101.戦いの始まり
「あの建物何? 二人は何してるの?」
「いわゆる物見やぐらだな。城下じゃ見ないけど、地方や田舎の平民街なんかは、街中を見渡せる物見やぐらは珍しくないぞ。魔獣が出たり、火事とか起こるとあの上の鐘で街中に知らせるんだ。レーナさんとミラさんは、偵察中」
「偵察?」
「俺たちがいるこの場所の内外に敵がいないか確認してるんだよ。レーナさんは遠距離攻撃の天才だし、ミラさんは読唇術使えるから遠くからの偵察で敵の言葉を読んだりな」
「何それ凄い!」
唇の動きでなんと言ってるかわかるなんて、魔法より魔法の領域なのでは?
「この場所は俺たちにとっては敵地にもなり得る。主たちに加えてレーナさんたちがいるとは言っても油断はできないからな」
「私がいるから……?」
「違うよ。ここは主にとって油断できない場所なんだ」
きっと、レーナたちが言っていた話のことだろう。自分の兄が治める領地なのに、敵地になりうるなんて……。
「シロは気にすんな。それより、守りは俺たちで頑張るから、シロは患者と感染症の調査の方、頼んだぞ」
「うん」
ザビの言う通り、今は私にもやるべきことがある。
ハークハイトのことは気になるけど、あんなに強いハークハイトが負けることはないだろうし、私は自分のことに集中しよう。
「ところで、エディ。ここに薬師はいないの?」
「平民街に薬師がいるわけないだろ」
「でも、領地を脅かす感染症患者が、出た可能性があるんだよ?」
「そんなこと、俺が知るか」
薬師がいるなら、研究のために少し設備などを借りたかったのだけど、どうやら患者を診に来た気配すらない。
「シロさん、薬師が動くのは対価を払える貴族の患者が出た時だけです。俺たちがいなければ、ここには調査団が派遣されるだけで薬師が派遣されることは本来ありません」
お金が払えない平民は見捨てる……。忘れかける度に直面する問題に、何度目かのため息が出た。
「モリス。さっき池の周りと鶏舎で取った検体を一部領主城のガンフ宛に送っておいて。私たちは、研究は後回しにして患者の治療を第一優先。患者の経過を観察することでしか見えてこない病気の傾向や対処法もあるから」
「わかった。……シロ、怒っているのかい?」
「大丈夫。怒ってるわけじゃないの」
誰でも彼でも助けたいと思い動くのは、ただの私の傲慢なのだろう。どれだけ命を助けても、その全てはいずれ必ず死んでいく。
それなのに、そうして命を助けることにどんな意味があるのかと言われればわからない。
だけど、命を選別することの意味なんて私は知りたくもない。
「カスクはエディの面倒見てあげて」
「わかりました」
「なんでこいつが仕切ってんだよ。一番チビのくせに」
「この場で一番知識があるのはシロさんなんだよ。お前も準備しろ。お母さん、助けるんだろ?」
「わかってるよ!」
なんだかんだ面倒見のいいカスクのことだから、エディのことはカスクに任せておけば大丈夫だろう。
「モリスは、各患者に処方する薬の準備をお願い」
「わかった」
私たち薬師三人と、手伝いのエディ四人で、患者六人。これ以上患者が増えないことを祈りたい。
私は、そんな心配をしつつ患者のいる部屋へと戻った。
患者は、いずれも感染した鶏舎の鳥に触っていて、症状が出始めてから三、四日が経過していた。
症状は様々あれど、高熱と酷い咳はいずれの患者も同じで、ザビの時と同様、対症療法としての解熱剤や咳止めの薬を処方し、患者の容体を常に確認し、気の抜けない状況となった。
平民の食生活は、ザビが基地でとっている様な質の良いものではないし、設備や薬も基地の様に万全であるとは言えない。
あの時より過酷なものになるだろうと、なんとなく予測はついた。
「シロ、患者の様子はどうだ?」
「みんな頑張ってるけど、正直全員は難しいと思う」
