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第2話 来訪者、異世界より 下


 白黒ほこらは、異世界とこちらを結ぶ、動かしようのないかなめ(・・・)だ。拠点はそこに近ければ近いほどいい。それはわかる。


 聖女と巫女という特別な肩書を持つ要人を、あちら側のお偉いさんは衆目に触れさせたくないのだろう。その考えもわかる。


 世界が異なれば文化や常識も異なるわけで、そんな場所を異邦人がうろつけば、それだけでトラブルの種が増える。その心配もわかる。


 すべて、正しい考えだ。

 しかしその重荷が一カ所に集中してしまっているのは、正しい状態だとはとても思えない。負担を分散させるのはリスク管理の基本だろうに。


 ――などとまあ、言いたいことはいくらでも湧いてくるが、それらをぐっと飲み込んだ。俺はいろいろなことに興味の薄い無気力高校生を自認しているものの、行く当てのない女の子二人を寒空の下に放り出せるほど冷血ではない。


 ともあれ、まずは食事だ。


 異世界にアレルギーという概念があるかはさておき、一応、食べられないものがないかどうか聞いてみた。


「食事ですか? いただけるだけでありがたいです。何かお手伝いできることがあれば……、あ、そうだ、野草を摘んできましょうか。これくらいの気温なら、まだ食べられるものが生えているはずです。あとは……、野うさぎなら捕まえられるかもしれません。知り合いの猟師さんにコツを教わったので」


 黒耀の返答には思いのほか野性味があった。


「食事? アサギリが用意するの? 料理ができそうには見えないけれど。あたし、こう見えても味にはうるさいのよ。……ちょっと何よその顔は。信じてないのね。料理長はあたしに出す皿には特に気を使って――」


 白珠の答えは途中でスルーして料理に取りかかる。


 いくつかのメニューを作ったが、調理時間は10分ていど。

 電子レンジのスイッチを押すだけの簡単な作業だった。


「早かったですね」

「氷結の封印を解くだけだからな」

「何を言っているのかわからないわ」


 ファンタジックな言い回しは通じなかったものの、冷凍食品は異世界少女たちに好評だった。見慣れない料理ばかりだからか、テーブルに並ぶ皿に向ける視線もはじめは疑わしかったが、ひと口食せば目を丸くして、ふた口目からは夢中で口を動かしていた。


「ふん……、まあまあ悪くない味だったわ」


 食後の白珠はティッシュで口元を拭きながらそんなことを言っている。


 黒耀は無言でパスタを三食平らげ、さらに四食目を欲しているような顔をしていたが、残念ながらもう冷凍庫は空っぽだ。もともと一人分で事足りる食生活なのだから仕方ない。このような来客は想定していないのだ。


 デザートにみかんを数個テーブル上に転がしてから、俺は空になった皿を持って流し台へ向かう。


「何この果実? どうしてこんなに皮が薄くて甘くておいしいの!? すごい! どうなっているのよこちらの世界は!」


 白珠の悲鳴のような声が台所まで聞こえてきた。愛媛のみかん農家さんに聞かせてやりたいくらいのいいリアクションだった。


「アサギリ様」

「どうした黒耀」

「わたしは世話になっている身です。洗い物くらいはさせてください」

「ああ、じゃあよろしく」

「他にも、掃除や洗濯などはひととおりできます」


 黒耀はずいと近づいて自らの家事能力をアピールする。


「そうか? でも……」

「わたしは今でこそ『黒曜石の聖女』などという大仰な肩書をしていますが、少し前までは修道院で子供たちの世話をしていた、ただの修道女だったんです」

「まあ、じゃあ、そのうち頼むかもな」

「わかりました」


 嬉しそうに黒耀は笑う。奉仕を苦と思わず、むしろ喜びと感じている顔だ。さすがはシスターといったところか。


 そういうことなら、とスポンジと液体洗剤の使い方を教えて、実際に皿洗いをやってもらうと、黒耀はとても驚いていた。


「油がこびりついていますが、これは……えっ? すごい、灰汁でもないのに、簡単に汚れが落ちて……、しかも、なんだかいい香りがします!」


 食器用洗剤のCMに出演すればさぞ注目を集めたにちがいない、いいリアクションだった。




 黒耀に皿洗いを任せてリビングに戻ると、白珠がソファにだらしなく座っていた。


「このお嬢さまは……、何か手伝おうという殊勝さはないのか」

「家事なんて、貴族階級の女性ならすべて使用人に任せることだもの、当然でしょ。そんなことより、アサギリ、退屈だわ。何か面白いことはないの」


 俺は黙ってテレビのリモコンを操作した。


「ひゃっ……! な、何よこれ」

「お嬢さまのためだけの劇団にございます」


 ちょうど時代劇が放送中だった。白珠は恐る恐るテレビに近づき、じっと観察していたが、中の人が飛び出してこないことを確信すると、ソファに腰掛けて鑑賞の姿勢を取る。


 これなら大人しくなるだろう。俺はリビングを出て二階へ上がった。二人の寝床を整えるためだ。少し迷ったが、黒耀には両親の部屋を、白珠には妹の部屋を、それぞれあてがうことにした。完全に外見のイメージによる選択だった。


