パンシチュー
ウーゴがなめろうと白いごはんのコンビネーションに気がつき、夢中で食べ始めた頃、クリスはお茶と漬物、おしぼりを持ってマルコ達が座るテーブル席にやってきていた。
「クリス様、どうしてこちらに?」
「いろいろあってね、今はここのシュウさんと暮らしてるのよ」
「まあ……領主の次女という地位があるのに、どうして?」
「ん? ちょっと待て、いま領主の次女って言ったかい?」
ニルダとクリスの話を聞いて、マルコはクリスの素性を初めて聞いたという顔で、確認する。
「ええ、クリス様はこの街の領主、連邦侯爵家の次女、ナルラ国第二王女ですよ」
「ええっ?!」
初対面の時にフルネームで自己紹介したときも、マルコは聞き逃していたし、今までに知る機会がなかったのだ。
マルコは驚きの表情を変えることなく、固まってしまっている。
「それにしてもお久しぶりですね、クリス様……」
「ええ、母の葬儀以来ですからもうすぐ七ヶ月ですね。お元気そうで何よりです」
「ふっ……二人はどういうごっ……ご関係で?」
とても仲よさそうなニルダとクリスの関係を見て、マルコが尋ねる。
普段は宿屋の妻と、その宿泊客の関係でしかないのだから、マルコがニルダとクリスの関係を知る機会はない。
「ニルダは十年くらい前まで、わたしの家の側仕えをしていたの」
「お部屋の清掃やベッドメイクなどを専門にするお仕事をいただいていたの。幼馴染のジェリーと結婚するまでの話だけどね」
「そのニルダがマルコさんとお店に来るなんて、わたしも驚きました」
ようやくマルコもニルダとクリスの関係や、クリスの地位を理解したようだ。
「銀兎亭は商業ギルドに一番近くて安価な宿屋だからね。よく使っているんだよ」
「でも、この店ができてから朝食を食べてくれなくなってねぇ……」
「ごめんなさい」
思わずクリスが頭を下げると、ニルダもちょっと言いすぎたと一瞬苦い顔をしてフォローする。
「謝ることなんてないよ、ジェリーの腕が悪いからいけないんだ」
「わたしも厨房に入るんだけど……」
「そうだね、でも料理を教えるのも父さんは下手ってことだよ」
ニルダは申し訳なさそうなレヒーナの言葉に夫のせいにして返すと、肩を揺らしてくつくつと笑う。
話の流れが切れたタイミングを見計らったように、クリスは注文を促す。
「あ、そろそろご注文いいですか?」
「今日は何の料理があるんだい?」
「そういえば、話に夢中で説明していませんでしたね……」
やらかしたという顔をして、クリスは片目を瞑って小さく舌を出すと、何事もなかったかのように説明をはじめる。
「今日の『鶏肉』の料理は、モモ肉をスパイスで味付けして焼いたものです。『豚肉』の料理は生姜風味で味をつけた炒め物、『牛肉』料理は『ジャガイモ』や『ニンジン』、『タマネギ』と煮た肉じゃがという料理です。魚料理はもう売り切れてしまって、残りは卵料理か野菜料理ですね……」
「魚料理は売り切れか……だとすると……」
マルコは額に人差し指を突き立てて考え始める。
いつものように、鶏肉や牛肉は硬いから豚肉にしようかとでも考えているのだろう。
すると、意外な声がでる。
「あの……うちの店でも似た料理を出せるようなものがあれば……」
「これ、レヒーナ……」
「どういうこと?」
「いや、銀兎亭の料理はジェリーがメインで料理をするのだが、豪快な男の料理というか、肉を焼いて塩振って終わりといった料理が多くてな……傭兵や狩猟を生業にしている人たちには人気がありそうなんだが、商人には評判が良くない。そこで、参考のために今日はお連れしたんだよ」
「なるほど、でも他ならぬニルダの宿ならわたしも力になりたいし、聞いてくるね」
カウンターの端にはなめろうで腹を膨らませたウーゴが食後の一休みをしているが、クリスはその横を通って厨房に入っていく。
魚定食に連続で注文が入り、まとめて調理ができたシュウは比較的余裕があるようで、既に日本での営業準備のために、だし巻きを作る準備をしている。
「ねえシュウさん、うちの屋敷で働いていた人がいま宿をやってて、そこの料理に出せるようなものを参考に教えてほしいって言われてるんだけど……なんとかなる?」
「その人は、クリスにとって大切な人なんだな?」
「もちろんよ」
じっとシュウの目を見つめるクリスの瞳には力強い気持ちが込められていて、本当に大切に思っている人なんだろうとシュウは確信する。
「今は少し手が空いているから、そんなに時間もかからないで出せる料理ってことになるけど、他に前提条件はあるかい?」
「この街だと硬いパンを食べるのが一般的だから、そのパンに合わせる前提になるわね」
シュウは、冷蔵庫を開けて中身を確認すると、右腕を肘で直角に曲げて上に向け、人差し指だけを立ててクリスに向かって何かを思いついたような表情をする。
