野菜づくし(3)
先ほどと同じように、最初は昆布といりこの出汁、味噌の香りに加え、土のような匂いが口から鼻に抜けていく。
そして、出汁の旨味に豚の脂から出るコク、野菜の旨みや甘みが舌を包むと、一番大きな具であるコンニャクの食感がやってくる。
同じコンニャクだというのに、雷コンニャクとは食感が異なる。
雷コンニャクは表面がしっかりとしていてクニクニとしているが、豚汁に入っているコンニャクは表面はサクリとしていて中は弾力がありプリプリとしている。
そこに、油揚げを噛むと、油揚げが吸った汁が溢れ出る。
最後にコンニャクとも油揚げとも違う、食感……ザクリと歯が食い込む感覚、そこから伝わるバリボリといった音に噛みごたえ。何かの束を解したかのような舌触り。そして、強い土の香りが広がる。
じっくりと咀嚼して飲み込んだパメラが、少し言葉を探すように宙に目を泳がせる。
「なんか、根っこっぽいわね……」
「ええ、根っこですから。その根っこっぽいところが繊維質って思ってもらえればいいかしら。それに、『ニンジン』や『大根』なども根っこでしょう?
栄養をたくさん貯めている場所なの」
「そうなのね……」
パメラは少し釈然としない顔をしているが、仕方がない。
栄養学などない世界で、炭水化物や脂質、タンパク質という三大栄養素以外の話をしてもなかなか理解してもらえないのだ。
それに、現代日本でもゴボウを出すと、「根っこを食わせるのか」と怒り出す外国人がいるというのだから、まだ穏便に済んだほうだと言えるだろう。
「こういう繊維質は人間の身体の中で消化吸収されないものなの。だから、腸の中を掃除してキレイにしてくれる。すると、身体の調子が整ってお肌もキレイになるみたいです」
「そういうことなのね……」
どうも「腸の中を掃除する」という言葉がパメラに効いたようだ。
ようやく納得したようで、他の料理にも目を向ける。
「これは、たくさん穴が開いてるのね。『蓮根』って言ったかしら?」
「ええ、『蓮根』ですね。それを軽く炒めて甘辛く味をつけたものです。美味しいですよ」
パメラはまたフォークに持ち替えて、蓮根のキンピラにサクリとその先を差し込む。
「この赤いのは『ニンジン』ね。『胡麻』がふりかけてあるわ……」
確かにニンジンなので、クリスは敢えて返事をせずにジッと食べるのを見守った。
鼻先まで持ち上げると。醤油と砂糖が焦げた甘い匂いに胡麻油の香ばしい匂いが混ざり合って漂ってくる。
「いい香りだわ……」
うっとりとした表情を見せると、パメラは蓮根のキンピラを口に入れる。
香ばしい胡麻油の香りと醤油、砂糖が焦げたような甘く香ばしい匂いが穏やかに広がると、鼻へ抜ける。
シャクシャクという音と歯触りが伝わってくると、舌の上を砂糖の甘さと醤油の塩辛さ、旨みが包み込み、遅れて唐辛子の辛味がやってくる。
「美味しっ」
パメラは蓮根の食感が気に入ったようで、フォークでプツプツと蓮根を刺しては、自分の口へと運び始める。
「それはよかったです」
パメラが気に入る料理が見つかったことが嬉しかったのか、ついクリスも声を出した。
実はクリスもこの蓮根のキンピラが好物なのである。
シャクシャクとした歯ごたえが楽しく、ゴボウのように土臭いこともない。少し厚く切ってひき肉やエビの擂身などを挟んで焼いたり揚げたりすれば、蓮根がよいアクセントとなって料理を引き立てる。そして食物繊維も多く、栄養価も高い。
摩り下ろすと粘りがでて、料理の繋ぎに使うこともできるのだから文句のつけようがない。
残念なのは、このナルラ領では採れない食材ということだ。
ここで、パメラは一度、みょうがごはんに戻る。
少しずつ手を付ける感じで食べているので、どんどんごはんが冷めてしまうが、昆布の食物繊維が表面を覆い、多少冷えても硬くはならないのがありがたい。
木匙で掬ったみょうがごはんを頬張ると、パメラはうっとりとした表情でその香りと歯ざわり、旨味を楽しむ。
そしてまた、豚汁へと戻る。
シイタケ、豚バラ肉が木匙の壺に収まると、零さないように汁と共にそっと口へ流し込む。
