タラのコロッケ
揚げものとビールって本当に相性がいいですよね。
そういえば、久しぶりにペールエールを飲みました。
香りがよくて美味しいですね。
今週の番外はおやすみします。
ぽつりぽつりと雨が降り出し、地面に丸いシミをつくるのだが、そのシミができるのが見えるほどに落ちてくる水滴の数は少ない。だが、無数の水滴が打ち付けられてたてる、ざあざあという雨音は非常に大きく、そこに不自然さを感じてしまう。
ふと視線を上げると、空は大きくうねるように波立ち揺れていて、そこに巨大な傘のようなものがかけられていることがわかる。
巨大な傘は水と風の魔法によってつくられていて、街の中央に聳え立つ大樹によって支えられている。その大樹の無色透明な枝葉が傘となって街全体を覆っており、大雨や竜巻などの災害から守ってくれている。
とはいえ、枝葉で守られているので、隙間もできる。普段はその隙間から空気を入れ替え、雨の日は雨粒が隙間を縫って地面に落ちてくる。
グランパラガスとよばれる、この魔法の大樹がなければ、大雨に流された汚物が街の低地にある交流街へと流れ込み、商店や宿屋などに大きな被害をもたらし、伝染病などが発生することは容易に想像できる。
マルゲリットで南中を知らせる昼ひとつの鐘が鳴った頃に降り出した雨は、次第にその強さを増していく。
夜も近いという時間帯になって雨が降り出すというのは、街に慌ただしさを呼び起こし、これから街を出ようとしていた者を引き返らせるとともに、街の外にでて農作業をしていた者、うさぎや魚を捕りにでていた者たちを大門へと殺到させる。
旅に慣れたマルコや、グランパラガスがない農村などで育った者は雨雲を事前に予知するほどの知識を身につけているものだが、普段からこの大傘に守られた生活をしている者たちは、降れば戻ればいいと思っているのでなかなか身につかない。
「ごちそうになった。ありがとう」
「すっごく満足。また美味しいものを食べにくるわ!」
エヴァンがシュウとクリスに礼を言うと、パメラが続く。
最後に出てきたマルコは少し難しそうな顔をしているのだが、シュウが厨房からでてきて挨拶しようとするとこれまで溜め込んでいたことを口にだす。
「今日の刺身というものをつけるための醤油の皿だけど、あれはチーナの皿かい?」
「ああ、あれは陶器ではなくて磁器ですね」
シュウはマルコの質問は、磁器のこと指していると直感し、答えを返す。
磁器のことを英語ではチャイナというのだが、この世界の言葉ではチーナということになるのだろう。
「先日、チーナの壺や皿などを買い付けたのだけれど、もしよかったら見てくれないか?」
「そうですね、店で使えるようなものであれば買いたいですね」
行商人のマルコにとって、これまで数回通ったこの「朝めし屋」は、何かのかたちで商売につながるものがなく、ただただ料理を食べてお金を落とすだけの場所になってしまっていた。宿屋や料理屋ではしかたのないことでもあるのだが、ただ毎日食事の世話になるだけでは、マルコとしては対等の関係を築くことができないのがとても不満なのだ。
そこで、干物屋や穀物商を連れて行き、この街に住む人が着る服を買える店の店主を連れて行ったのだがなかなか接点がなくて困っていた。
「じゃあ、次にこの店に来るときに持ってくることにするよ」
「ええ、よろしくおねがいします」
これで完全に用件は済ませたのか、マルコも満足そうな表情に変わる。
ところが、今度はパメラが不満そうな顔を見せてたずねる。
「そういえば、このお店のお茶は飲みやすくて、色も濁りが少ないのだけどどうしてなの?」
「それは水の性質のせいですね。硬水といって、この街の井戸水は沸騰させていると鍋肌に白いものがつくでしょう?
