6.長い一日
「あ、ハークハイト。おはよう」
「……何をしている?」
翌朝。好きに使って良いと、一室を用意してもらったけれどあまり眠れなかった私は、リビングで朝食の準備をしていた。
咒鹿の一件の時、ハークハイトたちが基地へ帰って来る際にロシュたち盗賊団の置いていった幌馬車から私のバッグも回収してくれていて、私のだと言うと返してくれた。
昨晩みたいなカフエのスープが今朝も出てきたらたまらないと思っていると、バッグの中に山で採った山菜類があった事を思い出した。
「私がご飯作るから、カフエのスープはやめて」
「君が作るって……君に料理など無理だろう」
「できるよ! 森じゃ毎日ご飯作ってたもん! でも、この家は薪や種火がないから火の使い方がわからなくて」
「……私がやるから、大人しくしていなさい」
「できるの?」
あのカフエスープをあまんじて飲んでいる人が料理を作れるとは思えずそう聞くと、ハークハイトは私のほっぺをむにりとつまんだ。
「当たり前だ。私の得意なカフエのスープを味合わせてやろう」
「うしょちゅき!」
恐ろしい言葉を聞いた私は、ほっぺをつまんでいるハークハイトの手をぺいっ! と剥がし椅子をズルズルと引きずってキッチンへと向かった。森の家でもそうだったけど、私の身長では踏み台や椅子がないと調理台に届かないのだ。
「こら、危ないから余計な事はしなくていい」
「じゃぁハークハイトがやってくれる?」
「……今だけだ。今夜以降は何か考えるから、頼むから大人しくしていてくれ。私は暇ではないのだ」
溜息を吐いたハークハイトは仕方なさそうにキッチンに立った。
私は、小さくしたり、ちぎったりして準備した材料をハークハイトに指示して調理してもらった。
「火傷、大丈夫?」
フライパンを振る袖の下から包帯が見え、昨日の火傷だと気づいた。
「あの程度なら時しぐれを使えば跡も残らない。気にするな。それより、ここからどうすれば良い?」
ハークハイトの言葉にひとまず納得して、続きの指示を出していく。
昨日と同じパンを少し焼き目をつけて温め、きのこと葉物を炒めてソテーにする。あとは、山菜を入れたスープを作れば完成。
昨日の夕飯に比べたら何倍もましな食卓だろう。
「いただきます」
うん。健康はまず食事からってマオが良く言ってたけど、やっぱりすごく大事なことだ。
「ところで、私は騎士団の仕事があるので出かけるが、君は家で留守番だ。できるか?」
「……ハークハイト、帰って来る?」
「ここは私の家だからな。夜には帰る」
「……わかった。あのね、本読ませて欲しいの。昨日の本。そしたら大人しく留守番してるから」
「君は子どもの割にしたたかだな……。まぁ良い。それと昼は申し訳ないが戻って来られないので今朝の残りで我慢してくれ」
「わかった」
朝食を終え、準備を終えると、汚したり破いたりしないようにと言って昨日の本を貸してくれた。
そして、忙しそうに足早に家を出て行ってしまった。
「本読もう」
ハークハイトがいなくなった後の家の中はとても静かで、物音ひとつしない。
常にハクが隣にいて、他にも狼たちが自由気ままに出入りしていた森の家とは大違いだった。この場所は鳥や動物たちの声も聞こえない。
私は大人しくハークハイトに借りた本を読む事にした。
この地域の薬草図鑑だろうか? 地図と分布図、効能などが書かれている。
森から出る事もなく、狼たちがいれば特に必要性のなかった私は地図が読めない。
したがって地図を見てもそれが何処なのか全くわからない。だけど、覚えていれば役に立つこともあるだろう。森では、手に入れたい薬草がどこにあるのかを覚えておくことはとても重要なことだった。
私は暇に任せ、図鑑にある薬草の分布している地名を頭に入れた。
「地図の見方もマオに習えば良かった……」
そしたら自力で森に帰れたかも知れないのに、そんな後悔がここに来て芽を出した。
それから本を少し読んでは、別の事を考え、また少し読んでは別の事が頭を巡り、あまり集中して読めなかった。時間もそれほど経っていないような気がした。
私は机に置いたハクの魔石を手に取りゴロリと横になった。
昨日ほとんど寝ていないせいか、横になったら睡魔に襲われた。
――しばらく留守にするけど、良い子で留守番してろよ。
――マオ。何処に行ったの? どうして帰って来ないの?
――シロ、私がいる。
――何処にも行かない?
――いつだってそばにいただろう。
――ハク……どこ? どうしていないの?
