アジの干物(2)
大豆製品や里芋にはカリウムを多く含むので、身体から塩分を排出する効果があるそうです。
里芋はこれから旬を迎えますよー!
「うん、油で揚げてあるのはわかってるんだ。なんていう食材なのかな?」
マルコは再度、質問する。
「ええ、だから油揚げですよ?」
不毛な会話になりそうだ。
里芋と油揚げのお味噌汁を見たマルコは、油揚げを「何かを揚げたもの」と認識していて、「これはなにか?」と尋ねる。
素直なクリスは、「これはなにか?」と尋ねられると名前を聞かれたと思って、「油揚げです」と答える。
いや、いつものクリスなら「油揚げというもので、豆腐を薄く切って揚げたものです」と答えるだろうが、今日は二日酔いで思考能力が低下していることが原因だろう。
「それは『大豆』を一晩くらい水に浸けて、それをすり潰してから濾して少し煮詰めると『牛』の乳のような汁ができるんです。それに海水からとったにがりというものを混ぜると固まり、豆腐という食べ物になります。その豆腐を揚げたものです。
そのままの大きさで揚げると厚揚げ、薄く切ってから揚げると薄揚げといいます。それは薄揚げです」
二日酔いでぼんやりとした顔をしているクリスに変わって、シュウが説明してくれた。
「油で揚げたものなら、熱い汁に溶けだして油が浮くんじゃないのかい?」
エヴァンが尋ねる。
「味噌汁に入れる前に、じっくりとお湯で煮込んで油抜きをしてあります。その方が味が染みこんで美味しいですからね」
「まぁ、そんなに手間をかけたものですの?」
パメラはまだスープに手をつけていなかったが、そこに浮かぶ薄揚げに興味があるようだ。
「今日の味噌汁の具は、『里芋』と薄揚げです。
『里芋』は他の芋よりは太りにくくて美容にいいですし、塩分を身体から追い出す成分も多いので、干物の朝食にはいいはずですよ」
「あら、それは絶対にいただかないといけませんわね」
早速という感じで、右手をフォークから木匙に変えて手を伸ばす。
茶褐色の液体には、皮を剥いた里芋と薄揚げが浮き、刻んだ青ネギが散らされている。
色どりは決して美しいとは言えないスープだとパメラは思うのだが、まずは掬って、香りを嗅ぐ。
「あら、あなた、こちらも魚の香りがしますわ」
パメラがエヴァンに向かって言うと、アジの干物の背びれ部分の小骨と戦う手を休め、エヴァンも味噌汁に目を向ける。ただ、パメラはエヴァンの視線を確認するまでもなく、そのまま匙の中身を口の中へと流し込む。
昆布といりこを煮出したスープは、決して海藻臭さ、魚臭さというものを出さないように煮出されており、溶かれた味噌の風味に負けることなく、その良い香りだけを口の中に広げ、鼻腔に抜けていく。
昆布の旨味と、いりこの旨味は口の中で相乗効果を生んで、更に強い旨味となり、口内の粘膜すべてから身体の中に染み込んでくる……。
パメラは目を閉じて動かない……そのスープを飲むのではなく、染み込んでいくのを楽しむかのようだ。
少しずつ、嚥下していくとゆっくりと目を開くのだが、その表情はうっとりとしている。
「魚と海藻の味がたっぷり染み出したスープ……これもとても美味しいですわ」
「むむぅ」
エヴァンはまた背ビレの小骨と格闘していたが、パメラの言葉を聞いて、完全に意識を味噌汁へと向けた。パメラと同じように木匙を持って、その先を木椀の具の間へ滑り込ませてスープを掬い、まずは香りを確認する。
アジの身をほじりすぎて、少々冷めてしまっているが、スープは木匙の上でしっかりと湯気を立てていて、ふんわりと豆の香りと魚の香りを感じる。
匙の中身を口の中に流し込むと、ほんのりと広がる豆と麹の風味に、昆布と、いりこを煮出したときに出る良い香りがふうわりと広がる。里芋が溶けているせいで、スープには少しとろみがでており、それが舌や口の中の粘膜にねっとりと絡みつくので、うまみはじんわりと粘膜を通じて染み込んでくるようだ。
「ああ、美味いな!」
「うん、味噌汁は『ポタージュ』や『コンソメ』とは違い、身体の中に染み込むような感じがして、知らぬ間に自分が欲していたものを見つけたような気になるだろう?」
マルコの話を聞いて、エヴァンとパメラも納得したのか、頷いている。頷きながら食べている。
なぜか、カウンターに座っている客も同じように頷く。
パメラは、今度は里芋を木匙で削り、短冊状に切られた薄揚げと共に口に運ぶ。
里芋は、表面はねっとりと舌に絡みつくような食感があり、スープの成分を吸い込んでいる。そして噛んでいると薄くなるスープの味が、薄揚げを噛むと補充される。そして青ネギが歯触りと噛んだ時に出る香りで具の味を引き立てている。
「ああ、『里芋』を噛んでるときにスープは徐々に口から減っていくけれど、油揚げを噛んだ瞬間にスープが補充されてまた楽しめるわ!
