あなたン家、行っても良いですか?(夏詩の旅人 スペシャル)
1988年1月1日、浅草雷門前の午前1時半頃。
僕はこの時、池袋で再会した元バンドメンバーだった櫻井ジュンコと共に、浅草寺へ初詣にやって来ていた。
それにしても、昨年の1987年は、いろんな出来事があった。
プライベートでは、ジュンが歌手デビューして、レコード大賞の新人賞を受賞した事が1番の出来事だった。
世の中では、ビートたけしフライデー襲撃事件、エイズパニック、アサヒスーパードライの発売開始、安田火災がゴッホの絵画を53億円で落札、フィリピンのマニラで三井物産の現地支店長だった若王子さんの誘拐事件、国鉄が3分割さててJRになり、中嶋悟が日本人初のF1ドライバーとして開幕戦に出場、朝日新聞阪神支局での散弾銃発砲死亡事件、広島カープの衣笠選手が連続試合出場数の世界記録を樹立し、国民栄誉賞を授与、東京銀座の地価が1坪1億円を突破、マイケル・ジャクソンが来日して後楽園球場でライブを行い、利根川教授(※MIT)が、ノーベル賞を受賞、巨人軍の江川卓の引退、尾崎豊が覚醒剤所持で逮捕、横綱双羽黒(北尾光司)が部屋から失踪し相撲業を廃業などという出来事があった。
そんな事を思い出しつつ、前回の大晦日からの話の続きを書いて行こう。
「お!、意外と空いてるなぁ~♪」
雷門から仲見世に入った彼が、隣にいるジュンに言った。
「ホント…、もっと混んでるかと思った…」
ジュンがそう言って見つめる先の参道は、参拝客もまばらで少なかった。
「ピークは去ったという事かぁ…?」(彼)
「やっぱ0時から1時くらいまでが多いのね?、きっと…」(ジュン)
「俺、去年来たときは、混んでて前に進めなくてさ。本堂に辿り着くまで2、30分かかった気がする…」(彼)
「そう…、誰と来てたの初詣…?」(ジュン)
「まぁまぁ、いいじゃないの!、誰だって…(笑)」
彼がそう言うと、ジュンは冷ややかな眼差しで彼を見つめるのであった。
「う~…、さぶ~ぅ…」
背中を丸め、両手に白い息を吐きかけながら参道を進む彼。
しばらく進むと左側にWCが見えて来た。
「お!」
彼はWCを見てそう言うと、参道から逸れてそっちに歩き出す。
そしてジュンに「ジュン!、ちょっと来い!」と手招きした。
「何?、こーくん…。トイレなら1人で行きなさいよ」(ジュン)
「違うよ!、いいからこっち来いよ!」
彼はニヤついて、ジュンにそう言った。
言われた通りに、そっちへ向かうジュン。
すると彼が「ほら、あれ!」と言って、参道から道を1本挟んだ商店街の店を指差すのであった。
「何あれ…?」
ジュンが見つめるその店の看板には、「珍品屋」と書いてあった。
「おもちゃ屋さん…、ただし大人のな…(笑)」
彼はそう言うとニヤリと笑った。
「分かるか?、大人のおもちゃ屋って?(笑)」(彼)
「分かるよ!」(ムッとするジュン)
「ホントかぁ~…?、じゃあ何が売ってるか言って見ろよ(笑)」(彼) ←完全にセクハラ(笑)
「知ってるけど言いたくない!」(ムッとするジュン)
「なぁジュン…、俺さぁ…、昔から不思議に思ってたんだよ…」(彼)
「何を…?」(ジュン)
「お前も思わないか?、なぁ~んで、こんなトコに大人のおもちゃ屋があるんだってさ!?」(彼)
「確かに…!」(ジュン)
「こ~んな、世界中から観光客がやって来る、日本を代表する観光名所で、しかも神聖なる神社の参道の、すぐ真横にだッ!」(彼)
「昔からあるの?」(ジュン)
「むぅかぁ~~しから、あるッ!」
彼が言ったその建物は、確かに建物も看板も廃れていた。
「誰が入るのかしら…?」
ジュンがそう言うのも当然である。
浅草寺参りの帰りに「珍品屋」に寄る者などあり得ないからだ。
「観光客が入って行くんだろうな…?」(彼)
「そんなワケないでしょお~(苦笑)」(ジュン)
「いや、そうに違いない!、そうでないと説明がつかない!」(彼)
「説明~?」(ジュン)
「だってさ、こんな裏路地で、あんな寂れた建物に、知らない人がふらっと入る可能性なんて、普通の立地条件じゃあり得ないだろ!?」
「こんだけ人通りが多いから、その中の0.1%の確率でやって来るスケベな参拝客で、この店は成り立ち、地代を払えてるんじゃないかってさ!?」
そう言う彼の言葉にジュンは思った。(どうでも良いよ、そんな事…)と。
「ジュン…、今日は元日だから珍品屋が深夜営業してる様だ…。ちょっとどんな感じか覗いてみないか…?」←完全にセクハラ(笑)
「イヤよッ!、そんな0.1%のスケベな参拝客に入りたくないもんッ!」(ジュン)
「ちょっとだけだよぉ~…」(彼)
「お前…、い~かげんにしろよな…ッ!、そんなとこ入って、もしフライデーにでも撮られたら、私の芸能人生が終わんのよッ!」(ジュン)
「そういうアイドルいたなぁ…(笑)」(彼)
※表舞台から消えましたが…(笑)
「あなたホントーに、私のこと応援してんのッ!?、私、あなたが何を考えてンだか、さっぱり分からないわッ!」(ジュン)
「よく言われるよ…(笑)」
そう言うと彼は、ニヤリと微笑むのであった。
それから2人は、珍品屋に入る事なく参道へ戻ると、そのまま直進して本堂を目指すのであった。
「あれだ♪」
宝蔵門をくぐるとジュンが言う。
「ジュン、後ろ見てみな!」
宝蔵門を抜けたら、彼がジュンにそう言った。
「大きなワラジだねぇ~!」
宝蔵門入口の裏側には、大きな草鞋が立て掛けてあるのだった。
「じゃあ参拝しょうか?」
大草鞋を見つめているジュンに声を掛ける彼。
「あ…、うん…」
ジュンはそう言うと、先に立つ彼の元へと小走りした。
チャリン…、チャリン…。
賽銭箱目がけて小銭を放った2人。
パンパンッ!
