理(3)
ビールグラスを取り上げられたプテレアはシュウに返してもらおうと縋り付く
「ああっ! わりゃわのうぃーりゅぅ!」
完全に酔っ払ったプテレアは、グラスだけでも取り戻そうとシュウに抱きついてくる。
それを見ていたクリスもさすがにプテレアを抑え込む。
「酔った勢いとは思わないけど、流石にやりすぎよっ」
「うにゃぁあ」
それを見たクリスは少し怒りのこもった声を上げる、プテレアはわけのわからない声を出す。同時に、少々の酒では酔わなくなってきたクリスが力任せにプテレアを引き剥がそうとするのだが、プテレアは酔っているからなのか、ぎゅうと力を込めてシュウの左腕に抱きつき、離されるものかと胸を押し付けるように力を込める。小さな丘というくらいの大きさでも、見た目どおりに張りのある肌のせいか、硬い脂肪の塊がシュウの左腕にあたる。シュウは逃げようと思うのだが、プテレアにさりげなく手首を決められていて、力が入らない。
シュウは右手に持ったプテレアのグラスをなるべく離れた場所に置くと、空いた手でプテレアを引きはがそうと試みる。クリスもプテレアの腰に両腕を回して引っ張っているが、狭い店なので足場も狭く力が入らない。
「もうっ! いまはご飯の時間なのっ! 静かにしなさいなのっ! 」
おとなしくアジフライを堪能していたシャルも、我慢の限界がきたようで、珍しく声を荒げる。
シャルの怒りの篭った声に驚き、プテレアは一瞬ビクッと硬直し、シャルの方を見る。今は店の中で地球の理りが働いているとはいえ、プテレアにとっては怒らせたくない相手だ。
コクコクと頷くとシュウの手首にかけていた力を緩める。
ようやくプテレアから解放されたシュウも、少し圧を込めてプテレアに向けて話す。
「プテレア、飲み過ぎは厳禁だ。それに、埃も舞うから店では暴れないでくれ」
「わかったのじゃ……」
「クリスも、ここでは暴れるんじゃないぞ」
「はぁい……」
クリスは少し頬を膨らませ、不満げな顔をすると、諦めたように席に着く。
ビールを取り上げられ、プテレアは少し肩を落としていたが、残ったアジフライに齧り付いては、ご飯を頬張ると笑顔が戻る。
だが、プテレアの食べるアジフライはシャルと同じで半身しかない。更にはビールのアテにしてしまった分でかなり減っていて、少し物足りない。残り二口ほどで無くなるところまでくると、プテレアの表情は少し寂しげに変わる。
「ろぅしへわりゃわのアジフライわぁ……ちいしゃいのじゃ……」
「足りないなら、これも食え」
シュウは、自分の皿に残った半身を渡す。
「ひょいのか?」
「ああ、オレはもういいからな」
「ひゅまんのぉ」
まだ呂律の回らないまま話し続けるプテレアは、遠慮なくシュウの皿からアジフライを奪う。
「こんなに簡単に酔っ払うなんて珍しいじゃない」
酔うというのは年に一度の祭りの時だけだとプテレアは言うが、祭りといえばそれなりの量がお供えされるはずである。それがすべてプテレアの口の中に入るかというと違うのかもしれないが、ビール五杯で酔っ払ったのはクリスにすると意外であった。
「いまはこちりゃの世界のこちょわりに縛られちぇおるかりゃなのじゃ。こりぇが普段のマルゲリットの街ならこんなこちょにはなりゃん。そもそも、今のわりゃわは分体りゃ……入る量に制限があるのも当然なのりゃ……」
食事も終えようかという時になっても、プテレアの呂律は回らない。そして何か落ち着きなく足を動かし、もぞもぞとし始める。
「ううぅ……何かもぞもぞするのじゃ……」
「なんか虫でもいるんじゃない?」
「そういうのとは違うのじゃ……下腹部がうちぎゃわかりゃこう……ふくりゃむような感じじゃ」
「ん? このあたり?」
クリスは悪戯っぽい笑顔を見せると、プテレアの下腹部を摩る振りをして、それとは気づかれないように軽く押す。
「あふっ……なにかが出そうじゃ」
「おしっこなの?」
「あ、やっぱり?」
すでにアジフライと白いごはんを食べ終えたシャルが、プテレアの異常に気づき、クリスも気づいていたことを誤魔化すように推理していたふりをする。
