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第7話 朝霧家の事情


 みかげのおかげで食生活が劇的に改善された。

 手作りによる栄養バランスはもちろん、食費的にも助けられている。自分だけのときは気が付かなかったが、食い扶持が増えると自炊した方が食費が浮くのがよくわかる。


 異世界少女たちの衣装問題にもケリがついた。

 現代日本には似つかわしくない修道服や白いドレスはやめて、普段は量販店でみかげが見繕った服を着てもらっている。あと、俺には与り知らぬことなのだが、下着などもいろいろと。みかげいわく、すっごい喜んでた、だそうだ。


 洗濯は家事大好きの黒耀に任せた。敵国の巫女の服を一緒に洗うことには難色を示していたものの、手を合わせて頼み込んでどうにか了承してもらえた。


 では白珠は何か手伝いをしているのかというと、そんなことはまったくない。今日も今日とて、朝食の時間になっても降りてこないので、わざわざ俺が起こしに部屋へ行かなければならない。


「早く起きろ白珠。何もしないなら、せめてこっちの生活リズムを崩さないよう気を使ってくれ」


 白珠は布団から顔だけ出してこちらをにらみつける。


「それって使用人みたいなことをしているあの聖女を引き合いに出した嫌味かしら。あんな露骨なご機嫌取りに騙されるなんて、アサギリはお人好しね。あたしはあの女みたいにプライドは捨てられないわ」


「それだけ文句を言えるんなら十分だな。早く起きろ、朝飯が冷める」


 布団を引きはがそうとするが、白珠もがっしり掴んでいるのかびくともしない。


「起き抜けの女性の部屋に入ってこないで! あたしの寝姿を見ていいのは夫となる男性だけなんだから!」


 俺は白珠の夫になるつもりはないので手を離した。


「貞淑なことだな。せめて旦那に起こされないように朝はちゃんとしろよ」

「そんなの使用人に任せるに決まってるでしょ」


 上流階級ハイソ高貴ノーブルな切り返しである。俺は白珠の説得をあきらめた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 朝からどっと疲れてしまった。


 2人が来てからの変化と言えば、この精神的疲労感と、それからもう一つある。

 ただし、こちらはいい変化だ。


 黒耀が毎日掃除をしてくれるおかげで、家の中が見違えるようにきれいになった。太陽の光が磨き上げられた窓ガラスを透過して、チリひとつ落ちていない床に降り注いでいる。壁面やテーブルも、心なしかキラキラと輝いているようだ。


「お世話になっているお礼ですから」


 黒耀はそう謙遜していた。食費と労働のつり合いが取れているかは微妙だが、少なくとも何かを返そうとしている姿勢には好感が持てる。


 しかし、そんな積極性も善し悪しだ。

 家じゅうのいたるところに清掃の手を伸ばした結果、黒耀はとうとう、和室にまで足を踏み入れていた。


 何も言わなかった自分が悪いのはわかっている。

 戸口の前で深呼吸をして、勝手なことをしないでくれとざわつく感情を落ち着かせた。そして、静かに中へ入る。


 黒耀は仏壇の前で両ひざをつき、静かに祈りを捧げていた。

 その姿には照れやぎこちなさが一切ない。俺たちのような素人とは違う、祈ることにかけての玄人なのだとはっきりわかる所作だった。


 十数秒ほどが経過したころ、黒耀は閉じていた目を開けて、祈りの姿勢を解いた。視界の端の俺に気づいたのか、立ち上がって、ゆっくりと振り返る。


「……アサギリ様」

「ここも掃除してくれたんだな」

「はい。……あの」


 黒耀はこちらを心配するように目を細める。


「ここは、亡くなった方を弔うためのお部屋ですね」

「わかるのか」

「はい。様式は違いますが、雰囲気で」


 部屋を見回す。仏壇のある和室に修道服の黒耀がいるというのは、ビジュアル的にはずいぶんちぐはぐだが、なぜか違和感は感じなかった。


「このお家は、アサギリ様お一人で住むにはずいぶんと大きいように思いますが、これがこちらの世界の標準というわけでは――」

「両親と妹がいたんだ。少し前に、三人とも事故で死んでしまったけどな」


 まどろっこしいやり取りはごめんだったので、率直に事実を語る。


「そう、ですか……」


 俺がせっかく「もう悲しんでいない」という軽い調子で話しているのに。黒耀ときたらそっと目を伏せて、沈痛な面持ちの見本のような表情をする。そういう顔で俺を見ないでほしい。三人の葬儀からこちら、おおぜいの他人から向けられてきたその目には、もう飽き飽きしていた。


 やめろと声を荒げれば、かわいそうにと悲しまれる。

 大丈夫だと笑い返せば、気丈な振る舞いだと誤解される。

 無反応を貫けば、正気を失ったのだと憐れまれる。


 そして、誰もが判を押したように言うのだ。

 何か力になれることがあれば――と。


 黒耀もそんな人種だった。


「わたしにできることがあったら、なんでも言ってください。力になります」


 同じような言葉を何度もかけられてきたが、彼女のセリフからは、その中でも最上級の本気を感じた。だからといってほだされるほど弱ってはいないし、誰かの助けを求めてもいない。


「じゃあちょっと頼みたいんだが」

「あ、はいっ、なんでしょうか?」

「黒耀の物見について行ってもいいか」


 俺があっさりと頼みを口にしたことに、黒耀は最初は喜んでいた。しかし、その内容を聞くと、目を丸くして首をかしげる。


「えっ? それはかまいませんが。……そんなことでいいのですか?」

「ああ、違う文化に触れるってのは興味深いし、気晴らしにもなるからな」


 俺は適当な理由を述べる。まったくの嘘というわけじゃない。先日、白珠の物見に同行して、異世界について多少の興味がわいたのは事実だ。ただし、気晴らしというのは、黒耀が納得しやすいように後づけした、それらしい理由にすぎない。


 家族を亡くした者は悲しみでふさぎ込んでいるに違いない。

 何かしてやったら喜ぶに違いない。

 こんなときに優しさを見せなければ人間ではない。


 ――などという、妙な義務感に駆られる人たちの、上手なあしらい方を俺は知っている。


 それは、ほどほどに希望を満たしてやることだ。


 すぐに片づけられる、ちょっとした願いを持ちかけてやればいい。あっちはささやかな善意を満足させられていい気分。俺もちょっとした願いが叶っていい気分。WIN=WINの関係というやつだ。


「わかりました。それでは、さっそく物見の儀を行いましょう」


 案の定、黒耀はこちらの頼みを喜んで聞き入れてくれた。〝良いこと〟をできるのがうれしくて仕方がない、という顔で彼女は笑う。

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