不在伴奏.怕狼
※ハークハイト視点
私の名はハークハイト・レーレン。フェリジヤ騎士団の騎士で副団長をしている。
シロを保護して、成り行きで面倒を見ることになってから二週間が経った。
白い髪に青い瞳、その身体には魔力を封じている金環を両手両足に着け、あの咒鹿の砕覇の中でさえ臆することなく立ち、言葉を交わし静めた謎の少女。
森で魔狼と暮らしていたという話もあながち嘘ではないのだろう。
そして、一般には出回っていない薬学の知識にまで精通していることもまた彼女の謎のひとつだ。
それにはきっと度々彼女が口にする「マオ」と言う人物が関係していると思われるが、彼の存在も未だ謎のままだ。
メテルキア関連の書物を多く持っていたことから、メテルキアの人間だろうと推測するが、少女から語られる言葉だけでは、本人さえわかっていないことが多くてどうにも真相へたどり着けない。
ファーガス団長たちと話し合った結果、しばらく騎士団内では緘口令が敷かれ彼女の存在は騎士団の者以外には秘匿とされることになった。
強大な魔力を持っていると思われることも、彼女が持っている薬学の知識も、安易に外へもらせば彼女自身の身が危険にさらされる。
団長が体よく私に押し付ける形となったが、国家を揺るがしかねない危険な芽はお前が見張れということでもあるのだろう。
あれだけの魔力量であれば、どこぞの上位貴族の隠し子かとも思ったが情報はいっさい集まらなかった。
「ふぅ……」
私は目頭を押さえながら、自室の机に持ち帰ってきた書類を置いた。
「問題が多すぎる」
シロの存在は謎ではあるが、私にとってすぐにどうこうしなければならないほどの問題ではなかった。
最初こそ、森と違うといって我々には当たり前のことがわからない様子ではあったが、教えればすぐ覚えるし、わがままを言うことも少ない。
初めに彼女関連で心配したことのほとんどが杞憂に終わった。
むしろ、薬作りが趣味のような彼女のおかげで私の騎士団での仕事が一つ減ったし、家の中のこともしてくれるのでその面でも負担が減ったと言っても過言ではない。
目下の問題は、街中で横行している誘拐事件や、魔物の氾濫の方だろう。
盗賊団ドルトディートの行方も分からなくなってしまったし、魔物の氾濫による被害もなかなか防げていないことが現状だ。
そして、この数年の間に実験の残骸のような、つぎはぎのなされたおぞましい生物が発見されていることもまた我々騎士団を悩ませている問題でもある。
これが原因で、魔物の氾濫が起きているとも推測されるが本当の所は判明していない。
「ハークハイト?」
抱えている問題をどこからどう片付けていくべきかと思案していると、シロが部屋へと入ってきた。
寝間着に着替えている所をみると寝るのだろう。
「どうした?」
「もう寝るね」
私はシロの前でしゃがんで、寝間着を少し整えた。
「夜は冷える。ちゃんと布団をかけて暖かくして寝なさい」
「ん……」
シロは左手で目をこすりながら答え、ヨタヨタと部屋へ歩いていった。
その右手には、ここに来た時からシロが常に肌身離さず持っているハクの魔石が握られていた。
「今日はどこで起きるやら……」
シロのことで私が頭を悩ませている問題があるとすれば、最近部屋の寝台で寝たはずのシロが朝になると別の場所で眠っていることだ。
本人も移動したことを全く覚えていないらしい。
一度夜中に物音がして見に行くとふらふらとシロが歩いていたが意識は完全になかった。
夢遊病の類と思われたが、慣れ親しんだ場所を離れて、知った人間もいないこの場所で暮らしているストレスなのだろうとしか言えなかった。
来たばかりの頃は、夢を見て眠れないと言っていたが最近はその夢も見ていないらしい。
騎士団の面々とも私より余程上手くやっているように見えるし、本人が不満を漏らすことがないのでどうしたものかと思うが、人の気持ちを推し量ることは私には向いていない。
なにより、今は目の前の書類を片付けることに手一杯だ。
そして、真夜中。事件は起きた。
――カラカラカラカラ。
書類を片付け終え、就寝の準備をしようかと言う時に小さな物音が聞こえた。
またシロかもしれないと思い、部屋から出ようとした時、それは現れた。
『小僧! 早くしろ! シロが危ない!』
真っ白な毛並みに、青い瞳。通常の魔狼とは違う目の前の異様な姿のそれは、閉まっている扉をすり抜け部屋へ入ってくるとそう怒鳴った。
『早くしろ! 私ではあの子を救えない』