彼が手を叩く。
「こーくん、ここお寺だよ」
神社のお詣りスタイルを行った彼に、ジュンが言う。
「え!?」(彼)
「手を叩くのは神社!…、お寺では手は叩かないでお参りするの!」(ジュン)
「あれ…?、そうだっけ…?」(彼)
「そうだよ!…、毎年そうやってたの…?」(ジュン)
「うん…」(彼)
「はぁ~…、呆れた…。最低限、その位の事は分かってないとダメよね…」
ヤレヤレという表情でジュンが言う。
そして2人は、本堂の前で目を瞑り、願い事をした。
「ジュン…、お前、何をお願いした?(笑)」
本堂を背にし歩き出すと、彼が急にそうジュンに聞いた。
「ダメだよ!、願い事は人に喋ったら効果が無くなるんだよ!」(ジュン)
「らしいな…(笑)」
そう言ってニヤッと笑う彼。
「呆れたぁ…ッ!?、知ってて聞いて来るなんて…ッ!、じゃあ、あなたは何をお願いしたのよぉッ!?」(ジュン)
「それは言えん…(笑)」
そう言って彼は、ふふふ…と微笑む。
「なんだそれッ!?」
意味不明な彼の態度に、ジュンが言う。
「なぁジュン…、願い事はいくつした?」(彼)
「え?」
どういう意味とジュン。
「願い事をした数のことだよ…。いくつ願い事をした…?」(彼)
「う~んとねぇ…?、3つ…?、あ、5つ!」(ジュン)
「わはは!、ばかめッ!」(彼が笑う)
「何よぉッ!?」(ムッとするジュン)
「あのなぁ…、願い事は2つまでと決まってるんだよぉ…(笑)」(彼)
「何で!?」(ジュン)
「お金はいくら入れた?」(彼)
「え!?、500円」(ジュン)
「わはは、それもダメーッ!、ブーーーーッ!」
※彼が最後に言った「ブーーッ!」は、不正解のブザー音である(笑)
「なんで500円じゃダメなのよぉッ!?」
ジュンがムクれて彼に聞く。
「賽銭は、25円と決まっている…」
彼が得意げに言う。
「25円…?」(ジュン)
「二重のご縁だ…。金が多ければ良いというものじゃないんだよ神様は…」(ニヤッと彼)
「仏様だけどね…」(しらっとツッコむジュン)
「神様は欲張りモンはお嫌いだ…。だから願い事は、二重のご縁があるようにと2つのみッ!、よってお賽銭も25円だと、俺は教えられたッ!」(彼)
「誰に…?」(ジュン)
「バスガイドさん(笑)」(彼)
「はぁい!?」(ジュン)
「高校の修学旅行の時の、バスガイドのねーちゃんが、そう言ってた…」(彼)
「へぇ…」(ジュン)
「だからお前の願いは、もうアウト!(笑)」
親指を立てて、ジュンを挑発する彼。
「お寺で手を叩く、あなたに言われたくないけどね…」
ジュンの切り返しに、思わず「ぐぅ…ッ!」と唸る彼であった。
「あなたが25円で2つ願い事が言えるなら、私は500円なんだからそれより多くたって良いじゃない!」(ジュン)
「そういう問題じゃないんだよなぁ~…(笑)」(彼)
「ふんッ…、あのさ、バスガイドさんで、思い出したんだけどさぁ…、なんで男子って、バスガイドさんと写真撮る時、肩に手え回して撮るの?」
「さも『俺のオンナだ!』みたいに写しちゃって、チョーカッコ悪いんだけど…」
ジュンが言う。
「いる!、いるぅ~!、ダッセーよなぁ?、ドーテーなのバレバレなのによぉ!(笑)」 ←すいません、やってました…(笑)
「あとさ…、なんで京都の修学旅行なのに、お土産に木刀買うの?、理解できないんだけど…」(ジュン)
「あと、ペナントもなッ!(笑)」(彼)
「ペナント…?」(ジュン)
「ほらぁ!、布で五重塔とか大文字焼きとか、鹿とか大仏の絵柄を織り込んで作った三角形のやつ!(笑)」(彼)
「あ~あ、あれ!?、あれは何に使うの?」(ジュン)
「壁に貼るんだよ!、ポスターみてぇにビョウで止めて…(笑)」(彼)
「ペナントは、私たちの代では、買ってるコいなかったわね~…」(ジュン)
「それがさぁ…、カズん家にはあったんだよ!(笑)」(彼)
※カズはジュンの高校時代の先輩で、バンドのギタリストである。
「そおなんだ!?」(ジュン)
