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第5話 『物見の儀』 下


 ともあれ、俺は初めてほこらの内部に足を踏み入れることになった。


 白側の扉には、黒耀とみかげが。

 黒側の扉には、白珠と俺が。


 組み合わせの理由は、黒耀なら小さい子供の相手に慣れているだろうというイメージによる。白珠とみかげをセットにしたらケンカを始めそうな予感がしたので、別々にさせてもらった。




 俺は最初、黒耀たちの言うことを話半分で聞いていた。

 聖女だとか巫女だとか。

 世界を見渡す神の眼だとか。

 大げさな言葉で飾り立ててみたところで、その実像はもっと平凡なものだろうと思っていた。例えば、トランス状態で見た幻覚を神の啓示だと言い張るシャーマニズムのような、いわゆる思い込みの産物だろうと軽く見ていたのだ。




 白珠に続いて扉の奥へ進む。

 ほこらの壁面は黒一色だったが、扉を閉じても完全な暗闇にはならなかった。石の継ぎ目がうっすらと発光しており、まるでプラネタリウムの中にいるかのよう。


 常に口やかましい白珠が、ネックレスを両手で包み込み、静かに祈りを捧げる姿は、凛として美しかった。薄光に照らされた横顔を、神秘的とさえ感じてしまう。


 ほこらの中が張り詰めた雰囲気で満たされていく。


 間接照明のようにおだやかだった光が、徐々に強さを増していく。思わず目を閉じるが、それでもまぶたの裏はなお白く、さらに腕をかざしてさえぎる。いったいいつまで、と不安を感じ始めたころ、ようやくピークを越えたらしく、少しずつまぶしさが弱まっていく。


 目を開けると、そこは平原だった。


「――な」


 突然の変化に驚く間もなく、続いて降りかかってきたのは、音だ。

 轟音が、全周囲から押しかかってくる。


 自らを鼓舞するための叫び声や、金属同士がぶつかり合う鈍い音、痛みから発するうめき声などが、何百何千と折り重なって響いている。


 周りの、轟音の発生源に目をやった。


 甲冑をまとい馬にまたがった騎士、へっぴり腰で槍の穂先を敵に向けている雑兵、横たわって動かない兵士、倒れてもう動かない敵兵へ何度も剣を振り下ろしている若兵。


 眼前に広がっているのは戦場だった。

 それも、銃火器がまだ存在しない時代の。


 とんでもない場所へ出てしまったというのに、いまだに実感が伴わない。

 目の前の出来事に対してリアクションが取れずに立ち尽くしていると、上空から何かが落下してきて、視界を横切った。


 ヒュン、ドス、という音が連続する。


 ヒュン、は鼻先で。

 ドス、は足元で。


 振り返ると、すぐ後ろの地面に矢が突き立っていた。


「――は?」


 腹部に手をやるが傷はない。痛みもなかった。飛んできた矢は明らかに身体に当たる軌道だったはずだが、ギリギリで外れてくれたのだろうか。


「なん、だったんだ、今のは」

「大丈夫よ」


 白珠のくせに落ち着いた声をかけるものだから、自分のうろたえっぷりが恥ずかしくなる。


「いや、でも――」

「これは異世界のビジョン。見えれども触れられぬ幻影だから」


 ビジョン、つまり映像ということだろうか。言われてみれば、確かに、周囲で激しく戦っている兵士たちは、突然に現れた俺たちをまったく気にかけていない。


「……こちらが見えていない?」

「ええ、今のあたしたちはただの〝視点〟よ」


 白珠が上を指さすのと同時に、視界がゆっくりと上昇していく。まるでガラス張りのエレベータに乗っているかのよう。殺し合いの風景が遠ざかっていく。

『物見の儀』というのは、どうやら異世界へドローンを飛ばしているようなものらしいと理解した。


「そちらの世界はずいぶん物騒なんだな」


「どこもかしこも、というわけじゃないわ。戦場が粗暴で野蛮なのはどうしようもないことでしょう。そういうこちらの世界は平和なの?」


「どうなんだろうな。少なくとも俺の周囲は平和だよ」


「そう。すばらしいことね。アサギリがおびえているみたいだから、場所を変えてあげるわ」


「お気遣いありがとうございますお嬢さま」


「馬鹿にしてるの?」


「滅相もない」


 白珠がネックレスに祈ると、ふたたび視界が切り替わった。


 暴力と混沌のうずまく戦場から一転、そこは白亜の建物が整然と立ち並ぶ市街地だった。大きな通りがまっすぐに伸びており、視線の先には、夢の国にある西洋城のような建造物がそびえていた。


