干し貝柱のごはん(4)
干し貝柱を一晩水に浸けておいて戻し、解しておきます。
米を2合研いで笊にあげておき、30分以上置いておきます。
そのお米と解した身を土鍋に入れ、貝柱の戻し汁を400cc入れると、塩を入れて炊き上げます。
炊きあがったら、千切りの生姜と胡麻を適量入れて混ぜてできあがりです。
同じように干し貝柱のごはんを口に入れたマルコは、噛みしめるようにゆっくりと咀嚼している。
水を吸って表面がぷりりとしたごはん粒は噛むと音もたてずに潰れてしまうのだが、同時に濃厚な貝の旨味がじゅわりと広がる。神経を研ぎ澄ませれば、ごはんと共に歯ですり潰されるゴマは、たとえ小さな一粒であっても、ぷちんと潰れる食感を伝え、香りを散らす。
繊維質で少しクニクニとした貝柱は噛めばまだその旨味を絞りだし、千切りにされた生姜がジャクジャクという音を共にたてると、ぴりりと汁を絞り出す。
マルコはそばに立つシュウを見上げると、しみじみという感じで話す。
「『干し貝柱』というのは濃厚な味をだすものなんだね。『胡麻』の香りと、『生姜』のぴりりとした辛みがいいアクセントになってるよ」
「『干し鱈』とは全然違って、臭みも少ないが、潮の香りがするのがすごい。干物にすれば、潮の香りなど飛んでしまいそうなものだが……」
ようやく出番がきたと、エヴァンは干物屋らしいことを言うのだが、それを聞いたパメラも不思議に思う。
この店でしっかりと干されたホタテの干し貝柱を見せてもらったが、保存食として徹底的に乾燥させられた姿を考えると、相当な時間をかけて天日干しにされたものだったはずだ。となると、香りも飛んでしまうはずである。
「ねぇ、シュウさん。どうしてこんなに香りが強いの?」
パメラが不思議そうに尋ねると、シュウは後頭部に手をやってポリポリと掻きながら説明する。
「干したものだけだと香りが弱いので、生の『貝柱』を少し足したんです。
干したものから旨味を、生のものから香りを引き出したという感じですかね……」
さらりと言ってのけたシュウに対し、エヴァンやパメラ、マルコが驚愕した顔をする。
海岸からは馬車で十日近くかかる距離があるこのマルゲリットで、海の貝であるホタテの生の貝柱が手に入ることはない。だから三人は驚いたのだが、クリスの知人が空間魔法の使い手であり、その知人から買い付けていると聞かされていたことを思い出す。
「ああ、なるほど……」
それ以上、エヴァンは言葉にすることもできなくなったのだが、パメラは言葉をつなぐ。
「まだ、生の貝柱は残っているかしら? 捕れたてなら生でも食べられると思うけれど……」
本当に空間魔法を使える知人というのがいて、生のホタテの貝柱が手に入るのであれば、それを確認しておきたいとパメラは考えて発言すると、両腕で胸の谷間を大きくさせて、上目遣いにシュウの瞳を見つめる。
シュウはできるだけパメラの大渓谷に目を奪われないよう、パメラの瞳を見つめて話す。
「ああ、そうですね。刺身にしましょうか」
そう言って、シュウはくるりと向きをかえて厨房へと向かって戻っていった。
赤銅色の焦げ目がついた丸くて平べったい食べ物が、干し貝柱のごはんと、長芋の味噌汁の向こうにころんころんと横たわっている。
火が通った部分は薄い砥粉色に変わっているが、ところどころにニンジンの赤色や刻んだ青ネギ、ひじきが混ぜ込まれている。色合いは数色が混ざっていることで寧ろ美味しそうなほどであり、香りを確かめようと顔を近づけてみれば、ふんわりと爽やかな香草の香りが漂ってくる。
「本当にこれが『豆腐』と『鶏肉』の『肉団子』なのかな?」
マルコはそう言い放つと、木匙でつんつんとその食べ物を突いてみるが、その表面は焼き固められていて、ぷるんと震えることもない。クリスは豆腐と鶏肉の肉団子だと言っていたが、味噌汁の実として何度か食べた豆腐というのは白く、柔らかいものだと覚えているので違和感が止まらない。
マルコはその料理に木匙を突き立て、ひとくちサイズにざくりと切り取る。
裏側には大葉がぺたりと貼ってあり、からりと焼かれていたことを教えてくれる。
そのひとくち分を木匙に掬うと、マルコはぱくりと口に入れ、ゆっくりと味わうように咀嚼をはじめる。
最初に口から鼻へと駆け抜けるのは、とても爽やかな大葉の香りだ。
この香りはどこかで嗅いだと思い出してみると、さきほど食べたしば漬けの香りに似ていることにマルコは気付く。すると、生姜の香りとひじきの香り、ニンジンの香りが口の中に広がってくる。
