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秋刀魚の塩焼き(1)

復帰早々、たくさんの方々にお読みいただいているようでとても嬉しく思っております。

また、ブクマと評価もいただきました。とても励みになります。ありがとうございます。


 宿泊客であった商団の馬車の台数が多いせいか、ガラガラという音が部屋の中に響き、セリオはその音で目を覚ました。そして、くありと欠伸をすると、ぼんやりとベッドに腰掛ける。

 普段ならもう起きて宿屋の厨房で料理をしている時間なのだが、今日は十日ぶりの休みの日だ。この時間まで寝ていても問題はない。


「セリオ、起きているか?」

「はい、オーナー」


 セリオがそろそろ歯磨きと洗顔でもしようと思っていたとき、寝室の扉を三回ノックしてウーゴが問いかけてきた。既に起きていたので問題ないが、セリオは大声で返事をした。

 現在は父が経営する宿で見習いとして働いているせいか、言葉遣いは既に矯正されていて、休みの日だというのに、つい堅苦しい返事をしてしまう。


「美味いものを食べに行くぞ。街着でいいから急いで準備して出てきなさい」

「えっ? は……はい」


 宿屋と食堂を兼ねた家にセリオは生まれたので、食事は家で済ませるのが当然であった。そのせいか、生まれてはじめて父から外食に誘われたことについ戸惑いの混じった返事をしてしまう。

 だが、その返事を聞くとウーゴは自分の準備をするためか、ドスドスと足音をたてて私室へと向っていった。







 朝二つの鐘が鳴る少し前、セリオとウーゴは宿屋の裏口で集合し、大門から交流街と居住区をつなぐ東の通りを歩いていた。

 セリオは目元や髪色などは父親のウーゴと同じであるが、まだ幼さが残った身体はこれからも変化を迎えることを示している。身体は細く、身長も百五十センチメートルほどで、まだまだ頼りない。


 セリオは自分たちが住む天馬亭の周辺と比べて汚れていて、異臭が漂う通りを歩いていてとても不快な気分になっていたが、横を歩く父を見上げるとなんでもないような顔をしていることに気づく。見習いとして働きだして二年が過ぎているが、その間にある休みの日も自宅から出ることがなく、外の匂いというのにあまり慣れていないということなのだとセリオはひとり納得する。


 するとウーゴが右に曲がり、そんなに狭くはない路地に入る。馬車がすれ違うことができるほどの道幅があるが、その先は清掃されていて、ゴミひとつ落ちていないほどきれいな道になっていた。そして、少し先では少女が箒を片手に店先の掃除をしている。金灰色の髪は毛先に行くと少し赤く色づいていてとても珍しく、とてもよく目立つ。


 セリオは少女の後ろ姿を見て、三年前まで一緒に遊んでいた街の子どもたちのことを思い出す。最近見かけることもなくなった女の子たちはみんな栗色や赤毛、鳶色などの髪色であった。


「うーん……」


 普段から天馬亭の中で働き、天馬亭の中で暮らしているせいか、セリオにとって三年ぶりに見る同世代の少女はとても気になる存在だ。記憶の中の女の子のことを思い出してはあの子でもないし、あの家の子でもないなどと考えていた。


「この店だ。壁に沿って並びなさい」

「はい」


 突然、父であるウーゴに言われ、セリオは少し慌てた様子で後ろに並ぶ。

 とはいえ、少女のことがとても気になるのか、セリオはウーゴの大きな身体の向こうにいるはずの少女を見ようと右へ左へと身体を捻るのだが、ウーゴは海辺育ちで体格が大きく、ちょっとやそっとではその少女の姿を捉えることができなかった。


 セリオはあまりに大きな父親の背中に苛ついたのか、その後頭部に向けて悪態を吐く時のような視線を向ける。だが、自分も背後から刺さるような視線を浴びせられていることに気づき、恐る恐る振り向いた。