「あいつん家、初めて行った時、あいつの部屋の壁にペナントが貼ってあってさぁ!(笑)」
「“京都”!、“奈良”!って、ペナントがバーンって貼ってあって、ダセェのなんの…!(笑)」 ←すまん、やってました(笑)
「それで、『お前、ダセェからそんなの剥がせよ。今どきいねぇぞペナント貼ってるやつなんか!』って、言ってやったよ!(笑)」
「今はもう剥がしたのかしら…?」(ジュン)
「次にあいつん家行ったら、ちゃんと剥がしてたよ!(笑)」
「でもさ、壁に三角の日焼けシミが残ってて、そこにペナント貼ってたのがバレバレなんだよ~!(笑)」←すまん、自分もそうでした(笑)
「『お前、以前ここにペナント貼ってたろ!?って、誰か来た時に言われるぞ!』って言ってやったよぉッ!(笑)」
彼はそう言うと、わははは…と笑うのであった。
それから2人が宝蔵門へ戻る途中で、おみくじを見つけたジュンが言った。
「あ!、おみくじだぁ♪」
「おみくじかぁ…」(彼)
「ねぇ!、やろう!、やろう♪」
ジュンが笑顔で彼に言う。
「そうだな…、やってみるか?」(彼)
「うん♪」(ジュン)
「まずは、ここに100円入れるのね…?」
ジュンはそう言うと、おみくじの集金箱へお金を入れる。
チャリーン…。
「じゃあ俺も…」
彼も続けてお金を入れた。
チャリーン…。
「そして次は、これね…?」
ジュンは集金箱の側にある六角形の箱を手に取り、それを上下にシャカシャカと振り出した。
これは、“振りくじ”という形式のおみくじである。
六角形の箱を振っていると、箱の小さな穴から1本の竹棒が、ひょいっと出て来るのだ。
その竹の棒には1~100までの数字が書いてある。
数字を確認したら、設置された棚に、その棒に書いてある番号と同じ数字の引き出しを開ける。
その引き出しの中に、御籤紙が入っているので、そこから1枚取り出すのである。
「あ!、出て来た!」
そう言ったジュンの番号は、「九十五」と書いてあった。
「俺は三十だ…」
彼が言う。
「では…」
彼はそう言うと引き出しから、御籤紙を取り出した。
そしてジュンも御籤を1枚取った。
「お!、大吉じゃん♪」
彼が手にした御籤を見て笑う。
「ジュン…、お前は…?」
彼がそう言ってジュンに振り返ると、彼女は御籤を見つめながら黙って固まっていた。
「どうした?」(彼)
「凶…、凶って書いてあるよ、こーくん…ッ!」(ジュン)
「え~!?、珍しいなぁ~、凶を出すなんて…!?」(彼)
「新年早々…、最悪だわ…」
おみくじを手にしたジュンが、それを見つめながら言う。
「気にすんなよ♪」(彼)
「あなたは、自分が大吉だからそう言うのよッ!、私は自分の歌手人生に願を掛けて引いたのよッ!」(ジュン)
「じゃあ仕切り直して、もう1回引けば良いじゃん…」(彼)
「言われなくても、そうするわッ!」
そう言うとジュンは、集金箱に100円を入れた。
チャリーン…。
「さあ来いッ!」
今度は、八十二の引き出しを開けるジュン。
「どうだった?」(彼)
ずぅぅぅぅぅんん…。
※気持ちが重くなる効果音です(笑)
「凶…、また凶よ…」
ジュンは御籤を持ちながら、身体をわなわなと震わせる。
「何でよぉーッ!?、何で2回続けて凶なのよぉ~ッ!」(ジュン)
「ははは…、俺、初めて見たよ、凶を連続で引いたやつ…(笑)」(彼)
「うるさいッ!」
「うぐぐ…ッ!」
ジュンは、笑う彼の首を締め上げた。
「もお一丁ぉ~ッ!」
ジュンが再度100円を投入!
チャリーン…。
「どうだった?」(彼)
ずぅぅぅぅぅんん…。
※気持ちが重くなる効果音です(笑)
「また凶よッ!、おかしいわ!、おかしいわよ、ここのおみくじッ!、凶しか入ってないんじゃないのッ!?」(御籤を見つめるジュン)
「俺、大吉…」(彼)
「うるせぇ…」(ジュン)
「うぐぐ…ッ!」
またも彼の首を、冷ややかな目で締め上げるジュン。
「こうなったら、とことんやってやろうじゃないッ!」
ジュンはそう言って100円を投入!