噛むと鶏肉の肉汁のようなものが溢れ出すのだが、その汁には醤油という調味料で下味がつけられていることを舌が判別する。また、全体の味の土台には鶏肉の旨味があり、その肉の臭みを生姜が取り去り、ぴりりとした辛みと調味料などでより美味しくさせている。
「これはうまいな。やさしい味だけれど、干し貝柱の『ごはん』の味を壊さないように考えられた料理なのかな?」
「ああ、そうかもしれないな」
同じように豆腐と鶏肉の焼きつくねを食べているエヴァンが頷くと、今度は味噌汁に木匙を伸ばす。
マルコと同様、器用に短冊に切られた長芋を木匙のスープの上にのせて口に運ぶと、エヴァンはまた頷いて、声に出す。
「このスープも、豆腐の焼きつくねとかいうのも、干し貝柱のごはんに合うように考えられているようだ」
「ということは、この『漬物』もそうなの?」
ちょうど頬張っていた干し貝柱のごはんを嚥下したばかりのパメラは、慌てるようにしば漬けを木匙に掬って口に入れると、紫蘇の香りがぱっと広がり、その香りと酸味でまた口の中に唾が溢れ出してくる。パリポリシャクシャクと噛んで飲み込むと、また干し貝柱のごはんを掬って口に入れる。
しば漬けによって溢れ出た唾液が咀嚼された干し貝柱のごはんに触れると、でんぷん質がぶどう糖に変わってやさしい甘みになり、しば漬けの酸味を包み込んでいく。まだ口に残った胡瓜や茄子に柔らかいが干し貝柱の旨味を纏ったごはんが混ざれば、別々に食べるよりも食感が楽しく、美味しさも跳ね上がることに気が付く。
「ああ、ほんと……『漬物』にも合うわ」
パメラがうっとりとした表情で干し貝柱のごはんを嚥下し、溜息のように言葉を漏らす。
そこに、クリスがやってくる。
「お醤油をお持ちしました」
クリスがことり、ことりと醤油を溜めた小皿を三人に配る。小指ほどの直径しかない小さな小皿はとても白く、赤や青の模様が美しい線を描いた模様を作り上げている。
「まあ、きれいな器ね」
その白さと、青と赤の色合いにパメラは目を奪われるのだが、同様にマルコも目を奪われる。
「こっ……これは……」
動かなくなったマルコに不思議そうな顔をするクリスは、厨房から出てきたシュウと交代するように場所を変わる。
ことり……
シュウが土鍋の蓋を空いてる手に取ると、テーブルの中央に手のひらよりも大きな丸い皿を置く。
土と火だけで焼かれたと思われる陶器のそれは、上に置いた杯のようなものの跡が三つきれいに並んでいて、その周りには藁を巻いていたために高温で焼けた跡も残っている。また、松の木を焼いたときにできる灰が釉になって、少し模様をつけている。
その中央には、とても細く細く切られた大根がふうわりと盛り付けられていて、その手前に大葉が一枚敷かれている。
その大葉の上に、淡黄蘗色をしたホタテの貝柱が美しくスライスされて盛り付けられており、右側には四分の一にカットされた緑の小さな柑橘がころんと三つ並ぶ。そのすぐ隣には花の形に切り取られたニンジンのスライスの上に、摺り下ろした山葵がこんもりと盛られている。
「お待たせしました。『ホタテ』のお刺身です。
先ほどクリスがお持ちした醤油につけて食べてください。
お好みで、醤油に酢橘を絞って食べるのもいいですし、山葵をつけて食べるのもいいですよ」
シュウはマルゲリットでは酢橘を何と呼ぶのかわからないし、山葵もわからないので日本の名前でそのまま伝える。運よく、この二つの食材はこの国にはないものなので、指したその柑橘と緑のペーストがそれぞれ酢橘と山葵であることを三人は認識してくれる。
ごくり……
エヴァンとパメラは涎を飲み込み、喉を鳴らす。
このマルゲリットの街では絶対に食べることができないと思っていた、新鮮な生のホタテが目の前にあり、海の香りをやさしく振りまいている。
ふたりは若い頃、自分たちが暮らしたタリーファの街でそうしていたように、右手で貝柱の刺身をつまむと、そのまま口にはこぶ。
新鮮なホタテの貝柱は、表面がねっとりとしていてとても柔らかく、舌や上顎、歯茎にぺとりとくっつくような感覚を与える。とても淡白な身は、その中に残している海の香りを仄かに漂わせると、やさしい甘みを舌の上に伝えてくる。
「ああっ……」
パメラの喘ぐような声が響くと、その頬には涙が零れ落ちる。
