3.VS剣闘士の凶悪神
それから半日後、俺たちは豪邸の前に立っていた。
「ここがバジザの家よ」
花壇に植えられた枯れた花を見下ろして、ルルーナは言う。
「アタシはここで育った。……言いたくないけど、実家みたいなもんになるのかしら」
「君を傷つけてきた場所に、わざわざ名前をつけてやる必要なんてありませんよ。……それに」
顔を上げて目をパチクリとさせるルルーナをよそに、俺はベルを鳴らした。
「ルルーナがここを訪れるのは、今日で最後です」
「ロクロー……!」
「さあ行きますよ」
屋敷の正面扉が開く。小間使いの一人でも出てくるかと思ったら、現れたのは巨躯の男であった。
……いや、マジででかいな。人間とは聞いていたが、実はオークの血も入ってるんじゃなかろうか。禿げ上がった頭が乗っかる肩幅は四車線道路並にゴツく、肥大した筋肉にあてがえる服は無い。そしてその上裸の所々には、歴戦を思わせる深い傷跡が残されている。
――勢い余って命を奪った剣闘士は数知れず、彼の名を聞いた瞬間棄権者が続出しノー試合で優勝したこともあるという。誰が呼んだか凶悪神・バジザ。壮年となるもなお比肩する者ほぼ皆無な強大なその男が、俺の前に立っていた。
「……ぬぅっ……!?」
――年頃の少女のように、頬を赤らめながら。
「そ、そこの男よ、何奴ぞ!? そんなスマートでクールな……いや、見るからにヒョロヒョロで貧相な見目をしおってからに! ワ、ワシに用があるというなら早く言ってくれればいかな美味な肉でも……いや、隅々まで部屋の掃除を……いや、用があるなら予め一報を入れるのが礼儀じゃないかなと思うんだが!」
……おお、すげぇなスキル。ヤベェなスキル。
ビリビリと鼓膜を震わせるほどの大声であるが、好意がうちの爺さん(要介護レベル4)の尿よりだだ漏れている。太い指をもじもじとさせる姿なんて、まるで初めて王子様に会ったうら若き乙女のようだ。
マジで怖いくらい効いてんなぁ。
「――突然のご訪問、まことに失礼いたしました。私はロクロー・キレイヤと申します」
ともあれ確かにアポ無し訪問は無礼だったと思い、俺は丁寧に頭を下げた。
「専門ジョブは魔物研究家で、サブとして僧侶もしております。以前はビリャン率いるパーティー、エトセトに所属しておりました」
「む、エトセトといえば……」
バジザの目が訝しげに細くなったと同時に、彼女が一歩前に出た。
「そう、あなたがアタシを売り払ったパーティーの名前です! ですがついさきほど、ビリャンの横暴に愛想を尽かしたアタシ達は、手に手を取ってエトセトを脱退したのです!」
「なっ、ルルーナ!?」
なおバジザは俺に見惚れていたので、彼女の存在は全く眼中に無かったのである。
「ですが、バジザ様。アタシは、バジザ様の元に帰るつもりはありません!」
「なんだと!?」
「アタシはロクローとパーティーを組みます! そして改めて旅に出るのです!」
「いえ……」とルルーナは首を横に振る。
「これから先、アタシは決してこの屋敷に戻ることは無いわ! アタシはもう二度と誰にも縛られない! ここを離れ、真に自由の身となるの!」
胸を張って堂々と言ってのけたルルーナは、まるで絵画のような凛とした美しさをたたえていた。
一方でバジザはポカンとしている。だが俺の視線に気づくと、すぐに不敵に腕を組んだ。
「ハッ、何を言い出すかと思えば。約束しただろう? あのパーティーを抜けた時が、ワシと結婚する時だと」
「そんなのそっちが勝手に言い出したことだ! アタシは了承してない!」
「ただの乞食だったお前を育ててやった恩を忘れたのか!」
「それは……!」
口籠るルルーナである。
……あれだなぁ、なんかあっちの世界でもそうやって子供を脅す親がいたっけ。毒親っつてさ。
だけどここで言葉を詰まらせるなんて、やはり彼女は人が良い。
「……お言葉ですが」
俺はため息をつくと、彼女の肩に手を置いて自分が前に出た。