「そうか」
翌日の夜、食事のために患者のいる部屋を出て隣の倉庫に移動すると食事が用意されていた。
薬師組三人は患者を診るために宿に戻る訳にもいかず、レーナとミラも緊急事態に備え交代でやぐらに常駐しているらしい。
結局全員で連絡を取り合うのに、一番手っ取り早いのがこの建物と言うことになり、食事などをこの倉庫でとり、宿には戻らず他の部屋を借りて寝泊まりすることになった。
もちろん、倉庫は換気を十分に行った上で、定期的に風の盾を使い空気の浄化をする様にし、薬師組とそれ以外の人たちで食べる場所や出入り口をそれぞれ分けている。
そして今、倉庫の端と端でハークハイトとユーリと会話をしていた。
私の隣には、薬師組の護衛兼手伝いのザビもいる。
「領主城の方から連絡はない?」
「今のところないな。ザビウスの時も難しかったんだ、検体が増えたところでそうすぐに原因や対処法を探るのは難しいのだろう」
「そうだよね……」
「なぁ、シロ」
「何? ユーリ」
「患者を心配するのはわかるけど、お前、ザビの時もほとんど寝ずに看病してただろ? 今回の患者は一人じゃない。モリスとカスクもいるんだから、あんまり無理するなよ」
「大丈夫だよ、ユーリ。心配してくれてありがとう」
「ザビ、ちゃんと見張っとけよ」
「わかってますよ」
ザビの時にユーリやピコがいてくれて思ったけれど、緊張しっぱなしの時間の中にこうして何気ない会話ができるのは良い息抜きになる。
「ねぇ、ハークハイト」
「なんだ?」
「例の件だけど」
「あぁ。鳥が飛んでくる経路はだいたい分かって、手は打った。ガジュールからフェリジヤ内を南下することは考えられないし、恐らくそのまま海を越えるだろう」
「ありがとう」
いくら患者を治療したところで、原因となる鳥がいつまでも飛んで来ては、患者は減らない。
そのため、鳥が池に来ない様に水鳥対策をハークハイトにお願いしたのだ。
ガジュールに来ている鳥の一部は、およそ二十年前からメテルキアに飛来してきたとされる鳥の一部か、その鳥たちと接触をもった鳥たちだろう。本当は、メテルキアに行って原因を突き止めて、二十年前の鳥が飛んでこない状況に戻すのが一番だとは思うけど、今はそうもいかないのでとりあえず目の前の鳥たちの対処をするしかない。
ろくに手も打たずに放置されているメテルキアのすぐ隣に位置するガジュールが被害にあっているのに、本陣で何の手も打たれないなんて、いっそどうにか壁を越えてメテルキアに侵入してしまえばいいのでは?
「シロ、君はちょっと壁を越えてメテルキアに入ろうなどと考えてないだろうな」
「え……? な、なんで? 別に、考えてないよ……?」
「全く君は……」
「大本を叩くのにちょっと壁を越えてって考えただけだよ。別に本気じゃないもん」
「どうだかな。だが、メテルキアの研究所からその身が狙われているのかも知れないと言うのに、壁を無断で越えれば、フェリジヤとメテルキア、果ては王国そのものから指名手配されるぞ」
「いっそ、そうやって捕まったら国王に謁見できないかな?」
「犯罪者が王に謁見などできるわけないだろ、馬鹿者」
「だよねー……」
そうトントン拍子に事が運べば誰も苦労しないか。
安易にメテルキアに入って今度こそ誘拐されたら、大本を叩くどころの話じゃなくなるし、地道に対処しながら機会を待つしかないのだろう。
とりあえず今はぐだぐだ考えても答えは出ない。私はまだ続く目の前の戦いに向け、食べかけのスープに手を伸ばした。
――ガチャ!
「シロさん、急変です! すぐ来てください!」
「わかった。すぐ行く」
勢いよく空いた扉から焦ったカスクが顔を出した。
やっぱりこの時が来たか……。
私は、カトラリーを置くと食べかけのご飯を放置してすぐに隔離部屋へと向かった。