「はっ……初めての排泄なのりゃ! どうすればいいのじゃ?」
ビールのせいもあるが、十分に時間も経過していていることを考えると、プテレアの頬が赤いのは初体験を迎えたからだろう。
プテレアの焦りなど気にすることでも無いようにクリスはプテレアの下腹部を摩りながら力を込めて押したりしている。
「あぅ……クリス、押ひゅでない! でひぇしまうのじゃ」
「いや、ここでされるのは困るっ!」
軽くであるが膀胱のあたりを押されるだけでも、尿道が短い女性にとっては致命的なことなのだが、プテレアはなんとか我慢していることが見てわかる。
シュウにとってもこの場でお漏らしされるというのは、店の衛生上よろしくない。
「よいせっ……」
シュウはプテレアを前から抱き上げると、そのままトイレまで持ち上げて連れて行く。
扉を開けると、いつものように便器の蓋が自動で開く。
そこにプテレアを座らせようとするシュウだが、下着を脱がせることまではさすがにできない。
「下着を脱がないとダメじゃない」
「おっおいっ」
「うえぇ?」
便座に座ったプテレアの下着を、シュウの後ろから手を伸ばしてクリスが脱がす。
半ば強引に下着を脱がされるプテレアは両脚を大きく開くことになり、恥ずかしい部分をシュウに晒すことになる。しかし、クリスの動きが見えていたシュウは目を閉じて回避し、そのまま身を転じてトイレから逃げるように飛び出す。
「クリスっ!」
「お店の中を汚されるよりはマシよ」
「いっ……いや、それでも今のはダメだろう」
「はひめておとくぉに見りゃれたのじゃ……」
シュウとクリスの会話に、何について話しているのか気がついたプテレアも調子に乗って会話に割り込んでこようとするが、幼女姿とはいえ、昼間には全裸になって登場していたのでいまさらだ。
「おまえなぁ……とにかく、トイレの使い方をクリスに教わって済ませるんだぞ」
「シュウに教わりたいのじゃ……」
「だってさ」
「ダメだ」
「大人なのに、ひとりでできないの?」
シュウとクリス、プテレアの会話を聞いているシャルが不憫そうにプテレアを見ているが、気にせずシュウは厨房に戻り、片付けを始める。
食べ終えた皿や茶碗はシャルが運び込んでくれているので、すぐに皿洗いにかかる。
「ギリギリまで我慢していたからか、開放感がすごかったのじゃ」
洗浄機能付きトイレの使い方の説明を受け、小用も済ませたプテレアは、十四歳くらいの乙女が言いそうもないことを普通に話しながら戻ってくる。
「あんまり我慢しすぎるのもよくないみたいよ?」
「病気になるの?」
「ああ、女性は膀胱炎に罹りやすいらしいな」
「人間とは不便な生き物なのじゃ……」
「ん? もう酔いは覚めたのか?」
さっきまで呂律が回らなくなっていたプテレアの口調が戻っていることにシュウが気づいて尋ねる。
「妾か? そうじゃな、排泄したら酒精も一緒に出ていったような感じじゃ」
「それってなんか勿体無いわねぇ」
「まぁ、今日はもう家に帰るが……またトイレに行きたくなるんじゃないのか?」
「さっきのが初の排泄だったってうるさかったけど、そのまま寝るならオネショ対策も必要かもね」
「うわっ……そりゃ困るな……」
普段は寝るだけのために借りている部屋といってもいい1DKの間取りで四人が寝るというのだから、ただでさえ寝具も足りずに狭いことが想像できる。
そこで更にオネショしそうだと言われれば誰でも泊めて大丈夫だとは思えない。
「たっ……たぶん大丈夫じゃ……」
「たぶんじゃ困るんだよなぁ」
「オネショは困るの……」
「だったら、コアの親木に渡してくればいいじゃない」
日本にいれば地球の理りの中で過ごすことになるが、コアに戻れば、コア側の理りが働く。そこでプテレアがグランパラガスに戻れば、地球で食べたものや飲んだものも、コアの地に戻すことができるということだ。
「そっ……そうじゃ、クリスの言うとおりじゃ」
「じゃ、引き戸を開けるからね」
クリスが少し企んでいるようで、悪い顔をしている。
「締め出そうと思っておるな?」
「そっ……そんなことするわけないじゃない……」
