17.ヤッカニウムとピポテ
ガンフが帰った後、私は外の風がおさまっているのを確認して執務室の窓を開ける。
「ザビ」
窓の外へ向かい彼の名前を呼ぶと、すぐ側にある木から顔を出した。
「やっぱ見つかったか」
「おかえり」
「ただいま。主にはたくさん怒られたか?」
「ザビウス、くだらないことを言ってないでさっさと中に入って窓を閉めろ」
ハークハイトの言葉にザビは軽い身のこなしで木から部屋の中へ飛び移る。
「シロ、これお土産。東の村にあるフェリジヤじゃ珍しい花なんだと。あと薬箱にも村の子どもが色々いれてくれてたぞ」
淡い水色の花と薬箱を手渡される。
花を受け取って引き寄せると、あの日嗅いだ忘れることの出来ない香りがした。
「ありが、と……これ! これ、どこで手に入れたの!?」
薬箱が音を立てて落ち、中身が散らばったことすら気にもとめず私はザビに襲いかかりそうな勢いで詰め寄った。
「これ! これ……」
「シ、シロ?」
鼻を刺す様な刺激臭。私の大切なハクの命を奪った毒の臭い。
「ハークハイト! これ何の花か知って……やっぱいいや! 薬室行ってくる!」
ザビやハークハイトに聞くより、薬室に持って行って成分などを調べた方が早い気がした。話を聞いたところでどうせやることは変わらないのだから。
ずっと探し求めていた物が目の前に来たのかも知れないと思うと気が急く。
「待ちなさい、シロ。何をそんなに慌てているのだ」
「そうだぜ、シロ。それにそれは薬じゃなくて毒に使われてたものらしいぞ?」
毒……。鼓動がした。
浅くなる呼吸に、胸に下がるハクのネックレスを握る。
「ハク……ハクは……」
全身の毛が逆立つのを感じた。
何もできなかったことへの後悔と自分自身への酷い苛立ち。
「シロ、お前目が……」
「シロ! 落ち着きなさい!」
あの日あの時の光景を思い出し、暗闇にのまれそうになった時ハークハイトの声がして私の目元がその大きな手で後ろから覆われた。
「落ち着いて、ゆっくり呼吸をしなさい」
「ハ……ク、ハイト?」
「そうだ。自分を見失うな」
私はゆっくり深く息を吸い込んだ。
鼻を刺す香りはハクを奪った。だけど、ドルトディートはいなくなったわけじゃない。
そらなら、またあの毒の被害に合う人がいるかもしれない。ハークハイトやユーリ、ザビが、騎士団の人たちや森の魔狼たちが。
今度は救うんだ。絶対に。
「はぁ……もう大丈夫」
あの日からずっと思っていた。
例えあの時、手持ちに色んな薬を持っていたとしてもハクを救うことは出来なかったんじゃないかと。
守られるだけじゃなくて私も守りたい、強くなりたい。そう思っていたのに、肝心なところで私は……。
「大丈夫か……シロ?」
ハークハイトの手を退けて顔を上げると、心配そうな顔で覗き込むハークハイトとザビの顔があった。
私はそのまま、膝をついているハークハイトにもたれかかるように彼の腿の上に力を抜いて倒れ込んだ。
「ハクが討たれた矢からこれと同じ臭いがしたの。本を読んだり、知らない種を植えたりしてずっとあの毒の正体を探してた……」
「主の言った通りっすね」
「ザビ、花の名前は聞いたのか?」
「はい、村人はヤッカニウムと呼んでました。ザクシュルやメテルキアではそう珍しくもない沼地に咲く花だそうですよ」
私はハークハイトにもたれたまま上を見上げハークハイトの顔を見た。
「シロ、ハクが受けた矢はドルトディートの者が射ったもので間違いないか?」
「うん。ディケって呼ばれてた人の矢」
「ザビ、確か西の森にも沼地があったな?」
「はい。かなり奥地ですけど」
ハークハイトは私の頭に左手を乗せ、右手を自分の顎にあてると何かを考える仕草をした。
「主?」
「ザクシュルやメテルキアでも手に入るなら確証は低いが、行ってみる価値はあるかもな」
「西の森ですか?」
「西の森にもヤッカニウムがあるとすれば、ドルトディートの以前のアジトがそこにあったのかもしれない。潜伏している可能性は考えられる」
「なるほど」
あの盗賊団が森と呼ばれる場所にいる……。
「私も! 私も連れてって!」
西の森が私のいた森なら、家に帰れるかもしれない。