 そこには、数人の大きな男たちが並んでいて、「なんだこいつ?」といった不審者を見るような目でセリオを見ている。

 セリオは慌てて父の背中に隠れるように小さくなり、この場をやり過ごすことにした。






 クォーンカーン……クォーンカーン……


 朝二つの鐘の音が響くと、ガラガラと店の引き戸を開く音がする。

 クリスが店の前に暖簾を掛けると、入り口前に立っていたウーゴに話しかける。


「おはようございます、ウーゴさん。今日も一番乗りですね!」

「ああ、おはよう。ただ、今日は息子も連れてきているので、毎日来ているように言わないでもらいたいな――」


 少しバツが悪そうにウーゴが挨拶を返す。


「あ、ごめんなさいね。息子さん――ですか?」


 店の入口に積まれた石段の上からクリスがひょこりと顔を出すと、セリオは思わず言葉を失い、呆然とそこに立ち竦む。

 ポニーテールにまとめ上げられた髪は蒼月のように白く輝き、自分を見つめる瞳は瑠璃のような深い青でキラキラと煌ている。ふっくらと柔らかそうな唇は自然な色ではありながら、艶々と光っていた。


 神々しい――セリオはその言葉が指す状況を初めて経験したのである。


 セリオは漸く動くようになった右手で左胸を押さえ、心拍数が高まったことを確認する。呼吸で胸が上下しているのだが、その胸の中では心臓が力強い鼓動をあげてくる。


「うちの長男でセリオです。こちらはクリスティーヌ様――この街の領主、アスカ侯爵家のご息女だ。失礼のないようにな」

「まぁまぁ――ただの料理屋の『女将』ですよ」


 父親の説明に、明らかにセリオは動揺した表情を見せる。下手なことをすれば打首になるのだと。

 ただ、クリス本人はそんなことは気にもしないように右手を左右に振って、ウーゴの言葉を否定している。


「あ、まずはお店の中にどうぞ。次の方は何名様でしょう?」


 入り口で長話をしてはいけないと、クリスがウーゴとセリオに中に進むよう促し、他の客の相手を始める。

 セリオは大きく深呼吸をし、自分の後ろに並ぶ男に声を掛けるクリスを見上げながら、ウーゴの後を追って店の中に入っていった。







 セリオは店の中に入ると、シュウの案内に従ってカウンター席に座る。目の前には端まで続く一枚の無垢板があって、そこに見たこともないようなカラフルな陶器製の調味料入れが並んでいる。


「こっ……これは……」

「この店独自の調味料だ。ここの料理は美味いぞ。父さんには負けると思うがな」


 ウーゴはセリオに向かってにやりと笑う。ただ、普段から料理には厳しい父親の姿を見ているセリオにすると、他人の料理を美味いという姿を見るのは初めてである。少し期待に胸が膨らむ。

 すると目の前にあるメニューらしきものに目が留まる。


「えっと――『牛肉の朝食』と『豚肉の朝食』、『鶏肉の朝食』……」

「いや、メニューは決まっている。『魚の朝食』だ」


 セリオは思わず今まで見ていたメニューから目を上げ、ウーゴを見つめる。「なんで?」と顔に書いてある。

 それを見て理解したのか、ウーゴは目を輝かせながら息子のセリオに向かって話す。


「父さんは海辺の街で育ったって話をしただろう?」

「うん、ダズールだよね」


 仕事を終えて酔った父親が何度も崖の上から見た街の景色のことを話してくれるし、同じダズールで育った母も故郷の景色について色々と話し聞かせてくれている。それはもう、耳にタコができるのではないかとセリオは疑ったことがあるほどだ。


「ここは海の魚が食べられる店なんだよ。お前にも食べさせてやりたいと思ってな――」


 ウーゴは父親として息子を連れてきたからなのか、とても優しい口調でセリオに話す。先日、いわしの梅煮を食べたときは自分でも海の魚を扱いたいと考えていたのだが、息子や娘に食べさせるのであれば一緒に食べに来ればいいという結論に至っていたのだ。


