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なめろう

 ちゅんちゅんと小鳥が囀る。

 閉じたガラス窓の向こうに作られた小さな棚の上には、かたちは似ているが、それぞれに違う色の花びらを開いていて、とても美しい。

 だが、その花の蜜を吸おうとやってきた小鳥たちも、窓の内側に人の気配を感じると慌てて飛び立ってしまう。


 目を覚ましたマルコはむくり起き上がると、踝よりも上まであるブーツに足を入れ、それを紐で縛り上げる。

 次に部屋に置いてある洗面器に入った水で顔を洗い、据付の布で顔と手を拭いて上着を羽織ると、部屋から出て行く。


「おはよう」

「ああ、おはよう」


 階段から降りてきたマルコに向かい、この銀兎亭の主人であるジェリー・ベインが挨拶すると、マルコがそれに挨拶をして返す。

 この銀兎亭は商業ギルドに近いというのもあって、行商人の多くが定宿にしているのだが、これといって他に特徴もなく、料理も決して美味しいと言えるものではないことをマルコは残念に思っている。


「このあと準備をしてから朝めし屋に向かうのだが、どうするんだい?」

「ああ、先日の話のとおり、妻と娘を先に連れていってもらえないか? 今日は宿泊客が少ない方だし、実際に料理を作っているのは自分と娘だしな……」

「ニルダさんとレヒーナの二人を連れて行って大丈夫なのかい?」

「ああ、実は先日、マルコさんの話を受けたあとで三人で話をして、そう決まったんだよ」


 マルコが隣町から帰ってきたときにも、妻と娘を先に連れて行って欲しいと言われていたが、家族で一応話し合ったようだ。


「今後のことを考えると、名物料理のヒントを見つけて来そうなのは娘だからな」

「なるほど……では、わたしは準備をしてくるから、整ったらまた声をかけるよ」

「ああ、よろしくたのむ」


 マルコは銀兎亭を出ると、商業ギルドの貸倉庫に向かって歩いて行った。






 ガララッ


 店の引き戸が開かれると、エメラルドグリーンの髪を持つ神官服を着た少女と、毛先になるとピンクに変わる銀灰色の髪にピンクスピネルのような瞳を持った少女が飛び出してくる。プテレアとシャルだ。


「それでは、少し親木に戻って休んでくるのじゃ。朝三つの鐘が鳴ったら戻ってくるのじゃ」

「うん、よろしくね」


 奥から少し重そうにバケツに入った大きめの苗木をクリスが運んできて店の前に置くと、プテレアはスッとそこから姿を消す。


「まったく不思議な子よね……」


 その様子を見ていたシャルは、異世界との扉を開いたり、旧王城の領主の部屋につながる穴を作ったりするクリスは更にすごいと思いながらもコクコクと頷き、朝の仕事を始めることにする。


「それじゃ、シャルはお掃除するの」

「うん、よろしくね」


 クリスは少し屈んでシャルに目線を合わせると、優しく頭を撫でる。

 シャルは嬉しそうに目を細めて身を任せると、思い出したように駆け出して掃除用具を取りに向かう。ブリキのバケツを一時的な植木鉢としてプテレアに提供してしているが、店の前を掃除するだけであれば特にバケツは必要ではない。毎週水曜日の休業日のあとは、店の前を通る馬車が屋根から撒き散らす汚物が散乱しているので、量が多くてたいへんだ。


「がんばるのっ!」


 右手の拳をぎゅっと握りしめ、シャルは掃除に取り掛かるのだった。





 朝二つの鐘が鳴る時間が近づいてくると、店の周りに人通りが増えてくる。

 農業を営む者は、朝の作業を終えてひと休みするのか居住区に向かって歩いているし、商人や従業員らしき人たちは交流区へと向かって行く。


 クォーンカーン……クォーンカーン……


 朝二つの鐘が鳴ると、ぽつぽつと朝めし屋に向かって歩いてくる人たちが見える。



 ガララッ


 朝めし屋の引き戸が開かれると、中からクリスがでてきて、暖簾を掛ける。


「一人だけど、もう食べられるかい?」

「ええ、もちろんですよ。いらっしゃいませ」


 ちょうど店にまでやってきた男がクリスが暖簾をかけたのを見て、声をかけて入る。

 すると、それに釣られるように男たちが店内に入って行く。


 しばらくすると、店内は数人の客がカウンターに等間隔で座っていて、クリスが順におしぼりとお茶を配りながら注文を聞いてまわる。


「今日の『鶏肉』の料理は、モモ肉をスパイスで味付けして焼いたものです。『豚肉』の料理は生姜風味で味をつけた炒め物、『牛肉』の料理は『馬鈴薯』や『ニンジン』、『タマネギ』と煮た肉じゃがという料理です」