もし違かったとしても、森なら何かを知っている動物に会える可能性もある。
それに何より、ハークハイトたちがあんな危ない人たちの所へ行くなら放ってはおけない。
「ダメだ」
「なんで?」
「盗賊が出るかもしれない。危険すぎる」
「森なら家に帰れるかも知れない!」
「西の森は君がいた場所ではない。あの森からラプスル山脈へ半日で行くのは、馬が休みなく全速力で走った上に城下の街並みを突っ切っても辿り着けはしない。いくら魔狼でもあり得ない」
「でも、絶対行く!」
ハクを簡単に殺せてしまうような毒、どんな自然災害や大型魔獣より脅威だ。
「まぁまぁ二人とも。どのみち行くのは少し先でしょう? シロはそれまでに薬準備するんだろ? 主も、今日のシロの功績を踏まえてシロが行ける体制を整えられないか検討してあげて下さい」
「全く……検討するだけだからな」
「うん!」
ザビの取り成しで、とりあえず森へ行く話は保留になった。
私は落として散らかした薬箱を片付けて、ヤッカニウムを保管しに一度薬室へ向かった。
今日はもうすっかり日も暮れていたので花の研究は明日からすることにした。
いつもよりだいぶ時間を過ぎてからハークハイトの仕事がひと段落したところで、帰ることになった。
「帰りにちょっとだけ厩に寄っても良い?」
「厩? 何しに行く」
「スレイプと遊んでたのに、ハークハイトに急に連れてかれてバイバイできなかったから……」
「そんなもの必要ないだろ」
「良いでしょ? 寄ってバイバイしたら帰るから」
「はぁ……。寄るだけだぞ」
ため息をつかれながらもハークハイトの了承をもぎ取り、帰りに厩へ立ち寄ることとなった。
「ラインハルト!」
厩に行くと馬たちの世話をしているラインハルトの姿があった。
「シロ? こんな夜にどうしたんだ?」
「帰る前に、スレイプにバイバイしようと思って」
「ラインハルト、昼間は先発ご苦労だった。すまないがシロをスレイプの場所まで連れて行ってやってくれ」
「ハークハイト様! かしこまりました」
こっちだ、と言ってラインハルトはスレイプの元へ案内してくれた。
「スレイプ」
私が呼びかけるとスレイプは例のごとく顔をすり寄せる。
スレイプを撫でていると、厩の端に置いてある棚にピポテが置かれているのが見えた。
「ラインハルト、どうしてピポテが厩に?」
「さすがだな。シロはピポテの花を知ってるのか。別名、狼の呼び笛、馬を狙って魔獣が来るのを防止するのに鳴らすんだよ。こんな風にね」
ピポテは胴の長い花を咲かせる植物で、魔力を込めるとウォーン、と言う狼に似た音が鳴る。
この音を聞くと狼がいると勘違いして魔獣が逃げていく。
ラインハルトがピポテに魔力を注いで行くと、ピポテが薄っすら光った。
――ウォーーーーーン!!
「きゃぁ!」
「え!?」
ラインハルトの手の上のピポテは聞いたことのない音量を上げて鳴った。
「ラインハルト、魔力込めすぎ!」
「なんだ! 今の音は!」
音を聴いて外にいたハークハイトが厩の中へ入って来た。
「あれ、いや、今までこんなことなかったのに、なんで……?」
突如鳴った大きな音に馬たちも驚いたのか、鼻息を鳴らし興奮している。
「馬たちが! どーどー。急に大きな音だして悪かったな」
「心配しなくても大丈夫だよ」
私たちは興奮した馬たちを宥めていく。
「それにしても、おかしいな。いつもと同じ様にしたのに、魔力が勝手に……シロに見てもらってからすごい調子が良いんだよな」
「待て、ラインハルト。聞くが、昼間に処置室でシロの作ったクッキーを食べたか?」
「え? ……はい。先発隊は全員頂きましたが……」
「お前たちも食べてたのか……原因はそれだ。しばらく魔力効率が上がるはずだから魔力の扱いには注意しろ。そのうち元に戻ると思うが、他の先発隊のメンバーにも伝えておけ」
「は、はぁ……」
なんでクッキー? と首を傾げているラインハルトの横で、私は恐ろしく冷たい目線をハークハイトから感じていた。
まずい。終わったはずのお説教が復活しそうだ。
「ブルッ!」
「スレイプ?」
再びのお説教をどう回避しようかと考えていると、スレイプが耳を仕切りに動かし外をジッと見つめるとキュイーンと鳴いた。
――ウォーーーン!!
