不在伴奏.恩返し
突如現れた存在に誰も動けずにいると、羽をひらりと羽ばたかせたそれは、シロの頬に触れた。
「王よ、またなのか。ジェハの生んだ王はウィールスに弱くていけないな」
嘆く様にそう呟いた小さな生き物は、人とは違い耳が尖っていて、よく見るとその身体や顔に痣の様なものがあった。
まるで錆に蝕まれた金属の様だ。
「あなたは、精霊か?」
一連の流れを見ていた主が、恐る恐ると言った感じで口を開くと、そいつは主の方へ振り帰った。
「おぉ! お前は王の魔力に染まりし人間か。その節は世話になったな」
「世話、とは?」
「住人たちの魔石を埋葬してくれただろう。それに、お前が魔力を分けてくれたおかげで、最後に冬の終わりを見せてやれた。悲しみと絶望に暮れた住人の魂は救われた」
「では街中の魔石を梅の木に運んだのは……?」
「俺だ!」
親指で自分を指さした精霊は、にかっと笑った。
「なぜ、精霊のあなたがそんなことを?」
「ほんの恩返しさ。街の住人があの木に祈り力をくれたことで俺は生まれた。長年丁寧に手入れもしてもらったし、毎年毎年、梅の花を咲かせると木の周りは飲んで食って歌って騒いでのどんちゃん騒ぎで、それはもう楽しかった。あの街の人間たちには本当に世話になった」
どうして人のいないはずの街の魔石が一か所に集められたのかと不思議だったが、その犯人はどうやらこの精霊だったらしい。
「だから最後に、悲しみにくれる彼らに、冬の終わりを見せてやりたかった。だけど、廃れ行く街と共に梅は枯れてしまった。魔石を集めたところで、俺の力はもうほとんど残っていなくて、運良く力を貸してくれそうな魔獣でも現れないかと過ごしていると、王とお前たちが現れた」
主が花を咲かせる魔法を使ったことで、一時的にでも梅の精霊は力を取り戻したと言う訳か。
「冬の終わりを告げたことで、住人たちを導いてやることができた。礼を言うぞ、ロビンのカケラ」
「病魔に蝕まれ魔石となった彼らは、救われたのでしょうか」
「当たり前だ。そして、俺自身もな」
「そうでしたか。ところで、そのお身体どうされたのです?」
こうして主と会話をしている今も、精霊の痣は少しずつ広がり彼を蝕んでいる様に見えた。
「あぁ、これか。さすがにあれだけの数の魂を送るのは大変でな。特に、病魔に蝕まれたままの魔石も多かったから、全部肩代わりしたんだ」
「肩代わり?」
「魔石の穢れが浄化されなきゃ魂は還れない。だけど、どうせならみんな一緒が良いだろう? 俺はどの道死に行く身だ。病魔を肩代わりするくらいなんてことはない」
精霊がここまで人に心を砕いてくれることがあることを俺は初めて知った。
だけど、それと同時に死に行く運命は変えられないのかと胸が痛くなった。
「そんな顔をするな、人の子たちよ。わざわざそんな報告のために、俺はここへ来たわけじゃない」
「ではどうして?」
「力をもらった恩を返しに来たと最初に言ったろ? 本当は王の願いを聞く予定だったが、実際に力をくれたお前の願いでも良いぞ。……って、聞くまでもないな。そんな願いを言わせるのは酷、いや、無粋と言うものだ」
そう言うと、精霊は静かに寝台の上に降り立ち、謎のポーズを決めた。
「俺は粋な梅から生まれた粋な精霊。最後まで、粋にかましてやんよ!」
そして、キメ台詞と共に片目をパチッとつぶると、再び飛び上がりシロの胸の上に下り立ち、シロに触れた。
「癒しの王よ、再び死ぬには早過ぎる。その痛み、その苦しみ、その穢れ、全てこの身が引き受けよう」
シロに触れる精霊の手は光を放ち、魔法陣が浮かび上がった。
「ここはとても良い地だ。どうかその力で、お前の愛したこの地をもう一度蘇らせてくれ」
しばらく周囲を明るく照らした光が収束し、精霊がシロから離れると、シロはまるでただ寝ているかの様な寝息を立て、穏やかな顔をしていた。
