お粥(1)
これは、朝めし屋-異世界支店-という一汁一菜の朝食を出すお店のお話です。
日本にあるお店の扉が異世界に繋がって……
人々が寝静まり、すべての明かりが家々から消えたあと、村の中を音を立てずに数人の男が歩く。
聞き耳をたて、月明りだけを頼りに周囲の様子を調べているようだ。
グルルゥゥゥゥゥ
ガルルルルゥゥゥゥゥゥ
ヴゥゥゥゥゥーッ!
三頭の犬が不審な男たちに気づき、それぞれの家の前で威嚇の唸り声をあげる。
先頭にいるリーダーらしき男が右手を上げて、合図をおくると音もなく犬の唸り声が止まる。
月明りしかない世界で射られた黒い矢が犬の眉間を貫き、悲鳴を上げる間もなく葬り去っていた。
すると、いつのまにか物陰から三十人くらいの男たちが現れると、事前に打ち合わせたかのように複数の班に分かれ、それぞれの家の前に立つ。
そして、またリーダーらしき男が手を上げると、一斉に家の扉をそっと開き、中に飛び込んでいった。
カギは掛けれていたのだが、魔法なのか、その他の物理的な方法なのかは不明だが、とても静かに扉は開いていく。
抵抗する男たちの怒り狂う声はまったく聞こえることがない。
すべての家で、男たちは声をあげることもできず命を失っていた。寝入ったところ、最初に刃にかかったのはすべて男だった。
そうなると、女と子どもしかいない村は絶望的に無力だ。
女性の叫び声が聞こえる家からは、男たちに弄ばれ、それに抵抗する声が空しく響く。
ただ一人、村の中で今にも崩れそうな小屋で暮らしていた少女は、その様子を歪んだ壁の隙間から見て、声を聞いた。
徴兵により街に連れていかれた父親を待ち続けた母は数日前に死んだ。数年前に乳房にしこりができ、だんだん痛みが強くなっていった……。全身に転移した癌からくる痛みに耐えられず、自ら命を絶った。
母親の病気は他人に伝染するものではないが、村の人たちは母娘に何もしてやることができず、十歳の娘を誰が養うかを決めるまでは元の家で暮らすことを許されていた。いや、正確には避けられていたというべきだろう。
また、誰が養うかが決まっていないということは、毎日、残り物を分けてもらうことができるが、じゅうぶんな量がない。それまでの暮らしも厳しかったこともあって、少女はとても痩せ細った身体をしていた。
歪んだ家を外から眺め、扉を開けて男が覗き込むが、そこには誰もいない。
事前に情報を入手するため商人に扮して村に来ていた男は、そこに病気で死にかけている女しかいないという認識で、少女が隠れていることを知らなかった。
すべての家を確認した男たちは、一番大きな村長の家に向かっていく。
他の家では村の女たちがすすり泣く声が聞こえる中、男たちが大声で何かを喚いている。
逃げるなら今しかない……自分だけでも逃げて、村の惨状を誰かに伝えなければいけない。
少女は隙間風が吹く歪んだ家が恥ずかしく、心から嫌っていたのだがこの時ばかりは感謝した。
表の扉を開けることなく、少女は家から裏手に出ることができ、そのまま夜陰に身を隠すことができたからだ。
少女は走った。一晩中、立ち止まることもなく走り続けた。
徒歩でも三日あればなんとか領都に到着できる距離である。一晩中走り続ければ、朝までには到着するだろうと思い、とにかく走った。
ただ十歳で、しかもじゅうぶんな栄養を摂ることをできなかった少女の足は人々が思うほど前に進まない。しかも月明りだけが頼りの深夜である。明け方になり、睡魔と空腹、喉の渇きと戦いながら、ほぼ歩くよりも遅い速度になっても少女は走る。
野犬や魔物が夜中は活発になるから、夜中に村の外に出てはいけないと言われて育ったが、運よく見つからずに城門が見えるところまでたどり着いた。本当に運がよかった。
夜明けとほぼ同時にマルゲリットの城門にたどり着くと、ボロボロになって走ってきた少女を見た門兵が気づき、少女の元へ走り寄る。
「どうした?何があった?」
「む……村がお……そわれ……アプリ……ラ……村……」
門兵は十歳にしてはとても軽い少女を抱き上げ、城門をくぐると衛兵所まで走る。
徒歩で三日、馬車で一日の場所にある村に何かが起こったことは間違いがなく、上の者の判断を仰ぐ必要があるからだ。
