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第6話 どうしようもないお兄さん

 白側の扉から出てきたみかげは上機嫌だった。


 すっかり日の落ちた夕飯時、みかげは鼻歌交じりで料理をしていた。ただし、我が家の台所はみかげの身長には高すぎるので、台座を使って少しばかりやりにくそうに。


 そんなみかげに聞こえないよう、俺は声を落として黒耀に問いかけた。


「なあ黒耀、『物見の儀』でどんなところを見てきたんだ?」


「そうですね……、今の時期、豪雪で立ち入ることのできないキシュレー山脈の樹氷森林や、最前線にあるのであまり有名ではありませんが、銀ねず色の城壁が美しいデル・ソラリア城、あとは『七門閥』のパーシヴァル侯爵家が誇る極彩庭園など――」


「そうか、わかった」


 黒耀の話を途中で止めた。地名や解説を聞いているだけで、それらが景勝地や観光地のたぐいであることはよくわかった。


「みかげに気を使ってくれたんだな。ありがとう」


 俺は礼を述べる。やはり黒耀に任せてよかった。白珠と一緒だったら、血生臭い戦場と、どぶ臭い路地裏と、男臭い鉱山という、面白みゼロから始まる異世界巡りになっていた。みかげがこちらに当たっていたら、世界の闇を目の当たりにして、ひどく落ち込んでいたかもしれない。


「ところで、気になったことがある」


「なんでしょう?」


「言語についてなんだが、俺は今、黒耀や白珠の言葉が理解できている。でも、物見で異世界の人たちがしゃべっている言葉は聞き取れなかったんだ。これって、黒耀たちがこちらの言語をしゃべってくれてる、ってわけじゃないんだよな」


「はい、それは、このネックレスの力です」


 黒耀は襟元からチェーンを引っ張ってネックレスのヘッドを取り出した。漆黒の八面体が鈍い光を放っている。


「これには異なる言語を翻訳する魔法がかかっています」


「そんな魔法があるのか。なんのために?」


「物見をしていても、ときどき、知らない言語を耳にすることがありますので、それに対応するためです。アサギリさまと言葉が通じているのも、その能力を応用しているからなのです」


「なるほど。……っていうか、やっぱり、そっちの世界には魔法があるんだな」


「正しくは、これは魔法を宿した道具――魔法具と呼ばれています。かつては人の身でありながら魔法を振るう者もいたようですが、その血も今は完全に途絶えています」


「じゃあ、魔法ってそっちの世界でもめずらしいものなんだな」


 物見のビジョンを思い返してみるが、戦場では魔法を見かけなかった。

 火の玉を放ったり、雷を落としたりといった、わかりやすい魔法が使われている様子はなかったのだ。特殊な技能はまず間違いなく軍事利用される。それがなかったということは、異世界において、魔法はもはや失われた技術なのだろう。


 道具に宿った魔法にすがって、聖女や巫女といった権威を演出している。

 彼女たちはそれでいいのだろうか。


「二人とも深刻な顔してる。そんなにおなか空いてたの?」


 振り返ったエプロン姿のみかげが、おたま片手に呆れた声で聞いてくる。


「いや、そうじゃないんだが」

「そ、そんなことありませんよ」


 俺は静かに答えたが、図星を突かれた黒耀はずいぶん慌てふためいていた。

 ふーん、とみかげはしばらく俺たちを見据えていたが、やがてくるりと身体を戻して鍋の世話を再開する。


「もうすぐできるから、お皿出して、お兄さん」


 台所に漂うカレーの匂いが、だんだん濃くなってきていた。


「わたしがやりますよ」


 黒耀が俺に先んじて立ち上がる。みかげが肩越しに『お客様にそんなことさせるなんて』と言いたげな非難がましい視線を飛ばしてくるが、俺はそれを無視した。お前は黒耀のことを知らないからそんな顔ができるんだ。奉仕の鬼から奉仕を取り上げたら鬼しか残らない。しかもその鬼は今、ひどく腹を空かせている。