「祝福は終わった。王を蝕んでいたウィールスは消え、数日あれば元の元気な王に戻るだろう」
「本当、ですか?」
「心配ならばその腕に抱いてやれ。あの子は王と言えどまだ子どもだ」
精霊に促され主は寝台のシロを抱きかかえた。
呼吸や脈などを確認した後、主は安堵の表情を見せた。
「精霊よ、一つ教えていただきたい。ウィールスと言うのは何なのですか?」
「お前たちの目には映らない存在さ。人の子、よく覚えておけ」
パタパタと羽を広げとんだ精霊は、主の顔の前で止まった。
「お前たちの目に映っているものは、世界の一端だけで眼前の全てが映っているわけではない。この世は小さ過ぎてお前たちの目には見えない極小の世界と、でかすぎでお前たちには見えない極大の世界が上にも下にもすぐ目の前にも広がっている。それら無数の理や思惑が絡み合い、時に悪意なく互いに干渉し合う。今回のはその極小の世界が人や鳥に害をなした結果だ」
「防衛の手段はないのですか?」
「ないな、今のところは。だが知らないと言うことを知ったことは大いなる一歩だ。いつかその存在や手段にたどり着くこともあるだろう」
「精進致します」
「さて、受けた恩はこれで十分返した。王が起きたらよろしく伝えてくれ。ルプスの子よ、お前たちにも世話になった。ジェハにもよろしく伝えてくれ」
「ワフッ」
そう言って精霊はカオの頭を撫でると、どこかへ飛んで行ってしまった。
主はその身に病を移し消えて行った精霊に深々と頭を下げた後、シロを抱いたまま椅子に座った。
「ハークハイト、シロの様子は?」
「まだ熱はあるが、呼吸も安定しているし、出血も治まっている」
「それって、本当に治ったってことですか?」
「信じられないが、その可能性が高い」
「まじか……!」
それを聞いた瞬間、ユーリさんと俺は静かに声を上げガッツポーズをした。
「まじで奇跡だな! ハークハイト!」
「全く。どこまで行ってもお騒がせ娘だな」
素直に言葉にしないが、主の表情はとても嬉しそうだった。
翌朝、主がシロの診察をしていると、シロが目を覚ました。
「起きたか」
「……ハーク、ハイト?」
「調子はどうだ」
――きゅるるるるるー……。
「……お腹空いた」
主の問いかけに、目をつぶり数度呼吸をしたシロは、腹を鳴らしなんとも拍子抜けする回答を口にした。
「元気そうで何よりだ」
「心配かけてごめんね」
「本当にな」
まだ熱があり力なく笑うシロの頬を主は優しくつまんだ。
「患者さんたちどうしてる?」
「他の薬師たちがちゃんと見ている。君は自分の心配をしなさい」
「トゥーイたちは感染症の症状出てない? ずっと一緒にいたからうつしちゃったかも」
「君の護衛組は全員大丈夫だ」
「良かった……。ユーリとザビも、心配かけてごめんね」
「心配したんだぞ、シロ。それに、この部屋はなんだよ。どうせ後でハークハイトに怒られるだろうから俺からはうるさく言わないけど、もう少し自分を大事にするように」
「うん」
「そうだぞ、シロ。お前が倒れた時、マジで心臓止まりそうだったんだからな! 今後は夜に部屋で灯りついてたら乗り込むからな」
「気を付ける」
その後、昨日までの衰弱が嘘の様に回復しつつあるシロに俺は食事を運んだ。
シロを心配していた薬師たちや自警団の面々、それからデリアル様やダレン様にもシロが回復したことを伝えると、誰もがとても安堵した顔をしていた。
メテルキアに来てからの短い期間に、患者や周りの人間と真摯に向き合って来たシロが、この場所で精神的支柱になっていたことを改めて思い知らされた。
あの精霊は、シロのことを癒しの王だと言っていたが、本当にその通りだと思う。
「主、俺は定時の見回りに行ってきます」
「頼んだぞ」
「はい!」
俺がシロにしてやれることはあまり多くないけれど、せめてシロが平和に過ごせる様、俺は気合を入れて見回りにあたった。