「この世界の奴隷は、自分の意思で奉仕先を選ぶことはできません。ならばルルーナ・サリシャという人物を自分の元で働かせようと判断したのは、他でも無いバジザ様です。雇用責任の所在の問うのであれば、バジザ様ご本人となります。加えて、彼女は契約通りに働き、日々対価を支払ってきたはず。それが今更“育ててやった恩”――つまり“衣食住を保証したことに対する報酬”を要求するなど、不当極まる話です」
「むぐっ……!」
「いわゆる後出しジャンケンというやつですね。そして彼女は既に武闘家としてのジョブを得ており、身分的に奴隷から脱却しています。奴隷時代の口約束ならば、ここは一旦破棄するのが筋ではないでしょうか」
「だ、だが……! それでも結婚の約束をしたのだから……!」
「ほほう、結婚」
俺は、もう一歩バジザに歩み寄った。対する彼は思春期の女子のように口元に手を当て、びくりと肩を震わせる。そのダンプカーに踏み潰されたみてぇな顔に向かって、俺はイケメェンに微笑んでやった。
「この俺に出会っておきながら、まだそんなことを言えるんです?」
「!!!!!!!!!」
ショックを受けたバジザは、よろよろと後ろへ下がり、へたりこんだ。――それもそのはず。今、彼は人生史上最大に愛を抱ける相手に出会ってしまったのである。
そんな相手からこう言われて、他の者に欲を向ける余裕など持てるはずが無い。俺の勝ちだ。
「……くっ……ずるいぞ……!」
ハンカチがあったら噛んでただろうなぁと、俺は思った。
「どうかその涙を拭いてください。……大人というものはずるいもの。バジザ様、同じ大人であるあなたなら、よくご存知でしょう」
「ぐぐぐ……!」
「では、ルルーナを解放する契約書を……」
「ま、待ってくれ! ルルーナの一人や二人ぐらいいくらでも手放すが、そうすればお前は行ってしまうのだろう!?」
「え? はあ、まあ」
頷く俺に、バジザはダンダンと地面を叩いた。
「ならば契約書は書けない! 書けるわけがない! クソッ、こうなれば力尽くでもお前をここに……!」
「怒る姿も愛らしい子犬ちゃんのようですね」
「こいっ……!?」
「そういえば契約履行見届け人として俺の名前もここに書いてるんですけどね。こうして書類に連名なんてまるで夫婦の契約を結ぶ時のよう……」
「書きます」
書いてくれた。良かった。これでルルーナは自由の身である。
ちなみにルルーナは、唖然としながら事の顛末を見ていた。そりゃ自分を虐げてきた男が俺にメロメロになってたら、そんな顔にもなるよな。いくら美女でもな。
さて、契約書を手に入れたならあとは逃げるだけである。が、実は一番の問題はここだ。散々思わせぶりな態度を取ってしまったのである、果たして凶悪神がどんな手で逃亡を妨害してくるやら……。
「ハイヨーッ!」
「ぐふぅっ!!」
とか考えていたら、ルルーナが一撃でやっつけてしまった。そういやこの子、バジザにギリギリで勝った数年前よりバチクソレベル上がってんだったな。
「うぐっ……! 強くなったな、ルルーナ……!」
「ええ。……守りたい人ができたから。自分の支配欲を満たす為だけに拳を磨いていた、あなたとは違うわ」
「……くっ、そうか……」
バジザは、悔しそうに顔を歪ませる。
「ルルーナ……お前も、この男のことを愛していたのだな……」
「も」って言うな。「も」って。
そしてその言葉を最後に、バジザは気絶した。ルルーナはパンパンと服の埃を払うと、貰ったばかりの契約書を太陽に透かした。
「これで良し! まったく……久しぶりに会ったけど、やっぱりめちゃくちゃな男だったわね」
ごめんルルーナ。多分そのめちゃくちゃの半分は、俺( のスキル)のせいだと思う。
「で、でも、ロクローはアタシのものなんだから! 絶対譲らないわよ!」
……そして強い分、俺への想いも強いわけで。ルルーナの独り言は、今日も大きいわけで。
俺は耳が遠くなったふりをして、そそくさとその場を後にしたのであった。




