113.ノバジーナス王宮
「では、改めて王宮へ向けて出発する」
怪我をして動けない騎士たちを馬車へと運び、私たちは彼らが乗っていた馬に乗った。
もう馬には一人で乗れると主張したけれど、ハークハイトに却下され一緒の馬に乗っている。
「シロ、ちゃんと乗りなさい」
「色々あったから疲れちゃった」
グラントリーがそばにいないのを良いことに敬語すら止め、私は後ろで手綱を握るハークハイトに寄りかかっていた。
ベインに見せられた悪夢で精神的にどっと疲れていたけれど、大勢の怪我人を前にもうひと踏ん張りしたため、くたくたなのだ。
特にグラントリーの怪我は本当に酷く、一刻も早く治療しなければ命に係わる状態なのに持ち合わせている薬は少ないし、包帯を巻くにもグラントリーの身体は大きいし重いしで、まるで大型魔獣の手当ての様だった。
「今乗っているのはスレイプではないのだから、注意しないと落ちるぞ」
「スレイプも、カオたちも恋しいなー。みんな元気にしてるかな? 早く帰りたい」
「少し我慢すればすぐに会える。頑張りなさい」
「んー……」
「そんなに眠いなら眠気覚ましがあるぞ」
「眠気覚まし?」
そう言うハークハイトの方を振り返って見上げると、何かを企んでいる様な悪い顔をしていた。
「まさか……! って言うか、あれなんだったの? 私、頭の中に電撃走ったんだよ!」
「よく効くだろう? 私特製の気付け薬だ」
「うわー……」
ベインの悪夢から目覚める時に鼻から頭へと突き抜けたあの刺激臭の正体を聞くと、驚きよりもハークハイトなら持っていてもおかしくないなと変に納得してしまった。
その上に、強烈と言う表現を百倍煮詰めて濃くした様な臭いがまたハークハイトの性格を良く表していると言うかなんと言うか……。
あれはもうあの臭いのこと以外何も頭に入ってこなくなるどころか、頭の中の情報が全て忘却の彼方に沈むレベルだ。
「ハークハイトって何するにも極端だよね」
「何の話だ?」
「頭の中の記憶が全部なくならなくて良かったって話! 次あんなの使ったら許してあげないからねっ! 特にカオたちがいる前で絶対使わないでね。あんなの嗅いじゃったら可哀そう過ぎる」
「安心しろ。カオなら既に経験済みだ」
「いつの間に!?」
ドルトディート襲撃があった時で、嗅がせたのは自分ではなくユーリだと、ハークハイトはなんてことはない様に言ってのけた。
緊急だったのはわかるけど、気付け薬ならもう少し弱いものでも十分だろう。
私の可愛いカオに何をしてくれてるんだ。
「そうむくれるな。あれを使うのは本当の緊急事態だけだ。実際、今回は君も助かっただろう?」
「そうだけどさー」
助けてもらったのは認める。認めるけど……!
「私のせいであんなの嗅がされたなら申し訳なさすぎる」
「少しは君も危機管理を持つ気になったか」
「最初からちゃんとあるもん」
「そうか。なら、しゃきっとしなさい。それと言葉遣い。どこで誰に聞かれているかわからないのだから、気を抜くな」
「はーい」
そうして、ハークハイトにネチネチと注意事項を言われつつ、寄りかかったり、寄りかからなかったりしながら私はなんとか眠らずに国王のいるノバジーナス王宮までたどり着いた。
王宮は、領主城とは比べ物にならない程の広さと大きさで、その荘厳さは圧巻の一言に尽きた。
道中、ハークハイトからの説明によれば、王宮内には王国騎士団の宿舎や訓練場、要するに基地の様なものがあったり、各大臣たちの家、薬や魔法の研究所何て言うものもあるらしい。もちろん、王立図書館もだ。
そして驚いたのは、王宮内には小さな森もあるらしい。
ちなみに、王族は王宮敷地内にある宮殿に住み、そこで執政をしているらしい。
「我々はまず、王国騎士団で尋問を受け、その後、場合によっては宮殿にて国王様と謁見になる。可能であれば、君の謁見は私と一緒にとグラントリー殿には伝えてあるが、君一人で宮殿に上がる可能性も考えられる。十分に注意しないさい」
「私だけ離れなきゃダメなの?」
さっきは、ハークハイトたちと離れたとたん合成獣が出現し、ベインにまで出くわした。
