2.誘拐
結局、逃げるなんて考えは微塵も浮かばず、手の中にハクの魔石を握りこんでただただ泣き尽くしていた。手のひらほどの大きさの魔石はもう何も言ってはくれない。
「やっと見つけた。こんな茂みの中に隠れやがって……。だが、どうやら魔狼は死んだようだな」
ピー!
顔を上げるとさっきの男がいた。男が指笛を鳴らすと弓を持った別の男が茂みの中から出て来た。
「たく、魔狼に持って行かれた時はどうしようかと思ったが、獲物が増えたと思えばラッキーだったな。上位種の魔石ならとんでもなく高く売れる。盗賊団の弓使い舐めんなよ」
「それは、弓を射ったオレのセリフだろう」
「堅い事言うなよ、ディケ。結果オーライだろうが。それより、じょーちゃん。その魔石こっちに寄越しな」
男が右手に鎌を持ったままたいして離れていない距離をさらに詰めてくる。
「いやぁ! ……痛っ!」
胸の前で握り込んだ手にさらに力を入れて拒絶すると、無造作に髪をつかまれた。
「わがまま言うんじゃねーよ。痛い思いしたくねーだろ?」
「おい、ビット。下手に傷つけるとボスに怒られるぞ。どうせそのガキも連れて行くんだ、そのまま持たせとけ。結構遠くまで来たからもう日が暮れるまで時間がない。仲間と合流してからでもいいだろ。早く枷を付けろ」
「それもそうだな。んじゃ、じょーちゃん後でゆっくりな」
ビットと呼ばれた鎌の男は、鎌を腰に下げ直し、抵抗する私を力で押さえつけ両手両足を拘束して肩に担いで歩き出した。
「なんとか日暮れまでに戻ってこれたな」
ビットに担がれるまま着いたのは、木々の茂みを抜けた所にある少し拓けた場所だった。
かなりの距離を歩いてきた様に思う。ここがどこなのか私にはもう知る術がない。それでも、ここに来るまで状況を整理する時間が十分にあったせいか、取り乱していた気持ちがだいぶ冷静になっていた。
どうにか逃げ出して、森へ帰る手立てを考えなくちゃ。
「あー疲れた」
ビットは、隠すように道脇に置いてある幌馬車へと私を放り込んだ。
「じょーちゃんは、ここで大人しくしてろよー。ここじゃ逃げ場もないし暴れても無駄だからな」
「こいつが持ってたバッグの中身、草だらけ。マジでこのガキあそこで何してたんだか」
そして、ドサッとバッグも幌馬車に放り込むと二人はどこかへ行ってしまった。
私は男たちの足音が聞こえなくなったのを確認した後、ハクの魔石を握りしめていた手の力をそっと緩め、身体を起こした。
「……ひっ!」
なんとか上体を起こした私の視界に入って来たものは、大きな枝角鹿の首だった。森でも鹿を食べることはあるけど、こんな大きな角が生えた鹿を狙うのは反撃の危険があるし、仮に食べるのだとしても首だけを放置する意味もない。薬の素材にするなら古くなった角を少し削らせて貰えばいい。こんな状態の生首を見ることは滅多にない。この鹿も、あの男たちに殺されたのだろうか。
ガタガタガタッ。
「っ!」
……今度は何!?
