第8話 没落貴族のご令嬢
黒耀による『物見の儀』は、白珠のそれとほとんど同じだった。違いといったら、ほこらの壁面の色が白だったせいで、入ったときからずっと目がチカチカしていたことくらいだ。
黒耀がネックレスを両手で包み込んで祈ると、白い壁面が異世界のビジョンを映し出す。
「どこか、ご覧になりたい場所はありますか? 希望があれば――」
「聖女の役目を邪魔するつもりはないよ。俺は後ろで見てるから、いつもどおりにやってくれれば」
「わかりました」
「『物見の儀』っていうのは、要は敵国の監視だよな。具体的には何を見ているんだ?」
ビジョンは不連続に切り替わっていく。
「例えば、戦場では敵軍の戦術や、後方からの援軍の数などを確認しています」
まずは、無数の兵士が入り乱れる戦場を見下ろすビジョン。
「貴族同士のつながりを把握するために、社交界を観察することもあります」
続いて、きらびやかな衣装に身を包んだペアがダンスをする舞踏会のビジョン。
「敵軍の不審な動きを見つけるために、国境線の巡回も欠かせません」
何もない荒野や山地を低空の視点で通り過ぎるビジョン。
「帝国全体にただよう空気感を感じるために、市井の人々の噂話に耳をかたむけるのも重要です」
身なりのよくない男たちでごった返す場末の酒場のビジョン。
テレビのチャンネルを変えるように、次々に切り替わっていく。
「黒耀の報告が、戦況を左右することもあるのか」つまりは大勢の生き死にを。「それって、きつくないか?」
「いいえ? わたしの報告が敵軍に打撃を与えられるのであれば、それは大いなる喜びです」
黒耀は平然とそう言った。家族を亡くした俺を気遣ってくれたその口で、敵が死ぬのは喜ばしいと語ったのだ。
それは、彼女にとっては普通の感覚なのだろうか。少なくとも俺にはひどくアンバランスな思考に思える。
俺と黒耀では、生きる世界も、親しんできた文化も違う。育まれた倫理観も、きっと違っているのだろう。深く問うと恐ろしい答えが返ってきそうで、それ以上何も聞けなかった。
また、視点が切り替わる。
そこはあまり広くない屋内だった。酒らしき飲み物が提供されていたが、先ほどの酒場とはあらゆる点が違っている。
部屋は金色を基調とした華やかな内装。客層は身なりがよく、誰も彼も余裕のある笑みを浮かべている。おそらくここは、貴族や文化人たちが集まるお高い社交場、いわゆるサロンというやつだろう。
要人が集まる場所とあって、黒耀も注目しているのだろう。ほかの場所よりも長くとどまっていた。さらに、人相や会話の内容がわかるくらいまで接近している。
「ずいぶん熱心に見てるんだな」
「ここは七法院の方々から指示された場所ですので」
「しちほういん?」
「カタリナ聖王国の頂点に立つ、七名の高位聖職者の総称です」
「どおりで支配者感のある名前だと思った。指示ってよく来るのか?」
「毎日、あちらの世界との交信を行っています」
「そういえば音声だけは繋がるんだよな」
「はい。あちらの情勢の変化に応じて、監視をする場所や人も変わりますので」
そんなお偉いさんと直接やり取りしているという話を聞くと、あの二人がなんだかんだ言っても重要人物なのだと実感する。こっちで一緒に住んでいるぶんには、黒耀なんてただの世話焼きお姉さんだし、白珠はずぼらな妹みたいにしか感じないのだが。
「あ、そうだ」
俺はビジョンの向こうでグラス片手に談笑している肥え太った貴族を指さした。
「こいつらの話を、俺にもわかるように翻訳できないか」
「それは……、可能ですが。なぜですか?」
黒耀の顔にかすかに警戒の色が浮かぶ。
「ただの興味だよ。黒耀にも利点があるとすれば、そっちが聞き逃した話を、俺が覚えているかもしれない」
