牛肉の野菜炒め(2)
オセフが次に手をつけるのは、炊きたてで艶々の白いごはんである。
いつもと同じように、味噌汁椀から飯茶碗に持ち帰ると、オセフは一口分の白いごはんを箸で掬い、それを口の中へと運ぶ。薄ら香る少し焦げたような匂いが鼻に抜け、噛んでいるとゆるゆると甘味が広がり、そして喉の奥へと消えていく。
オセフはそこまで食べると、ようやく今日の主菜である牛肉の野菜炒めに目を向けた。
白い磁器の皿には炒めた牛肉とタマネギ、ピーマンがフライパンで炒めてそのまま移し替えられただけの状態で乱雑に混ざり合っており、こんもりと盛り付けられている。
焼けた薄切りの肉は見るからに牛肉で、肉汁や脂を吸ったタマネギは少し表面が茶色くなっているものの見るからにタマネギである。そして、オセフはピーマンという野菜を初めて見ることに気がついた。
マルゲリットの街やその周辺では栽培されていないのか、それとも何かの理由があってソコロが買ってこないのか……見たこともない野菜であった。
箸でそっとピーマンを摘んでみると、裏側も同じ緑色をしている。
鼻先に持ってくると、僅かに青臭い香りが漂ってくるのだが、タマネギを炒めた香りと比べるとたいしたものではなく、気になるようなものはない。
オセフは初めて見る食べ物に対し、自分がこんなにもおずおずとした態度をとるとは思っても見なかったが、じっくりと観察し、匂いも確認したのだから次は口の中に入れるしかないと口の中に放り込んだ。
胡椒の爽やかな木の皮のような香りが鼻に抜けると、先ほど嗅いだ青臭さは抑えられていて僅かに感じる程度なのだが、歯を立てるとそこからは独特の苦味が口の中に広がる。油のせいである程度中和されているのか、苦くて食べられないと言うほどのものではない。
そこで、オセフは皿の上からタマネギを摘んで口に入れた。
シャクシャクとした食感が残ってはいるものの、熱が通ってしんなりとしているこのタマネギは強い香りを口の中に広げ、同時に自らの甘味や辛味に加え吸った肉汁などが舌を包み、ピーマンの苦味を包み込んでくれる。
そして、追いかけるように焼けた薄切りの牛肉を入れると、肉の旨味が加わって、一体化した味に変わる。
「美味い!」
絶叫とは言わないまでも、カウンター席に座っている客の全てに聞こえるほどの声でオセフは叫んだ。
左右の席に座っている男たちも、急に呟いたオセフをことを目を瞬かせて見つめている。
オセフはまた皆の注目を浴びていることに気がついて少し怯むのだが、そんな視線に負けてはいられない。今度はタマネギ、ピーマン、牛肉を重ねるようにして口に入れる。
タマネギの甘味や辛味、牛肉の旨味にピーマンの仄かな苦味が絶妙に絡みあい、一体となったと同時、今度は追加で白いごはんを口の中に放り込む。
無味無臭に近い白いごはんの間に一体となった牛肉、タマネギ、ピーマンの味が広がると、その「おいしいもの」の量が一気に増えたような気分になる。
そして噛み続け、主菜である牛肉、タマネギ、ピーマンの味がボヤけてくると、白いごはんの甘味がゆるゆると口の中に広がり、喉の奥に消えていく。
「オセフさん、気に入ってくれたみたいなの。『マヨネーズ』も試してほしいの」
シャルが近づいてきて、オセフに話しかけた。自分が勧めたものを気に入ってもらえたのが嬉しいのか、花が咲いたような笑顔でオセフを見つめている。
するとオセフは箸を置き、シャルの頭に手をのせると我が子を撫でるようにガシガシと撫でる。
「ああ、すごく気に入った。ありがとな」
首が折れるかと思うほど頭を撫でていたことに気がついたオセフは慌てて声をかけると、シャルの乱れた髪を手で梳かすように優しく撫で直す。
最初は驚きと、あまりに力強いオセフの手に倒れるのではないかと驚いたシャルも、いまは目を細めて嬉しそうにしている。
そうして、感謝の気持ちを伝えたオセフは改めて牛朝食に対峙する。
シャルも他の客に新しいお茶を入れてまわったりと、なかなかに忙しい。
オセフはまた味噌汁椀を持つと、今度は具材の里芋と小松奈を摘んで口に運ぶ。