「魔狼だ! 応えた!?」
「シロ?」
私は急いで厩を出る。私の様子に何かを思ったのか、ハークハイトとラインハルトも一緒に外へ出る。
外は静かな静寂に包まれていて、何も聞こえることはなかった。
私の気のせいかな? と思っていると、
「主! 大変です!」
慌てた様子のザビがどこからともなく姿を現した。
「どうした?」
「山の方から何かがこちらへ向かってきています」
「何かとはなんだ?」
「この暗さと、まだ距離が遠くてわかりませんが、恐らく魔獣でしょう」
ザビの報告に、ラインハルトがもしかして! と声を上げる。
「魔狼かもしれません! 先程の大きな呼び笛の音に反応した可能性が」
「だが、ピポテと魔狼の声を魔狼は聞き分ける。大きな音だからと言って仲間が呼んだと勘違いすることなどないだろう」
「主、どうしますか?」
魔獣はピポテと魔狼の遠吠えを聞き分けられない。だから、魔狼がいると勘違いする。けれど、魔狼同士はお互いの声をしっかり聞き分けるからピポテを魔狼の声だと認識することはない。
「魔狼でも魔獣でも街へ流れれば大変なことになる。至急隊を集めろ! 迎え撃つ」
「待って! さっきの音を聞いたのが原因ならもう一回同じようにピポテを鳴らせばこっちに来ると思う。魔狼ならなんとかなるかもしれない」
「策があるのか?」
「策って言うか、ずっと魔狼たちと暮らしてたんだよ? それなりに対応はできると思う。私は意味もなく魔獣が殺される所なんて見たくない」
ここに来てから作った対魔獣用の催眠のスプレーもバッグの中にあるにはある。
どんな魔獣だろうと、無意味に殺されて欲しくはない。
「どの道外よりは基地内に誘き寄せた方が被害が防げるか……。ラインハルト! ピポテをもう一度鳴らせ」
「かしこまりました!」
「ザビはユーリに隊を集めるよう知らせたのち再度、目標の姿を確認したら報告しろ」
「承知!」
ハークハイトの言葉にラインハルトとザビが即座に動き出す。
「鳴らします」
厩からピポテを取ってきたラインハルトがもう一度魔力を込めていく。
――ウォーーーン!!
屋外だからかラインハルトが手加減したのか先程よりは少し小さめの音でピポテが鳴る。
――ウォーーーン!
「やっぱり、応えた!」
どうやら魔狼はすぐ近くまで来ているようだ。
「厩は全て扉を閉めました。やはり狼ですか?」
「あぁ。かなり近くまで来ている。シロは絶対に私から離れないように」
「うん」
隊が集まる訓練場まで移動しようとなり、訓練場へ行くと既に剣を持った騎士たちが待機していた。
「配置につけ! 東の門を開けて魔獣を迎え撃つ。東の門を開け!」
かなり物騒な雰囲気に、嫌な気分がする。
人と魔獣は相容れない。昔ハクが語っていたことを思い出す。
これでは初めから殺しにかかっているのが見え見えだ。
「ハークハイト、来た魔獣殺す気なの!?」
「人里に出た魔獣は仕留めなければならない」
「ダメ! 殺しちゃダメ!」
「君は魔狼なら対応できると言ったが、それがダメだった時、相手が魔狼でなかった時、あらゆる想定で我々は動かなければならない」
「なんとかするから! 絶対、大丈夫だから!」
いざとなれば威圧もできる。本当はあまり使いたくないけど、手はあるのだ。
「主! 七匹の魔狼の群れです。さっきの音で完全にこっちに向かっています。あと数分で到着します」
目標の捕捉に向かっていたザビが戻ってきてハークハイトに告げる。
「やはり魔狼か。弓隊は合図で打てる様に待機!」
「ハークハイト!」
「君が対処できなかった時の保険だ。来るぞ」
静寂に包まれた闇の中から、走る獣の息づかいが聞こえる。
早い速度で真っ直ぐに向かってくるその音はもうすぐそこまで来ていた。
「ガゥ!」
東の門を抜け暗闇から飛び出して来たのは、一匹の真っ黒い狼を先頭にした群れ。
真っ黒な狼と、額に菱形の模様のある灰色の狼が他には目もくれず、真っ直ぐ私へと向かってくる。
「シロ!!」
ハークハイトの横を飛び出して、私は前へ出る。
すると、向かって来た二匹は同時に真っ直ぐ私へと飛びかかって来た。
「シローーッ!!」
ドンっ! と魔狼がぶつかる衝撃と共に私の視界は真っ黒になった。