 俺はサボっているわけではないアピールとして、リビングでテレビを見ている白珠を呼びに行った。

 しかし彼女は不動であった。


「どうしてあたしが移動しなくちゃいけないの? 料理が動けばいいじゃない」


 相変わらず白珠の世界は彼女を中心に回っているようだ。しかし、残念ながらみかげがいる現状ではみかげのルールが優先される。特に料理に関するものは絶対にだ。


「……ちゃんと声はかけたからな」


 俺たちは一向にこちらへ来ない白珠を放置して、カレーを食べ始める。

 黒耀は大盛りのカレーを前に、スプーンを持ったまま硬直していた。

 たぶん初めて見る食べ物だったのだろう。黒耀の世界にある料理で一番近いのは、雑穀に具だくさんのスープをかけたもの、だろうか。そのせいで、お行儀がよろしくないと感じたのかもしれない。


 しかし、そんなためらいも、口に入れればすぐに吹き飛んでいた。


「白珠さんおそいね」

「放っておけばいい、あいつはワガママなんだ」

「カレーなら冷めてもすぐ温め直せるからいいけど」

「いっそ冷たい料理なんだってことにしてそのまま出してやれよ」

「そういうの、陰険って言うんでしょ」

「違うぞみかげ、あいつの自業自得だ」

「お兄さん、器ちっちゃい……」


 カレーより辛辣なひと言に返す言葉もなく、黙ってカレーをかき込んでいると、黒耀が申し訳なさそうに声をかけてきた。


「あ、あの……、おかわりを、いただいても……」

「え?」


 黒耀の皿は空になっていた。自分の皿と見比べると、こちらはまだ半分ちかく残っている。圧倒的な早食いである。これが西部劇なら俺は銃を抜く間もなく眉間を撃ち抜かれているところだ。


 俺たちの反応がにぶいのを気にしてか、黒耀は申し訳なさそうに部屋を出ていこうとする。みかげがそれを押しとどめて皿を取り、二皿目(大盛)のカレーをよそう。俺が食べ終わってスプーンを置き、黒耀が三皿目(特盛)を平らげたところで、空腹に耐えきれなくなったらしい白珠が怒鳴り込んできた。