出汁と味噌の香りに豚の脂の甘い香り、染み出したゴボウの土の香り。
クニクニとしたシイタケの食感。豚バラ肉のボソボソとした食感の赤身部分、それとは対照的にとろりとした脂身。
一口ごとに具材が変わり、口の中で感じる旨味も変わる。
出汁の旨味、味噌の優しい味に、それぞれの具材から出てくる滋味。
パメラはうっとりとした表情を浮かべると、「ほぅ……」と息を吐いた。
「本当にこの『豚汁』って美味しいわ。いつでも食べられるといいのに……」
「ありがとうございます。
この『味噌汁』は季節ごとに具が変わるんですよ。明日になったらまた違う具が入ってるかも知れません。『豚肉』さえ入っていればいいので……」
日本での営業では、基本この「季節の豚汁」にだし巻きが付く、豚汁定食だけで商売をしている。
いつも同じ具材では客も飽きるので、大きく季節ごとに、小さくその時の仕入れで中身が変わるのだ。
今日の具材はとてもスタンダードなものになっているが、一〇月は、ニンジンや里芋、かぼちゃ、ゴボウが旬を迎えているのでこのような構成になっている。
もしかすると、明日には里芋の代わりに南瓜が入り、マコモダケや新蓮根などが入った豚汁になっていてもおかしくない。
「そうなのね。じゃぁ、今日は運がよかったのかしら?」
「そうかも知れませんね」
普段ならマルゲリットでの営業では豚汁を出さないので、今日は特別なのだが、クリスはとりあえず当たり障りのないように言葉を選んで返している。
そしてパメラはまだ手をつけていなかった料理、卯の花和えに目を向けた。
卯の花和えも具材によっていろいろと味が変わる食べ物だ。
今日の具材は鶏ひき肉と干し椎茸、にんじん、こんにゃく、干しエビ、油揚げである。
パメラは木匙を伸ばして、卯の花和えを掬い取った。
そのまま、目の前まで木匙を運んでくるとそこに盛られた卯の花和えを観察する。
「これ、もしかして干した『エビ』かしら?」
さすがは海辺育ちの干物屋である。
干したエビに対する反応はとても素早い。
「そうですよ。その焦げ茶色のものは干した『シイタケ』だと思います」
クリスはあわせてシイタケも使われていることを話す。
地球では欧州でも〝シイタケ〟と呼ばれるキノコなので、アプレゴ連邦王国でも出回ることがなく知られてもいないキノコである。
収穫祭でエヴァンがモリーユやジロール茸などを買い求めたとクリスも聞いているので、パメラが興味を持つのではないかと思ったのだが、それ以上に食いついたのはエビの方だった。
「まぁ! 海の『エビ』よね? これって、なんて名前の『エビ』なの?」
「え? ちょ、ちょっとまってくださいね」
「え、ええ……」
卯の花和えに入っているのはとても小さなエビなので、クリスはあまり気にもしていなかった。
日本で食べる中華料理などには入っていることもあったのだが、そのエビの名前までは知らなかったのだ。
クリスは慌てて厨房にいるシュウのもとへと向かった。
既にカウンターは客が減っていて、残りは一名しか座っていない。
「ねぇ、シュウさん。卯の花和えに入れたエビって、何ていう名前のエビ?」
少し慌てた感じで厨房へと飛び込んできたクリスにシュウは驚いたような顔をしているが、すぐに気を取り直して答える。
「干しエビのことか? あれはオキアミのはずだよ」
「ありがとう!」
クリスはパタパタと草履の音を立てて小走りに厨房を出ていってしまう。
シュウとしてはまだ大事なことを言えていないので、出汁巻きを焼く手をとめてテーブル席へと移動する。
クリスはカウンター席からトイレの前にまで戻ってくると、小走りをやめて静かに歩く。
既に店内ではパタパタと草履が跳ねる音が聞こえていたので手遅れなのは触れないでおくことにしよう。
パメラが独りで食事をしているところに戻ってくると、クリスはシュウに確認したことを伝える。
「おまたせしました。オキアミという『エビ』だそうです」
パメラは顔を上げると、クリスに向かって笑顔で礼を言う。
「ありがとう。でも、オキアミって聞いたことないわ……」