出汁を吸った里芋がねっとりとした感触を与え、小松菜はシャクシャクと小気味良い音を立てる。里芋と小松菜はじわりと吸った出汁を口の中に広げる頃、オセフは追いかけるように口縁を口にあててズズッと味噌汁を啜る。
「ほぅ」
また声が出た。
じんわりと染み込んでくるような味の余韻を心で感じ、肩の力がフッと抜ける。
一通り口にしたあと、オセフは再び主菜の皿に目を向ける。
オセフは一先ず牛肉とタマネギ、ピーマンの炒めものに添えられた白いペースト――マヨネーズに箸をつけて口元まで運ぶ。
酢のツンとした香りが鼻腔を刺激する。
クリスが説明したとおり、ドレッシングのようなものというのであれば、酢の匂いがするのは仕方ないとオセフも納得してペロリと舌で舐めてみる。
植物性の油が加えることで卵の味を引き立てていて、そこに加えられた酢の酸味が油のしつこさを打ち消している。卵と油、酢が絶妙のバランスで配合されていて、そこに加えられた塩が全体の味に一本の芯を加えている。
オセフは、マヨネーズの酸味とコクが加わると牛肉の野菜炒めが持つ甘みと辛味、苦味の上に加わった時の味を想像してみる。だが、上手く想像できない。
ただ、シュウがマヨネーズを添えて出しているという意味では、これを一緒に食べるのも美味しい食べ方なのであるということは確かであろう。それは、現にクリスとシャルが絶賛しているところを見れば明らかだ。
オセフは決めたとばかりに、主菜の皿に箸先を伸ばす。
牛肉、タマネギ、ピーマンの順に重ねると、それを皿に添えられたマヨネーズにベッタリとつけて一気に口に運ぶ。
ピーマンの青臭い香りがマヨネーズに含む酢の香りに抑えられ、タマネギの甘い香りと焼けた牛肉の甘い匂いと一体になって鼻に抜ける。
張りのあるピーマンの食感に、しっとりとしつつもシャクシャクとした音を立てるタマネギ、薄く切られたことでとても柔らかい牛肉の食感を楽しんでいると、口の中に広がったマヨネーズの酸味が炒め油のしつこさを洗い流す。
塩と胡椒で味をつけられただけの牛肉の野菜炒めは少し角のある味わいだが、そこにマヨネーズが加わることで、卵のコクと酸味により角が取れた「更においしいもの」に変わった。
オセフはそこに追いかけるように白いごはんを頬張る。
白いご飯はオセフの口の中でマヨネーズと牛肉の野菜炒めの味を吸い、その口いっぱいに広がっていく。
目を閉じてオセフはその「更においしいもの」を堪能するように口を動かす。
ゆっくりと口いっぱいに頬張った料理が小さくなり、唾液と共に少しずつ喉に流れていくと、オセフは最後にゴクリと音を立てて飲み込んだ。
「うまいっ!」
オセフはまた声を出して周囲の人を驚かせる。でも、声を出さずにいられなかったのだ。
周囲の人たちはすぐに食事に戻ることができず、ただ肩を震わせて笑い声を出さないように我慢していた。
一方のオセフは、普段は塊肉を焼いただけだとか、煮ただけという簡単な肉料理ばかり食べてきたので、この複雑に味が混ざって出来上がる美味しさに完全に魅了されていた。
とんとんと肉、ピーマン、タマネギを箸で積み上げると、それをマヨネーズに付けて口に放り込む。胡椒の香りや肉の甘い香り、マヨネーズの風味を楽しみつつ、白いごはんを頬張ると、また口いっぱいに美味しさが広がって、喉の奥へと運ばれる。
醤油を垂らした胡瓜の漬物をかじり、また白いごはんを頬張り、味噌汁を啜って一体となった美味さを楽しみながら、また胃袋へと送りだす。
飯茶碗のごはんが無くなる頃合いでシャルがごはんが入ったお櫃を持ってくる。
「オセフさん、お待たせしました。おかわりの『ごはん』なの」
「ありがとう」
オセフはシャルからお櫃を受け取ると、先ず飯茶碗に白いごはんをたっぷりと装い、右斜め前にある空きスペースに置いた。
主菜の皿にはまだ牛肉の野菜炒めがたっぷりと残っており、まだまだ食事を楽しめる。
オセフはまた丁寧に牛肉、ピーマン、タマネギを積み上げてから三つをまとめて箸で摘むと、マヨネーズを付けて口に運び、白いごはんを頬張る。確りと噛んだあとはゴクリと飲み込む。
