戻り鰹(1)
夕暮れで赤く染まった西の空を左手に、マルゲリットの大門前の坂道を登ってきた荷馬車がガラガラと音を立てて次々に止まる。
カンデ・オルギンがプラドの街から三台の荷馬車に分けて運んできた荷物は、あと二日に迫ったマルゲリットの収穫祭に向けて用意した商品だ。自慢の木工品を中心とし、生活に必要になる食器の類が主であるが、武器も多く運んできている。大きな街ではそれぞれの領主が私兵を抱えているし、傭兵として身を立てている者、狩猟により獣や鳥などを捕まえて部位別に売ることで生計をたたている者などがおり、弓や槍などの武器も需要を見込むことができる。ましてや祭りとなると、他の貴族や商人が集まり、護衛として随伴する傭兵や狩人たちも懐があたたかい。その時期に武器類を取り扱うのは当然のことである。
「荷物を確認する」
生真面目そうな顔をした三十過ぎくらいの門兵が声をかけてきた。
「わかりました。こちらが積荷一覧ですので、ご確認ください」
カンデは首に掛けたプラドの住民証をちらりと見せ、用意した積荷一覧を提出する。
門兵は、積荷一覧から特別に税が必要になるものや不審なモノが含まれていないことを確認し、実際に積荷と数量などが合っていることをとても慣れた手つきで確認していく。
カンデはここまでくればマルゲリットの街に入ったも同然だと思っている。もちろん、たまに御者や同行する従業員が持ち込む私物の中に特別に課税される酒などが含まれていることがあるが、本人たちの私物である以上、徴収される税額を自身で支払ってもらうことにしているので問題ない。
ただ、祭りの前になると他の商人たちも集まっており、どうしても行列ができてしまう。今回は、昼二つの鐘が鳴る前に到着していたというのに、もう少しで夜一つの鐘が鳴る時間になってしまっていた。
「荷物に問題はない。御者三名と店主及び従業員が四名、護衛五名で、入門税は千二百ルダールだ」
しばらくすると、積荷の内容と数量に間違いがないことを確認した門兵がやってきて通行税を求めてきた。マルゲリット以外の街に住む者が入門する場合は一人あたり百ルダール――銅貨一枚が必要になる。これは必要経費だ。
ただ、祭りの前後は何度も出入りするので、カンデは事前にお得な入門札を買っていた。
入門札を買うことで、十二人分が銀貨一枚で済むのである。
「入門札を使う。ほら、入門札十二枚だ」
「うむ、たしかに――通ってよし」
門兵は素早く入門札の数を数えると端を割り、カンデに返却した。
街の中で身分証の提示が必要になった際、この割れた入門札を見せることで、正規の手続きを踏んで街に入っていることが判るようになっている。出るときは身分証を門兵に見せて、使用済みの入門札を返却する仕組みだ。
「ありがとう」
カンデは門兵に軽く一礼すると、先頭の荷馬車に続いて大門の中に入る。馬車はガラガラと音を立てて進み、衛兵詰所の先を左折する。商業ギルドの倉庫に荷物を預けるためだ。
商業ギルドの倉庫は、門の西側外壁にずらりと並んでいる。
カンデはオルギン商会が借りている倉庫の前に荷馬車を留め、全員で荷物を倉庫に運び込んだ。
「まずはこれで商品はすべて運び込んだ。明日は、広場で店を開く準備だ。護衛の傭兵さんたちにも店の設営は手伝ってもらう。よろしく頼む」
従業員と御者、傭兵たちを前に並べて、カンデは全員に入門札を渡す。
正規の手続きで入門していることを示す証拠になるためだ。
「ではオレたちはこれで……」
入門札を受け取った傭兵たちは少し嬉しそうに口角を上げて話すと、踵を返すように商業ギルドの方に向かって歩いていく。どこかの宿屋で酒でも飲むのだろう。
だが、カンデや従業員、御者は荷馬車に乗って宿屋まで移動しなければならない。
「じゃ、我々は『天馬亭』まで行ってから一休みしようか」
従業員や御者が「はい」と一斉に応える声を背に、カンデは自分の荷馬車に乗り込んだ。
カンデたちの一行が定宿にしている天馬亭に到着すると、主人のウーゴが見事な営業スマイルを貼り付けて出迎えにやってくる。
「カンデ様、いらっしゃいませ。いつもご贔屓いただき、ありがとうございます」
「やあ、ようやく祭りが始まるね。祭りの期間はよろしく頼むよ」
カンデは商人らしい愛想の籠もった笑顔をみせて、言葉を返す。
そこで、あることを思い出してウーゴに尋ねる。
「そういえば、今年もラウラ様がいらっしゃるのだが――どこかいい店はあるかい?」