ずずっと音がすると、山葵を使っていないにもかかわらず、エヴァンは目頭を押さえて天を仰ぐ。
そして、これはなにかと山葵を舐めてしまったマルコも、涙を流し、鼻をつまんで上を向く。
結局、三人は長芋の味噌汁と干し貝柱のごはん、豆腐と鶏肉のつくねに加え、ホタテの刺身を食べて満足していた。
マルコやエヴァンはお腹をさすり、パメラもその大きな胸で手元を隠してお腹をさする。
土鍋のごはんも残っておらず、出された料理も見事に完食した三人はゆったりとお茶を楽しむ。
「毎日食べに来たいわ」
「でもパメラの料理が食べられないのは寂しいよ」
エヴァンとパメラがとても幸せそうに話をしていると、クリスが近づいてくる。
その手には新しく淹れたお茶が入った急須を持っていて、テーブルの近くまで来ると声をかける。
「いかがでした?」
濃厚だが脂肪分をもたず、純粋に旨味を主体にした干し貝柱の味が染み込んだごはんは、豆腐と鶏肉の焼きつくねや味噌汁との組み合わせであっても、とても贅沢な料理に仕上がっていた。更には十年以上の間食べることができなかった、生の貝柱までも食べられたのだからエヴァンとパメラには一切の不満はない。
「ああ、最高だったよ」
「素晴らしかったわ」
一方のマルコはというと、魚や貝を生で食べるという習慣がなかったので、一切れを口に入れるためにかなりの勇気を絞り出して食べた。食べてみるとその鮮烈な香りと潮の香り、身の甘さを醤油が引き立てていてとても美味しかった。だが、生のホタテの貝柱が手に入るのであれば、自分で作ればよいのではないかと疑問に思っていた。
「とても美味しかったよ。
だけど、生の『ホタテ』が手に入るのなら、どうして自分たちで干し貝柱を作らないんだい?」
「それは街が臭くて不衛生だからです……この街の臭いがする干し貝柱を食べたいとおもいます?」
この街の臭いというのは、大量に放置された人の汚物が路上で腐ったときに発生するものであることはマルコもよく知っている。
その匂いがする干し貝柱と共に炊いたごはんはさすがに想像したくない。
「ああ、なるほど……」
「とても清浄な空気と海からの風、陽の光を浴びてつくるから美味しいんです。
海辺の街で作っているところがあって、安く手に入るならありがたいのですが……」
クリスは少し不安げにマルコを見て話す。
そのクリスを見ていて、パメラがいいことを思いついたと話しはじめる。
「干し貝柱でパエリアを作ると美味しそうね!
他に作っているところが無いなら、タリーファの街に帰郷したときにでも作るように話すわ。作り方を教えていただけるかしら?」
「ええ、あとでシュウさんに聞いておきますね」
ほっと胸を撫でおろすようにクリスは息をつくと、大事なことを思い出し、マルコにたずねる。
「そういえば、今朝お願いしたことなのですが……シャルのこと、教えていただけますか?」
「ああ、そうだったね」
マルコはアプリーラ村に初めて行った頃のことから最近のことまでを思い出そうとするのだが、思い出したことは名前だけで、年齢のことや、どんな話をしたかまでは思い出せない。
「シャルロットの父親はロイクという名だ。母親は確か……アルレットだったと思う。わたしが知っているのはそれくらいだよ」
思い出したシャルの両親の名をさらりと告げると、マルコはずずとお茶を啜る。
だが、マルコにとっては名前だけであっても、クリスにとっては大収穫だ。
「ありがとうございます! これでいろんなことがわかりそうです」
クリスはマルコにお礼を言うと、深々と頭を下げる。
ただ名前を教えただけだというのにとても感謝されてマルコは恐縮するのだが、目の前にある醤油皿を見て思い出す。
「それはそうと、明日はシュウさんに見てもらいたいものがあるんだ」
「ごめんなさい。あしたは休業日なんです」
「そっ……そんなっ! 明日の朝は何を食べればいいんだっ?!」
マルコは先週の火曜日と同じ理由で肩を落としたのだった。
初稿 2018/11/02
2019/04/30 食材の表現を変更 漢数字化 その他修正
2020/01/22 他サイトへの掲載時の修正を反映
1週間分の日常を書くのに、1カ月以上かかってしまいました。
そして、このあとはエドワードと過ごす休業日前の夜が待っています。
土鍋ごはんの炊きあげ方は、蓋をして沸騰するまで強火。沸騰したら弱火で15分。
そのあと火を消して10~15分蒸らしておけば焦げ付かずに食べられます。