うちの店ではそうならない、軟水という水を使っているの。
リーゾもその水があるからごはんにして出せるし、味噌スープもその水がないと作れないんです」
すこし残念そうにクリスが話すと、パメラはその言葉の意味をよくかみしめるように考える。
この街の井戸水が硬水でお茶やごはん、味噌のスープに向いていないのであれば、この店はどこからその軟水を手に入れているのだろうという疑問が湧いてくる。
「だったら、この店はその水をどうやって手に入れてるの?」
「それはひみつです。教えたら食べに来てくれなくなるじゃないですか」
悪戯っぽい笑顔を浮かべてパメラを見返すと、クリスはくるりと向きを変えて店に入る。
「でも、紅茶なら硬水の方が合うと思いますよ。それでも軟水が必要でしたら、水筒をお持ちいただければお分けしますので、それでお茶を淹れて楽しんでください。
それでは、他のお客さまの調理がありますので戻ります。ありがとうございました」
シュウもクリスの後を追うように店内に入る。
これで毎日のお茶が飲みやすく、美味しいものになることを期待してパメラも少し嬉しそうに手を振ると、エヴァンと共にクォーレル商会へ戻る道を歩きはじめ、それをマルコが追うように歩きはじめる。
雨が降ってもいいように帽子をかぶり、外套を着ているのではないが、グランパラガスがあれば、この衣装と組み合わせることで身体が濡れることはなく、無事に戻ることができるだろう。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
クリスは引き戸のある入り口から、三人に向けて再度礼を言うと、見えなくなるまでその後姿を眺めていた。
がやがやと騒がしく、日本語よりも他国の言葉が飛び交うことが多い通りには、六百メートルもの長さでアーケードという傘がついていて、雨風を凌ぎ、日差しを遮ってくれる。昔から日本では「暑さ寒さも彼岸まで」というのだが、八月の平均気温は沖縄よりも高い大阪の残暑は厳しく、まだ九月も十日になるかどうかという時期であっては、この長いアーケードがあることがとてもありがたい。
また、入り口には扉のない店も多く、内部から冷房のひんやりした風が吹いてくれば、思わず中に入って涼みながらも予定にない買い物までしてしまう。
両手に鈴生りの荷物を持ってシュウは店へと急ぐ。
裏なんばでの営業を終えると日本時間の十一時を過ぎた頃で、日差しは秋分に近づいて少し低くなってきたものの、たくさんの荷物を持って歩くのはつらい。
ほんの数百メートルも歩けば店に戻れるのだが、だらりだらりと流れる汗を拭く手が塞がってしまうと、荷物を下ろして拭いてはまた持ち直すというのを繰り返すので、なかなか進まない。
ようやく店の前にまで戻ってくると、がらりと扉を開く。
「ただいま」
すべての椅子をカウンターやテーブルの上に乗せると、掃き清められた店内はすこしひんやりとした空気を持っていていて、その薄暗さがその冷たさを更に増して感じさせる。
「おかえりなさい!」
「おかえりやさいなのっ!」
普段は使うことのない挨拶なので慣れないシャルは噛んでしまうのだが、奥の和室から飛び出してきて抱き着かれるとシュウにも笑う余裕はない。まだ荷物が残っていて両手が塞がったままの状態なので、抱きしめるわけにもいかず、突き放すこともできない状態なのに、どしんとクリスまで飛びついてくると、立っているだけで精いっぱいだ。
「おなかすいたのっ!」
マルゲリットでの営業後に昼食を兼ねた食事をしているのだが、育ち盛りのシャルは四時間ほどで腹をすかせる。
一般的に小中学校に通う子どもなら、だいたい朝八時半から十二時まで授業でそこから給食の時間なのだろうと考えると、四時間でお腹を空かせるのも当然かとシュウは納得する。だが、あと五時間ほどで夕食の時間でもあるので、おやつ程度のものを作ることにする。
「わかったよ。ちょっと待っててくれるかい?」
シュウは両手の荷物を厨房の調理台に置いて、中身を整理すると早速調理にとりかかる。
何をつくるのかと楽しそうに調理台の横に来るクリスとシャルだが、シュウは気にせず馬鈴薯を四つ取り出して、濡れたキッチンペーパーで巻くとラップをかけて電子レンジにかける。
「ねぇねぇ、シュウさん。
シャルは文字の読み書きも、計算もできるみたいよ」
クリスはシュウが買い物に出ている間に勉強を教えようと学力を確認したのだが、識字率の低いマルゲリットの街より更に低いはずの農村で生まれ育ったシャルが、十歳でそこまでできるのは意外なことである。
シュウはぶいーんと動くレンジを横目に、冷蔵庫から白身魚を一切れ取り出し、塩を振る。
「シャルはすごいなぁ」
