不在伴奏.浄化
テントが沈んだ草木からシロを咥え飛び出してきたカオは、そのまま俺たちには目をくれることもなく通り過ぎた。
だが、カオが通り過ぎるのと同時にヤヤと他の魔狼たちもカオに続いて走り出した。
「カオ! どこへ行く!」
並走するハークハイトの呼びかけにもカオは止まろうとしない。
カオが走り去った道には、カオの血とシロの魔力によって芽吹いた花が咲いていた。
「カオ、こんなに怪我してんのにどこに行くつもりなんだ?」
他の魔狼たちに聞いたとて、その答えは返ってこない。
「カオ、頼むから約束は守ってくれよ……」
俺はただ、心配することしかできないまま、走り続けるカオの背中を見つめていた。
走り続けて、既に数時間がたった。
方向的に基地へ向かっているのかと思ったけれど、少しずつ基地への進路とはずれて行った。
そして、このまま走って行った先にある場所は一つしか思いつかない。
「ハークハイト」
「わかっている。だが、ヤヤが止める気配もないし、考えがあるのだろう」
「そのまま突っ込んで行けば、数秒も持たずに死ぬぞ!」
「止まる気配がなければ風の盾を張って並走する」
「馬鹿言うな! お前を行かせるなんてダメだ!」
こいつは懲りずにまたこう言うことを言い出すんだ、と奥歯を噛むと、ハークハイトはふっと余裕の笑みを浮かべた。
「心配するな、勝算はある」
「勝算?」
「以前、もしかしてと思って神獣の魔力で少し実験を試みてな」
「実験?」
「シロからもらったこの魔力は草花を芽吹かせる。それが瘴気にも通用するのか少し気になってな」
「お前、まさか……!」
「机上の実験規模でしかないが、この魔力には瘴気を浄化し、その地に草花を芽吹かせるだけの力があった」
「俺の知らないところで危ない実験するなって言ったろ?」
「危ないことなどしていない。理論上は可能であると結論付けてから行ったし、万が一ダメでも怪我をする様なものではない」
「ったく……」
深いため息とともに、俺は、今更かと諦めた。
「どれだけを消せるかはわからんが、あれだけの魔力を放っていれば十分に勝算はある。出し切るだけ出し切らせてすぐに戻る」
「ダメだ、俺も一緒に」
「いや、魔狼全員を連れては入れないし、万が一の際にはルキシウスやファーガス団長への連絡係も必要だ。ユーリは外で待機してくれ」
「またそれか!」
「ザビウスがいない今、頼れるのはお前だけだ。頼む」
東の村の時も、俺は連絡役として置いて行かれた。
けれど、それがあまり他人を信用していないハークハイトが、俺に向ける絶対的な信頼からなのだと言うことを俺は知っている。
「お前、わざとか?」
「何の話だ?」
「そういうやつだよな、ハークハイトと言う男は……」
再び深いため息をついた俺は、任務よりも友情を取ることにした。
「わかったよ! そのかわり、すぐ戻って来いよ! 他の魔狼たちが入って行っても俺一人じゃ止められないからな!」
「わかっている」
そう言って、髪のカフスを取りヤヤをカオの横に付け風の盾の展開を始めたハークハイトの背中を俺は困った様な、呆れた様な感情で見つめた。
「三十分戻らなかったらルキシウスに連絡を入れろ」
「了解。シロのこと、頼んだぞ」
「あぁ」
俺は、三十年以上誰も足を踏み入れていない瘴気に覆われた樹海へと消えていく、二人と二匹を見送った。
他の魔狼たちも、樹海の中には入ろうとせず、俺と一緒に外で待機していた。
瘴気に覆われた樹海の中でいったい何が起きているのかも分からず、俺たちはただハークハイトたちの無事を祈るしかできなかった。
「やっと、追いつきました」
ハークハイトたちが樹海へと入って行って、あと少しで三十分になろうとしていた頃、背後から声が聞こえた。
振り返ると、毛の長い薄い黄土色のネコが、ぞろぞろと他のネコを連れ立っていた。
「ネコ……?」
「私はアリシャ。先ほどの場所で、盗賊に不覚を取ったところを姫に助けられました。あなた方が姫にとって敵か味方か隠れて見ておりましたが、姫の連れる狼の王の連れたちが一緒に行動していることから、姫の見方と判断し、こうして姿をお見せしました」
誘拐されている間にネコの上位種助けてるって、どんな展開があったらそんなことになるんだ!? と普通なら思うところだが、シロと出会ってから咒鹿に始まり、ピコやスーロ、おまけに精霊にまで出くわしている俺に、今更さほど驚きはなかった。