たった数刻の間で経験する初めての状況に全く思考が追いつかない。
音のした方を見ると、馬車の荷の隅に檻へ入れられている三匹の子鹿がいた。檻を壊そうと頭突きをして暴れている一匹は頭から血が出ていた。
「暴れちゃダメ。傷が酷くなっちゃう」
どうにか身体を動かして檻に近づき、中の子鹿に話しかける。
頭突きをして頭を怪我している子、ブルブルと身体を震わせている子、前足の怪我をしきりに舐めている子、三匹とも共通して足に怪我をしていた。
「酷い怪我……ちょっと待って、傷薬ならあるから」
もぞもぞと身体を動かし、バッグを手繰り寄せ、子鹿の檻の隣りへ戻る。
「ハク、ごめんね……」
ハクの魔石を一旦着ていたローブの内側にあるボタンのついたポケットに入れ、バッグの中をガサゴソと漁る。
両足が拘束されているのは逃げ出せず困るけれど、案外やれることは多い。
「おいで。大丈夫、怖くない」
なるべく呼吸を落ち着けて優しく呼びかける。魔獣はこちらの心情を正確に見抜く。私がこの状況に怖さで震えれば、この子たちは恐怖から抜け出せず、下手をすれば興奮状態になって余計な怪我を増やす可能性もある。私がしっかりしなくちゃ。
「おいで」
もう一度優しく呼びかけると、頭を怪我した子がすっと近寄って来た。バッグから取り出した傷用の塗り薬を人差し指にすくい、檻の中へ手を伸ばす。両手を拘束する枷が檻につっかえて邪魔だけれど、意志が伝わったのか子鹿がしっかりと寄ってきてくれているので、なんとか届いた。自由に動かせない手ではあまり丁寧にとはいかないけれど、頭と前足の傷に塗って上げることができた。
「うん! これで大丈夫」
身体を震わせていた子も、深刻な怪我や病気はなく、怖さで震えていたようだ。後ろ足の怪我に薬を塗って、身体を撫でてあげたらだいぶ落ち着いた。
問題は、前足の怪我をしきりに舐めている子だった。
「酷い……」
前足の怪我は化膿して虫がわいていた。
「本当は綺麗に消毒したいところだけど……しかたない」
綺麗に洗ってあげる水や消毒液はないけれど、幸いなことに古代樹の根がある。
私は古代樹の根にかぶり付いてもしゃもしゃと噛み潰した。古代樹の根は、硬いうえに物凄く苦い。本来は煎じたり粉末にしてから使うもので、こんなやり方は絶対にしないが、緊急事態にそんな事も言っていられない。
柔らかくした根を一度手に出し、古代樹を噛んだ唾液を傷に吹きつける。虫がわいた状態に、この応急処置で効果があるか不安だったが、すぐさま虫が逃げて行ったので効いているようだ。この調子なら大丈夫だろう。
何度か唾液を吹きつけた後、薬を塗って、柔らかくした根を患部にはった。これである程度は大丈夫だろう。
「ふぅ。これで全員なんとかなるかな」
無事に三匹の怪我を処置できたところで、私は檻に頭と身体を預け一息ついた。
これからどうなっちゃうのかな……。
ペロッ……。
モシャモシャ……。
スリスリ……。
現状へ思考を巡らせる余裕が少し戻ってきたところで大きな不安にまた涙が出てきそうになると、子鹿達に顔をなめられ、頭をパクパクされ、鼻先で顔をスリスリされた。
「ふふっ。くすぐったい。……どうにか逃げ出せると良いんだけどな。最悪君たちだけでも……」
魔獣の子供特有の毛質を感じながら三匹を順番に撫でた。
その時。
「ガキ、ボスがお出ましだ。こっちに来い」
幌の中に入って来たディケが、私の足の枷を外し代わりに鎖のついた枷を首につけ力任せに引っ張った。
「さっさと歩け」
キュィ! キュィ! と鳴く子鹿の声を背にして、首の鎖を引っ張られながら幌を出ると辺りはすっかり真っ暗だった。
けれど、どこに連れていかれるのかだけはすぐにわかった。群れのボスと言うのはどの群れでもすぐにわかるものだ。一人だけ、風格や周りの態度が異なる。
「ほぉ。こりゃマジで珍しいな。売っちまうのがもったいないぜ」
目の前に立った声の主は、魔熊のように大きな身体で、左目に大きな傷跡がある男だった。背中には身長ほどありどうな大剣を差していた。
「魔獣の氾濫でアジトさえ失ってなけりゃ、連れて帰って飼ってもよかったんだけどな。今は金が要る」
「そういやボス、このじょーちゃん捕まえる途中で魔狼の上位種倒して魔石も手に入れたんすよ。おい、じょーちゃん。今度はわがまま言わねーで大人しく魔石を渡しな」
ボスと呼ばれた男の横にいたビットが、魔石を出せと手を出してくるけれど、ハクの魔石だけは誰にも絶対に渡すわけにはいかないのだ。
「連れてこられる途中で落としたの。だから持ってない」
「……はぁ!? 何言ってんだこのガキ! 嘘ついてんじゃねぇ!」
「嘘じゃない。途中で落とし――」
ガンッ!
「……え」
頬に走った衝撃が自分の身に起きた事だと理解した時には、既に宙を舞い野草の上にうつ伏せに転がった後だった。口の中から血の味がする。
「ガキ。くだらねぇ事言ってねぇで魔石を渡せ」
「ボ、ボス……顔に傷つけると売り物にならなくなっちまうぜ」
私を売ると言うなら、ここですぐに殺されはしない。それなら、ハクの魔石をどうにかする時間が稼げないかと思ったけれど、非常にまずい。この群れのボスはかなり気が短いらしい。
流石にこのままじゃ殺されちゃうかも。でも、ハクの魔石だけは……あれ?