チャリーン…。
「あ~ッ!、もおッ!」
またも凶が出たジュンは、100円を更に投入…。
チャリーン…。
「きぃ~~~ッ!、一体どうなってんのよぉッ!?、これ~~ッ!?」
ジュンの姿を見つめる彼は、『人はこうやって、ギャンブルで身を亡ぼすんだな…』と、思うのであった。
※後日、分かるのだが、浅草寺での御籤の凶が出る確率は、他の寺院よりもカナリ高いらしい…(笑)※実話です。
「きゃ~あ♪、こーくん見てぇ!、大吉よぉ~!、こいつは春から縁起が良いわ♪」
その後、しばらくおみくじを買い続けたジュンが言う。
まるで、1回目で当てた様な言い草のジュンに、彼は冷めた表情で思う。(お前、いくら使ってんだよ…)と…。
「ううう…ッ、やったわ!…、ついにやったわ私…」(肘を目頭に当て、嬉し泣きするジュン)
「お前、新人賞獲った時より喜んでねぇかぁ…?」(彼)
「そんなワケないでしょッ!」
ジュンが彼をキッと睨んで言った。
それから、やっとおみくじの結果に納得出来たジュンは、参道を雷門方面へと歩き出そうとした。
「おい、ジュン!、ちょっと待てよ!」(呼び止める彼)
「何?」(ジュン)
「浅草寺での本当の楽しみは、これからなんだよ」(彼)
「どおいう事?」(ジュン)
「こっちに来い…」
ニヤッと笑みを浮かべる彼は、そう言ってジュンに手招きすると、本堂隣の影向堂方面へ回り込んだ。
「あ!」
ジュンがそう言った目の前には、影向堂と五重塔の間にある広いスペースに、出店がたくさん密集しているのが見えた。
浅草寺の出店は、参道沿いにもたくさん建ち並んでいるが、それらは基本、食べ歩きである。
しかし彼が案内した場所の出店密集地では、テーブルやイスがフードコートの様に設置してあり、多くの参拝客が、焼きそばやタコヤキ、おでん等をつまみに、お酒を飲んでいる光景が見えた。
「どうだ?、ここなら寒くねぇし座って飲める…。実は毎年ここに来る本当の目的は、ここで飲む事なんだよ(笑)」
彼が寒くないと言ったのは、ここにはスチール製の1斗缶で角材を燃やしたストーブがあったからだ。
「へぇ…良い雰囲気♪、楽しそお~♪」(ジュン)
「ここは何でも揃ってるぞ…、ステーキ、ズワイガニ、煮込み、焼きもろこし、串焼き、から揚げ、フランクフルト、鮎の塩焼、豚汁、餃子、お好み焼き…と、何でもござれだ(笑)」(彼)
「わ~い♪、早く行きましょ!」(ジュン)
「待て!」
そう言って、屋台密集地に向かおうとするジュンを止める彼。
「ん?」
彼に振り返るジュン。
「ここは人が密集している、だからマスクをしろ!」(彼)
「何で?、今は1988年よ。コロナはまだ出回ってないわよ?」(ジュン)
「ばか!、お前の正体がバレるだろって言ってんだよ!、何だよコロナって!?、ビールの事かぁ?」(彼)
「いえ…、こっちのハナシ…(笑)」(苦笑いのジュン)
「それから酒はダメだぞ!、喉に良くないし、なんせお前は未成年の高校生なんだからな…!」(彼)
「さっき、その未成年の女子高生を珍品屋に連れ込もうとした人が何言ってんだか…?」
冷めた目で見つめて言うジュンの言葉に、彼が「ぐぅ…ッ」と唸るのであった。
「じゃあ改めて…、新年おめでとう…」
ワンカップ大関の燗を手にした彼が、正面に座るジュンに言った。
2人は焚火ストーブの近くに座っていた。
「おめでとう…」
ウーロン茶缶を手にしたジュンも、そう言う。
カチン…!
そして2人は乾杯した。
「ジュン…、どうだ芸能界は…?」
火を点けたタバコを指に挟んで、煙をくゆらした彼が言う。
正面に座る彼の顔の右側は、焚火の炎でオレンジ色に輝いていた。
「まだ何とも言えない…、分かんないな…。なんか毎日が追われてて、あっと間に過ぎちゃって…」
そう言ったジュンのマスクが、もぞもぞと上下に動く。
「お前、このままアイドルを続ける気か…?」
彼がジュンに、言いたくてしょうがなかった質問をぶつけた。
「なワケないじゃない…!、でもね…、いろいろあるんだよ…」
少し寂しい顔をしたジュンが言う。
「事務所の方針ってやつか…?」(彼)
「そうね…」(ジュン)
「俺なら、不本意ならやらないけどな…」(彼)
「言うと思った…。だけどね、それは私に言わせれば、その程度の理由で夢を捨てられるくらい、あなたはプロで生きて行くという事に固執してないって事よ…」(ジュン)
「そうかなぁ…?」(彼)
「そうよ…。所詮こーくんは、まだ学生だから分かんないのよ」(ジュン)
「お前だって高校生じゃん…」(彼)
「でも私は、社会人としてもう活動してるよ…」
「ねぇ、こーくん…。あなたは自分のご両親が、今生活費を得る為にやっているお仕事が、全て納得してやってると思ってるの…?」
ジュンが彼にそう問いかけると、彼は「え?」と聞き返した。
「こーくんのお父さんだって、私ときっと同じはず…。やりたくない事や、納得できない事も我慢して仕事してるはず」
「それは家族を守る為…、自分を支えてくれて来た人たちに応える為…。仕事ってそういうものなの…」
温かいウーロン缶を両手で握りしめたジュンが言う。
「俺は甘いか…?」(苦笑いの彼)
「こーくんの、そういう気持ちも大切よ…。でも、嫌だからすぐ辞めるじゃ、仕事なんてどれも続かないわ…」