その顔と空気を読んだのか、プテレアが釘をさすように強い口調で機先を制すると、企てがバレたと、バツが悪そうにクリスは表情を変える。
その表情を見てプテレアも安心したのか、引き戸に向かって歩き出した。
また初めて日本の風呂に入ったプテレアが燥いでいるのか、浴室から聞こえる声がとても賑やかだ。
シュウは近所迷惑ではないかと少し心配になったというのと、風呂の扉を開いて全裸でプテレアが飛び出してくることも予想して部屋の外に出ているのだが、しっかりと騒ぐプテレアの声と、それを制しようとするクリスやシャルの声が聞こえてくる。
だが、このマンションで暮らしている人たちの多くは夜のお仕事をしている人たちなので、これから出勤する人はいても寝ている人はいないのか、他の部屋はとても静かだ。
シュウは自分の部屋の前で時間を潰すことも難しいので、ぶらぶらと歩き始めると、近所のコンビニで雑誌などを立ち読みして時間を潰す。そうして一時間ほどすると、牛乳やアイスクリームなどを買って部屋に戻ってきた。
玄関扉を開くと、今日の買い物で手に入れた部屋着でクリス、プテレア、シャルが待っていて、シュウの持つコンビニの袋に視線を集中させる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえりなさいなのっ」
「おかえりなのじゃ」
プテレアは元々は挨拶に慣れていないというのもあって、クリス、シャルのあとについていくように声をだすので、少しぎこちない。
「アイスクリーム買ってきたぞ」
「やったー」
「ありがとうなのっ」
「アイスクリームとな?」
アイスクリームがどういうものなのかを知らないプテレアはまた不思議そうな顔をするのだが、クリスとシャルが食べ始めたのを見て、真似をするようにして食べ始める。
四角い容器に入ったそのアイスクリームという食べ物は、角から切れ込みが入っていて、そこから開くことをシャルが教える。その紙の蓋を剥がすと真っ白な物体が入っていて、真ん中にちょこんと渦のような塊が見える。
プテレアはスプーンでその渦のあたりを掬うと、口へと運ぶ。
バニラの甘い香りが、舌に広がる甘味とともにプテレアの心を落ち着かせる。風呂上がりで未だに少し火照った身体と、乾いた喉も喜んでいるようで、プテレアはスプーンを咥えたまま、むふっと笑顔を作る。
クリスやシャルは毎日のことなので、特に顔に出すほどではないが、やはり女の子だ。
「冷たいのじゃ! うまいのじゃ!」
「お風呂上がりはやっぱりアイスよね」
「なのっ」
「じゃ、オレも風呂に入ってくるわ」
そう言って嬉しそうに食べる三人の姿を見たシュウが立ち上がり、浴室へ向かう。
アイスクリームに夢中になっているプテレアがまた入ると言い出すこともなく、シュウは落ち着いて入浴することに成功した。
シュウが風呂から出ると、クリスとシャルがベッドの上で寝そべっていて、日本のファッション雑誌を仲良く読んでいる。
そして、プテレアは少し寂しそうに空になったアイスクリームの容器を見つめ、スプーンを咥えたまま座っている。
「どうした?」
「うむ……足りぬのじゃが、食べるとまた排泄したくなるのじゃ……」
バスタオルでゴシゴシと短い髪を拭きながら、シュウがプテレアに話しかけると、見た目どおりのことを考えていたことを素直にプテレアが返す。
千年以上の歳を重ねていても、元は妖精なので純粋なのか、プテレアはとても素直である。人間に対する悪戯は、とても長い年月を生きる妖精としての本質でもあるので仕方がないのことなのだろう。
「そうか……冷たいものを食べすぎると腹が痛くなるし、その方がいいぞ」
「腹が痛くなるのなら、余計に食べるわけにはいかんのじゃ……」
「ところで……」
千年以上の歳を重ねたプテレアなら、地球と異世界との間の理りの違いについて、他にも感じていることがあるだろうと考えていたシュウが、プテレアに話しかける。
「もう少し、理のことについて教えてくれないか?」
「そうじゃな……話をしていれば、アイスクリームのことも忘れるじゃろう」