次に、白菜の浅漬を食べる。昆布の旨味と白菜の甘みに醤油の旨味と塩味が加わってとても豊かな味が舌を包み込み、シャクシャクという小気味良い音がその食感と共にオセフを楽しませる。そしてもう一口、白菜の浅漬を摘むと口に入れてすぐにまた白いごはんを口に頬張る。
白菜の浅漬の味を白いごはんが吸ってが口の中に広がると、少しずつ薄まり喉の奥へと飲み込まれる。
ガツガツと、しかし少し嬉しそうに今日の『牛朝食』を食べていたオセフも、飯茶碗に三杯のごはんを食べきる頃には主菜の牛肉の野菜炒めも食べ尽く、満腹となる。
クリスが食後の新しいお茶を持ってくる。
自分の前にコトリと音を立てて新しいお茶を置いたクリスを見て、オセフは思い出す。先日、無料で貰ったホットドッグが家族に好評だったのである。ただ、オセフ自身も食べる分を貰っていたのに、妻のソコロが二つ食べてしまったのでありつけなかったのだ。
「そういえば、クリスさん。先日もらった『ホットドッグ』なんだが弟子や子どもたちに好評だったよ。特に妻は美味しいからとオレの分まで食べやがったくらいだ。ありがとな」
自分自身は食べられなかったのだが、オセフは子どもや弟子、妻の代弁とばかりにクリスの作った料理を褒めた。
するとその言葉に気を良くしたのか、クリスは最初はふわりとした笑顔を見せるのだが、だんだんと頬が緩んでくる。
「そ、そうなのね? ありがとうございます」
返事をしたときにはもう満面の笑みを浮かべていたクリスなのだが、すぐに沈んだ表情に戻ると悲しそうに話す。
「でも、もう『パンの朝食』は売れないので止めちゃったの。誰も注文してくれないんだもの……」
こうなるとオセフも返事に困ってしまう。
自分自身、この店には魚朝食が目当てで来ているのだから、クリスの焼いたパンの朝食は頼む気がなかったのである。
しばらく言葉を失ったオセフではあるが、ホットドッグであれば片手が空いて、何かをしながら食べるのにちょうど良かったとことを思い出す。
「バカ弟子や子どもたちに算術や読み書きを覚えさせるには片手で食べられる『ホットドッグ』は便利だと思ったんだが……残念だなぁ」
「そうね、腸詰めを挟む『ホットドッグ』や、野菜と燻製肉などを挟む『サンドイッチ』はいい軽食になるんだけど、それをたくさん作るのも、売るのも時間がないの……」
クリスは困ったように眉尻を下げてオセフの言葉に続ける。
「これから街を拡張するにも宿も、食べる店も足りないじゃない?
そう言うときに、屋台でも出せる『ホットドッグ』はとてもいいと思うんだけど、オセフさんはどう思う?」
「そりゃ、便利だな。工事現場近くまで屋台引いて売りに来てくれれば、態々昼飯や休憩のたびに交流街の店や家に戻って食べる必要がなくなる。休憩時間をしっかり使えるのはありがたいな」
マルゲリットでは弁当という文化はない。持ち歩くとすれば、朝買ったパンを持って行って、現地で食べるという程度のものだ。もちろん、肉や野菜などはなく、食べたとしても硬い干し肉くらいのものになる。
「シュウさんの国では、『小麦』や『蕎麦』の粉を捏ねて伸ばした麺を茹でて食べる屋台を出していたらしいのよ。だから、この街でも屋台で出せる気軽な軽食を広めないといけないかなって思っているんだけど……」
江戸時代、「火事と喧嘩は江戸の華」などと呼ばれるほど江戸の町は火災が多く、そのたびに人夫が集まって新たに家を建て直すということが繰り返されていた。そして、大工仕事をする肉体労働者も江戸に多く集まり、長屋で生活をしていたのだが、そんな彼らの胃袋を支えたのが屋台であった。
これは、初めてクリスが日本で寿司屋に行ったときにシュウから教わった日本独自のファーストフードに関する知識である。
クリスはそれをマルゲリットの街でも実現したいと考えていたのである。
一方、食後に出されるほうじ茶をズズッと啜りながら、オセフはクリスの話を聞いていた。
「茹でるってことは、火を屋台の中で運ぶってことだろう? 木で作ったら燃え移って火事になってしまう。そこはどうするんだ?