「だから私は、今、見極めている途中なの…、これで良いのか、間違っているのか…、様子を見たいの…」
「俺はお前の才能を知っている。だからシンガーソングライターでやって欲しいよ…」(彼)
「ありごとう…、でもね、これはビジネスなの、事務所だってボランティアで、私をスカウトしたわけじゃないんだよ…?」
「だから私は事務所との契約を続ける為にも、まずは事務所の方針に応えなければならないのよ…」
「お前…、なんか大人になったなぁ…(笑)」(彼)
「私は社会に出てみて、今は、こーくんが少し子供っぽく見えるよ」
「でもね…、そういうのが変わらないとこ…、いつもブレないで、芯があり続けるあなたを見ていると、ほっとする…、それがとても嬉しい…」
「それは褒め言葉として受け取っていいのか?」(彼)
「勿論よ!、だって人生の岐路に立つ時に、いつも心にブレーキを踏んでいたら、絶対に成功なんかできないもん…」
「世の中で成功する人や、金メダルを獲ったアスリートたちなんかは、きっとあなたみたいに、何も考えずに、ただガムシャラに信じる道を突き進んでると思う」
「それは人生にとってバクチだけど、人が成功するのは、結局は、そういった運がものをいうし…、ただ先人がやって来た事を、そのまま信じて、良いコちゃんになって言われるがまま生きていたら、きっとそういう人はトップになる事できないもの…」
「何も考えてない…?(笑)」(ジュンの言葉に苦笑いの彼)
「ごめん…、怒った?(笑)」(慌てるジュン)
「いや別に…(笑)」
彼は苦笑いでそう言うと、ジュンに続けて自分の考えを語り出した。
「なあジュン…、俺は思うんだよ。今、正しいと思われる規則や行いというのは、あくまで将来自分が失敗しない為の確率を減らすのが目的である、人生の先輩方からの思いやりあるアドバイスなんだってね…」
「だけど同時に俺は思うのさ。そのアドバイスを何の疑問も抱かずに、そのまま受け入れて生きていて良いのかなって?」
「俺は好奇心が旺盛で、物事を分析するのが嫌いじゃない。だから俺は先生が言う事でも、弁護士でも警察でも、その人が言った事をそのまま真に受けない」
「本当にそれが正しいのかいつも考える。今やっている事が、本当にこれで良いのかと、常に社会全体を疑って生きているんだ」
「成功を収めるには、マニュアルも大事さ…、だけど人って感情で生きるから、結局最後は、その人のにじみ出て来る心に動かされるんだよ」
「だから俺は、自分の信じる道を思うままに行きたいという考えなワケさ…(笑)」
「私は間違ってるのかな…?」(ジュン)
「いや、そんな事はない…、君の考えもアリだし、俺の考えもアリさ…」
「どっちが正しいかなんて、この場で分かるほど人生は単純ではないという事だ…」
彼はジュンにそう言うと、タバコを咥え煙を吐くのであった。
「ところでこーくんの方はどうなの?、バンドの方は…?」
今度はジュンが、彼の近況を聞く。
「カズから聞いてないのか?」(彼)
「あれから(マサシとハチが抜けてから)ベースとドラムは、まだ決まってないという事は聞いたけど…」(ジュン)
「そっか…、他は何か言ってたか?」(彼)
「他は…?、そうだ!、『俺は絶対プロになるから、待ってろジュン!』って、言ってたけど…」(ジュン)
「あいつ、やっぱプロ目指すんだ…?」(神妙な顔つきの彼)
「こーくんは、目指さないの?、て言うか、カズと最近行動を共にしてないみたいな言い方ね?」(ジュン)
「まあね…」(ジュン)
「どうしたの?、喧嘩でもしたの?」(ジュン)
「この前ちょっと、モメてね…」(彼)
「どうしたの?」(ジュン)
「ジュン…、俺はプロは目指さないよ…、というか俺には無理だ。お前やカズみたいな才能ないし…」(彼)
「こーくんだって、頑張れば成れるよ!」(ジュン)
「頑張って、形だけのプロに成れたとしても、お前みたいに売れなきゃ食べていけない…、生活できないだろ…?」(彼)
「それが、あなたの出した答えなの?」(ジュン)
「ああ…、そうだ。たとえ1曲だけでも、まぐれでヒット曲を出したところで、長い人生の生活費には遠く及ばないよ…」(彼)
「私、あなたが、こっちの世界に早く来るの待ってるのに!」(ジュン)
「弓緒は、もうすぐそっちに行くよ…、確実に…(苦笑)」
※ユミオは彼らと親交のある青学軽音サークルバンドの女性ボーカルである。
「俺さ…、自分の限界をある程度分かったんだ。だからプロとかじゃなくて、もっと自由で、しがらみの無い世界で、細々とやる方があってる気がする」
「生活費とか売り上げとか考えてたら、俺は曲を書けなくなっちまう気がするんだよ」
「でも…」(ジュン)
「俺、音楽、キライになりたくないからさ…」
少しだけ微笑んで彼が言った。
その言葉を聞いたジュンは、黙ってしまった。
「だからこの前、アイツ(カズ)とモメた…。俺がプロを目指さないと言ったから…」(彼)
「それで、最近お互いが距離を空けてるの…?」(ジュン)
「ああ…、そうしたらやつは、最近他のバンドに参加してる。元々、いろいろお誘いが来てたみたいだから…」(彼)
「そんな…!、じゃあリキやハヤシさんたちは、どうなっちゃうの?」(ジュン)