実はほかにも理由があって、熱心に話を聞いている黒耀の隣で何もしていないのが手持無沙汰だったのだ。
黒耀は数秒ほど黙って考え込む。
「条件があります」
「白珠には見聞きした内容を話すなって言うんだろ」
「……アサギリ様は聡明ですね」
黒耀はしみじみと言った。
「な、なんだよいきなり」
「こちらの言いたいことを、言う前からすでに察しているのか、とても話が早いです。それに、わたしたちのような得体の知れない者が現れても、動揺しない胆力をお持ちですし」
聡明とか胆力とか、そんな仰々しい言葉でほめられたのは初めてだった。正直、照れる。
「いや俺はそんなご大層なのじゃないから。……早く、翻訳してくれよ」
「はい、わかりました」
黒耀は口元を押さえて微笑しつつ、片手でネックレスを軽く握った。やがて、雑音でしかなかった異世界の会話が、像を結ぶように意味を持ち始める。
貴族たちの会話は遠回しでまどろっこしいものだった。互いの近況を知らせるような雑談や、真偽の定かではない儲け話のたぐい。それらは場を温める探り合いだったのだろう。
しかし、
『――この場にいらっしゃる皆様はご存じでしょうか。聖域のほこらが消滅したという話について』
ある貴族の発言によって、一気に動き出す。
『情報が錯綜しておりまして、真偽も定かではありません。つきましては、噂程度でけっこうです、お話をお聞かせ願えませんかな? ご自慢の情報網を披露するチャンスですぞ』
その誘いに乗って、われ先にと噂が持ち寄られる。
『ああ、儂の聞いた話では、聖王国内の不穏分子による襲撃だと』
『自分が耳にはさんだのもそいつだ。ただし実行したのは帝政の転覆をたくらむ不遜なレジスタンスどもだと聞いている』
『いやいや、主義主張は関係ない。真相はもっと単純でな、薄汚い窃盗団が、ほこらの中に財宝が隠されていると勘違いして襲ったのだよ』
そのほかにも、いや異教徒の仕業だ、いや天変地異だ――といくつもの話が飛び交ったが、どれも信ぴょう性に欠けており、みなが納得するものはなかった。
「黒耀も白珠も、襲撃者の正体は知らないんだよな」
「はい。身を守るためにほこらへ籠もったので、何も見ていないのです」
「お偉いさんの情報網ってもこの程度か」
「……これ以上待っても、あまり有益な話は聞けそうにありませんね」
黒耀がビジョンを切り替えようとしていた矢先に、その話題が転がり出た。
『――しかし、幸運だったのは、我らが『真珠の巫女』が無事であったことか』
『異世界へ飛ばされた当人にとっても、そうだと言えますかな』
『当代の巫女は、確か、ハウゼン家の』
『ああ、あの没落貴族のご令嬢か』
『あそこの家も不運が続くな』
『跡継ぎが戦死して、そのショックで母親が正気を失ったとか』
『しかも、傾きかけた家を建て直すために下の娘を嫁がせようとしたら』
『こんな跳ねっ返りはそばに置いておけないと断られたという』
『やはり異世界へ飛ばされたのは本人にとっても幸せだったのでは』
『違いない、婚約破棄の生き恥を晒すよりはよほど……』
貴族たちは饒舌だった。どいつもこいつも、うすら笑いを浮かべながら、嬉々として〝没落貴族のご令嬢〟の境遇について語っていた。
どれだけ美しい服で着飾り、庶民を見下ろす高い地位にある人間でも、他人の不幸は蜜の味がするという、その安っぽい味覚は変わらないらしい。
映し出されているビジョンよりも、俺は黒耀の横顔のほうが気になった。
敵国の代表である『真珠の巫女』が、同じ敵国の――身内の人間からこんな風に嘲笑されているのを目の当たりにして、『黒曜石の聖女』はどんな反応を示すのだろう。
言葉にするとそれは、ひどく下品な興味だった。
俺の内心を知ってか知らずか、黒耀の横顔に表情はなく、ゆえに感情も読み取れない。