「ああ、ここは海の魚が食べられる店なんだろう? それを頼む」

「今日は生の『アジ』を叩いて薬味と味噌で混ぜたなめろうという料理ですけど、それでいいかしら?」

「おお、生の『アジ』を……」


 男はごくりと生唾を飲み込み、味を想像するような表情をする。

 ほんの少しの時間だが、他にも待っている客がいるので、クリスはその客に確認する。


「では、魚の朝食でよろしいですか?」

「はっ……そ、それでお願いする」

「魚朝食、一人前お願いしまーす」

「あいよっ」


 クリスは大きな声で厨房のシュウにオーダーを伝えると、シュウもいつもの調子で返事する。


 そのやり取りを聞いていたのか、海の魚を食べられるという噂が広がっているのかは不明だが、別の席に座っていた他の客も同じように魚の朝食を注文するのだった。





 商業ギルドの貸倉庫から戻ったマルコは、銀兎亭に戻るとニルダとレヒーナに合流する。

 ニルダはふっくらとした体型をしているのだが、骨が細いのかぷっくりと肉がついているという印象だ。二の腕などは鍛え上げた農夫にも勝るのではないかというほどの太さをしている。茶色い髪は胸元を隠せる程度の長さで、少し地味な顔つきに、少し垂れ目で小さな瞳が人柄の良さを表しているような、優しそうな女性である。

 レヒーナも母親の血を継いで茶色い髪をしているが、長さはショートボブという感じの長さに切りそろえられている。おそらく、ジェリーと一緒に調理場に立つことがあるので短く切っているのだろう。元気そうな印象を与える髪型である。鳶色の瞳に大きな目は、少し目尻に母親の面影があって、面倒見の良さそうな優しい印象を与える女の子だ。


「いやあ、お待たせして申し訳ない。もう出発しても大丈夫かい?」

「もちろんです。今日はこのような機会をいただいて、ありがとうございます」

「とっても美味しい朝食がいただけるときいてるよ! すっごく楽しみにしてたんだぁ」


 マルコの気さくな挨拶に対して、ニルダはとても丁寧に返事をする。あまり外食する機会がないということや、娘を連れて夫以外の男性と食事にでるというのは、ありそうでまずない状況なので、緊張しているのだろう。

 一方、普段から宿泊客に接することが多く、可愛がられているレヒーナは快活で元気な女の子なのか、マルコに対しても気さくに接している。


「いや、待たせてすまないね。じゃあ、行こうか」

「はい、よろしくおねがいします」

「はーい」


 こうしてマルコとニルダ、レヒーナの三人は銀兎亭を出発した。





 男の客ばかり数名がカウンターに犇めき合うように座っている。

 マルゲリット(異世界)の街では、総じて男たちの体格は良く、筋肉質な者が多いせいか、日本のお店の感覚で椅子を並べてしまうと身動きが取れないほどの狭さに感じてしまうのだが、仕方がない。