「あいつらは元々、ヘルプのドラムとベースだから問題ないよ。去年の秋だって、あいつらの大学での学祭バンドがあるから、俺とカズはまったく活動できない状態だった」
「だからバンドはもう解散するかも知れない…」
「そんなのヤだよ。私がいたバンドが無くなっちゃうなんて…」(ジュン)
「仕方ないさ…」(彼)
「カズは、今誰とバンド組んでるの?」(ジュン)
「いろいろだよ…、プロやセミプロとセッションしたり、ライブにも出てる」(彼)
「プロって…?」(ジュン)
「お前、N-BANDって知ってるか?」(彼)
「エヌバンド…?、知らない…」(顔を左右に振るジュン)
「じゃあ、“にゃめネコ”なら知ってるよな…?」(彼)
「あの…昔、猫に学ラン着せて、ハチマキした不良っぽい猫が、“にゃめんなよ!”って言ってるやつの事…?」(ジュン)
「そうだ、それ…、中ボーくらいの時に、テレビCMとかで良く見たろ?、お前は小学生だったかな、そん頃は…」
「あの猫の後ろで、横須賀銀蠅みたいな歌が流れてたろ?」
「そうだっけ…?」
※ジュンはそこまで覚えていなかった。
「あの歌を演奏してたのが、ニャメ吉バンドっていって、チャネルズの弟バンドとしてデビューしたバンドなんだ」
「“にゃめネコ”ブームが去った後、そのバンドは、N-BANDとして改名して、今はロカビリー風な音楽をやって活動してる」
「そうなんだぁ…?」(ジュン)
「今度カラオケ行ったら見て見ろよ。ちゃんとリストに入ってるぞ。ボーカルの藤タケシのソロ曲の“ケセラセラ…”とかも入ってるぜ」(彼)
「なんでカズは、そのバンドのライブに出てるの?、どういう関係なの?」(ジュン)
「あいつのカノジョのヨリちゃんが、大泉学園の駅前で友達と一緒に村八のカウンターで飲んでたんだよ」
「そんとき、隣にN-BANDのドラムス、カクさんがいて、知り合ったらしい…」
「『私のカレもバンドやってますよ』みたいなハナシになったそうだ」
「へぇ…」(ジュン)
「で、そん時にカクさんが、ドラムをPearlに代えるから、誰か今使ってるYAMAHAのドラムを買ってくれる人、いないかな?って話が出てさ…」
「それで、カズから俺に電話が来て、リキに俺から話してみてくれよとなり、俺がリキに話したら『買う』ってあいつが言ってね」
「そりゃそうだよな…?、現役のプロがチューニングした一流メーカーのドラムが4万で良いってんだから…」
「それで…?」(ジュン)
「後日、俺とリキとカズとで青山まで行って、カクさんと待ち合わせした喫茶店で会って来たよ」
「カクさんはリキを見た瞬間、すぐ言ったよ、『君がドラムだね?』って、そんでカズには、『君はギターでしょ?』と言って、俺が『僕はどう見えますか?』って聞いたら、『ベースでしょ?』だって!(笑)、確かに俺、ベースから始めてるから、半分は合ってっけど…(笑)」
彼がそう言うと、ジュンはクスクスと笑う。
「それから何だか分からないうちに、カズはカクさんに誘われて、ライブハウスにN-BANDの一員として出る事になってな…」
「そしたら観客はOLや女子大生のオネーチャンばっかで、演奏始まるとボディコン女どもが、ノリノリで踊りまくるんだよ(笑)」
「そんとき、カズはどうだったの…?」(ジュン)
「あいつは緊張してんだか?、気取ってスカしてんのか分からんが、大人しくギター弾いてたよ」
「そしたらネーチャンたちが、『誰あのコ?、カワイイ…♪』とか言い出しちゃってさ、それでアイツ、他のバンドに出るのに味を占めちゃったワケ(笑)」
「カズは浮気性でオンナ好きだからねぇ…(笑)、それでセミプロってのは?」(ジュン)
「ああ、そっち?、そっちはEXP関係者のやってる、やっぱ7つくらい年上のメンバーのバンド」
「ちょうどギタリストがいなかったんで、向こうからあいつに声を掛けて来たらしい」
「EXPって、ギター製造メーカーの?」(ジュン)
「そう、ラウドのタッカンや、X-RAYの湯浅晋が、ロックギター雑誌で1頁広告出してんの、よく見かけるだろ?、タッカンが、ランダムスターを持って立ってるあの広告…」
「あのEXPの関係者のやってるバンド…、あそこ今度、高田馬場で音楽スクール立ち上げるみたいだな…」
「どこで知り合ったの?」(ジュン)
「なんか言ってたけど、興味ねぇから忘れた…(笑)」
「それよりも、あいつそのバンドのおかげで、ラウドの凱旋帰国ライブを只で観れたんだよ!」
※全米ビルボードチャートに入り、成功したラウドネスが、12月に凱旋帰国した時の日本武道館でのライブである。
「ええ!、あのライブって、結構ニュースでも話題になってたわよねぇ!?、いいなぁ…」(ジュン)
「しかも最前列のVIP席だぜ!?、EXPとタッカンのスポンサー契約があるから、あいつも関係者扱いで、関係者しか座れない良い席をEXPのバンドメンバー達と一緒に只で!」(彼)
「カズもプロに成る為、いろいろコネクションを作ってるんだぁ…?」(ジュン)
「だからあいつは、俺とのバンドなんて興味ねぇのさ…」
ヤレヤレという感じの彼が言った。
「そうなんだぁ…?」
バンドが消滅しそうな状況を、ちょっと寂しく感じるジュンであった。
「ふぁ~……、やべ、眠くなって来た…」
彼がそう言って腕時計を見ると、時刻はもう深夜の3時を回っていた。