「あ、パメラさんはタリーファの出身でしたね。海のことはよくご存知だから、シュウさんの国の方でしか捕れない『エビ』なのかも知れませんね」
海が違えば捕れるものも違う。
タリーファは地中海のような内海に面した漁港なのだが、大型船であれば外洋まで出て漁をすることができる。その場合、捕れる魚は全然違ってくる。
それはエビであっても同じことだ。
「そう……残念だわ。『エビ』もこうして干して保存できるなら、今度タリーファに帰るときに商品にできないかと思ったのだけど……」
パメラは肩を落として話す。
マルゲリットで成功を収め、店を持つまで大きくしたのだから凱旋とも言える。
だが、パメラは新たな商材を故郷から生み出し、町おこしにしたいとも考えているのである。
「タリーファではどんな『エビ』が捕れるんですか?」
声がした方向にパメラが目を向けると、クリスの後ろにシュウが立っていた。
「そうね……『クルマエビ』、『アカエビ』、『クマエビ』かな、あとはもっと大きな海老が多いわね」
「そうですか、実はオキアミは『エビ』じゃなくて、オキアミという種類の生き物で、外洋でないと捕れません。タリーファではなかなか手に入らないと思います……」
「残念だわ……」
シュウの説明に、またパメラが肩を落とす。
タリーファの町で捕れないのなら、彼女にとってあまり意味がないのだろう。
「でも、『クルマエビ』や『アカエビ』でも小さい子どもなら天日干しや焼き干しにして使えます。水に戻すと出汁が出ますし、料理に入れても美味しいです。
是非タリーファに戻ったら試してみてください。美味しいスープができますよ」
シュウが他のエビも使えることを伝える。
途端にパメラの顔が明るさを取り戻し、笑顔に変わる。
「ええ、ぜひそうさせていただくわ!」
パメラはシュウの目の前で卯の花和えを口に入れる。
ふわりと口の中に広がる鰹の香りに、干しエビの香りが広がると、干しエビと鰹、昆布の出汁に、干しシイタケの戻し汁の旨みが舌を包み込む。
グルタミン酸、イノシン酸に加えグアニル酸の旨味相乗効果が発生し、これまでにないほどの旨みが口の中を支配する。
しっとりと適度に煮汁を吸い込んだ卯の花和えは口の中でボソボソとすることもなく、噛む度に煮汁を口の中に溢れさせる。
「美味しいわぁ。今日の料理は全部違う味付けになってて、とても楽しい」
「ありがとうござます」
パメラの褒め言葉に、シュウも軽く頭を下げる。
「それに、干しエビという商品のヒントまでいただいて、本当にありがとう」
「いえいえ、俺の国では当たり前のようにある商品なので、干し貝柱のお話をしたときにそこまで気が付きませんでした」
「あら、いいのよ。あのときは、この街で干し貝柱を作らない理由を聞いて、タリーファの町でなら作れるってわたしたちが思っただけだから。
それよりも、干し貝柱、干しエビ……タリーファの町がにぎやかになるといいわぁ」
いまの干鱈に加え、干し貝柱、干しエビといった商品が増えればタリーファとの間を往来する商人も増える。
すると、手紙のやりとりも増えるし、現地とのやり取りも増えるというものだ。
両親を置いてきたパメラやエヴァンにとっては、嬉しい限りである。
「では、ごゆっくりどうぞ。クリス、ちょっと……」
シュウはとりあえずの用件が済んだので、軽く頭を下げてクリスを連れて戻った。
厨房に戻ると、クリスが先に口を開いた。
「どうしたの?」
「いや、食事をしている場で話すことじゃないから、離れただけだ。
確か、お通じがないという話だったよな?」
シュウは念のため、パメラの症状を再確認する。
「そうね。それでお肌が荒れて、吹き出物も出てるって困ってたわ」
「なるほど。野菜中心の料理はいいんだが、他に何か教えたりしたか?」
「大腸マッサージくらいかな? こうして、腸を刺激するやつね」
クリスは先ほどパメラに教えた大腸マッサージをやってみせる。
シュウはそれを見て、うんうんと頷いた。
「便秘体操は寝転んでするものだから、ここでは教えづらいじゃない?
