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泥棒

作者: 近衛モモ

 

 ここに一人の男がいる。


 この男に名前は無く、襟の黄ばんだシャツに黒いジャンパーを羽織っている。

 裾をゴムで絞った黒いズボンに、足下は厚い靴下。この靴下は灰色で、ストライプが入っている。

 髪は白髪混じりのボサボサ。手には長い棒を持ち、棒の先は鉤のようになっている。この棒を使って窓や扉を破る。


 この男は昼間、自転車で他所様のゴミ箱から金属類を集めて工場へ売ったり、駅の忘れ物にある傘や膝掛けを持って来て、リサイクルショップへ売ったりしている。

 決まった家は無く、家族もない。


 ある日、男はいつもの格好で、人通りの少ない住宅街の外れを歩いていた。深夜だ。

 片側は広い雑木林。反対側はジャガイモ畑と、まばらに民家が建っている。

 コンクリート舗装の幅広の道路。男はすでに目的が決まっていて、確かな足取りで早足に進んでいた。

 同時に視線を常に辺りに配り、目を忙しく動かしている。

 やがて男は石垣に囲まれた民家へ辿り着く。持参した棒の鉤のところで、勝手口の扉の、そのちょうど鍵穴の横のところの壁を叩き崩し始めた。

 男は事前の調べで、この家の壁がいかにも古くて、レンガを積んで泥を塗っただけの簡単な構造だと知っていたのである。

 それで頑丈な鍵よりも壁の方を崩して、中に侵入する方法を思いついた。

 おまけにつけてこの家の住人は、夜になると必ず街へ出掛けていくのだ。それもこの男には都合のいいことだった。


 目当ては金だ。


 大金ではなく、この老いぼれが数日食い繋ぐ為の、数千や数万というだけの金欲しさに動いている。

 それだけの為に、他人の家へ黙って上がり込む。

 この男は泥棒だった。

 家の中に人のいる気配は無い。街灯の無い道を選んで歩いて来たので、男の目はすでに暗闇に慣れていた。

 男は靴を履いていない。靴下のまま外を歩いて来て、そのまま家の中へ上がった。


 外観からして、台所の勝手口を抜けて、その先の廊下は右手が居間であろう。その奥に祈りの間であろう。と思いながら、男は勝手口から台所、そして廊下へと出てー…。


 そして、唖然として言葉を失った。


 廊下に積み上げられているのは、ゴミ、ゴミ、ゴミの山だ。ゴミ袋に入り切らなかったのか、口を閉じた袋の上に、そのまま乗せられている衣類もある。

「…。」

 言葉は発しないが、男は長く息を吐いた。ゴミは廊下の両脇に寄せて数十個積み上げられていて、中央には人の通るスペースが細く残っている。

 それから各部屋に続く扉の前もゴミが避けられていた。ゆとりのある大きなアーチに、木製のスイング扉。

 さらに廊下の先にも扉と階段がある。


 男は右手にある手前の扉から中を覗いた。そこもゴミ溜めのような部屋だ。この家の住人が一体、どのようにして暮らしているのか、見当もつかない。

 男が居間だろうと踏み込んだその部屋は、確かに部屋の真ん中にテーブルがあったようだ。今は完全に物置と化している。

 ゴミはかなり年月の経っていそうな臭いを放っていた。とても中身を見る気にならないので、暗闇で良かったとむしろ男は安堵する。

 ゴミ袋の他にも粗大ゴミのような数々のシルエット。ゴミ袋の上のフライパン、何かの動物を入れていたであろう飼育ケージ、タオルや衣類のタワー、体育座りの女は俯いている、食品の容器。

 音をたてる物は無く、静まり返った室内。

 男の手に持つ棒が、床の上に直置きされていたコップか何かを蹴倒して、コーンとようやく鈍い音を出す。


 だれ…? 近い


 男の抜き足差し足が、ビクンと痙攣のような動きをして止まる。足の踏み場を探しながら歩くだけでも一苦労だが、今のはガラスを踏んだわけではない。

 女性のか細い声のような、そんなものが聴こえた気がする。

 息を殺して、佇む男。


 誰か帰って来たような、話し声や物音はそれ以上聴こえてこない。大丈夫。風の囁きだったようだ。


 しかし、これでは金目の物を探しようもない。

上の階へ上がれば、寝室の戸棚に時計やジュエリーが眠っている可能性はある。階段を探した。

 スタンドライトのコードに足をとられながら、男はゴミだらけの廊下へ戻る。

 もそもそと足取りの重い動き。動いているのは男だけだが、ギッギッと二階の廊下を誰か踏み締める。

 風か家鳴りだろう。待ってー。こっちー。と誰か叫ぶ。あまりに小さな声で聞き取れない。


 ここで男は、だんだんと奇妙な感覚がしてきた。

 この家には本当に自分一人しかいないのだろうか?

 なぜ、この家の住人は夜になると出掛けていくのだろうか?

 階段の方からこちらを覗いていて、ヒュッと引っ込んだ黒い影は、誰の頭だったのだろうか?


 泥棒は誰の家に忍び込んだのだろう。

 この家には何人くらいの人が棲んでいるのだろう。

 それらは、一体何者なのだろう。


 やがて男は階段に辿り着いた。

 ここにはゴミの袋は置かれていないが、階段の全ての段に、端に寄せてクッションやぬいぐるみ、ティッシュの空き箱、クッキーの缶など置かれている。

 それらを踏まないようにして、男は慎重に階段を上がった。ここまで来て、なんの収穫も無しに帰るわけにもいかない。

 階段を上がると部屋の扉が三つ並んでいて、その横に収納と思われる引き戸と、鏡がある。

「…。(荒い呼吸を伴う沈黙)」

 二階の廊下は下の階と違って、ゴミ袋ではなく無数の家具が、部屋から廊下に放り出されている。

 不法投棄の現場のような光景だ。

 学習机、椅子、鳥籠、ハンガーラックもある。フクロウは置物だろう。

 生活感の感じられるそれらの粗大ゴミと、その中に囲まれて立っている男の姿が鏡に映っている。階段の上の窓から入る月明かりで、その姿はよく見えた。

 鏡の前に立っている男。

 鏡の中に映っている男。

 そのどちらにも、一組の家族と思われる男女がまとわりついていた。

 一階で座り込んでいた女。薄ら笑いが特徴的だ。肩越しに顔を出している男は、警戒しているのか、目をキョロキョロさせている。

 両足には子供がしがみついている。右側の女の子がお姉さん。左側の男の子はまだ赤ちゃんだ。

 腕にしがみつくお婆ちゃん。彼女は左半分がない。


 ようこそ泥棒さん。『わたしたちの家』へ。


 お目当ては、何かしら…。

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