94.メテルキアの再興事業
基地へと戻る馬車の中、ハークハイトから少し報告があると言われた。
「例の不燃樹だが、公的な契約書に使う紙として正式に採用された。追々ではあるが建築資材としても登用されていくことになった」
「そうなんだ」
「それと、平民でも作れる薬品の類も王宮で正式に取り扱いたいそうだ。しばらくは、生産体制の整っているレパレント商会が王宮にも薬品を納品することになっているが、王妃様がメテルキアの復興事業として、メテルキアの平民たちに薬草栽培から薬品製造までをやらせたいそうだ。そうすれば、管理者としてメテルキアの薬草園で働いていた幾人かの貴族も登用できるという算段らしい」
「王妃様?」
「シロはその辺わかんないか。王妃様は、国王様のお嫁さんな」
王妃とは何ぞやと首を傾げるとすかさずユーリが説明を入れてくれる。
「なんで、そのお嫁さんがわざわざ?」
「お嫁さんではなく、王妃様と呼びなさい。王妃様は、元々メテルキアの出身で、今のメテルキアの現状をとても憂いておられる。そのために、今回の件では自らメテルキアに赴き復興事業の指揮をするらしい」
「貴族でさえ、平民街には行かないのに、王妃様がわざわざ行くの?」
「メテルキアの貴族は平民に対してフェリジヤやザクシュル程差別意識がないからな。それに、恐らく行くのは栽培場だから平民街とも違う。とは言え、王妃様が平民と直接口を聞くことはない。何かあれば、必ず間に貴族が入る」
「相変わらず面倒くさいね」
「だが、王妃様がわざわざ平民のために出向いてくれると言うことは、それだけで現場の人間の士気が上がる」
「そう言う物なの?」
王宮の薬草栽培に詳しい人を派遣して、パパっと体制を整えた方が早い気がするけどなぁ……。
それに、屋外と言えど感染症の流行が疑われる地域で、大衆が集まるのはあまりおすすめできない。
とは言え、私が口を出せることでもないし、メテルキアが酷い状況でそれをどうにかしたいと言うのも否定はできない。何もないことを、とりあえず祈っておこう。
それから数日。
いつもと変わらずに午前中の庭仕事をしていると、ルークがピコを背に乗せ、飛んできた。
「ピー! ピピッ!」
「ピコ?」
いつもなら、ルークの背で午前中いっぱいは空の旅を楽しむはずのピコが、今日は様子が違っていた。
そそくさとルークの背を降りると、ちょっと来いとその小さな体で私の袖を引く。
そして、ルークもこっちだと言わんばかりに空を旋回している。
「何かあったのかな? ちょっと行って来るね」
「僕らも行くよ。一応、ハークハイト様にシロから目を離すなって言われているしね」
そうして、焦るピコの案内の元、モリスとカスクと一緒にピコに付いて行くと、いつもと変わらない正門前に辿り着いた。
「正門?」
「ピー!」
「キュィ!」
こっちだと正門の柵の間をすり抜けていくピコに、ルークも続く。
「いったい何が?」
勝手に正門から出たらハークハイトに怒られるんだよ、と正門から少し外を除くと、外に人が倒れていた。
「ザビ!」
私は、すぐさま鍵のかかっている正門をよじ登り倒れているザビに駆け寄る。
「シロ!」
「シロさん!」
「来ちゃダメ! ルークも下りてきちゃダメ!」
詳しいことはわからないけど、ザビは熱を出していて、息も荒い。
万が一、メテルキアで流行している例の感染症に感染したとなれば、基地内で謎の感染症が広がる危険がある。
「カスク、ハークハイトたちを呼んできて。モリスはすぐにザビの周りに風の盾を張って。それから、ラインハルトを呼んで魔獣たちを近づけさせないで! カオ、ヤヤ、絶対近づいちゃダメだよ」
鳥の感染症が人に移ったのだとすれば、他の魔獣に感染しないとも限らない。一歩間違えれば大惨事を招く状態に、冷や汗が出る。
「ザビ! ザビ、聞こえる?」
「シ、ロ……?」
辛うじて意識はあるようだけど、熱で朦朧としている様だ。メテルキアから戻って来る間に熱が出て、なんとかここまで戻って来たのだろう。ルークたちが見つけてくれて本当に良かった。万が一、見つからない場所で倒れていたらと考えるとゾッとする。
「隔離部屋に移動させないと……」
症状がなくても、対策として、ザビには戻ってきたら隔離部屋で過ごしてもらう予定でいた。そのため、場所は既に用意があるけれど、問題はどうやって運ぶかだ……。
私ひとりじゃ運べないけど、誰かに手伝ってもらうとすれば、その人にリスクを負わせることになる。
「シロ、何があった?」