 行き交う人々の身なりはよく、上品な笑顔を浮かべている。通行人を呼び止めて商品を勧めている露天商。二頭立ての馬車はよくしつけられているのか、速度を落としてゆっくりと進んでいる。車中には美しく着飾った貴婦人の姿。


 目に見える範囲には、電気やガスを用いた設備は見当たらなかった。整った街並みではあるが、文明レベルにおいては先ほどの戦場と同程度のようだ。


 異国だ、と思う。


 一度だけ行ったことのある海外旅行で、俺は同じような感覚に陥ったことがあった。目に映るめずらしい光景以上に、道行く人々の口から出てくる言語のわからなさによって、ここは自分の知らない場所なのだということを思い知らされる。


 異世界のビジョンを見ていると、あのときと同じような、「あちらとこちらは違う」という壁をはっきりと感じた。


「ちゃんと平和な場所もあるんだな」

「どうかしら。大人は汚いものを隠したがる生き物だから」


 白珠がネックレスに祈り、三度、視界が切り替わる。


 そこは一転して薄暗く、谷底に落ちてしまったかのように狭い路地だった。地面は土がむき出しで、ところどころに不衛生な水が溜まっている。あちこちにゴミが散らばり、やせこけた犬や、粗末な服の人間が道の端にうずくまっている。


「さきほどの街の、裏通りよ。一皮むけばこんなものだわ」


 このような最下層に、それなりに綺麗な身なりで立ち入るのが、豊かさを見せつける醜い行為であるように感じた。大変そうだと憐れんだところで、何ができるわけでもないし、何をするつもりでもないのに。


 すすけた壁と同じくらいすすけた肌の小さな子供と目が合って、責められているような気分になる。


「気のせいですよ」

「わかってる」

「ごめんなさい、嫌なものを見せてしまったわ。わざとじゃないの」


 思いのほか素直に謝罪をされて返事に困る。

 その沈黙の中、またも視界が切り替わった。


 うす暗い通路だった。岩肌がむき出しになったトンネルで、壁面は木材をつっかえ棒にして補強されている。十数メートルおきに設置された灯火が頼りない明かりを揺らしていた。


「ここは……、鉱山か何か?」

「ええ」

「またどうしてこんな場所を?」

「鉱山の採掘量は武具の生産量に直結するでしょう?」

「なるほど、でもパッと見て生産量なんてわかるのか」

「景気の良し悪しは鉱夫の顔色に出るわ。彼らは現金な人種だから」

「……なるほど」

「もっとも、現金でない人間なんて存在しないけれど」


 白珠は冷めた瞳でビジョンを見つめながら、長い金髪を手で梳いた。


 彼女の身なりや所作、言動からは育ちの良さが垣間見える。上品で上流で、そして社会的な地位の高さゆえに、自然と庶民を見下ろしている節がある。トロッコで運ばれる鉱石の量や、それを品評する鉱夫たちに向ける目は、完全に観察者のものだった。


「これで、満足してくれたかしら」


 白珠は投げやりに言いながら、例の仕草を行う。

 すぐに景色が切り替わり、この部屋本来の白い壁面が現れる。


 途端に肩がズシリと重くなるのを感じた。異世界のビジョンを見ていた時間はせいぜい30分ほどなのに、大作映画を見終わったあとのような疲労感がある。ただし、今のこれはあまり心地の良いものではない。


 これと同じものをみかげも感じているのだとしたら。

 異世界を信じてもらうための試みのつもりが、逆効果だったかもしれない。

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