できるなら、離れたくはない。
「君は渦中の人物だし、私には君を不当に匿っていた容疑がかかっている。疑いが晴れるまでは共にいることはできないのだ」
「そっか」
「心配しなくても、君のことはグラントリー殿が守ってくれる」
「……うん」
わかってはいるけど、ここは私にとって安全な場所かなんてわからない。
「シロ、ここにはメテルキアの情報や二十年前の事件の手がかりがある。ここでの振る舞い次第で、マオへの道も開ける。今が正念場だ」
「……そうだね」
「シロ、真摯に尽くせ。君には人を動かす力がある」
「どう言うこと?」
「わからなくて良い。君はそれで良い。だが、できることなら、大人しくしていて欲しいところだ」
「すぐ会える?」
「ほんの数日の我慢だ」
「わかった」
「ではグラントリー殿、シロのことよろしくお願い致します」
「承知した」
ハークハイトの手で馬から降ろされた私は、そのままグラントリーに引き渡され、ハークハイトたちは別のどこかへと去っていった。
ハークハイトたちと別れ、グラントリーに連れられて来たのは王国騎士団の尋問室だった。
と入っても、犯罪者用と言うわけではないので、雰囲気はフェリジヤ騎士団の会議室とさほど変わらないありふれた部屋だった。
「シロ、ここで少し待っていてくれ」
「わかりました」
部屋に通されると、グラントリーは部屋の外に見張りを置いてどこかへと言ってしまった。
ただ椅子に座り机を眺めているのも飽きるけれど、持ち物類は王国騎士団に預けると言う名目で取られてしまったし、やることがない。
その上、窓のないただの壁に囲まれたこの部屋は研究所を思い出させ、少しだけ気持ちが滅入る。
「はぁ……」
「ひーめ。ひーめっ!」
この状況を早く抜けて、ハークハイトたちと合流したいとため息をつくと、どこからか小さな声が聞こえた。
「?」
「ここです、姫!」
「どこ……?」
「下ですよ、下!」
立ち上がりきょろきょろと辺りを見渡しても声の主は見えず、言われるがままに下を向くと、足元に体長わずか十センチほどの栗毛のねずみがこっちこっちと手を伸ばしていた。
「ねずみ?」
「お初にお目にかかります、姫様。私、ヴィヴェンテと申します」
小さなねずみに少しでも視線を合わせようとしゃがむと、そのねずみはうやうやしく礼をした。
なんだか蝶ネクタイと眼鏡が似合いそうだなと思ってしまった。
「私はシロ。よろしくね、ヴィヴェンテ」
「姫自ら御名を教えていただけるとは、光栄にございます」
「姫じゃなくてシロって呼んでね」
「ではご要望にお応えして……シロ、今日はどの様な用でこちらへ? ここはあなたの様な高貴な方の来るところではありません。人間どもに捕まっているのですか?」
「ちょっと王宮に用があってね。ヴィヴェンテはここで暮らしてるの?」
「いえ、今は見回りの途中でして。私の真の住処は宮殿になります。とは言っても、ここも我々にとっては庭の様なものですが。姫、ではなく……シロ、しばらくここに滞在されるのならば、我々にいつでもお声をかけてください。どんなことでも役に立って見せましょう」
「ありがとう。一緒に来た人たちと離れて、一人になっちゃったからちょっと不安だったの」
「そうでしたか。ここには、私もおりますし、外の森にはアペルトと言うモモンガがおります。あなたは、一人ではありませんよ」
いつでも話し相手になりましょうと言ってくれるヴィヴェンテに人差し指を差し出すと、その小さな手が私の指を握った。
――キュキュ。
それから少しの間話をしていると、壁の方から小さな鳴き声が聞こえた。
「どうやらさっきの人間が戻って来たようです。私は一度隠れますが、何かあればすぐにお呼びください。我々は、いつでもあなたの側におります」
「ありがとう、ヴィヴェンテ」
今度は私にも聞こえる音で、カツカツと足音が聞こえ、ヴィヴェンテは壁側に置かれた戸棚の向こうへと消えて行った。
「シロ、待たせてすまない」
そして、私が椅子に座り直すと同時にグラントリーが扉を開けた。