 押入れから毛布をとりだし、丁寧にベッドメイクをする。育ちがあまり裕福でなさそうな黒耀は、きっとやわらかいベッドを喜んでくれるだろう。貴族家のお嬢さんっぽい白珠は、天蓋付きのベッドではないのかと文句を言うかもしれない。


 他人の反応を想像しながら何かをするのは久しぶりで、口元がついゆるんでしまった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 一階に降りて台所の様子を見ると、流し台(シンク)がキラキラと輝いていた。どうやら黒耀が皿だけでなく水回りまできれいにしてくれたらしい。彼女の清掃作業はそれだけにとどまらず、ごしごしと何かをこするような音が途切れなく聞こえていた。しかし当の黒耀が見当たらない。視線を落とすと、うずくまって床をこする黒ずくめの女の姿があった。


「うお」


 ホラーじみたシチュエーションに思わず声を上げる。


「……アサギリ様、どうしましたか?」

「掃除とか、今夜はもういいから」

「ちょうど終わったところです」


 黒耀は機敏に立ち上がると、んっ、と天井に向けて両腕を伸ばした。修道服に包まれた豊満な胸が協調される仕草だった。


「明日はこの家全体の雑巾がけをしましょうか。それともお庭の掃除を?」

「庭掃除なら、まずあの白黒ほこらをどけてほしいんだが」

「申し訳ありません、それはわたしの力ではできかねます」

「……冗談だよ」


 そんなやり取りをしながらリビングへ戻る。テレビでは時代劇がちょうど終幕のシーンだった。世直し旅のご一行が、東海道だか中山道だかを笑顔でゆうゆうと歩いている。わがままなお嬢さまは満足してくれただろうか、とソファを見やると、白珠は静かに寝息を立てていた。


 そのあどけなさをほほえましく思うが、すぐ隣では黒耀が険しい表情をしていた。俺の視線を感じたのか、黒耀はすぐに緊張を解いて口元を上げる。しかし、急造のせいでうまくいかなかったのだろう、瞳が笑っていない、それはどこか歪な笑顔だった。


「本当に嫌いなんだな、白珠のこと」

「彼女個人が嫌いなわけではないのですが……」

「戦争真っ最中の、敵国の人間だからか?」

「貴族という人種にあまりいい印象がないだけです」

「……まあ、どんな感情を持つのも自由だ。行動に移しさえしなければ」

「どういう意味でしょう」


「敵国の要人なんだろ? しかも……、なんだっけ、神様のお告げを聞くことのできる。そいつを排除したら、神様のお告げを聞けるのは黒耀だけになって、そっちの国が有利になるんじゃないのか」


「ほこらは聖女と巫女が同時に入らなければ起動できないようになっています」


「なるほど、お互いの弱みを握り合っているのか」


「わたしは、そのような制限の有無にかかわらず、アサギリ様のおっしゃるような愚行に走ることはありません。神のしもべは常に理性的なのです」


 黒耀の言葉は「理性がなくなればやりかねない」という意味にしか取れなかった。


 そうか、とだけ返事をして、白珠に近づく。お嬢さまは物騒な話などどこ吹く風で、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。そのスカートに隠れた膝裏と、ソファと背中のすき間に、するりと左右の手を差し込んだ。


「よっ、と」


 そして、足腰に力を入れて白珠の身体を持ち上げる。見た目以上に細身なのか、思ったよりも軽かった。


「……アサギリ様?」

「ベッドまで運ぶんだよ」


 そのまま回れ右をして、二階の妹の部屋へ運んでいく。幸い、白珠が途中で目を覚ますことはなかった。そっとベッドに軟着陸させて、布団をかけ、静かにドアを閉じる。


「女の子の扱いに馴れていらっしゃるんですね」

「なんか含みのある言い方だな」


「いえ」黒耀は手のひらで口元を隠す。修道女というから堅物かと思ったが、こういう冗談も言える人らしい。


「やましいことはないぞ」なぜ言い訳みたいなことをしているんだ俺は、と内心ツッコミを入れつつ続ける。「騒がしい子供の世話に慣れてるだけだ」




 両親の部屋で照明設備の使い方を教えると、黒耀と別れて自分の部屋へ入る。

 風呂の準備を忘れていたが、今からまた一階へ降りる気にもなれず、そのままベッドに倒れ込んだ。


 あの二人がいることで発生するであろう面倒ごとなら、いくらでも思い浮かぶが、解決策となると、これが一向に考えつかなかった。異世界くにへ帰る目途はつくのだろうか。早くしてもらわないと困る。静かに過ごしたいのに、考えごとが止まらない。今夜は眠れそうにないな、などとうんざりしていたが、仰向けのままいつの間にか寝入ってしまい、翌朝ねぐせが大変なことになっていた。



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