ようやく咥えていたスプーンを口から出すと、プテレアは話をはじめる。
「まず、地球というこの世界と、妾が過ごしてきたコアのことじゃ。この二つの世界はとてもよく似ておる。大きさも、太陽と地球、エステラとコアまでの距離、太陽とエステラの大きさ、公転の速度もとても似ておるようじゃ」
「そうなんだ!」
ファッション雑誌を読んでいたはずのクリスが思わず声をあげる。
そのクリスをチラリと横目に、プテレアは続ける。
「日が昇り始めて、姿を現わすまでの時間は地球も、コアも同じじゃ。地球の単位ではわからぬが、コアではミルトという単位じゃな。妾の感覚では、地球でも二ミルトで太陽が昇りきるはずじゃ。そして千四百四十ミルトが一日じゃ」
「そうなのか?」
「そうよ。コアではそれを昼夜で分けて半日を七百二十ミルト。でも七百二十まで数えたりするのはたいへんだし、十二分割することで六十ミルトを一フラにしてるのよ」
シュウは少し今の話を整理しようとする。
「地球の一時間は、コアの1フラ。一分は1ミルトっていうことだな?」
「ええ、そのとおりよ」
「じゃ、なんで時の鐘は二時間おきなんだ?」
「そんなに鐘を鳴らすのがたいへんじゃからの。それに、そこまで正確な時間管理を誰も求めておらぬからじゃ」
シュウも高校を卒業しているとはいえ、なぜ一日が二十四時間なのかなど考えたことがなかったので、地球ではどのように時間が決められたかはわからない。でも、今のプテレアの話を聞いて、時間の流れが同じであることには納得した。
「他にも、公転速度はほぼ同じじゃろう。店にあったかれんだあとかいうものを見たが、一年は三百六十五日じゃろう? コアは三百六十日じゃから、似ておるじゃろう?」
「たしかにそうね」
プテレアの説明に、うんうんと強く頷きながらクリスが理解を示す。
少し難しい話になってきたせいか、シャルはすごく眠そうにしていて、先ほどからこっくりこっくりと頭を揺らしては目を覚ましている。
「鉄や金、銀のような鉱物もあるし、空気を構成する素材も同じような配合になっておるようじゃ」
「そうだな。金属は同じようなものだし、みんなが行き来できるくらい、空気も似たような構成なんだろうとは思う」
「じゃが、地球では魔法が使えんのじゃ」
「そうね、うちの店も扉がマルゲリットの街に繋がってないと、わたしも魔法を使えないもの」
クリスの言葉にまた反応して、プテレアがクリスを見て話す。
「クリスの魔法は特殊じゃから別として、火や土、風に水などの魔法はすべて必要な物質に干渉することで発動するのじゃ。コアにはそれが何かを知る者が少ないが、地球の文明を見るに、その物質そのものは既に発見しておるじゃろう。じゃが、人がそれに直接干渉できぬのじゃ。だから、地球では誰も魔法を使えぬのじゃろう」
「難しい話だな……原子や分子、中性子みたいな化学の話ならオレにはわからないな……」
頭をポリポリと掻きながらシュウが答えると、プテレアはコアにはない知識である原子や分子、中性子というものの存在を地球では確認していることを理解し、ニヤリと笑う。
「どうして笑ってるんだ?」
「うむ……。シュウとクリスについてきてよかったのじゃ。ずっと謎に思っていたことが解決できそうで、妾は今までの中で一番楽しい気分なのじゃ。魔法を使えぬのは不便な世界じゃが、これからの生活が楽しみで仕方ないのじゃ」
いつもなら既に寝ている時間になり、体内時計が睡魔を呼び出しているせいか、シュウとクリスもとても眠そうだ。
プテレアだけは興奮していて一人で話し続けるのだが、クリス、シュウの順に眠りに落ちたのだった。
初稿:2019/03/24
2019/04/30 微修正
説明回になってますね……
エステラ : コアの太陽にあたる星
次回は異世界が主な舞台。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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