ラウラというのは、カンデの出身地であるプラドの街を治めるマルティ伯爵家の三女である。実は結構な我儘娘で、マルゲリットには伯爵家の領都屋敷があるにも関わらず、街に出て食事をしたがるという。
ラウラには彼女なりの考えというものがあって、そうしているのかも知れないのだが、今のところはただの我儘という認識がマルゲリットの街では一般的だ。
「ああ、あのプテレア様が大好きなお方ですね。いつものようにご昼食にご利用になるので?」
ウーゴはできるだけ表情には出さないようにしているつもりだが、言葉には少し忌避するようなトーンが含まれている。
実はラウラは、特に珍しい髪色に瞳を持ち、神樹の精霊として顕現するプテレアのファンなのだ。
我儘で自己中心的なプテレアの行動を知る人からすると、そのプテレアのファンというからには特殊な嗜好を持つ人間か、同じ方向の思考を持つ人間かのどちらかで、ラウラは明らかに後者なのである。
カンデはウーゴの言葉から心情を察したのか、肩の力を抜いて呆れたように話す。
「ああ、今年もロレンソ様に同行なさるらしいから――夕食はお屋敷で取られるだろう」
「ということは、昼食でしょうか……」
ウーゴは右手の拳を顎に当て、左腕で右肘を支えながら視線を宙に彷徨わせる。
昨年と同じ店が良ければそちらに行くのであろうが、今年も違う店を紹介するとなると、街の店の数には限りがあるので年々厳しくなってくる。また、選ぶのであれば伯爵家の令嬢に見合う格のある店でないといけない。
「うーん……」
しばらく視線を彷徨わせて考えていたウーゴが、諦めたように声を漏らすと、自然と視線を下がる。
その視線の先に、何かぼんやりとした視線で食堂の椅子に腰をかけたセリオが目に入る。昨日、朝めし屋から帰ったセリオは気の抜けた表情でぼんやりと考えていることが多くなっていた。
しかし、そのセリオを見て思い出したのか、ウーゴは目を大きく開いてカンデに向き直る。
「朝食ではどうでしょう?」
「どうしてまた朝食なんだい?」
「朝二つの鐘から三つの鐘の間しか営業していない、朝食専門の店があるのです。そこがまた少し変わってまして……」
ウーゴはどこまで話すか、そこで考える。
店員がこのマルゲリットの街の領主の娘であることや、生でも食べられる海の魚を出すことなど説明を始めるとキリがない。
「……どう変わっているんだい?」
カンデは少し訝しげな目でウーゴを見つめる。
変わっている店を紹介するというのはどうかということなのだろう。
「まずは、海の魚を出すことでしょうね。しかも、さっきまで生きていたかのように鮮度が良い魚です。あとは――ラウラ様はアスカ家のクリスティーヌ様とは仲がよろしいのでしょうか?」
「いや、わたしはそこまでは知らないな――」
もしかしてラウラとクリスの仲が悪いということであれば、紹介は避けたほうがいいとウーゴは考えたのだが、カンデが知らないのであればどうしようもない。
「実はですね……その店はクリスティーヌ様の店なのです。異国の料理人を連れて店をなさっているので、変わった料理が食べられるのですよ」
「ほう――」
カンデは興味深そうにウーゴの話を聞いているが、ラウラとクリスの関係が良くないのであれば、そこは紹介しないほうが良いだろう。ただ、二人の関係を確認する術がない。
「――では、さり気なくラウラ様に確認してから話をするべきだな。この街の収穫祭に来るくらいなのだから仲が悪いとは思えないが……。とはいえ、ラウラ様の目当てはプテレア様だからそこは絶対とは言えない気がするな……」
カンデはそう述べると俯き、くつくつと肩を揺らす。そして顔を上げると、商人らしいギラギラとした目でウーゴを見つめて言った。
「じゃ、明日の朝食を食べに行ってみるよ。そこで決めることにしよう」
つかつかと宿の中に進んだカンデは記帳を済ませると鍵を受け取り、部屋に向かっていった。
ノックの音が四回続き、その後から声が聞こえてくる。
「おはようございます、カンデさん。早く起きないと、『魚朝食』にありつけないですよ」
昨夜、寝る前にウーゴから朝めし屋で魚の朝食を食べたいなら開店前から並ばないと食べられないと聞かされ、カンデは丁度いい時間に起こしてもらえるよう、ウーゴに頼んでいたのだ。
「ああ、ありがとう」
明らかに寝起きらしい嗄れた声でカンデは返事を済ませると、急いで起き上がって歯磨き用の木の棒を咥え、ガシガシと噛みつつ服を着替えてブーツを履いた。
木窓を開くと、空を覆うグランパラガスがエステラの光をきらきらと反射していて、今日もなかなかの陽気になることを教えてくれる。