 シュウは、昨日の夕方に三枚に下ろしていたアジの身に青ネギや大葉、味噌、生姜、煎酒などを振り掛け、包丁で叩き、練るように混ぜ合わせる。

 一人前ずつの大きさに分けると、平たく伸ばして木の葉の形に整えていく。

 隣には桂剥きにした大根を刻んだツマを盛り上げ、大葉を一枚乗せた備前焼きのまな板皿が並んでいて、そこにシュウが形を整えたなめろうを盛り付ける。

 木椀を取り出すと、大きめの雪平鍋から汁物をよそい、木のトレイの上に並べて行く。

 隣ではクリスが茶碗にごはんをよそっていて、同じように木のトレイに並べて準備を手伝う。


 まず一つ、トレイの上に料理が揃うと、クリスはそれを持ってカウンターに向かう。


「お待たせしました。魚朝食ですっ」

「おおっ」


 クリスが配膳すると、その内容を見た男が思わず声をあげる。

 木のトレイの左手前には陶器の器に一粒ひと粒がツヤツヤと輝き、ふっくらと炊き上げられた白いごはん粒が空気を含むようにふんわりと盛りつけられている。中央には木の棒のようなものが二本揃えて置いてあり、その奥にちょうど良い大きさの木匙が置いてある。右側には木の汁椀があって、そこには表面が茶色くて中は真っ白な物体と、少なくとも四種類はあるであろうキノコが湯気を上げる茶色い汁の中に沈んでいる。

 そして、トレイの奥には土を焼いて作られた平らな皿に、髪の毛のような細さに切られた大根のツマを枕に、木の葉型に固められたアジの身が横たわっている。そこにはナイフで切り刻む際に加えられた薬味野菜がたくさん入っていることも見てわかるのだが、更に刻んだ青ネギがたっぷりと乗せられていて、アジの血合いの赤い色や、飴のように透明感のある身の色によく映えている。


 ゴクリ……


 明らかに男は溢れる涎をこぼさぬように飲み込むような音をたてて、木匙に手をのばす。


「なめろう……美味しいですよ」


 そこにあるはずのない花のような香りがふうわりと漂い、耳元でクリスが囁く声が聞こえると、男は料理を忘れたかのようにウットリとした表情になり、視線を移し、ぼんやりとクリスを見つめる。


「汁物から先に食べると食べやすいですよ。なめろうは味噌味なので、今日の汁物は醤油味のきのこ汁です」


 隣に座った客に料理を出しながらクリスが説明していることを理解すると、男は我に返ったようにしっかりとした目つきに変わり、料理に正対する。


 クリスに言われたように、まずは木匙を持って汁椀の中にあるスープを掬う。

 口元まで持ってくると、木匙からは魚の香りに加え、キノコからでる香りも漂ってくるのだが、今までに嗅いだこともないような甘いリンゴのような香りや砂糖を煮詰めたときに出る匂い、発酵した穀物の匂いなどが複雑に絡まり合っている。

 意を決したように、そのスープを口に流し込むと、魚からとった出汁にキノコの旨味が溶け込んでいて、更に黒く色付く調味料が加えられていることに気がつく。そこで、むふっと口腔から鼻に息を抜くと、口に入れる前に嗅いでいた香りがより強く鼻腔を擽る。

 男はたまらず、汁物の具を木匙に掬い、口に入れるとふがふがと香りを鼻に逃すように咀嚼をし、味の分析をはじめるのだが、未知の調味料なのだから、答えなんて出るわけがない。店員が醤油味と言っていたので、とにかくこの味が醤油という調味料で作られているのだろうと男は想像する。

 味の分析を諦めるように、男は炊きたてのごはんを少し掬って食べる。

 ごはんの粒は絶妙な水の量で炊き上げられていて、わずかに残っていた糠の匂いなどが口の中に広がるが、噛んでいると甘みが出てきて、キノコ汁の香りや味を吸って喉の奥に消えて行く。






 がらがらと音を立てて引き戸を開くと、マルコが入ってくると、クリスが挨拶をする。


「マルコさん、いらっしゃいませ」

「らっしゃい」


 シュウもクリスの声を聞いて、追いかけるように歓迎の声をあげるのだが、いまはカウンターが満席の状態で、テーブル席が空いているとはいうもののかなり忙しそうな状態だ。


「やあ、おはよう。今日もテーブル席を使わせてもらうよ」

「もちろんいいですよ」

「こちらへどうぞなの」


 レヒーナはマルコから自分と同じくらいの年齢の少女がいることを聞かされていたので、どんな女の子が働いているのかとても気になっていた。だが、その少女は少し痩せすぎな感じはあるにしても、金灰色の髪の毛先はピンク色に変化しており、その瞳はとても大きく美しいピンク色の宝石のようで、レヒーナは呆然とシャルの姿を見ている。