「その硬いパン……できれば丸くてこれくらいの大きさのものが手に入らないか?」
シュウは、両手で直径二十センチ程度の輪をつくり、その形まである程度示してイメージを伝える。
「あると思うわ」
「じゃ、六個くらい買ってきてくれ」
「あ、念のためだけど……マルゲリットのお店よね?」
「ああ、硬くてもいいから膨らんだもので頼む」
シュウに確認すると、クリスはマルコとニルダ、レヒーナにシュウが要望の品を作ることを説明して、店を飛び出していく。
お会計を済ませるついでに挨拶をしようと考えていたウーゴはチャンスを逸してしまい、またそこでしばらく固まっている。
その間に、シュウは料理を作り始める。
ベーコンの塊を厚めの拍子木に切っておく。タマネギはくし切り、ニンジンと馬鈴薯は食べやすい大きさになるようサイコロ状に切っておく。
鍋にオイルを入れて、摩り下ろしたニンニク、ベーコン、タマネギ、ニンジンを入れて炒める。そして、ベーコンの香りがふんわりと上がってくると、そこに水を入れて煮込み始める。
次に、ソースパンを出して、そこに無塩バターを入れると同量の小麦粉を入れて焦げないように炒める。しばらくすると、ソースパンからはクッキーを焼いている時の臭いが立ち上ってきて、店内に充満する。
シュウはそのタイミングで牛乳を入れて少しずつ鍋の中にできたペーストを溶かし、ベシャメルソースを作っていく。
「お菓子つくってるの?」
シャルが珍しく厨房に入ってきて、シュウの作業を見守っている。
「ああ、違うちがう。いい香りはするけど、これは後のお楽しみだな。
クリスがいまいないから、シャルはお会計とかあったら聞いてきてくれるかい?」
「はいなのっ」
両手を広げ、飛行機が向きを変えるように大きく旋回してシャルはカウンターに戻っていく。
カウンターの客はみんな食事を終えて、会計を待っていたようで、ウーゴを含め、次々に会計を終えると店を出て行った。すると、席が空いたと三名の男性客がゾロゾロと入ってくる。
「いらっしゃいなの。すぐに片付けますなのっ」
少しずつ慣れてきたのか、シャルもカウンターの上の食器類をまとめると、重ねて厨房内のシンクに持ってきて、落とさないように静かに下ろす。
少し危なっかしいので、それを見ていたレヒーナが立ち上がり手伝いをはじめる。
「ありがとうなのっ」
「ううん、気にしないで」
カウンターを拭いたところで、お客さんが座る。
お茶を入れて、おしぼりと漬物を持つと、三人の客に配り、注文をうける。
「今日の魚朝食は売り切れなの。『鶏肉』の料理はスパイス焼き、『豚肉』の料理はギンガル風味の炒め物、『牛肉』の料理は肉じゃがなの……あとは……」
「オレは『豚肉』にするよ」
「おいらは『豚肉』の料理だな」
「オレも『豚肉』で頼む」
「ありがとなの。『豚朝食』がみっつなの!」
「あいよっ」
同じものばかり続くオーダーに、一瞬戸惑うシュウなのだが、いつもと同じように返事を返す。
ベーコンを使った煮物の料理は既に七割は完成していて、あとは馬鈴薯を入れて一緒に煮込み、ソースを入れて更に少し煮込むだけという状況だ。その横でも豚朝食は簡単に対応できる。
「あとはオレがやるから、シャルは空いたカウンターの片付けを頼むよ」
「はいなのっ」
また旋回するように反転すると、シャルはカウンターの片付けに向かって戻る。
すると、タイミングよくクリスがパンを持って帰ってきた。
「これでいいかしら?」
「ああ、少し大きいが、そのぶん厚みが無いからちょうどいいと思う」
「これでどうするの?」
「そりゃ、できてからのお楽しみってやつだろ」
シュウはニヤリと笑うのだが、パンの使い道が気になるクリスにとっては物足りない返事だ。だが、マルコとニルダ、レヒーナの三人が食べるには大きなパンであるし、これが今日の賄いになることに気がつくと、楽しみにするのも悪くないとクリスもニヤリと笑みをこぼした。
煮込む時間のことを考慮すると、どうしても後から来た三人の男性客の料理の方が早く提供できるため、そちらをシュウは優先する。
クリスが戻ってきたので、配膳はクリスが行っている。三人の男性客は何度かこの店に来てくれている客で、クリスが少し会話をしている。
その様子をみて安心したのか、シャルもレヒーナのもとに近づいていく。
「さっきは本当にありがとうなの」
「ううん、忙しそうだったからお手伝いしたくなったの。それより、名前を教えてくれない? わたしはレヒーナ・ベインだよっ」
「わたしはシャルロットなの。シャルでいいの」
「シャルちゃんね、いくつ? わたしは十歳だよ」
「シャルも十歳なの」