木枝を使ってがしがしと歯を磨きながら眺める街の様子は、とても賑やかだ。それも、明日から始まる収穫祭に向けての準備が急ピッチで進められているからであろう。そういうカンデの店も準備をする必要があるので、のんびりはしていられない。
備え付けの洗面器に入った水で、口を濯いで顔を洗うとよく磨いた厚い錫の膜が張られた鏡で顔を確認する。
「ふむ――今夜にでも髭は整えよう……」
数日間の移動でカンデの髭は伸び放題になっていたのである。
マルゲリットやプラドの街に限らず、髭は男性にとって自身に威厳を持たせるためにも必要なものとされる。だが、商売には清潔感や品位というものが大切なので、身だしなみのひとつとして髭の手入れが特に重要視されている。
それに、明日はマルティ伯爵家の一行もやって来る。更に身だしなみには気をつけなければいけないのだ。
カンデは踵を返すと部屋を出て、階段を降りていく。ちょうど、ウーゴが厨房から出てきたところである。
「おはよう。起こしてくれてありがとう」
「おはようございます。いえいえ、お気になさらず……」
さすが、ウーゴはマルゲリットで一番とされる宿の亭主である。特に駄賃などを求めることもなく、ただ客のことだけを考えた応対をする。
店の紹介もそうだ。マルゲリットの秋の収穫祭、春の祭に参加する貴族たちの要望に応えるため、様々な要望を叶える方法を調べるにあたり、ウーゴに相談すればだいたいのことは対応できる。
今回も、ラウラのこと以外はすべてウーゴの意見を参考にカンデは対策を練っている。
「それで、朝食なんだが……店までどうやって行けばいいんだい?」
「そうですね、こちらに地図を書いておきました……」
カンデが尋ねると、ウーゴは宿のカウンター下から簡単な地図を出して説明をはじめる。
「うちからですと、二通りの経路――迷わず行ける方法と、裏通りなどを経由して行く方法があります。裏通りを使うと近いのですが、少々わかりにくいと思いますので、遠回りではありますが大門前を通って行く道がいいかと思います」
ウーゴは地図に描いた線に指を沿うように動かして説明する。
カンデもその経路を確認すると、収穫祭で人が集まってきているこの時期に裏路地などを通って行くのは避けるべきと考えたのだろう。
「うん、そうだね――大門前を通って行くことにするよ。ありがとう」
商人らしいにこりとした笑顔をウーゴに向けると、カンデはくるりと背を向けて天馬亭の入り口を出る。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
ウーゴは大きな張りのある声でカンデを送り出し、後姿に向かって右手を胸にあてて軽く頭を下げた。
カンデはひらひらと挙げた右手を振ると大門方面に向かい、祭りの準備で忙しい人波の中に消えていった。
祭りの前日ということもあり、街は活気に溢れている。
もちろん、最も混み合うのは大門前だ。
商業ギルドのある西通りから出てくる荷物を載せた荷車や荷馬車と、大門を通ってくる荷馬車だけでなく、各領地の貴族が続々と馬車に乗ってやってくるのだから仕方がない。
そして、メインストリートである中央通りは屋台を建てるための建材を運ぶ荷車で賑わう。そのほとんどが違う街の商人たちが雇ってきた傭兵であるせいか、気性も荒いので彼方此方で喧嘩が起こる。といっても、身体が資本の傭兵たちなので抜刀騒ぎということもなく、殆どが口喧嘩で済んでしまう。一部には挨拶のつもりで交わしているつもりなのだろうが、傍から見ると喧嘩をしているように見えるやりとりなんかもあって煩わしい。
そんなメインストリートを大門前に向かって歩き、カンデはようやく東通りに入る。
耳を塞いで歩きたいと思うほどの喧騒であったが、これもこの季節のこの街だからこその賑わい――風物詩だと割り切り、寧ろ楽しんでいるような様子である。
朝三つの鐘から始める営業に向けて準備をする店や、既に今日の営業を終えようとしているパンの店……それぞれが二重扉になっているのでしっかりと覗き込むように店を見ないとわからない。
ただ、カンデは根っからの商人なので、そういう他の店を見て商売につながるような商品を探して歩くのが好きなのだ。
「おっと、時間がないんでしたね……残りは帰りにしましょうか」
東通りは住民密着型の店が多いため、ゆっくり見て歩きたいところだが朝二つの鐘が鳴る前に店に着いて並ばないといけないというのを思い出したのか、カンデは独り呟くと歩くペースを上げる。