そう言ってシャルの頭を撫でると、バットを二枚取り出して、ひとつに小麦粉を入れ、もうひとつにはパン粉を入れる。
シャルは嬉しそうに撫でられると、えへんとばかりにその薄い胸を張る。
「おかあさんに教えてもらったの」
シュウはボウルを二つ取り出すとひとつに鶏卵を割入れて溶く。
「じゃあ、シャルのおかあさんもすごいんだな」
「そうなのっ!」
母親のことを褒められて、両手を握ると上下させて嬉しそうな表情を見せる。
高出力の電子レンジがチンと音をたてると、シュウは中身を取り出し、巻いたラップとキッチンペーパーを使って皮を剥き、空のボウルに入れる。
「あつつっ」
クリスは皮むきを手伝おうと、ラップに包まれた馬鈴薯を手に持つのだが、その熱さに一秒も持っていられず、お手玉しながらぽいぽいと投げ、調理台へと戻してしまう。
隣のシュウは平気な顔をして同じ作業を続けている。
「よくまあ、この熱い馬鈴薯を素手で持てるわね」
「慣れればどうってことないよ」
正確には細胞が壊れない程度の熱がどの程度の温度で、どれくらいの時間持っていると危険なのかということを経験的に身体が覚えているのだが、「慣れ」という言葉で簡単に済ませてしまうと、熱いものを持ち続けて慣れることだと勘違いして伝わってしまう。
ふと見ると、白身魚は表面に水分を浮かべてきている。
シュウはその水分をキッチンペーパーで拭き取ると、ボウルに入れて塩で味付けし、馬鈴薯と白身魚をつぶす。
親指大に丸めて小麦粉をまぶすと、溶き卵にくぐらせ、細かく砕いたパン粉をつけて揚げはじめる。
「シャーッ シャヮーッ シュヮーッ」
最初は表面のパン粉が高温の油に揚げられて高い音をたてるのだが、そのあとはシュワシュワと低い音に変わり、シュワシュワと勢いよく泡を出す。こんがりと揚げ色がついた馬鈴薯と白身魚の周りの泡が小さくなってきて、箸で摘まむとジジジと揚げ上がりを教える細かな振動が伝わってくる。
「おまたせ、タラのコロッケだよ」
マルゲリットでは干した鱈を使った料理をバカローと呼ぶ。
キッチンペーパーの上で油切りをしているコロッケはまだジュワジュワと音をたてているが、指で持っても食べやすい大きさにまとめられている。
塩をして臭みを水分と共に流しだしたとはいえ、鱈という魚は自己消化が早くすぐにアンモニア臭が発生するのだが、衣に包まれることでその香りは外には伝わってこない。
「まだ熱いから、少し待ってから食べるんだよ」
「うん! 待つの!」
するとシュウは小さめの極薄グラスを取り出し、そこにビアサーバーから琥珀色の液体を注ぎ込む。
元々は深夜から営業していた時の名残なのだが、酒を出さなくなっても機械はあるので炎天下を歩いたシュウにとってはただの水分補給という名目の一休みである。だが、それはクリスにとってはたまにしかないお酒を飲むチャンスでもあるので、見逃すわけにはいかない。
「わたしも!」
シュウは、同じ大きさのグラスを取り出すと、クリスの分を入れる。もちろん、冷蔵庫からは壺のような形をした黒い炭酸水を出して蓋をあけると、シャルのためのグラスに入れて出す。
「いただきまーす」
「なのっ!」
こくこくとふたりは異なる炭酸を飲む。
それをみて、シュウもごくごくと音を鳴らしながら生ビールを飲むと、タラのコロッケを齧る。
「サクッ」
細かく砕いたパン粉によってさっくりと揚がったコロッケは、表面はザラザラとした舌触りだが、その内側は少し油を吸い込んだ馬鈴薯がしっとりと張り付いている。すると、揚げた油の香りがぷんと鼻に抜け、その次にふんわりとタラの身の香りが口の中に広がってくる。
ざくしゃくと噛んでいくと、中から出てくる馬鈴薯にはタラの身の旨味が染み込んでいて、じわじわと舌にその旨さを伝えてくる。また、混ぜ合わせる前に入れた塩気が馬鈴薯の甘さを引き立てていて、吸った揚げ油がともすれば喉をつめるほどに口の水分を奪う馬鈴薯の特性を抑え、とても食べやすくしている。
とはいえ、いかに油切りをしていても揚げものである以上は口に油分が残る。
その油を琥珀色の生ビールがさらりと流してくれる。
「このコロッケ、おいしくてビールにあって最高!」
「コーラにも合うの! 美味しいのっ!」
とても嬉しそうなふたりの声を聞いて、シュウは心から嬉しそうに笑って話す。
「今日の夕飯は遅くなるから、これを食べたら少し昼寝しよう」
「そうね」
「はいなの」
そう言うと、クリスとシャルはタラのコロッケを貪るように食べるのだった。
初稿 2018/11/04
2019/04/30 食材の表現を変更 漢数字化 その他修正
2020/01/23 他サイトへの転載に伴う見直し
次回はエドガルドとの夕食かな?