35.幻幽花
私たちは赤炎の森へと入り、川沿いに上流へと向かった。
「ハークハイト、風の盾をお願い」
そう言って、カバンから紙とペンを出し、さらさらと魔法陣の書いてハークハイトに渡すと、ハークハイトはそれを受け取りポケットへとしまった。
「シロ、この魔法陣は拡大術式も入っていて、影響範囲が広すぎる。我々を覆うくらいならこれは必要ない」
「そうなの?」
「後学のために見ておきなさい。魔法とは、こう使うのだ」
ハークハイトが、さらさらと空中に指を滑らすと魔法陣が書かれていく。
「いらえ 天翔ける風の力よ 魔を退け害意を払う盾となり我を護り給え」
ピカリと光った魔法陣は風の盾となり、ハークハイトとユーリと私をちょうど覆う大きさになった。
マオは私の前であまり魔法を使わなかったけど、本当はマオも色々できたんだろうな。
「行くぞ」
「うん」
そこからさらに上流へと進んでいくと、川が二股になっているところまでたどり着いた。
その対岸は赤い煙のような靄で覆われていた。
「これは……」
「なんだよこれ……」
目の前に広がる光景に驚くハークハイトとユーリ。
ユンの上着の毒で立てた私の仮説は当たっていた。
「赤い森の正体も、街の人がパクパクに寄生されないのも、これが原因だよ。スーロはきっと、このことを言ってたんだと思う」
木々に巻き付いたツタの先から、花弁を四方八方へ開き、大量の赤い花粉を飛ばしている。
日暮れと共に大量の花粉を出すのがこの花の特徴でもある。
「幻幽花。ゴーストフラワーだよ」
「まさか」
「ゴーストフラワー?」
その名前に、ハークハイトは何か思い当たるようだけれど、ユーリは首を傾げた。
「あまりの毒性に、その花を見た人は死んでしまう人が多くて、その花の正体を知るものはいないって言う幻の花なの。私も、本物を見るのは初めて」
「そんなに強い毒なのか?」
「葉っぱを小指の爪くらい摂取するだけで重篤な中毒症状が起きるし、幻幽花は葉っぱや茎根ほどじゃないにしても花粉にも毒をもってるの。厄介なのは、偽花粉を一年中出すから、毒のある本物の花粉を出してる時期がわからないし、人間や魔獣を感知すると本物の毒花粉を出すの」
「下手に近づけば死ぬってことか……」
「うん」
おそらくユンは、昼間ここへきて、風に舞った花粉をあの強風を受けて知らないうちに口にしてしまったのだろう。
「パクパクに寄生されないってのは?」
「ベルリナが、この北の川は農業用水や生活用水として使ってるって言ってたでしょ? 街の人は知らず知らずのうちに本当にごく微量な花粉を川の水を通して日常的に身体に入れてるんだよ。パクパクは毒にはすごく弱いから、その体内に取り込まれた花粉を感知するんじゃないかな」
体内に花粉が蓄積されている街の人は寄生されず、街に来て日の浅い人は寄生される。
ある程度蓄積されたところで、もしかしたら何らかの疾患を起こしているかもしれないけれど、この幻幽花を除草してしまえば今度はパクパクが川を越えて侵食を始める可能性もあるし、パクパクの被害が街の住民全体に及んでいく。
かと言って、水源はここしかなさそうだし、水を飲むな使うなとも言えない。
あまりにも影響範囲が広すぎて、これを街の人に伝えるのはちょっとな……と考えていると、私の回答で何となく納得がいったユーリとは違い、ハークハイトは難しい顔をしていた。
「ハークハイト?」
「問題が大きすぎるな。シロ、君はこの花から住人を遠ざけたいと思うだろうが、あまりにも影響範囲が大きすぎる。この件は、内密にしてくれ」
「そうだね」
「随分物分かりが良いな」
熱でもあるのか? と、まるで私が反対すると思っていた口ぶりのハークハイトに私は頬を膨らませる。
「私だって同じこと考えてたもん。街の全員に引っ越ししてなんて無理なお願いできないことくらいわかるよ」
「そうか、なら良い」
「後味が良いとは言えないけどね」
本当は、この毒の影響下にない場所へと行ければいいけど、住民全員が居場所を移すのは無理だろう。
人間が居住地を求めて移動することで犠牲になるのは魔獣たちであることが多いってジジ様も言っていたし、みんなが大きな疾患に悩まされているとかでない限り今はこのままが無難としか言えない。
「ところでさ、ハークハイト」
「なんだ?」
「あの花、取りに行っちゃダメ?」
