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Noah-領域外のシロ-  作者: 文祈奏人
3章

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106.緊急事態

 淡々と瀉血の準備を進め、瀉血に取り掛かるグラハムの手順は概ね私の知っている通りだった。

 けれど、抜かれて行く血の量を見て、本当にそんなに血を抜いてしまって良いのだろうかと不安になった。

 それでも、ここで私がハークハイトに何かを言うことは許されていない。薬師としての知識があるハークハイトが止めない以上、私には見守るしかなかった。


「今回、瀉血をして毒を抜いた後、薬を服用してもらいます。お奥様には、解熱剤と一緒に頭痛薬を」


 そう言って、グラハムは薬包をふたつ取り出した。


「大奥様、少しお体動かしますよ」


 そうして、グラハムはひとつ目の薬包を広げ、中の薬を大奥様の口に流し水を飲ませた。

 色から見るに、私たちも使っている一般的な解熱剤だろう。

 そして、もうひとつの薬包を広げた時、私はその中にある薬の色を見て、驚きと共に患者の口に流し込まれてはいけないと、気付けば足が動いていた。


 ――パンッ!


「な、何をするんだ!?」

「シロ、何をしている!」


 私はグラハムの手にあった薬包を薬ごと思い切り振りはらった。


「あなた、自分が何を飲ませようとしたかわかってるの?」


 顔料として使われることもある鮮やかな赤褐色のそれに、私は見覚えがあった。


銀赤砂(ぎんせきさ)なんてものを飲ませて、患者を殺すつもり?」

「殺す? これは薬だ! そもそもこれは銀赤砂を調合した仙薬と呼ばれる霊薬で……」

「そんなものただの毒でしかない!」


 銀赤砂を原材料に作る仙薬には猛毒となる成分が含まれる。だから、絶対に使ってはいけないとマオに言われた。

 あらゆる病気を治す霊薬なんてものは、薬学が発展していない時代のただのまやかしだ。

 

「ハークハイト様、この娘は何なのですか? 無礼な!」

「シロ、下がりなさい」

「あんなに瀉血をして血が足りない患者に毒を飲ませようとしたんだよ? それが薬師のすること?」

「馬鹿を言うな、小娘! 私は、患者の治療をしているだけだ! 患者の前でおかしなことを言うんじゃない!」

「まさか、亡くなった患者にも同じ様にやったの……?」

「当たり前だ! 治療だと言っているだろう! 不愉快だ!」


 自分がやったことで患者が死んだかも知れないとも思っていない、それが薬師……?

 平民を平気で見捨てて、大金をもらって診る貴族の患者さえ粗末な知識で命を危険にさらす。そんな人たちが、薬師なの……?


「シロ、とにかく今は下がりなさい。ユーリ!」

「あ、あぁ……」


 急いでユーリに腕を引かれる私を見て、グラハムは憤りを見せながらも患者へと向き直った。


「大奥様、申し訳ありません。今新しいものを……」

「だから、ダメだって言ってるでしょ!」


 そんな危ないものをいったいいくつ持っているのかと、気付けば私は身体から魔力を溢れさせていた。


「シロ、止めなさい!」

「シロさん、それ以上は!」


 怒っているけど、取り乱してしまう程怒りを爆発させた訳じゃなかった。

 ただ、深く静かな怒りを抱いただけだったのに、私はいつの間にかグラハムに砕覇を向けていた。

 そして、魔力を溢れさせ砕覇を放ったことで、風が起きマントのフードが頭から取れた。


「な、なんだ……! お前、その容姿は……!」


 私に砕覇を向けられ、床に膝をついたグラハムは、私の姿を見て驚愕した。


「ユーリ! すぐにシロを連れて隔離地域まで戻れ!」

「わかった」


 急いでユーリが私を抱えあげ、部屋を出ようとしたその時、バタバタと足音が聞こえ、出るはずの部屋の扉がバン! と外側から開かれた。


「大変です! 街の外で大規模な魔獣の氾濫が!」


 それは、先程私たちをここへ案内してくれた使用人だった。

 そして、その言葉と時を同じくして、ひらひらとハークハイトに伝蝶が舞い降り、レーナの声が聞こえて来た。


 ――ハークハイト様、緊急事態です。街の外で大規模な魔獣の氾濫です。さらにその奥に合成獣(キメラ)の姿が見えます。魔獣たちを牽制していますがガジュールの街に向かって来ています。すぐにお戻りを!