 一方のニルダは、白い髪にラピスラズリのような青く輝く瞳を持ち、店内で働く少女に目を奪われていた。


「シャルちゃん、五番のお客さんにお櫃をお願いね」

「はいなのっ」


 ニルダの様子に気がついたクリスはシャルに自分の代わりを頼んで、ニルダに近づいて耳元で囁やく。


「ここでは、クリスと呼んでくださいね」

「は……はいっ……お嬢様」

「ほら……クリスでいいですよ」

「でっ……でも……」


 少し遠慮しようとするニルダの背中を押すようにテーブル席へと案内しようとすると、今日の一番客だった男から声をかけられる。


「ん……銀兎亭のニルダじゃないか」

「あら、そういうあんたは、天馬亭のウーゴかい?」


 カウンター席に座っていた男は、何事もなかったかのように自分の前に置かれている料理に向き合い、右手の木匙で汁物を掬う。


「どうしたんだい? そんな怖い顔をして料理を食べてたら、クリス様が怖くてご相手できないじゃないか」

「ニルダさん、お願いだから普通に接してください」

「ん? クリス様って……」


 ウーゴは、二十分くらい前に店に来た時からまったくクリスのことに気がつかなかったようで、クリスの顔を見て身動きを止める。


「いや、ウーゴさんも普通に接してください」

「こっ……これは……海の魚を食べられると聞いて来たので誰にも気づかれないように目を合わさないようにしていたからで……」

「あら、あんたもこの店の偵察なのかい?」


 頼んでもいないのに自爆していくウーゴに対し、ニルダは少し軽蔑するかのような声をあげるのだが、「あんたも」と言っているのだから、自分たちも偵察に来ていると言っている。

 そのことに気がついたレヒーナが少し強めにニルダの腕を引いて、ようやく店の奥にあるテーブルへと連れて行く。


「偵察というか……海の魚を食べてみたかっただけなんだがなぁ……」


 ニルダが連れていかれたあとに、ぼそりと呟くウーゴなのだが、周りにいた他の客も似たような目的だったようで、わかるわかると言わんばかりに首を縦に振る。


 少し不穏な雰囲気が生まれたのだが、レヒーナががんばってくれたおかげでウーゴも漸くなめろうに正対する。

 海の魚が食べられるとはいえ、ウーゴは生食に少し抵抗があったのだが、ナイフで細かく叩かれているので、不安感は消え去っていた。

 木匙の縁を使ってなめろうをちょうどいいと思うサイズに取り分けると、その下に木匙を滑り込ませて掬い上げ、そのまま口の中に運ぶ。


 最初に最も香りの強い大葉の香りがする。そのあとに青ネギや生姜の香り、味噌の香りが追いかけるように口の中を駆け抜けて行く。アジの身そのものはとても新鮮で、大葉や生姜などがアジの身に残るほんの少しの生臭さを消してしまうのだろう。背の青い魚特有の香りだけを感じることができる。

 その香りを楽しむように咀嚼をするとアジの身の適度な弾力感を歯が感じ、舌の上にはねっとりとした食感が伝わってくる。生姜の辛味がピリッと刺激をしてくるが、全体に混ぜ込まれた味噌がもつ塩味と旨味が土台となって、アジの味を何倍も美味しく感じさせてくれている。


 ウーゴは少し頭を傾げると、両腕を組んで考えるような姿勢をとる。


「なめろうは、あとから白い『ごはん』を食べると美味しいです。白い『ごはん』の上に乗せて食べてもいいですよ」


 クリスは、恐らくウーゴが塩辛いと感じたのだろうと思い、声をかける。

 ウーゴもその話を聞いて、すぐに白いごはんを掬い、口の中に入れる。


 なめろうの塩分を感じた舌の上に、温かい白いごはんが乗ると、飲み込んだはずのなめろうの風味がふわりと蘇り、すぐに甘さへ変わっていく。なめろうが白いごはんを更に美味しくしている。


「うまいっ……」


 白いごはんとのコンビネーションを考えて作られた料理……ウーゴの頭の中にそれが浮かぶと、確信に変わる。

 ウーゴはきのこ汁とごはん、なめろうとごはん、漬物とごはんという感じで、ごはんをおかわりしながら食べ続けた。



初稿:2019年3月31日

2019/04/30 食材の表現を変更 その他修正


いつも読んでいただきありがとうございます。

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