「お酒って、飲んでから1時間くらい経ってからが、酔いのピークなんでしょ?」
目の前に座る彼に、頬杖ついてジュンが言う。
「じゃあそろそろ、ピークってワケだ…?(苦笑)」(彼)
「私は今日、オフだったけど、こーくんは昼頃から、ずっとバイトだったんでしょ?、なら眠くなるよ…」(微笑んで言うジュン)
「お前、おでん残すなよ…、勿体ないからよ…」(彼)
「食べてますぅーッ!、自分だって、焼きそば残さない様にッ!」(ジュン)
「ああ…分かった…」
彼はそう言うと、ジャケットの内ポケットをガサゴソと漁る。
さっきから彼は、ジュンと話している間に、何回もこうしてジャケットの内ポケットをガサゴソ漁っていたのであった。
「ねぇ?、さっきから気になってたんだけど、そこに何が入ってるの?」
ジャケットの内ポケットの中が、気になるジュンが聞いた。
「ああ…?、これ…?、さっきの店でCDシングル貰ったんだ」(彼)
「さっきの店って、池袋の“H”のこと?」(ジュン)
「うん…、カウントダウンパーティーの受付で、CD4枚タダでくれた…」(彼)
「ええ!?、い~なぁ…、無料配布してたんだぁ?」(ジュン)
「うん…」(彼)
「見せて!、見せて!」(ジュン)
「ほら…」
そう言ってテーブルの上に4枚のCDを出す彼。
「ふぅ~ん…、JAZZとかHIPHOPとか、いろいろあるんだぁ…?」
CDを手に取り、見つめながらジュンが言った。
「このJAZZのCDが、俺はチョット期待してる…(笑)」
彼は、ジュンが手にしてるCDを指差して言う。
「私もお店に行ってたら貰えたのかなぁ…?」(ジュン)
「貰えたんじゃね?」(彼)
「じゃあ今度、私もお忍びで“H”に言ってみよ!」(ジュン)
「いつも配ってないだろ!?、これはたまたま大晦日だったから、配ってたんだ」(彼)
「このCDって販促品だ!?、非売品なんだぁ!?」(ジュン)
「もう手に入る事はないだろうな…(笑)」(彼)
「何よ!、イジワル!」(ジュン)
「今度、テープに録音して渡すよ(笑)」(彼)
「渡すって、いつよッ!?」(ムクれたジュンが言う)
「あ!、そっか…、お前とは、もう会えないんだったな…?」(彼)
「そうだよッ!」(ジュン)
「じゃあ、自宅へ郵送してやるよ」(彼)
「こーくんからの郵便物なんて、親が見たら、私になんか絶対渡してくれないよッ!」(ジュン)
※彼はジュンの親からの評判が悪かった…(笑)
「じゃあ、ファンクラブ宛に送ってやるよ」(彼)
「それもダメ…!、アイドル宛の郵便物には全部スタッフの検閲が入るの!」(ジュン)
「なんで…?」(彼)
「ほら、カミソリの刃を仕込んだり、盗聴器とか硫酸入れたりとか、いろいろ変なもの送りつける人とかがいるんだよ!」(ジュン)
「へぇ~…、大変なんだな…?、でもしばらくしたら、お前の元に届くんだろ?」(彼)
「まぁ…、まず来ないわね…。家族や親戚、それか、昔の同級生とかじゃない限り…」(ジュン)
「めんどくせぇなぁ…、じゃあ、これから俺のアパートに寄って、テープに録音して持ってくか?」(彼)
「えッ!?…、いッ…、今、何と……ッ!?」(ジュン)
「へっ!?、だから俺んち寄って、録音してくか?って…」(彼)
「いいのッ!?、家に行っても…ッ!?」(ジュン)
「別に構わんけど…」(何だ?と彼)
(キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!)
(ついに…ッ、ついに…ッ、この日がやって来たわッ!、ああ…、シャワー浴びてから出かけて良かったぁ…笑)
ジュンがそう思い、ニタニタする。
「お前…、何、ニヤニヤしてんの…?」
ジュンの顔を覗き込む彼が言う。
「べッ…、別にニヤニヤなんか、してないわよぉ~!、ウォホホホホ……ッ!」
右手を前に出して振り、左手で口を押さえるジュンが、ヘンな笑い声をする。
「……。」
無言でジュンを、怪訝そうに見つめる彼。
「な!、なによぉッ!?」(ジュン)
「お前さぁ…?、ヘンな事、考えてンだろ?(笑)」
そう言って、ジュンを指差す彼。
「ばッ…、ばかじゃないのッ!?、誰がこーくんなんかとッ!、だったら家に行くのなんか、結構ですぅーーーッ!」(ジュン)
「じゃあ、ヤメとくか…」
彼があっさりそう言うと、ジュンは彼の目の前でズルっと崩れた。
「冗談よ!、冗談!、CD録音したらすぐ帰るからさぁ~~~…」(前のめりに言うジュン)
(お前なぁ…、テメーでキラーパス出しといて、そりゃねぇだろッ!?)※それと同時に心の声
「ふぁ~~~…、まぁ、どうでも良いよ…、俺はCD録音したらとっとと寝るからな…」
彼があくびをしながら言う。
「わ…、私さ…、さっきこーくんがイキナリ、家に来て良いとかいうからさ…、びっくりしちゃって…、うふふふふ…」
うつむいて、恥ずかしそうにしゃべるジュン。
「なんか…、こーくんの方こそ誘ってンのかなぁ…?、なんて思っちゃって…、でもね…、それはそれで、家に行っても、なる様になるしかないのも、分かってるつもりだし…」
「でも、そうなったらそうなったで、私は別に構わ…」
「おお~いッ!、寝むってんじゃねぇかよぉぉ~ッ!」
ジュンが顔を上げると、目の前の彼はテーブルに顔を伏せて、いびきをかいているではないかッ!