「ハークハイト」
「状況を説明しろ」
「ピコたちに呼ばれて来たら、ザビが熱を出して倒れてたの。メテルキアで流行してる感染症の可能性があるから、このまま人にも魔獣にも触れずに隔離部屋まで移動させたいんだけど、私ひとりじゃ運べない。でも、誰に頼んだらいいのかわからなくて……」
一番最初に動かすべきは、薬師であるモリスとカスクだけど、これから先の万が一を考えると二人には、今は安全圏にいて欲しい。けれど、特定の騎士を私が選ぶこともできない。
「ある、じ……」
その時、ハークハイトの声が聞こえたザビが、朦朧とする意識で身体を起こそうとする。
「ザビ、無理だよ。そんな熱で」
「はぁ……はぁ……」
今にも意識を手放しそうなザビの身体を必死に支えると、ザビは顔を上げてハークハイトを見た。
「俺を、殺してください……」
「ザビ、何言ってるの!?」
突然のザビの言葉に声を上げると、ザビは、悪いなと小さく言った。
「これは、死病です……。かかれば、助からない……」
ザビは、メテルキアで何を見て来たと言うのだろう……。どうして、そんなに悲しい顔をしているのだろう……。
「シロ、ザビを助けられるか?」
「ユーリ……?」
「隔離して看病するのにどれくらいかかる?」
「まだわかんないよ。情報はレパルにもらったメモだけだもん……」
「ザビが助かれば、メテルキアの大きな情報が得られるかも知れないって訳だな」
よし、とユーリは何かを決めたように、ハークハイトの方へ向き直った。
「ハークハイト、お前、これから俺たちが戻るまで絶対基地と家から出るなよ」
それだけ言うと、ユーリは風の盾の中へ入ってきて、モリスの風の盾を覆う様に、自分の風の盾を展開した。
「モリス、盾消して良いぞ」
「はい」
「ザビ、しっかりしろ」
モリスの盾が消えたのを確認したユーリは、ザビを担ぎ立ち上がった。
「シロ、隔離部屋まで案内頼む」
「うん」
「ハークハイト、お前は基地内の様子を見張れ。既に感染が広まってないとも限らない。それから、魔狼たちの手綱もシロに変わって握っといてくれ。あいつらに部屋まで押し寄せられたんじゃ、たまんねーからな」
「わかっている」
「モリス、ザビの着替えをあるだけ持って来て。それから、感染症の可能性がある患者が出た時にやることをまとめたノートが薬室の私の棚に置いてある。そこに、必要な物を書いてあるからなるべく早く隔離部屋の受け渡し場所まで持って来てほしいの」
「わかった」
「それ以外はモリスもカスクもいつも通りお願い。人はもちろんだけど、魔獣たちの体調もいつも以上に注意してあげて」
「シロ。セオンで私が言ったこと、覚えているか?」
あの時、ハークハイトはセオンで、二人に何かあった時に私がいるならユーリもザビも私に任せると言ってくれた。
それなら、その信頼に答えなくちゃ。ザビにも、助けるって約束したしね。
「珍しい葉っぱ十枚くらいで手を打ってあげる」
「私の部屋から好きなだけ持って行け」
それから私たちは、基地の隅にある今は使っていない倉庫に移動した。
決して、快適とは言えないけれど、一応人が住める様にして、布団や看病用の道具などは揃えてある。
「二階にお願い」
「あいよ」
二階にある看病用の寝台にザビを寝かせる。
「ユーリは、一度お風呂に入って身体を綺麗にして服は燃やして新しいのを着て」
「着替えなんかねーぞ?」
「外に伝言板があるから、それに書いておけば持って来てくれるよ。隔離期間中の受け渡し物は外に設置した棚へ置いてもらって、直接の接触は避けてね。それから、私たちは受け取るだけでこの空間に入れた物を外には出さない様にして。伝蝶も控えて、不要なゴミ類は全部外で焼却処理をお願い。物を受け取りに外へ出ても、隔離範囲からは出ないでね」
「結構厳しいんだな」
「どれくらいの病気かわかるまでは、ね。何が命取りになるかわからないから、やれることはやらないと」
「わかった。んじゃ、俺は身を清めてくる。ザビのこと、頼んだぞ」
「うん」
手をひらひらと振り、階段を下りていくユーリを見届け、私はザビに向き直った。
まだメテルキアの感染症にかかったとは限らない。けれど、もしそうなら、ザビは死病だと言った。
森でたくさんの勉強はしたつもりだし、領主城の資料もかなりの数に目を通した。それでも、ここから先はどうなるか全く見えない。
「やれることをやろう」
けれど、この時の私はまだ、これがこの死病との長い長い戦いのただの始まりだとは知らずにいた。