「なっ! 君はこの期に及んでまたそんなことを……」
なんとなくどういうリアクションされるかわかってはいたけど、幻幽花なんて滅多にお目にかかれない代物をみすみす目の前でスルーすることは私にはできない。
「却下だ」
「でもさ、パクパクの寄生を抑制する効果があるのは確かだし、新しい薬作れるかもしれないじゃん」
「ダメだ」
「幻の花だよ? すっごく貴重だよ? 騎士団のためにもなるかも知れないよ?」
「君は、随分弁が立つようになってきたな……」
はぁ、と盛大なため息をついたハークハイトは、「今回だけだぞ」と右手を前に構えた。
「天風」
何をするのだろうと見ていると、風魔法をまるで鎌のようにして対岸の花を切り落とした。
そして、魔力を網のような形に具現化させ、切り落とした花へと投げると、黙々とそれを回収する。
「すごい!」
「君に任せると、あの花粉の中へ突っ込んでいきそうだからな」
否定したいけど、全身布で覆って取りに行こうと考えていたので黙っている。
ハークハイトは、魔力の網を今度は箱のような形に変えて、そのまま保存用の袋へと入れた。
魔力を出すのをやめると、魔力の網がなくなり、袋の中には花や茎、葉っぱだけが残る。
「こんなものでいいのか?」
「うん」
根も欲しいところだけれど、茎や葉も一緒に取ってくれたので成分を確認するには十分だろう。
「ならばもうここに用はない。帰るぞ」
「うん。ユンの看病しなきゃ」
「そういやシロ、効果的な薬はないって言ってなかったか?」
来る前の私の発言を思い出したユーリが、どうするんだ? と尋ねてくる。
「脱水に気を付けながら、吐いて毒が身体から出るのを待つしかないかな。この場所で風を受けて微量の花粉を口にしただけだとしたら、一晩もあれば症状は治まると思う」
万が一、川を渡った先で風を受けていたのなら多分街へ帰る前に死んでいる。
もしかしたら、街の一部の人はあの花のことを知っていて、北側の川に橋がないのはそういう意味合いもあるのかもしれない。
なんて、ちょっと考えすぎかな?
「とにかく帰ろう。ザビも待ってる」
カスクの家に戻ると、ザビとカスクとベルリナが慌ただしくしていた。
吐いたものを片付けたり、新しい桶を用意したり、私が渡した薬を飲ませたり、頭を冷やすタオルを取り替えたり。
「ただいま」
「シロ! どこ行ってたんだよ。お前がいなきゃどうしたらいいかわかんないだろ!」
「ごめん、ちょっと原因が思い当たったから確かめに行ってたの。熱はまだかなり高いね。吐き気の頻度は?」
ザビに謝りながらも、再度ユンの机に向かい薬を調合していく。
ある程度身体の中のものを出し切ったのか、薬を飲んでしばらくするとユンは眠ってしまった。
「結局原因は何だったのでしょうか?」
「私から説明しよう」
どこまでを話せばいいのかわからないので、カスクへの説明はあらかじめハークハイトに頼んでおいた。
裏山に毒の花があり、ユンは偶然その花の花粉を口にしてしまったこと、今後危ないので裏山には近づかないようにという忠告だけで話は終わった。
「数日は微熱が続くかもしれないけど、吐き気や高熱は明日には治まると思う。だけど、こまめにこの水は飲ませてあげて。普通の水だと栄養取れないから、これを飲ませてあげてね。明日もう一度診に来るけど、夜や日中もし体調が悪化する様なら呼びに来て」
「本当にありがとうございます! 今日父ちゃんいなくて、俺一人でどうしていいか分からなくて……」
「カスクのユンを助けたいって気持ちが、ユンを助けたんだよ」
「俺、俺……」
カスクは拳を握りしめて、涙を流していた。
「今日は、私がここに泊まってこの子たちの面倒をみます。この子たちの父親も、私の主人も自警団の仕事で明日の夜にならないと戻って来ないんです。シロさん、本当に何から何までありがとうございます」
「気にしないで」
命に別状はなさそうだし、ユーリとの約束もあるから何日も治療が必要な病気じゃなくて、私もちょっと安心した。
「それじゃ、また明日ね」
別れを告げ、私たちはすっかり日も暮れて真っ暗になった街で帰路へとついた。
あと少しで1章本編完結できそうです。
引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。




