日差し
からだが熱で温まるように、冷え切ったこころも温めることはできるような気がします。それは、感動というこころの活動であったり、誰かの優しさや想いだったりするのかもしれません。
でも、融けたとたんに感情が溢れだすのなら、いっそう、凍らせたままのほうが良いように思います。
一部の感情だけを自由にするのは難しいようで、最近よけいに感情を表に出さなくなっているような気がします。
それもあって、凍らせた欠片を砕いて、文字に変えているのかもしれません。
雨を降らせた叢雲は いまは東の空に去り
晴れて、日差しに濡れ残る 道も、午後には乾きます
青さは、冬に削げ落ちた 色のいくらか戻り来て
小鳥が舞うに似つかわし そんな空にもなりました
日差しの下に、少しだけ 冷えたからだが温もれば
いまは、二月も穏やかで いつか、風さえやみました
春まだ遠くありますが 冬には冬の春がある
いまなら、そんな戯言も 素直にとれる気がします
それでも雲のひとひらに 影がかかれば奪われる
熱は、冬だと伝え来て 上着の襟を立てました
きみが逢う日を前にして 風邪をひいたと泣き出して
なだめ続けた一日は 今頃だった気がします
だからでしょうか、穏やかな 日差しだけれど、同じだけ
消えてはくれぬ淋しさの 共に降りくる気がします
僕は、見上げる空の下 相も変わらぬちっぽけな
こころを悔いにふくらませ 地に足さえもつきません
ならば、空へと消えたなら 宙の果てへと消えたなら
どれほど楽で、よいでしょう そう思ってもいいですか
僕は、日差しに見下ろされ 温もるほどに、同じだけ
こころが冷えてゆくようで 人でなくなる気がします
そうしなければ、情けない 僕のこころは温められ
氷が解けて溢れだし いつか泣き出す気がします
熱はからだにあればよく 凍えなければ、それでよく
こころは冬に凍らせて 溶かさぬままに、また冬を・・・
そんなことだけ思います
【書き終えて、評価をもらい、そのあとで欠け字を見つけ居たたまれなくなる】
寛大なお気持ちでの評価、ありがとうございます。申し訳ありません。