「ちょっとッ!、起きてよこーくんッ!、こんなとこで寝たら風邪ひくからぁッ!」
ジュンがそう言って彼を揺すっても、彼は「ムニャムニャ…」と口を動かすだけで、一向に起きる気配がない。
「しょうがないか…、今日は彼も疲れてんだし…、少しだけ寝させてあげるか…」
ジュンは微笑みながら、彼を見つめてそう言うのであった。
2時間経過…。
「お前…、いい加減に起きろよなぁ~~……ッ!、もう朝になんじゃんかッ!」
いつまでも眠り続ける彼に、ジュンが怒りの声を上げる。
「もおッ!、起きてッ!、起きてってば、こーくんッ!」
彼を激しく揺するジュンが言う。
「ダメだわ…、もう陽が昇っちゃうわ…、このバカがぁ~~~…ッ!」
ジュンはそう言うと、身体をわなわなと震わせるのであった。
「すいませ~ん!」
ジュンが手を上げて、出店のおじさんを呼ぶ。
「どうした?おねぇちゃん?」
出店のおじさんが、側にやって来て言う。
「私、先に帰りますから、この人の事、よろしくお願いします」(ジュン)
「寝ちゃって起きないんだぁ!?(笑)」(出店のおじさん)
「はい…」(苦笑のジュン)
「あの…、紙とペンありますかぁ…?」(ジュン)
「紙とペン?…、ああ…、オーダー取る用紙でよければ…」(出店のおじさん)
そしてジュンは、おじさんから紙とペンを受け取ると、何かを紙に書き出すのであった。
「あれ!?、おねぇちゃん…、以前、どっかで会ったかな…?」
ジュンの顔を見たおじさんが聞く。
「あ…、私、毎年ここに来てますからぁ…、だからじゃないですかぁ~(笑)」
動揺しながらジュンが笑顔で言う。
「ふ~ん…、そっかぁ…」
ジュンの言葉に、おじさんはそう言って納得した。
チュンチュン…。(雀)
「ん…、ふぁぁあああ…、眠っちゃったよ…」
周りの騒がしい音に、彼が目を覚ました。
参道には、朝早くから参拝客の行列が既に出来ていた。
時刻は朝の7時半になっていた。
「あれ?、ジュン?」
彼はそう言って、周りをキョロキョロする。
「ははは…、にぃちゃん!、やっと起きたかい?」
遠巻きから、出店のおじさんが笑いながら言った。
「あの…、一緒にいた僕のツレは?」(彼)
「カノジョは怒って先に帰っちゃったよ!、ははは…(笑)」(出店のおじさん)
「ははは…、そ…、そうすかぁ~?」
彼が苦笑いで、出店のおじさんにそう応えた。
そして彼は、出店密集地帯を出ると、参拝客とは逆方向に歩き出した。
「う~~~…、朝は冷えるなぁ…」
雷門の前で、彼が身体を震わせながらそう言うと、浅草駅の方へと歩き出すのであった。
ガチャ…。
バタン…。
彼がアパートに戻り、ドアを閉めた。
玄関でスリッパを穿き、フローリングを歩く。
そして、大きな鉢植えのユッカ(観葉植物)に水をあげる彼。
シャッ…。
レースのカーテンを開ける。
ガラガラガラ…。
そして雨戸も開けた。
2Fのベランダから見えた空は、雲1つ無い青空が広がる。
澄んだ空気を吸い、息を吐くと白い息が出る。
「さぁ…、もうひと眠りするかな…?」
彼はそう言うと、ベッドに腰を掛けた。
「あ!、そうだ!、CD!、CD!」
彼は無料配布で貰ったCDを早速かけようと、内ポケットに手を入れた。
ガサッ…。
「ん!?、なんだこれ…?」
内ポケットから1枚の紙を取り出した彼が、それを見つめる。
その紙には、ジュンからのメッセージが書いてあった。
こーくん、おはよう。
あなたがずっと寝てるから、私は先に帰ります。ゴメンね!
私は明日から早速仕事が始まります。
こーくんは、まだバイト休みなのかな?
今回はCD聴けなくて残念でしたけど、いつかあのCD、私にも聴かせてね!
それと、いつかあなたのアパート行く事があったら、それまでに料理でも勉強して、こーくんに何か手料理でも作ってあげるよ。
じゃあ、いつの日か再会できる事を願いつつ、本年もよろしくお願いしますね!
(テレビで歌う私を観ててね!、応援してね!)
PS.
カズとは、早く仲直りして下さい。
2人が楽しそうにしてる姿を想像してるからね!
Bye-Bye!
JUNKO
「ふふ…」
手紙を読み終えた彼が、そう含み笑いをした。
それから彼は、ジャージに着替えるとオーディオコンポに、貰ったCDの中からJAZZのものをセットした。
ベッドに潜り込む彼。
そのタイミングで、スピーカーからは「Stardust」のイントロを、ピアノがゆっくりと奏で始めるのであった。
fin.