人工知能ペット虐待問題
「次のニュースは最近、問題になっているこちらの話題です。」
僕はなんとなくテレビをつけて、流れるニュース番組を見ていた。話題は最近、増えている「人工知能ペット虐待問題」についてである。自分もベイタロウを飼っている身として無関心な話題ではなかったので目線を画面にうつして見ていた。
「こちらが、先日SNSで公開された人工知能ペットを虐待する動画である。」
流れてきた映像は、30代くらいの女性がクマ型の人工知能ペットに罵声を浴びせながら殴ったり、蹴ったりする映像であった。クマ型の人工知能ペットは悲痛な鳴き声をあげて逃げようとしている。それでも女性は日頃のストレスをぶつけるように「あんたは私の為にいるんだから我慢しなさい!」と叫びながら狂ったように殴ったり、蹴ったりを繰り返していた。その後、ボロボロになって動かなくなったクマ型の人工知能ペットをみて言った。
「死んじゃったの? もっと楽しませてくれないと金がもったいないじゃない。高かったんだから!」
と笑っているのか、怒っているのか分からない声で言っていた。
僕はあまりにショッキングな映像で震えてしまった。この狂気じみた動画はさっきまで陽だまりに包まれていた部屋の穏やかな雰囲気を淀ませてしまった。目を逸らしたい映像だった。なんでこんなことができてしまうのか分からない。また、別の動画も流れる。
次の動画は若い男性の数人が屋上でブタ型の人工知能ペットを囲んでいた。ブタ型の人工知能ペットは若い男性になついていた。その次の瞬間、ブタ型の人工知能ペットを抱え上げて優しく抱きしめるかと思えば、そうではなく、まるで面白い実験を始めるように屋上から放り投げた。空を飛ぶわけもなく、一瞬で地面にたたきつけられる。その後、ブタ型の人工知能ペットは無残な姿になった。笑い声がその場を包んでいた。
その動画を見て、また僕は何とも言えない恐ろしさと怒りを感じた。何が面白いのか分からない。しかし、人工知能ペットへの虐待を行う人の意見もあるらしい。
「人工知能ペットは所詮、モノだ。金を出したのは自分だから、使い方は自分で決めていいに決まっている。殴ろうが、蹴ろうが、殺そうが自由だ。」と。
ニュース番組のスタジオではこの話題に対する議論が始まった。
「人工知能ペットは、モノなのか? 命ある動物なのか?」
人工知能ペットといえども、人工知能レベルや種類が違う。人工知能レベルが低いものは学んだことを記憶し、大量のデータを計算し、それに応じて動く「機械」という感じである。
それに対して、現在、最新のベイタロウのような人工知能レベルの高いものは、人工知能とは別に「命」や「心」、「意識」を持っているとされている。
この「命」や「心」、「意識」というものがとても曖昧である。痛い時は痛がる。嬉しい時は喜ぶ。風が心地よく感じる。どこをもって、「命」や「心」、「意識」があるといえばいいのか基準が分からない。それに人間の手によって生み出されたものを「命」ある動物といっていいのか分からない。
よって、人工知能ペットはモノか、命ある動物か、判断しにくいのである。
さらに人工知能ペットだけの問題ではない。今の時代では様々な種類の人工知能ロボットがいる。工場で働く作業用AIロボット、様々なお店で接客を行う接客用AIロボット、家事を行う執事AIロボット、介護を行う介護AIロボット、戦争のためにつくられた軍事用AIロボットなどである。
それらもただの「モノ」としては扱ってはいけない?
ある人はいう、人間がそういうものを生み出したこと自体が罪であると。今すぐに製造の禁止をすべきだと。
ある人はいう、人工知能ペット虐待という前に、人間はたくさんの動物を殺したり、虐待したりしている。人間の都合のよさで命や虐待の線引きをしていいのかと。
この議論はとても盛んに行われている。まだ法の整備は間に合っていない。
「人工知能ペット虐待問題」はただ、モノを雑に扱っただけの行為なのか、それとも動物虐待で犯罪行為なのか。難しい問題である。
しかし、僕は一つだけ分かっていることがある。
僕はテレビの画面から目を離し、少し不安そうな顔をしているベイタロウを抱きかかえて、優しく撫でた。ベイタロウは安心して気持ちよさそうに僕を見つめてきた。僕は分かっている。モノも動物も関係ない。だって、
「ベイタロウは大切な家族だからね! 大切な存在だよ。」
ベイタロウはその言葉を理解したのかしていないのか分からない。しかし、なんだか嬉しそうに「ベぇ!」と鳴いた。
(つづく)
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