「ちょっとアサギリ! なんで昨日のディナーみたいに料理を持ってこないの!?」

「晩飯は台所で食べるのがルールなんだよ」

「そんなことどうだっていいわ。あたしが持ってきてって言ってるんだから――」

「お兄さん」


 みかげの声は静かだったが、はるかに大音量のはずの白珠の声を押しとどめて、不思議とよく部屋に響いた。


「……黒耀さんと白珠さんは、今日じゃなくて、昨日からここにいるの?」

「ん? あ、ああ、別にやましいことは――」

「一泊、したんだ」


 それきりみかげは黙り込んで、せわしなくスプーンを動かし、猛スピードで残りのカレーを食べ切った。


「あ、ミカゲさん、食器はわたしが洗っておきますから」

「お願いします」


 みかげは黒耀にかるく頭を下げると、俺を鋭く睨みつける。

 何か言いたげな視線だ。

 ――いや、わかっている。

 この家の台所で赤の他人と食事をし、赤の他人を泊めたことを。この家に、自分以外の誰かを立ち入らせたことを責める視線だった。


「……帰る」


 短く言うと、みかげは回れ右をして台所を出ていった。


「まあ、あれだ。難しい年ごろなんだ」


 二人にそんなくだらないフォローを入れる。しかし、返ってきたのは冷たい視線だった。


「……アサギリ、あの子をちゃんと送ってあげなさいよ」

「いや、でもあいつの家は歩いてすぐの――」

「距離は関係ないわ。女性としての扱いの問題なのよ」

「女性? あのちっこいのが?」


 引きつった笑いとともにそんな返事が口をつく。


「駄目ですよアサギリ様、そんなことをおっしゃっては」


 黒耀が珍しく、俺と白珠のやり取りに割り込んできた。


「ミカゲさんとアサギリ様は、長い付き合いのご様子。ですが、その関係に甘えていては、いたずらに信頼を消費することになりますよ」


「信頼を消費する……?」


 それはあまり聞いたことのない言い回しだった。信頼を失う、というのならわかるが。

 異世界での慣用句のようなものだろうか。


「信頼を築くには長い時間がかかるが、失うのはあっという間である――という警句が、聖王国にはあります」

「こっちにも同じような話がある」

「異なる世界でも、やはり人とのつながりは同じですね。共通する不安の理由は、きっと、人の心が目に見えないからでしょう。確かに一瞬で崩れ落ちる信頼もある。ですがその反面、水の流れが岩肌を削るように、少しずつ失われていく信頼だってあるはずです」


 黒耀の穏やかな語り口のおかげで、理解が沁みわたっていく。


「いずれにせよ、目には見えないものですから――」


「――〝有る〟か〝無い〟かの両極端な判断になりがちだ」


 そして〝無い〟と自覚した瞬間、人は失っていく過程をすっとばして、それを一瞬と感じてしまうわけか。なるほど。


 俺が言葉を継ぐと、黒耀はにっこりとほほ笑んだ。できの悪い弟がテストでいい点を取ったのを喜ぶ、面倒見のいい姉のように。それはとても綺麗だが、同時に居心地の悪い笑顔だった。


「ミカゲをちっこいの扱いするのもいいけど、だったらそれらしく、優しくしてやりなさいってことよ。見たところ、この家ではアサギリよりもあの子の方が格上みたいだし、へそを曲げられたらあたしだって困るもの」


 そう投げやりに加える白珠は、すでに俺のことなど興味ないという風に、カレーをすくって口に運んでいた。まあまあね、などとつぶやきながらひっきりなしにスプーンを動かしている。ご満足いただけたようで何よりだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 少し頼む、と聖女と巫女に言い残して、俺はみかげのあとを追った。10月の夜気は思いのほか冷たくて、ときおり吹く風は頬を切りつけるかのようだった。


 街灯が飛び島のように転々と連なった、うらさびしい路地の先、十数メートル。とぼとぼと進む赤いランドセルを見つけた。


「みかげ」

「何」


 足音で俺が来たのはわかっているだろうに、みかげの足取りに変化はなかった。呼びかけても返事は素っ気ない。


「明日、学校が終わってから時間取れるか?」

「カレーは二日じゃ食べ切れないくらい作ってるから、飽きてきたらカツを入れたりスパイスを足したりして、工夫したら」

「いや、メシのことじゃない」たくさん作ってくれたカレーも、残念ながら明日の昼には尽きてしまうだろう。まあ、今はそれはいい。「二人の服を見繕ってほしいんだ」


「服? もしかして、黒耀さんと白珠さんって」


 ようやくみかげは立ち止まってこちらを向いてくれた。


「ああ、着の身着のままなんだよ実は」

「……それは、お兄さんじゃどうしようもないね」


 性別の違いゆえに手を出しにくい問題だと理解したのか、みかげは得意げにニヤリと笑う。


 みかげはマセた発言も多いが、その本質はやはり年齢相応だ。子供らしく、子供扱いをするとすぐに怒る。


 しかし不思議と昔から、頼みごとをすると機嫌を直してくれた。ふつうは面倒で、できるなら避けたいはずのことなのに、俺の頼みを聞いたみかげは頬をゆるませる。そして、それを誤魔化すみたいに、不機嫌をよそおって口をとがらせるのだ。


「どうしようもないお兄さんだね」

「その倒置は止めような。意味がだいぶ変わってくるから」

「どこに行くの? 『しほむら』? 『ユニタロ』?」


 声を弾ませながらファストファッション系のブランドを挙げるみかげに対して、俺のオーダーはたった一つしかない。


「任せる。とにかく安く仕上げてくれ」


 あはは、という笑い声とともに白い息が闇夜に溶けていく。


「どうしようもないお兄さんだね」


 みかげはまたその言葉を繰り返す。

 愉快そうにランドセルが揺れていた。

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