私は、ひとまず目の前の魔狼の言葉に部屋を出てシロの部屋へと向かった。
すると、部屋の窓を開け放ち、今にも転落しそうなほど身を乗り出して空へとまっすぐに手を伸ばすシロがいた。
「シロ! 何をしている!」
私はすぐさまシロに駆け寄り抱き上げると、窓から引き離した。
「は……ま……」
虚ろな目をして、ひたすらに手を伸ばすシロは、言葉にならない何かを口にしていた。
『シロ、しっかりしろ』
「ハク……?」
シロの手がすり寄った魔狼の鼻先に触れると、シロは安心した様な顔を浮かべた。
「ハク? 白い毛並みに青い瞳……シロが言っていたハクとはお前のことか?」
私がそう尋ねると、シロを愛おしそうに見つめていた魔狼の視線がスッとこちらへ動いた。
「神獣、怕狼……なのか?」
『それは貴様ら人が我らに勝手につけた名前。私の名はハクだ』
そう言うと、怕狼は顔を上げて鼻をヒクヒクとさせながら私のことを目を細めて見てきた。
『お前、アリーナに似ているな』
「アリーナを知っているのか!? アリーナは私の母の名前だ」
『母? そうか、お前あやつの子どもか! ふはははは!』
何がおかしいのか、怕狼は声を上げて笑い、もう一度私と視線を合わせた。
『シロが辿り着いた先があれの息子とは、これも何かの運命なのだろう。小僧、ひとつお前に忠告してやる』
怕狼は笑みをなくすと、牙を剥き出しにして私に向かって言葉をつづける。
『何があっても私をそばに置き、絶対にこの子を守れ。この子が殺されるようなことになれば人間は滅ぶと思え。来るべき時にお前たちを、そして我々を救えるのはこの子だけだ。もっとも、そうでなくともこの子が命を落とすようなことになれば私がお前を噛み殺してやろう』
「来るべき時?」
『それとな、私は一度シロの恐怖を縛っている』
怕狼は私の問いかけに答えようとはせず、勝手に話を進めていく。
「神獣の能力……縛術か?」
『あの時シロを救うにはそれしかなかった。猿には気をつけろ。再び会えば術は解かれ、この子はあれに囚われる』
「猿……猿忌のことか?」
怕狼は私の言葉を聞いているのかいないのか、再びシロの頬に鼻先をすり寄せる。
「シロの言うマオとは誰だ? 森とはどこだ? シロは帰りたがっている」
私は、長らく抱えていた疑問を怕狼へ投げかける。
『マオのことは探すな。あれを探せば、この子は否応無く運命の糸に絡め取られる。森へも帰すな。マオも私もいない今、森は安全とは言いきれない。何があってもお前がシロを守れ。人間のお前たちにできるのはただそれだけだ』
怕狼は顔を上げ真っ直ぐに私と目を合わせる。
その目は怒りを滲ませた赤い瞳に変わっていた。
『シロはお前たち愚かな人間が生み出した最悪から生まれた唯一の光だ』
「光……?」
『シロ、私の可愛い子。私はいつでも傍にいる』
「待ってくれ! 怕狼!」
再度シロへすり寄った怕狼は、その身体を光らせるとふわりと消えてしまった。
そしてシロも腕の中で眠ってしまっていた。
私は窓を閉め、シロをベッドに戻そうとして寝台の上にある怕狼の魔石に気付いた。
「……今日も徹夜か」
怕狼の魔石を手に取り、シロを連れ自室のベッドへと寝かせると、私は机へと向かった。
翌朝、机に突っ伏したまま寝てしまったらしい私はシロに揺すられて目を覚ました。
「ハークハイト。机で寝たら風邪引くよ」
誰のせいだ……と思いながら私はシロの頬をつまんだ。
「いひゃい……」
シロが私にもたらしたものの中で一番はこのつまみ心地の良い頬な気がした。
私は、上体を起こし伸びをした。
「シロ、これを君に。これならば失くさずに済むだろう」
私は、ネックレスにした怕狼の魔石をシロの首へとかけた。
「これ……ハークハイトが作ってくれたの?」
「いつも手に持っていては危ないからな」
「ありがとう! 大事にする!」
「普段は服の上に出さず、服の中に入れておきなさい」
「わかった」
シロは満面の笑みで毎日見ているその魔石を、キラキラとした目で見ていた。
少しでもそれで彼女の心が休まるのなら、私の徹夜にも意味があったのだろう。
「さて、朝食にしよう」
「うん!」
シロと暮らしていた狼の正体が怕狼だとわかったことで、そして怕狼の言葉で、シロと言う少女の謎は更に深まってしまった。
だが、怕狼と言う存在は、私が真っ先にあり得ないと否定した可能性に僅かな疑問をもたらすこととなった。
叶うなら、大きな狼と生活してみたいものです。