「こんな時に魔獣の氾濫か……! グラハム、この話は後だ! すぐにガジュールの騎士団に応援要請を入れてくれ」

「かしこまりました」

「ユーリ、モリス、応援が来るまでは我々で対処するしかない。来い! シロ、君は……一人で帰れと言っても今は無理か。ユーリ、シロから目を離すな」

「わかってる」


 私はユーリに抱き抱えられたまま無造作に頭にフードを被せられ、腕から降ろされることなく現場へと連れて行かれた。


「主! 氾濫の規模はかなりの物です。恐らく、氾濫元は迷霧(めいむ)の森かと。今回は魔狼たちがいませんし、どうしますか?」


 急いで街の外へと向かっていると、レーナたちに騒ぎを聞いたザビとカスクが合流した。


「どうもこうもない。魔獣に街に突っ込まれては、患者を死なせるどころか、感染症を街中に運びかねない。牽制や誘導が効かなければ、全て迎撃する。その後には合成獣も控えている。策を講じている時間などない」

「やむを得ないっすね……」

「迎撃……? 全て……?」

「シロ、カオやヤヤもいない今、君の頼みを聞ける様な状態ではない。君は魔獣の命をむやみに奪われることを嫌うが、我々は騎士だ。人を守ることを何よりも優先しなければならない」

「魔獣たちは合成獣(キメラ)から逃げてるだけのに、殺しちゃうの?」

「やらなければ街が壊滅する! できる限りのことはするが、人数もいない今、無理ならば全て殺す。今回の氾濫はそう言う規模だ!」


 街を出たこの場所から、今はまだ遠くに見える土煙だけれど、そこにどれだけの魔獣たちがいるのかくらいは私にもわかる。

 あの数の魔獣が、街に突っ込んでくれば平民街だけでなく貴族街にも被害は出るだろうし、人も大勢死ぬ。そして、きっと魔獣たちも大勢死ぬだろう。

 魔獣を全て殺せば人が助かる……だけど、魔獣を殺さなければ全滅はなくとも、魔獣も人も大勢死ぬだろう。

 まるで、命の選択だ。


 ――シュンッ!


 その時、上空を何かが魔獣の氾濫めがけ飛んで行った。


 ――ドンッ! ドンッ!


「爆発?」

「あれはレーナが矢に火薬を付けて飛ばしてるんだ。爆発で魔獣たちの進み方向を逸らせないか試してる。多分、俺たちが来る前からレーナはあれをやってるけど、魔獣の進路は変わらない」

「ユーリ、降ろして! ちゃんと見たいの!」


 私は、抱えられたままではよく見えないと、ユーリの腕から抜け出した。

 矢が地面に刺さり爆発が起きる度、最前列を走る魔獣が爆発に巻き込まれ空へと散って行く。けれど、パニックになっている魔獣たちはそんなことには目もくれずただ逃げるために走っている。


 ――ドンッ! ドンッ!


「あれじゃぁ、魔獣が死んじゃう! やめて、レーナ……!」


 次々と放たれる矢は、こんなにも距離があると言うのに、魔獣たちの最前列へと的確に落ちていく。

 それでも……。


「やはりダメか!」


 レーナの牽制に全く進路を変える気配を見せない魔獣たちにハークハイトは、ちっと舌打ちをして、魔力の弓矢を構えた。


「ハークハイト! ダメッ!」

「シロ、このままでは私たちも危ないのだ」

「でも……!」


 矢を放とうとするハークハイトに縋ると、ハークハイトは余裕のない顔をしていた。

 

「シロ、私とてむやみに命を殺めたい訳ではないのだ。わかってくれ。街が壊滅した次の瞬間には合成獣(キメラ)が襲い掛かってくる。今は、これが最善の選択なんだ」

「……っ」


 このままじゃ魔獣たちが!

 でも、魔獣を止めなきゃ街やみんなが危ない。

 どうすればいい……? こんな時、どうすればみんなを救える……?

 私は、どうしたら命を守れる……?


 ――シロ、変わるわ。


「え?」


 何か方法はないかと必死に考えを巡らせていると、頭の中でそう声が聞こえ、私の意識は知らない何かに乗っ取られた。

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