹿ども…?えっと」


 眼を丸くするサテに微笑みながらブブールが続けた。

「判ってるだろう。恥知らずのアヤムと能ナシだ」


「プッ」

 サテが吹き出す。


「おい、備えろ。少しバウンドするぞ」


「えっ?バウンド?」


 機体は海面を大きくバウンドしながら、それでも無事に不時着した。


「沈む前に脱出しろ!もう荷物は持たなくてもいいぞ」


「ひゃああ、は、はいーーっ!」

 操縦席に流れ込んでくる海水にサテがまた悲鳴をあげ、泣き声で返事をした。





 チャンプル共和国の地方都市のそのまた地方にある小さな漁村、さらにその沿岸から20数㎞離れたこの無人島はブブールのものであった。

 この島を彼が購入したのは偶然ではない。

 開戦から数ヶ月でテリマカ島への赴任が決まったとき、何か非常に嫌な予感がした彼は最悪の場合に備えてここを避難地とするべく準備を重ねていた。

 

「やれやれ、さすがにしんどかったな」

 砂浜に辿り着いてブブールが座り込み、大きく息を吐いた。

 

「参謀殿、もう駄目です。動けません」

 サテは砂浜で倒れ動けない。


 ブブールがようやく優しげな眼でサテを眺め、声をかけた。

「もう少しだけ頑張れ。向こうのジャングルに小さな小屋がある。食糧と水もな」


「頑張ります」

 サテがすぐに立ち上がった。ブブールは吹き出す。





 ブブールが島に用意していたのは小さな小屋と最低限の生活用品、食糧と水であった。

「参謀殿、すみません。私が一緒なばかりに食糧も半分になってしまって…」


「気にするな。ここに長居する気はない」

 ブブールは上機嫌でベッドの下から何やらゴソゴソと取り出す。

「ここに無線機がある」


「はあ、どこへ連絡をされるおつもりで」


「この近くの港で俺の幼なじみが漁師をやっている。迎えにきてもらって、明日から漁師だ」

 ニヤリと笑った。サテはブブールが歯を見せて笑うのを初めて見た。


「しかし、私たちは脱走兵です。見つかったら只では…」

 

 心配そうなサテの言葉をブブールは笑い飛ばす。

「ワハハハ、忘れたのか。俺たちはもう死んでいる。…いや死んだことになっている」


 自分たちはすでに『死亡済み』で記録されている、とブブールが言った。それはそうだ。彼らがベース5から飛行機を分捕って帰国しているなど誰も想像しない。


「追っ手も指名手配もない。俺たちは死人だからな。あのアヤムとナシ(馬鹿ども)、最後に少しだけ使えたな」

 

「…」


 ブブールはこれから終戦まではその漁師町でのんびり過ごすことに決めたようだ。そしてその終戦はもう間近だとも考えているらしい。


「お前も戦争が終わるまでは何処かで身を隠していろ。戦後に何かの罪状で訴えられた場合は俺を頼れ。いろいろと資料は用意している。あの馬鹿どもをテリマカ島に配属した奴らが青くなるような証拠が揃ってる」


「参謀殿」


「素性を隠すつもりだ。参謀はやめろ。ブブールで充分だ」


「…失礼しました。ええと…ブブール…さん」

 サテにとって元々は基地の事実上の最高責任者である。呼びにくいことこの上ない。

「ブブールさん、私も一緒に連れて行ってはくれませんか。私もクニでは漁師でした。お役に立ちます」


 ブブールが愉快そうに笑う。

「ま、いいだろう。漁師としては先輩というわけだな。サテさん」


 サテがさん付けで呼ばれて恐縮するのと同時に無線機から声が聞こえた。

「何だ。一体?」

 ブブールがチャンネルを合わせると何ということか、聞き覚えのある声が聞こえた。


『誰か応答しろ。こちらはBJ08765。進路を問い合わせる』


『誰か応答してくれ。ここはどこら辺だ』


 アヤムとナシの声が聞こえる。サテにとってはすでに懐かしいくらいの声でもあった。

 だが散々嫌がらせを受け、独房にまで入れられたブブールにとってはまだ過去の人物ではない。苦々しい顔で呟いた。

「昨夜ベース5の侵攻が本格的に始まったんだろうな。きっかけを作っておいていち早く逃げ出すとは」


 昨晩ある意味恐慌を来したベース5はテリマカ島へ一気に総攻撃を仕掛けたらしい。怒濤の爆撃と押し寄せる艦隊にアヤム司令とナシ参謀長は部隊と基地をすべて置き去りにして航空機で逃げ出したらしい。