「ウーゴさん、いらっしゃいなの」


 カウンター席の一番奥に座ったウーゴの右側――セリオの左側から細い腕が伸びてきて、湯気の出たおしぼりを渡す。そのまま、隣に座るセリオにもおしぼりを差し出す。


「いらっしゃいなの――えっと……」


 初めて見る客にシャルが少し焦ったような表情をすると、ウーゴが気がついたようにセリオを紹介する。


「ああ、シャルちゃん――この子はわたしの息子でね、セリオっていうんだ」

「シャルロットなの。シャルって呼んでいいの」


 自分の左側ににょきっと伸びた細い腕の先にあるおしぼりを見て驚いていたセリオは、慌ててそのおしぼりを受け取ると、その声の主の方を向く。

 セリオを少し見上げるような姿勢でにこりと笑顔を見せるシャルを見て、セリオはまた動けなくなった。

 店の前の通りを清掃していた金灰色の髪をした少女が自分の目の前にいて、その宝石のようなピンクの瞳をこちらに向けているのだ。

 先程、クリスを見た時とは違う胸が締め付けられるような感覚に、セリオは他の人にも自分の心臓の鼓動が聞こえるのではないかと思いつつ、なんとか声を絞り出す。


「セッ――セリオです……よっ――よろしく」


 見習いの仕事で客に対する笑顔をつくるのは慣れているにも関わらず、セリオの顔は凍りついたように硬い。口角を上げようとしても、ピキピキと音を立ててしまいそうなほどである。

 その顔を見て不思議そうにしていたシャルだが、すぐにまた笑顔を見せる。


「うん――よろしくなのっ」


 シャルがくるりと向きを変えると、彼女の髪がさらさらと流れるように追いかけていく。そこから、甘い花のような香りがふわっと広がると、セリオの鼻腔を刺激する。

 その香りにセリオは恍惚としたような表情をすると、そのまま息を止めて余韻を楽しんだ。






 シャルがおしぼりを配ったあと、カウンターの前にはクリスが立っている。


「えっと、今日からわたしが焼いたふかふかの柔らかい『パン』に、焼いた燻製肉と目玉焼きの朝食――『洋朝食』も始めることにしましたので、そちらもよろしくおねがいしますね。では、順番にご注文をお伺いしますね……って最初はウーゴさんだから『魚朝食』ですね?」

「ああ、セリオも同じもので頼む」


 セリオは自分にはクリスのお手製ふかふか柔らかパンの選択肢を選ぶ権利がないことを心で嘆いていると、クリスがそっと前にお茶を出してくる。

 ほどほどに飲みやすい温度になるまで冷まされたお茶は、湯呑を持っても熱いと感じることがない。そのまま口に含むと甘みと旨味が口いっぱいに広がり、鼻腔の中を爽やかな香りが駆け抜けてゆく。


「いつもと違うお茶だけど、爽やかで飲みやすくて美味しいです……」


 セリオは漸く一息つけたといった感じで、ぽつりと呟く。

 自分より年上だけどとても美しい――だけど、高嶺の花という存在。自分よりも年下だけど、明るく元気でとても可愛らしい少女――この二人に会えたということだけでも、セリオにとってはとても貴重な体験である。


「ええっ! なんで誰もわたしのパンを選んでくれないのぉ~」


 突然、店内にクリスの声が響く。

 店にオーブンを置くことになった時から、クリスはインターネットで調べた天然酵母の作り方を見てコツコツと試行錯誤してきた。渾身の品であるにも関わらず、朝から並んで入ってきた客のすべてが魚朝食を選んだのだ。


 その様子を見たシャルも少し残念そうな顔をしているが、実はマルゲリットの住民はそれぞれに贔屓のパン屋というのがあり、それぞれがこだわりを持っている。農作業をしている人たちも、朝は焼きたてのパンを買って自家製のジャムをこってりと塗り、血糖値をしっかりと上げてから仕事にでかける。いま、この店に来ているのは多くが商人や一部の職人たちで、そんな彼らも朝一番にパンを買ってきて家に置いてきている者が多い。


「まあ、朝一番のお客さんはみなさん『魚朝食』って決まってるものね……」


 少し肩を落としてクリスが呟くと、厨房からはじゅうじゅうという音と魚が焼ける香ばしい香りが漂ってくる。

 その香りを嗅いで、ウーゴは思い出したようにクリスに声を掛ける。


「ところで、今日の『魚朝食』はなんだい?」

「今日の魚は『秋刀魚』の塩焼きですっ」


 クリスはちょうどいままで落ち込んでいたかの様子だったのだが、何事もなかったかのように元気に答える。

 ただ、ウーゴは秋刀魚という魚を知らなかったようで、「はて?」といった感じで記憶の中を彷徨うように視線を動かしていた。

 その様子を見て気がついたのか、クリスがウーゴに尋ねる。


「ウーゴさんは『ダツ』っていう魚をご存知ですか?」


 ウーゴはその名前を聞いて、顔を顰める。


「ああ、『ダツ』っていえば殺人魚だよな。知らないわけがないさ――」

「ああ、『ダツ』は恐ろしい……」


 ウーゴの口から出た殺人魚という名を聞いてギクリと驚いた顔をしたクリスだが、気を取り直したように説明を続ける。もちろん違う客の反応も非常に気になるところだ。


「その『ダツ』という魚の仲間です。ダツよりも小さいけれど、この時期になると脂がのって、とても美味しいんですよ」

「ふむ……ありがとう」


 クリスの説明に謝意を告げるウーゴの顔は、何かワクワクとしたような顔に変わっている。ダズールの街でも食べたことがない魚を内陸のマルゲリットで食べられるのだから仕方がない。