燃える度に新しい屋台を作るならオレは儲かるから万々歳だが、そうもいかんだろう?」
移動できる屋台を作れという話であれば大工の仕事だが、その中に火を扱う器具を入れるとなると話は変わる。
昨日まで開いていた収穫祭でも肉串を扱う店や煮物を出す店は鉄でできた専用の器具を持ち込んだり、石組みの簡易な竈を作っていたので移動などできるものではない。
だから、湯を沸かせるほどの火力を扱うことができる木製屋台となるとオセフはどうすればいいか見当もつかない。
「そこなんだけど、携帯型の焜炉を作ればいいと思うの。シュウさんの国でも、携帯型の焜炉を扱ってたんだって。でも、その素材とか、作り方が複雑なんですよ」
「どんな素材なんだい?」
「珪藻土という土を使うの。それを型に入れて、焼き固めたものを使うんだけどね……」
クリスはまた困ったように眉尻を下げて話す。
「その珪藻土がどこで採れるかわからないの」
「だったら、イサークに聞いてみたらどうだい? 石工師ならどこにどんな石や土があるか知ってるはずだ」
クリスはオセフの言葉を聞いた瞬間、困り顔からまた笑顔に戻る。
「ありがとう、オセフさん!
これで一歩前進したわ。今度会合するときの話題にしますね」
「帰りにイサークのところに寄って聞いておきましょうか?」
「あ、お願いします!」
オセフの申し出に対しクリスは軽く頭を下げるのだが、さすがにオセフが恐縮してしまう。
「いやいやいやいや、頭は下げないでください。で、では今日のうちにイサークのところに寄って聞いておきます。お代はこちらに……」
この店の人間として普段は接しているとは言え、さすがに領主の娘が頭を下げたのである。
オセフは思わず自分は膝をつくべきかとも考えてしまうのだが、そのような行儀作法は心得ていないので、慌てて支払いを済ませて席を立った。
クリスは急いで戸口まで追いかけるとまたオセフに頭を下げるのだが、オセフは振り向くこともなく大門の方に向かって角を曲がって行った。
オセフを見送ったクリスは、そのまま四人席に座るマルティ伯爵家の二人のところにまっすぐ進んだ。
服装に乱れがないことを確認すると、クリスは二人に声をかける。
「今日のお食事はいかがでした?」
「美味しかった。特にこの『タルタルソース』というのが実にいい。『バター』でしつこくなりがちな衣を適度な酸味が洗い流してくれる。これは他の料理にも使えるソースなのですか?」
マルティ家当主、オラシオがクリスに対し感想を述べると、続けてタルタルソースの用途を尋ねた。余程気に入ったのであろうが、作り方まで教えるとなると話は別である。
なので、クリスは少し警戒心を込めて返事をする。
「そうですね、『鶏肉』を揚げてから甘くて酸っぱいタレを絡めたものに『タルタルソース』をつけるのも美味しいですよ。ところで、ラウラ様はいかがでした?」
クリスはオラシオの質問攻撃を避けるためにもラウラへ話を振る。
そのような意図など知ることもないラウラも機嫌よく感想を伝えようとする。
「薄い衣が魚の味を閉じ込めていて美味しかったですわ。それに、父上がおっしゃったとおりソースがとても気に入りましたわ」
「ありがとうございます。ところで――」
ラウラの言葉に謝意を示すと、そのまま話の主導権を取るべく話を続ける。
「マルティ伯爵領では森が多いと聞いています。炭作りなどはしているんですか?」
「ええ、木材は我が領の主要産業ですから。領内の村などでは炭を作っております。それがなにか?」
炭を作る窯と、陶磁器を作る窯は異なるのだが、必要となる技術には似たところがある。
その技術があれば七輪のような携帯焜炉を作ることができるはずだとクリスは思っていた。それに、携帯焜炉でつかうのも木炭の方が効率がよい。
また、上水道を作るのであれば濾過に木炭を使うこともできる。
「いえ、いろいろと考えるところがありまして……ごゆっくりどうぞ」
クリスは思案げな顔で宙を見上げて返事を済ませ、これで今夜来るエドガルドへ報告することができたと息を吐いて厨房へと戻っていった。
初稿:2020年2月23日
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
またブックマークいただきました。ありがとうございました。
次回の投稿はこの日の夜、エドガルドがやってきて共に食事をします。
シャルロットの父親探しの話に少し進展が見える予定です。
投稿は 2020年3月1日 8:00 を予定しています。
シュウとクリスの出会いのお話「後継者選びの試練で転移してしまった美少女貴族は現代日本で何を見つけるのだろうか?」は毎日12:00に更新中です。
>> https://ncode.syosetu.com/n3347fy/
お時間がございましたらお読みいただけると幸いです。
 