シャルにとって、この街で同い年の少女に話しかけられるのは初めてのことだ。
十歳になると大人として扱われるこの国では、既にみんなが働いていて、なかなか同世代の子どもと知り合う機会がない。レヒーナはこの街育ちだから友だちもいるだろうが、シャルにとってはこれがはじめての友だちになるかもしれないチャンスである。
「ねぇねぇ、今度一緒に遊ばない?」
「うんっ!シャルはおともだちが欲しかったのっ」
ぱあぁと明るく輝くような笑顔を見せるシャルに、レヒーナは少し眩しささえ感じるように目を細めると、嬉しそうに頬を赤め、ニッコリと笑顔を見せた。
「お待たせしました、パンシチューです」
この店の主人であるシュウが自ら、作った料理を運んできて、マルコとニルダ、レヒーナの順に料理が乗ったトレイを置いていく。
ことり……ことり……と静かに置かれたトレイの上には、大きめの丸い皿の上に、大きな丸いパンが一つ置かれていて、木匙が添えられているだけだ。
「これは?」
「パンの上が蓋になっているので、それを取ってみてください」
思わずマルコがどういうことかと尋ねようとするが、それを制するようにシュウが料理を説明する。
「中には、『豚肉』の燻製と『ジャガイモ』、『タマネギ』、『ニンジン』を煮込んだものに、 『牛』の乳、それと『バター』、『小麦粉』を炒めて作ったソースを入れて煮込んだものが入っています。くり抜いた分のパンは後ですぐにお持ちしますので、まずは食べてみてください」
言われたとおりに蓋になっているパンの上部を開くと、溜まっていた湯気が一気に吹き上がり、中から薫製肉の匂いや先程から漂っていた焼き菓子のような香りが一気に広がる。
石窯で焼かれた茶色いパンの中には、見るからにとろみのある白い液体がたっぷり入っていて、赤いニンジンや少し黄色味を帯びたジャガイモが浮かんでいるのが見える。中央にはパセリの葉が刻んで散らされていて、見た目にもとても美しい。
マルコとニルダ、レヒーナは木匙をとって、パンの器に入った液体を掬うと口元に運ぶのだが、シチューは見るからに熱そうな湯気をあげていて、すぐに口に流し込むのも難しそうだ。ふうふうと息を吹きかけ、ようやく口の中へと流し込む。
それでもまだ少し熱いのだが、舌の上には香味野菜であるタマネギとニンジンの味とベーコンから出る旨味が溶け込んでいるスープに、牛乳の旨味を煮詰めたソースが一体となって広がる。
声に出さず、その旨さを飲み込もうとするとつい口の中の空気が鼻に抜ける。
薫製肉の芳醇な香りと炒めたタマネギの香り、小麦粉を炒めていた時の香ばしい甘い香りが複雑に絡み合う。
「ふわっ!すごいすごいすごい美味しいっ!」
レヒーナは耐えきれずに声を出す。
「うん、すごく美味しいわねっ!」
「ああ、これは王都の街で店を出せる味だよ……」
ニルダもその旨さに感動し、マルコも驚き思わず溜め息をつく。
「でもどうして……」
ジャガイモやニンジン、タマネギは当たり前のように使われている食材であるし、豚のバラ肉部分を薫製にしたものはこの街でも一般的に手に入れられる食材である。牛乳やバターは流石に簡単ではないが、それでも同じように手に入れられるものだ。
「ああ、わたしたちには平凡な食材なのにどうしてこうまで深い味になるんだい?」
レヒーナが考えていたことと同じことをマルコが尋ねると、シュウは少し困ったような表情をしながら頭をポリポリと掻く。
「説明は難しいんだが……五感を使って料理してるからかな?」
「五感ですか……」
レヒーナが不思議そうな顔をしてシュウの目を見つめる。理解できていないのだろうが、知ろうという気持ちがこもった強い目線だ。
「味を感じる味覚、触ってわかる触覚、匂いで感じる嗅覚、耳で聞こえる聴覚、目で見る視覚。味覚、触覚、嗅覚、聴覚、視覚の五つのことよ」
クリスが簡単に説明する。
「そういう言葉があるんですね」
「わたしも初めて聞いたぞ」
「いや、五つに分類して整理したことがないだけで、普段からその五つのどれかを駆使して生きているはずです。料理はその五つの感覚をすべて使って作るっていうことなんですけどね……」
三人は手を止めてシュウの話を聞いていて、シチューが減りそうにない。
「さあ、まずは食べてください、冷めてしまいます」
「ああ、そうだな……」
「はい……」
シュウの言葉に、マルコとニルダ、レヒーナの三人は、黙々とパンシチューを食べ始めた。
初稿:2019/04/07
2019/04/30 食材の表現を変更。一部加筆、修正
2020/02/02 未修正の食材名を修正。語尾等の変更。
いつも読んでいただきありがとうございます。
また、評価・ブックマークしていただいた方々にも感謝申し上げます。
次回は4/14に投稿予定です。