「あなたがたは、姫を守り助ける人間であると思って差支えはありませんか?」
その質問に、アリシャの瞳が一瞬スーロの様に光ったように見えた。
恐らく、ここで嘘をつけば簡単に見破られるのだろう。
「そう思っていただいて構いません。俺たちは訳あってシロを保護しているフェリジヤ領の騎士です。俺はユーリ、樹海に入って行った連れはハークハイト」
「そうですか。では、姫だけでなく、あなたがたにも話をしておかなければならないことがあります」
「話、ですか……?」
「とても重要な話です。後ほど姫ともう一人の騎士も含めて話を致しましょう」
「でも、あいつら樹海に入ってからもう三十分は経つのに出てくる気配がなくて……」
「あら、気付いていないのですか? もうすぐ終わりますよ」
「終わる?」
ふわりと尻尾を振り、樹海の方を見るアリシャに、俺も樹海へと視線を向けた。
すると、光の柱が空へと上がり雲を貫いたかと思うと、黒い瘴気で覆われ死の森に光の雨が降り注ぎ、樹海の一帯が物凄い勢いで中心部から外側へ向け緑の海へと変わって行くではないか。
大地は枯れ、生命や草木は死に絶え、空気さえも瘴気に侵されていたはずの樹海は、百年の時を越えなければ人や魔獣が足を踏み入れるまでに再生することはないだろうと言われていたのに、今、たった半時の時間で鮮やかな生を宿した森へと生まれ変わろうとしている。
「神獣にとって万物の生殺与奪は思うがまま……」
人々の間に伝わる神獣にまつわる伝説のひとつが無意識に口から出ていた。
本当にシロが神獣の力を宿しているのならば、伝説通り、神獣は死んだ森さえ生き返らせることができると言うのか……。
「さて、そろそろ我々も行きましょうか」
さっきまで俺の隣で座って樹海を見つめていたアリシャがおもむろに立ち上がり歩き出した。
「行くって、どこに……?」
「何を言っているのです? 姫を迎えに、で決まっているではありませんか。あなたの連れたちは焦れてとっくに行ってしまいましたよ」
「え?」
そう言われ、辺りを見渡すと一緒にいたはずの若狼たちの姿が見えず、少し先に視線を向けると、樹海の入口へと走り去っていた。
「お前ら! 俺をおいて行くなよー!」
そう叫んでも、戻ってくるやつは一匹もおらず、俺は走って後を追いかけた。
樹海の中へと入ると、さっきまで死んでいた森だと言うのが嘘の様に、青々とした木々がそこかしこに復活し、流れる小川の水はとても澄んでいた。
ただ一つ、とてとてと歩くネコたちの足音さえ聞こえる森の静けさだけがここがさっきまで死の森だったのだと俺に教えてくれる。
けれど、これだけ綺麗に生まれ変わった森ならば、多くの生命が戻るのもそう遠くはないだろう。
「それにしてもあいつらどこまで行ったんだ?」
「もうすぐですよ」
歩けども歩けども、全くハークハイトたちに出会う兆しがなく、魔狼の誰でも良いから戻って来て俺を乗せてくれと嘆いていると、アリシャがくすくすと笑った。
考えてみれば、ここは樹海で、相当な広さがある。アリシャたちの案内がなければ、俺はとっくに迷子だ。
それからも道なき道をひたすら歩き続けると、小高い丘が見えて来た。
木々を抜け丘へと登ると、ハークハイトの膝に頭を乗せて横になっているシロと、それを取り囲む若狼たちの姿があった。
「おーい!」
俺が手を振ると、ハークハイトたちがこちらに気付き、カオがとことこと俺の元へとやって来た。
「約束、守ってくれたみたいでなによりだ」
浄化の影響か、すっかり傷が治り体調も良さそうなカオの頬を撫でる。
「で? シロはなんで寝たきりなんだ?」
カオと共にハークハイトの元まで行き、ハークハイトの膝に頭を乗せうぅ……っと唸っているシロを覗き込んだ。
「普段使わない身体中の魔力を全開放すれば、身体が悲鳴をあげるのも当然だ」
「あぁ。そう言うことか。……お疲れさん」
普段魔力を使い慣れている俺たちだって、身体中の魔力を一気に使えば身体が悲鳴をあげる。樹海を飲み込む程の魔力を使ったのだから、シロはしばらく極度の筋肉痛の様な痛みに、苦しむことになるだろう。
だが、何はともあれ、全員無事で良かった。
2章不在伴奏これにて終了です!
2章は残り、本編2話と閑話3話で完結となります。