 ただ、セリオだけは話を聞かず、シャルのことだけを気にしていた。


「今日のお漬物をもってきたのっ!」


 カウンターの前にシャルがやってきて、トレイに載せた小鉢を配り始める。最初はウーゴ、次にセリオの前にことりと小さな音を立てる。とても形のいい爪と細くて白く長い指が、小鉢から離れてシャルの手元に引き戻されていく。

 セリオが思わずシャルの顔を見上げると、シャルはにこりと笑顔をみせて、すぐに次の小鉢を取ろうと視線を手元に落とす。小鉢を載せたトレイに向けた視線と、セリオからは少し横を向いた角度には笑顔のときにはない素のシャルがあり、そこには幼さが残るのだが、美しさも秘めていることを感じさせる。


「今日のお漬物は、『ゆずだいこん』と『しば漬け』、『野沢菜』なのっ」


 カウンター席の客にまとめて漬物の説明をするシャルの言葉は幼い。にこりと笑顔をつくり、軽くお辞儀をするしぐさにも幼さが残っている。

 だが、その幼さはセリオの庇護欲のようなものを駆り立て、背中を後押しするように気持ちを昂ぶらせる。

 とはいえ、今のところセリオはただ頬を赤らめ、追尾カメラのようにシャルの顔をぼおと見つめることしかできていなかった。






 マルゲリットでは厨房が見える食堂はまずない。換気扇というものがないので、煙突に頼るしかなく、食堂から厨房が見えるようでは煙だらけになってしまうからだ。

 ウーゴはいつものようにまっすぐ前を向いてじっとしている。カウンター席の向こうには厨房の中が見えるようになっていて、そこで働くシュウの姿を見ているのだ。自分たちの店とは違い、金属製の調理台が中央に置かれた厨房には少し違和感を抱くのだが、大きなまな板と恐ろしいほどの切れ味がある包丁を使っている姿を見ることもある。今は、網に載せた秋刀魚を焼いているところで、丁寧に一匹ずつ裏返している。

 他の店とはいえ、料理人が真剣に調理している姿は将来の後継者である息子にも見てもらいたいと思ったのか、ふとウーゴはセリオを見る。しかし残念だが、セリオは完全に呆けた顔をして目線だけでシャルを追いかけている。その目は何か熱いものに冒されたようにぼんやりとしていて、ウーゴは声にもならない溜息を吐く。


 セリオの小さな背中をウーゴがぽんと叩くと、セリオははっとした顔で父親を見上げる。


「気になるのか?」


 父親の一言にセリオの顔や耳が真っ赤に染まっていく。いつもより鼓動が早く、力強くなってくるのだがセリオにとってはこれが初めての経験だ。自分のことを冷静に理解できていない。


「いっ――いや、そんなことないよ」


 明らかに動揺した息子を見つめながら、ウーゴはこの子もそういう年頃になったんだなあと感慨深い思いを抱く。気がつけば、何年ぶりのことか思い出せないほど久しぶりに息子の頭を撫でていた。


「そうかそうか……」


 天馬亭では絶対に見せない表情をした父親の顔を再び見上げ、その優しい表情と手のぬくもりを感じて、セリオもにへらと笑みをこぼした。



初稿:2019年8月25日(日) 08:00


昔は秋刀魚の塩焼きばかり食べていましたが、ガーリックバターで焼いたものも絵美味しいことを知りました。他にもあんな事やこんな事をして食べるというのも楽しいものですね。

セージやディルを入れてイタリアンにするのもいいですし、炊き込みご飯も作れるとか……

機会があったら作ってみたいと思ってます。


さてつぎは「秋刀魚の塩焼き その2」です。これからちょくちょく秋刀魚が出てきます。

お楽しみに♬

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イタリアン、スペインバルを舞台にした一人称視点の作品です。よろしくお願いします。
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