魔石の入ったポケットを服の上から握りしめようと手を動かせば、目の前に生えている草花がアルルーナである事に気づいた。大量の実もなっている。これだけのアルルーナがあれば、どうにかなるかもしれない……。
幸いにして、手の枷は魔封じの枷。すなわちとても固い。十分だろう。
「ガキの遊びに付き合ってる暇はない。さっさと魔石を寄越せ」
私はむくりと身体をおこした。
「絶対に……いやっ!!!」
バンッ!
アルルーナの実に思いっきり手枷を叩きつけて実を潰し、すぐさま耳を塞いだ。
…………ピギャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
ピ、ピ、ピギャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
ピギャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
実を潰されたアルルーナの根が土から顔を出し、とてつもない音量と勢いで鳴き始めると周辺のアルルーナも次々と顔を出し呼応するように鳴き始める。
このアルルーナは、一見すると何の変哲も無いただの草花だが、れっきとした魔物。魔動植物と呼ばれる植物と魔獣の中間のような存在だが、群れで生活し、実に強い衝撃が加わると危険を土に埋まっている仲間に知らせるためにとんでもない音量で鳴く。
そして、次々と仲間が呼応して鳴く事によって魔獣や魔鳥のような危険を退けるのだ。すぐに逃げるか耳を塞げばしのげるけれど、直に聞いてしまうとあまりの音量に気絶や嘔吐で一時的に動けなくなる。
耳を塞ぐのに手枷の繋ぎが足りなかったら私も危なかっただろう。耳を塞いでいてもこの音量は凄まじい……。
男達の方を見ると、案の定音を聞いて動けない状態になっていた。ビットとディケを含む四、五人がかろうじて動けるようだ。
けれど、ボスはザッ! ザッ! と私の方へ歩いて来るとガッ首を捕み持ち上げた。
「てめぇ、何してくれた」
「カハッ……ッ!」
……息が……。
必死にボスの腕を掴むが、私の首を掴む手にどんどん力が入っていく。
……このままじゃ、まずい……。
「ッ……ぁ……」
「ガキが、何したって聞いて……チッ。招かれざる客がきちまったじゃねぇか。てめぇはここで大人しくしてろ! 躾は後だ」
「ゲホッ、ゲホッ……!」
苦しさから解放されて咳き込んでいる私の首枷の鎖に短剣を突き刺して、すぐ側の木の幹に固定させると、ボスは背中の大剣を構えた。
「盗賊団から何を取り返そうってのかはしらないが、出てきたらどうだ! いるのは分かってんだ」
ボスが大声を出してそう言うと、同じ衣服に身を包んだ二人の男が茂みから出てきた。
キリッとした切れ長の目に黒い長髪の男と、飄々とした空気を纏う茶色の短髪の男。
「盗賊団ドルトディートのロシュか。相変わらず鼻のいい奴だ」
「てめーら騎士団には幾度となく仕事の邪魔をされてっからな」
ボスはロシュという名前らしい。
言葉を交わしながら、男たちは私の方を見てほんの少し驚きの表情を浮かべた。
「また子供を攫ったのか。アジトが魔物の氾濫で壊滅したと聞いていたが、まさかこんなところまで来ていたとはな」
「盗賊団は盗むのが仕事なんでね。おっと、動くんじゃねーぞ。てめえらがちょっとでも動けばガキは死ぬ。見てわかるように、仲間が少々やられちまったもんでね、たかだか二人でも動かれると困るんだわ。このガキはオレの仲間をのしちまった張本人だ。場合によっては冗談抜きに容赦無く殺すぞ」
騎士団と呼ばれた二人はそれぞれの武器に手をかけたものの動かない。
「ビット! ディケ! 動けるようになったら伸びてる奴ら起こせ! あの音じゃ何が起きるかわからねぇ。場所移動すんぞ」
すでに問題なく動けるようで、ビットとディケはすぐさま行動を始めた。
アルルーナは相手を気絶まで追い込めれば強いが、そうでなかった時の効果はそれほど長く続くものじゃない。結局逃げる術を手に入れるところまでは行かなかったようだ。
けれど。
バサバサバサッ……!
鳥たちが一斉に飛び立ち事態はまた動き出した。