だから、まだ教えてないけど……」
「ああ、それはいい。それよりもパメラさんに教えてあげてほしいことがあるんだ」
「え? なになに――?」
「いや、簡単なことなんだ。人間の身体っていうのは……」
シュウがクリスにとても簡単な説明をすると、クリスは目からウロコが落ちたと言わんばかりに驚いてみせる。
実際に、シュウが説明した内容はクリスが考えたこともないことだったのだ。
「すごく興味深いわ! も、もしかして他にもそんなことがあるの?」
「うん。ある――店が終わったら教えるよ」
とても謎な会話だが、このあと一時的に店を閉めたあとに話の続きがあるらしい。
「クォーンカーン……クォーンカーン……クォーンカーン……」
開けっ放しの玄関引戸から朝三つの鐘が鳴るのが聞こえる。
「あ、暖簾下げてくるね」
「おう」
クリスは小走りで入口に向かい、暖簾を外して店内に引き込んだ。
ちらりと見えた店の外は濃い青空が広がり、からりとした風が吹いていた。
マルゲリットでの営業時間が終了し、店内に残っているのはパメラだけとなった。
シュウは厨房で賄いを準備していて、既にシャルは食事を始めている。
クリスはパメラの様子を見るため、奥にあるテーブル席へと向かう。
「ごちそうさま。店が終わる時間までかかってごめんなさいね」
パメラが少しバツ悪そうに見上げて話しかけてくる。
「気にしないでください。これくらいは普段からよくあるので……」
「ありがとう。『大腸マッサージ』や『干しエビ』のことも教わっちゃって、もう頭が上がらないわ」
パメラが立ち上がって変える準備を始める。
「あ、お通じのお話なんですけど、シュウさんから教わったことが一つあるんですよ。
聞いていきます?」
「もちろんよ。何をすればいいの?」
パメラは目をキラキラさせながらクリスを見る。
実際に困っているのは彼女本人なので、真摯さが違う。
「シュウさんの話だと、人間の身体っていろいろと繋がっているらしいのね。
それで、わたしたちはこう――」
クリスは椅子を引いて、そこに座る。
「――座って用を足すのだけど、椅子を外してもっと深く屈むようにすると、勝手にお腹に力が入るようになっているらしいの」
立ち上がって椅子を戻すと、クリスは地面にお尻が触れないように屈んでみせる。
「へぇ、お腹に力が入るから出やすくなるのね? でも、御虎子にはできないわねぇ……」
パメラは困ったような顔をしてみせる。
この街で一般的な御虎子は壺のような形をしている。そこに便座を乗せて用を済ませるようになっているので、日本の和式便所のような使い方は難しいのだ。
「なので、座ってつま先立ちになってみたり、足元に台を置くといいそうよ」
クリスはまた椅子を引いて座り、つま先を上げたり、椅子の足貫の部分に両足を乗せて見せる。
「――こんな感じになるから、屈んだときみたいになるでしょう?」
「そうね! それならできるわ。早速、店に戻ったらやってみるわ!」
パメラの目は更に期待に満ちたものに変わっていて、喜びのあまりクリスの手を握ってブンブンと振り回している。
そこまで喜ばれると思っていなかったクリスは引きつった笑顔で応対していたが、最後に抱きしめられて大きな谷間に顔を埋められたあとでようやく開放された。
二日後、店の営業終了直前にパメラがやってきて、翌日には難産だったが無事出すことができたとクリスは報告を受けた。
注:
コンニャクはアプレゴ連邦王国やフムランド王国などにはない食べ物なので、『』にしていません。
また、アカエビと書いていますが。ツノナガチヒロエビというエビをイメージしています。
クルマエビには、日本でいうクルマエビにアフリカクルマエビを加えた二種類をイメージしています。
初稿:2020年9月6日
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます。
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次回投稿は 2020年9月13日 12:00 を予定しています。