数分ほどで地図に示された四つ辻のところで右折すると、東側の城壁まで続く路地に入る。
それまでは路上に捨てられた生ゴミや汚物があちらこちらに散らばり、異臭を放つ非常に不衛生な通りであったのが、突然ゴミひとつ落ちていない清潔な通りに変わる。
カンデの少し先には金灰色の髪の少女がワンピース姿で路上を清掃していて、なにやら聞いたことのないメロディを口ずさんでいた。
誰も率先して路上の清掃などしようとしない。たとえ一度清掃したところで、また上から降り注ぎ、馬車が屋根から生ゴミや汚物を振りまいていく……だが、少女は独りでこの道を清掃している。
毎日清掃していても汚れていく通りを健気に掃除をする少女にカンデは感心し、興味を持った。
誰のために、何のために掃除をしているのか――そのことが気になった。
「ガララッ――」
掃除をしている少女の近くにある店の扉が開き、白地に緑の神官のような装いの少女が飛び出してくると、掃除をしている少女がそれに気づいて振り返る。
「それでは行ってくるのじゃ」
「いってらっしゃいなの」
掃除の少女はにこりと笑顔を向け、右手をひらひらと振っている。
ただ、カンデにとって最も興味があることは、神官服の少女――プテレアだ。
「そうじゃ、妾は明日から一週間は戻って来ぬのじゃ。祭りの主役じゃからの……シャルもいい子にしておるのじゃぞ」
「うん、だいじょうぶなの」
プテレアがシャルと呼ばれた少女の頭を優しげに撫でると、シャルも嬉しそうに目を細める。
まるで姉妹のようなその姿に、カンデは瞠目すると、怖ず怖ずと二人に声を掛けた。
「あの……プテレアさまではございませんか?」
「そうじゃが……其方は?」
振り返るって返事をしたプテレアに対し、カンデは急ぎ跪く。
「――マルティ伯爵家御用商人のカンデ・オルギンと申します」
「ああ、あの小娘のところの御用聞きか――その御用聞きが何用じゃ?」
見た目は自分も小娘であることを忘れ、プテレアは少しむすっとした表情でカンデに用件を尋ねる。
一方のカンデには、精霊を相手に直接話をした経験などない。ましてや、プテレアはこの街の神木ともいえる大木に宿っている大精霊である。いくら伯爵家御用達の商人であっても、何も考えずに声を掛けてしまった以上、そう簡単に次の言葉が出るものではない。
「どうしてこのような場所にいらっしゃるのですか?」
カンデにはプテレアをここで見かけて直感的に感じたことを素直に尋ねることしかできなかった。
カンデの表情は緊張のせいか少し強張っているようで、続けて何かを口にしようものなら間違いなく噛みそうな雰囲気を見せている。
そのことで、特に他意や悪意というものがないことを察したのか、プテレアは軽く視線を宙に泳がせると、カンデの質問に答えた。
「いろいろと事情があっての――妾はこの店の主人に世話になっておるのじゃ。事情というのは祭の初日にエドガルドから説明があるはずじゃ」
そこまで話をすると、プテレアは仰け反るようにピクリと身体を震わせた。
「――そうじゃ、妾には予定があったのじゃ!」
プテレアは慌てた様子で話すと、その場から消えていなくなった。
しばらくの間、消えたプテレアがいた場所をカンデは呆然と見ていた。
すると、箒を持ったシャルがカンデの前にやってきて、心配そうに見つめる。カンデはプテレアに対して跪いたままの姿勢だったので、顔色が悪く、動かないカンデをシャルが心配したのだ。
「具合わるいの?」
初稿:2019年09月22日
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
また、評価やブックマークも頂きました。ありがとうございました。
とても励みになります。
誤字報告もいただき、とても助かりました。ありがとうございました。
カンデがマルゲリットの街に着いたのは、リックとアレホが朝食を食べにきた日の夕方という設定です。
また、マルゲリットにはグランパラガスがあり、雨が降っても濡れることがあまりないので、屋台で店を出すといっても、屋根が必要ありません。商品を並べる準備だけなので、基本的には毎年と同じ作業――ある程度は従業員任せにして、夕方に確認するという段取りになっています。
ところで、誤字確認や推敲をわたしはiPadでやっていて、実際の修正作業をPCで入力しています。
なぜか、PCのブラウザより、iPadの方が誤字や文章の並び方が変なところ、余計な装飾などを見つけやすいんですよ……不思議です……。
次回は 9月29日 08:00 の投稿予定です。