「リチャード、どうした?!」
「門のところにこの娘がやってきて、アプリーラ村が襲われたと!」
衛兵所は騒然となる。
すぐさま5人の偵察隊が編成され、早馬に飛び乗ると城門を出発する。
「魔物や魔族の類か?それとも盗賊か?」
「男たち……さんじゅう……にんくら……い……」
衛兵所の責任者らしき男は、少女に尋ねるのだが、少女の声には力がない。
「三十人くらいの男たちだそうです!」
「なにっ!すぐに領軍に報告を!その娘はリチャード、お前が様子を見ておけ」
「はっ!」
リチャードという名の門兵は、騒然となった衛兵所から少女を抱えて出たのだが、どうすればいいのかわからない。
少女が履いていた底のない皮を巻いただけのモノは既に穴が開き、足の裏からは血が流れている。それを見たリチャードは少女が一晩中走り続けてきたことを察し、少女を寝かせると、水と食料を入手しようとその場を離れてしまった。
「りょうしゅ……さまに……」
まだ十歳の村の娘であり、病に伏した母親とふたりで暮らしていた少女は、世間を知らず、領都の軍編成などはわからない。
門兵に話せば、衛兵に伝わり、衛兵から軍隊と領主に報告が飛ぶのだが、知らない以上は自ら報告すべくまた立ち上がる。
リチャードが目を離した、ほんの三分ほどの時間で少女は姿を消した。
昨日、二日酔いでまったく役に立たなかったクリスは大いに反省し、今日は開店前に店の前を清掃することにしていた。
今日は薄い緑の着物姿で、扉を開けると箒で店の前を掃き清める。
だが少し城門前の方角が騒がしく、不穏な雰囲気が漂っている。
どうしたのかと城門につながる通りに出ると、今にも倒れそうな感じでフラフラとこちらに向かって進む少女がいる。
「どうしたのっ?」
クリスは少女に駆け寄り、すぐに抱きかかえる。
身体が熱い。
小柄なクリスにでも簡単に抱き上げるほどの体重しかない少女は、虚ろな目をし、うわごとのように繰り返す。
「りょうしゅ……さまに……りょう……しゅ……」
少女の体温は異常に高く、クリスは危険な状態にあることを察知すると、そのまま少女を店に連れて入る。
「シュウさん!助けて!この子、死んじゃう!!」
「おいおい、何を突然って……ええっ?!」
クリスの腕の中でグッタリとした少女を見てシュウも驚き、立ち尽くしてしまう。
「すごい熱なの。目が虚ろで、それでもお父さまに何かを伝えようとしているみたいで……
でもこのままだと死んじゃう!」
「重度の脱水症状だな……点滴はできないから、すぐに水を……あ、経口補水液を飲ませてやってくれ
あと、おしぼりで腋の下から熱を冷ましてやるんだ」
そう言うと、シュウは戸棚から経口補水液を出し、蓋をあけてクリスに手渡し、冷えたおしぼりを少女の腋の下に挟む。
クリスは少女を店の椅子に座らせると、少女に飲ませている。
「一本じゃ足りないから、ちょっとコンビニで買ってくるよ」
シュウは店の扉にカギをかけ、また開く。
日本の裏なんばにつながった扉を開き、シュウは駆け出していった。
少女はとても喉が渇いているのか、ゴクゴクと飲もうとするのだが、クリスはわざとそれをやめさせる。
一気に飲むと、息を止める間に血圧と心拍数が急激に上がる。ドロドロになった血液には危険だ。
すると、少女はまたうわ言のように「りょうしゅさま……」を繰り返し始める。
「どうしたの?なにがあったの?」
クリスは優しく声をかけるが、少女の譫言は止まらない。
また、少し経口補水液を与える。
「わたしは領主、エドガルド・R・アスカの娘、クリスティーヌよ。お父さまに話したいことがあるなら、わたしから伝えます」
一瞬、少女はクワッと目を見開き、クリスを見つめる。
「だいじょうぶ、もうだいじょうぶだから。何があったか話してくれる?」
「盗賊に……アプリーラ……村が襲われ……」
少女は泣き出そうとする。だがほぼ干上がってしまっている身体からは涙の一滴さえも流す余裕がない。
クリスは経口補水液を渡し、また少しずつ飲ませていく。
ガラララッ
「ただいま」
「おかえりなさい」
5分ほどで、シュウは両手に大量に経口補水液が入った袋を下げて帰ってきた。
だが、それを待っていたかのようにクリスは話す。
「ちょっとお父さまのところに行くわ。というか、連れてくる」