――いつだってそばにいるさ。
「ハク……」
嫌な夢を見た。ゴロリと寝返りをうって部屋を見渡しても知らない場所、知らない景色、知らない静けさ。
「まだお昼にもなってない……」
起き上がって再び本を開いたけど、文字が頭に入って来ない。
小さな溜息をついて本を閉じる。
「マオ……ハク……」
結局、やり慣れた事をやるのが一番。
私は、バッグから薬草を取り出し種類ごとに選別をし、まとめる。
お風呂場で必要なものは洗い、一つずつ丁寧に拭いて天日干ししていく。
本当は調合までしたいところだけど、ここには道具がない。
今日できるのは保存のための下処理までだった。
「そうだ」
私はハークハイトに借りた本をもう一度開き、効能別に必要なページだけをピックアップして知らない草花をメモして行く。
紙とペンは、お絵かきでもしていろとハークハイトが置いて行ったものだ。
「これくらいかな……」
マオは元々研究者で、森にいる時も狩りは狼たちに、掃除や洗濯、料理は私に任せて何日も部屋にこもって薬の研究をしていた。
実際には、あまりにもマオが適当で、私が家事をやるようになったと言った方が正しいけど……。
そのうち私がある程度の薬を作れるようになると、森の魔獣たちの怪我をみたりするのも私に任せてさらに研究に没頭していた。
その結果私は、家のこともしながらマオの研究の助手の様な事もしていて新しい素材や新薬の研究まで手伝わされていた。
なんだかんだ研究は楽しかったから良いんだけど。
「まだお昼過ぎか……」
出来る事をやり尽くしてもハークハイトが帰ってくる夜まではまだまだ時間があった。
あまり動いてないからか、お腹も空かない。私は本を持って玄関まで移動すると、そこで本を読みながらハークハイトを待つことにした。
読むというより眺めているだけに近い状態で本を見ては閉じ、ボーッとしたりゴロゴロしたり。
考えてみたら森で一人きりになった事なんて一度もなかったのだ。置き去りにされた家で経験する一人はひどく長く退屈な時間だった。
外はすっかり暗くなり、家の中も真っ暗になってしまった。
森にいればこんなに静かな事も、こんなに真っ暗な事もない。
――ガチャ。
ぼーっとしながら座り込んで待っていると、玄関が開いた。
「おっと。君は玄関で何をしている……電気くらいつけなさい」
ドアを開けるなり、私を見たハークハイトはそう言った。
私は、なんとも言い難い気持ちの波に、ハークハイトに抱きついていた。
「本当に帰ってきた」
「ここは私の家だ。夜には帰ると言っただろう。私は嘘はつかない」
帰って来ないと思ったわけじゃない。だけど、もしかしたらと言う不安が拭いきれなかった。
「よっ! シロ!」
ハークハイトに抱きついたまま動かずにいると、ユーリの声が聞こえた。
「ユーリ?」
「ハークハイトだけじゃ不安だから、今日は俺も来てやったぞー!」
ユーリはそう言って私の頭を撫でる。
「気の利く俺は、食堂で料理も貰ってきたから、夕飯にしよう」
「あ!」
ユーリの言葉に、ある事を思い出した。
「どうした?」
「お昼ご飯食べるの忘れてた!」
思い出した瞬間お腹が鳴り、ハークハイトにまたもほっぺをむにりとつままれた。
「それで朝からシロに料理させられたってわけかー!」
昨日の晩から今朝までの話をすると、ユーリは大爆笑していた。
「シロ、ハークハイトは放っておくと平気で飯を食わない事がある。お前がしっかりしなきゃダメだぞ! こいつ仕事大好きだからなー」
「好き好んで仕事しているわけではない。押し付けられている私の身にもなってくれ」
ユーリとハークハイトはお酒を飲みながら騎士団の話をしてくれた。
そして、私も明日は一緒に騎士団へ行っても良いと言われた。
「さてと、俺はそろそろ帰るよ」
夜が更ける前にそう言ってユーリは帰って行った。
騎士団の騎士は基本的に寮で暮らしているのだそうだ。ハークハイトが寮暮らしじゃないのは事情があるらしい。
「君もそろそろ風呂に入って寝なさい」
「ハークハイト、本ありがとう。あのね、これどこへ行ったら手に入る?」
私は昼間に本を読んでまとめた紙と読み終わった本をハークハイトに渡した。
「こんなにたくさん何に使う?」
「薬を作るの」
「これは全て毒消しだ。子どもが扱う用なものではない」
「でも、薬を……」
「わがまま言わず、今日はもう寝なさい。森で作っていたと言う薬に関してはまた後日聞く」
私は、それ以上言うのをやめた。
ここは森じゃない。自由に動き回れるだけマシだけれど、森の外は自由を失ってもおかしくないのだ。
わがままを言って困らせるべきじゃない。
「お風呂入ってくる」
何をやって良くて、何をしたらダメなのかがよくわからない。
私の言葉に対してハークハイトは溜息も多い。私を引き取る事になって困っているのも見ていればわかる。
「帰りたいな……」
ジジ様や狼たちが待つ森に。マオだって帰ってきてるかも知れない。
ジジ様とお喋りをしたり、植物の世話をしたり、狼たちとお肉や木苺をとったりして、あの毛並みに顔を埋めて眠りたい。
私が森に帰れば、ハークハイトを困らせる事もないだろう。
ぶくぶくとお風呂に顔をつけ考え事をしていると、
「いつまで入っているつもりだ」
と扉の向こうからハークハイトの声が聞こえてきた。
思いのほか時間が経っていたみたいだ。
私はお風呂から出て、布団へ入る。
けれど、結局それほど寝付くことができなくて夜が明けるまで長い長い一日は続くのだった。