「慌てて逃げ出したはいいが、計器や地図の読み方が判らないんだろうな」

 

 ブブールの言葉にサテも呆れる。テリマカ島の防衛ラインがあっという間に壊滅するわけだ。

「参謀…ブブールさん、無線を貸していただいてよろしいですか」

 サテがブブールに手を差し出す。

 ブブールは怪訝な顔をしたが、黙って無線機をサテの近くに押し出した。


『チャンプル共和国航空部隊BJ08765、BJ08765。機体の現在位置と目的地を告げよ。こちらはイカンバカ基地航空司令管制。コードはSQ78464、コードSQ78464」

 サテが共和国の基地を装って呼びかけた。ブブールはニヤリと笑う。


 無線の向こうからパッと明るくなった声が聞こえる。

『そら見ろ。応答があったじゃないか』

『アヤム司令、まさかあなたがまったく地図が読めない人だとは』

『お前こそ、無線の使い方も知らなかったくせに』


『BJ08765、BJ08765、応答しろ。応答がなければ交信を終了する』


『わっ、待て!待て!私を誰だと思っている。通信技師などすぐにクビに出来るのだぞ!』


 逃亡中でも尊大な態度を崩さないアヤム司令にサテはあらためて呆れる。

『BJ08765、失礼した。貴機の操縦者と目的地、用件を告げよ。座標を指示する」


『うむ。私はチャンプル共和国軍テリマカ島基地司令官のアヤムである。敵国ピサンゴレン島のベース5より昨晩大攻勢を受けた。全力で防衛に努めたが部下の反乱もあって止むなく基地を放棄し母国へ帰投を果たす途上である。最も近い滑走路への誘導を頼む』


『は?部下の反乱?』


『そうだ。ブブールという参謀だが私の防衛作戦が成功しそうになるやいなや、一部の部下を扇動して反乱を起こした。それで基地の指揮系統が混乱して防衛ラインの崩壊を招いたのだ』

 アヤム司令がしれっと隣でじっと聞いている参謀の名前を出した。


『…それは気の毒でした。貴機の実情を了解しました。方向が間違っているので訂正をお願いします。こちらの言うように座標と方向を打ち直してください』

 ゆっくりと丁寧に、しかし無線機の前のサテの顔は怒りで引き攣っている。

 

『おう、助かった。そらみろ、アヤム』


『良かったですな。これで帰国できます。作戦通りです』


『グワッハッハッハ。面倒な奴らは始末したしな』

 無線を切るという操作も知らないらしい。ブブールもサテも二人のアホさ加減に力が抜けている。


『BJ08765、BJ08765。よく聞いてください。最寄りの基地滑走路は東24761000 北48888025…』

 サテの無線にブブールのニヤニヤ顔が真顔に変わった。(その座標は…)


『話は通しておきます。ただ緊急のことですしそこの基地管制が多少何か妙なことを言うかもしれません。しかし強引に着陸して構わないでしょう。あなたたちは祖国防衛に尽力したのですから』


『うむむ。話のわかる管制だな。よくわかった。協力感謝する』


『はい、無事を祈ります』

 サテがそう言って無線を切った。



「おい、サテ」

 ブブールが眼を瞬かせてサテを見た。


「お察しの通り、あれはピサンゴレン島ベース5の位置ですよ。奴らそれさえ気がつかんのですな」

 サテが心底軽蔑した口調で吐き出す。


「まさかそこにあいつらを誘導するとは…」

 ブブールも毒気を抜かれた表情である。


「ブブールさんはベース5で偵察機を借りパクしたでしょう」

 サテが顔をあげてニコリと笑う。


「うむ。すでに海に沈めたが」


「あなたは借りたものは返すのが信条だったはずですね」


「そういえばそういうことも言ったな」

 ブブールがポカンと口を開けたままサテの顔を見て、それから笑った。


 サテもこの数年で初めて晴れ晴れとした気持ちで笑った。

「飛行機を一機お返ししましょう。ゴミ(アヤムとナシ)と一緒ですけど」





 この頃テリマカ島基地はすでに陥落していた。

 チャンプル共和国が条件付きの降伏をして講和条約に調印する2週間前のことであった。

 

 ブブールとサテは終戦後、3年ほども近くの漁港でのんびりと過ごし、それから帰郷した。

 特に当局からの呼び出しや詮議はなかったようである。


 アヤム司令とナシ参謀長のその後については残念ながら資料が残っていない。







読んでいただきありがとうございました。

架空の戦記を考えるのが大好きで私の頭の中ではブブールが何度も大活躍しております。

楽しんで書き終わりました。

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