と言うが早いか、クリスは呪文を唱えるとフッとその場から消えた。
運よく、まだ脱水症状を起こしている少女は意識が朦朧としており、状態としてはよくないのだが、クリスの空間魔法を見ていなかった。
シュウは新しい経口補水液を開けると、少女に少しずつ飲ませてやりながら、全身を見渡す。
足は皮を巻いただけの靴で、既に破れていて血が出ている。
転んだりはしなかったのか、腕や顔などに怪我は無いようだ。ただ、風呂などには入っていないようで、ノミやシラミを飼っている可能性がある。汗を大量にかいたのだろう……肌には塩が噴き出ており、ざらざらとしている。
シュウは少女に経口補水液を渡し、おしぼりを出してくると、腕、脚などを拭いてやる。
「きもちいいの……」
「ああ、そうだろう?落ち着いたら風呂にも入ろうな」
少しずつ、身体に水分が満ちてきたのか、顔色もよくなってきた。
温かいおしぼりで、走り続けたふくらはぎや太ももを温めてやると、少女は本当に気持ちよさそうな表情しながら、経口補水液を飲む。
「ところで、名前はなんていうんだい?」
「シャルロット……」
とてもかわいい名前だ。
少し汚れていたが、顔もおしぼりで拭いてやると、色白な肌が露になる。
「何歳だい?」
シュウが年齢を尋ねると、少女はテーブルに経口補水液を置くと、両手をバッと開いて見せる。
「十歳?」
少女は経口補水液を右手に持ち直すと、コクコクと音をたてて飲む。
「うん、十歳なの……」
シャルロットはゴシゴシと熱いおしぼりで拭かれると気持ちよくなったようで眠ってしまった。
それを確かめると、シュウはシャルロットを椅子の上に寝かせ、厨房に入る。
大鍋を出すと、今日の営業用に洗った米を二カップ入れて、水をその十倍……二十カップ分入れて火にかける。
沸騰したら、ザッとレードルで混ぜ、蓋を少しずらした状態にして、弱火で煮込み始めた。
「ただいまっ」
クリスが空間魔法でエドガルドと共に戻ってきた。
「おかえり!おしぼりで拭いてやったら寝ちゃったよ」
「そっかぁ……起こすのもかわいそうだよね……
で、おとうさま……アプリーラ村はどうなったの?」
ここに連れてこられた意味を理解したエドガルドは、少し言葉に悩むのだが、正直に話をすることにした。
「すまんが、盗賊に襲われたということしかわかっておらん」
無理もない、シャルロットがこの街に着いてまだ一時間も経っていないのだ。
「いつの話なの?」
「昨夜だろう。子どもの足で一晩走り続けたのだろうな……」
シュウによって巻き付けただけの皮は外され、土や泥はきれいに拭き取られているが、まだ足の裏は出血している。
手当てをしてあげたいところだが、シュウにはどうにもできない。
すると、クリスがまた呪文を唱え、出血している足の裏を治療していく。
「やっぱり便利だな……魔法って……」
「そう?でも日本じゃ役にたたないじゃない……」
確かに日本で魔法使いは役に立たない。せいぜい、獲物の皮を剥ぐ技術を使える程度だろう。
それ以前に獲物を倒す術がないが……。
「クリス、あとでシャルロットを風呂に入れてやって欲しいんだが……」
「うん、いいけど……ってシャルロットって名前なのね?
日本へ連れていくの?」
クリスは少し驚いたような顔をして、シュウに問い返す。
簡単に日本へ連れていくということは考えたくないからだ。
だが、とても辛い目に遭った少女に、未知の世界を経験させて忘れさせてあげたいという、シュウの想いが詰まっていることにクリスは気が付く。
「ああ、お義父さんのところに連れていくにもいかないしな。
ノミやシラミなどをキレイさっぱりと洗い流せる場所の方がいいだろう?」
「ああ、そうね……」
そんな話をした二人が気づいたときには、ノミやシラミがいるなら自分に伝染ってもらおうと、シャルロットを抱っこして笑顔で見つめる義父エドガルドの姿がそこにあった。
初稿 2018/10/03
2019/04/29 数字の表記を変更、領主の名をエドワードからエドガルドに変更
最初は本気で村のシーンを書いていたら、残酷すぎたので数行にまとめました。
あくまでも料理主体にしたいので……
って、今回は誰も食べていませんね……