殺人鬼の異世界転生
人を殺すのが悪だというのは、秩序が生んだ幻想に過ぎない。
他人をいつでも殺せる社会というのは、言い換えればいつでも誰かに殺される危険を孕む社会でもある。
そんな危険性の高い場所に人は生きられない。常に殺人を警戒し、気を張り続けたまま仕事や趣味を行なうといった生活は不可能だ。
他人と仲良くするというのは、こうした警戒を必要としなくなる。つまり自身のリソースの消耗を最も抑える手段だ。お互いがお互いを敵と認識しなくなるからこそ、余計な緊張を生まずに過ごすことが出来る。
だから殺人は、隠れて行なわなければならない。悪だから行なっていけないのではない。不利益が大きいから通常は躊躇うのだ。出来得る限りその痕跡は消す必要がある。
痕跡とは何か。それは普段と違う何かを残すことだ。違和感。それを発してはならない。
殺人を行なった場合、どれだけうまく痕跡を消そうと、人がいなくなったという最大の違和感は残る。けれどそれがすぐさま殺人に結び付くわけではない。
単なる外泊、旅行、それから失踪、誘拐。平和に生きている人々にとって、最悪の可能性は、常に後回しにされるものだ。
……どうしてわざわざ殺人を犯すのか。その問いに意味はない。
行なうことそのものに理由はない。あえて銘打つなら、習慣だ。
朝に目を覚ます、日の光を浴びる、顔を洗う、朝食を取る、歯磨きをする、髭を剃る、スーツを着て仕事に向かう。それらと同じものだ。
しなければ落ち着かない。サイクルとして殺人が組み込まれている。
さりとて毎日行なったりはしない。痕跡を消すのが大変だ。
それと、無差別に殺したりもしない。明確に対象は規定している。
相手が悪かどうか。また、私の正体を探ろうとする者でないか。それだけだ。
他人の善悪が分かるのか? 簡単だ。少なくとも、一度でも手をかけたことがある者同士なら、すぐ通じ合う。何も言わずとも、お互い人殺しだと語っているのだから。
――ところで。あなたは神と名乗ったが。そろそろ殺してもいいのかね?