具材は本当によく考えた組み合わせになってるわね!」
パメラはこの味噌汁の組み合わせが気にいったようだ。
「ふたりとも、『ごはん』を食べるといいよ。
魚や『漬物』、味噌汁の味を支えるのが『ごはん』だからね!」
マルコも里芋と油揚げを木匙に掬って、ふたりに話しかける。
かなり冷めてはきたが、茶碗の上にはまだ艶々と光り、仄かに湯気を立てている白いごはんが盛られている。
エヴァンは、干して濃厚になったアジの身と脂の味を噛みしめるように味わい、飲み込むと白いごはんを掬って口に入れてみる。
少し香りは抜けてしまっているが、ごはんの熱が口の中で消えそうになっていたアジの脂や風味をパッと蘇らせると、米の風味と甘みが口の中に広がってくる。
とてもうまいアジの干物も、そればかり食べてしまっては単調でつまらない味になるが、合間にごはんを食べれば舌も鼻もリセットされるのか、はじめて口に入れた時のような新鮮さで再度干物に向き合うことができる。
続いて、味噌汁はアジとは違った小魚の風味と味をもっていて、里芋と油揚げがゆっくりとそれを味わせてくれる。
そこでまたごはんを食べる。
次に漬物を食べると、魚とは無縁の風味と食感、旨味が完全に味噌汁や干物の魚の味を舌から忘れさせてくれる。
そこでまたごはんを食べる。
ようやくごはんが減り始めたのを確認して、クリスがお櫃に入ったごはんを持ってきてテーブルの端に置く。
「『ごはん』のおかわりは自由です。ごゆっくりどうぞ」
マルコとエヴァンは空になった茶碗に、今度は熱々のごはんをお櫃からよそう。
炊き立てご飯特有の穀物が焦げたような香りがプンッと漂うと、パメラの食欲もシフトアップして茶碗の中身がなくなっていく。
炊き立てのごはんは木でできたお櫃に入れることで、適度に水分が抜けた状態で徐々に冷えていくのだが、このペースであれば冷える直前に食べ終わりそうだ。
そろそろ、アジの干物は骨がついた側の部分を食べる段階になっている。
さすがに重いお櫃を運ぶと二日酔いによる頭痛がひどくなるのか、クリスに元気が無いが、食べなれていないマルコのアジから骨を取るのを手伝いにいく。
業務用で薄紅色で花柄が染め抜かれた簡易着物ではあるが、少し袖下があるぶん、これまでのメイド服よりは骨取りが難しい。腰まである長い髪は、まだ凝った髪型を結えるほど知識がないのか、ただのポニーテールだ。
それでもいつものシャンプーの香りは広がるもので、その香りを嗅いだパメラがうっとりとしている。
箸を持ってマルコの横に立ったクリスは、アジの尻尾を持つと、身から背骨を外す。最後に頭の付け根に箸を押し当てて骨を折れば、背骨はきれいに剥がれる。
海辺の街で育ったエヴァンとパメラはフォークをつかって同じように骨を剥がし、既に身を食べ始めている。
「さすがにお上手ですね」
クリスがエヴァンとパメラが食べるアジの皿を見ると、ほとんど身が残っておらず、とてもきれいに食べられている。
「ありがとう、それもこれも美味い『アジ』だからだけどな」
「そうね、本当に美味しいわ」
そういわれて、マルコは自分の皿の汚さに気が付く。
小骨が多い背ビレの部分にもまだ身がついているし、取り去った細い骨にも身が付いている部分がある。
「なんか、わたしの皿は恥ずかしくなってしまう汚さだな……
どうしたらそんなにきれいに食べられるんだい?
上手に食べられる人がいるのだから、マルコはエヴァンやパメラに教えを乞う。
素直に尋ねる姿には好感が持てるものだ。
「フォークで上手に食べるには慣れが必要だなぁ……」
「ええ、そうね……とりあえず穿らないことね。」
エヴァンとパメラは幼いころから魚を食べなれているのもあり、フォークでも上手に食べられる。ただ、フォークではどうしても小骨が多い部分は食べづらい。また、食べなれていない人は骨の裏側をフォークで穿ってしまうので、汚くなる。
「マルコさんも箸を覚えますか?」
クリスが丸盆の上に置かれたままの、利休箸を指さして言う。
「シュウさんの国では千年以上前から続く道具です。
木でできているので食べ物の味を変えませんし、フォークのように刺すことも掬うことも、切ることもできるけれど、挟んで食べることができるのが一番便利なところですよ」
そういうと、クリスは箸を持って動かしているところを見せる。
マルコやパメラも興味深そうにその箸づかいを見ているが、残念ながら今日はほとんど食べ終わってしまっていた。
「ああ、もうほとんど食べてしまったからな。また今度教えてもらうことにするよ」
マルコはそう言うと、残ったアジの干物を平らげ、残った味噌汁にご飯を入れて食べる。ほんの二口程度だ。
パメラはそのマルコの皿には身がついた背骨があることに気づく。
「あら?骨にまだ身がたくさんついてるわよ?
干物は骨周りが一番おいしいのに……」
「なにっ!」
マルコがこれまでに朝めし屋で食べた魚は紅鮭とカレイだが、両方とも生の魚だった。紅鮭は皮が一番美味しかったし、カレイはヒレの周囲の肉は濃厚で、皮がトロトロとしていて美味かった。
そしてアジの干物は背骨の周りに膜状になってついている身だという。
パメラの言葉に反応したマルコは、急いで茶碗におかわりをよそうと、アジの背骨周りに薄くついた身を剥がして食べる。
身の食感は他の部位よりも硬く感じるが、それは表面が乾燥しているからというのもあるだろう。ただ、骨の周りは特に筋肉質で脂肪が少ないので、太陽の光で分解されて生まれたアミノ酸を最も強く感じる。また、直接塩水を塗られた部分だけあって、塩味が強く旨味を引き立ててくれている。
「ペリペリと捲って食べる程度の薄さで美味しいのかと不信感を持ったのだが、塩味も旨味も強く、噛めば噛むほど味がでてくる感じがして。本当に美味い!
残念なのはほんの少ししかないことだ!!
マルコはそういうと、行儀悪く手で骨を持って残った部分を歯で刮ぎ落とすように食べはじめた。
「いかがでしたか?」
食べ終わった丸盆を片付けるべく、食器を集める作業をしながらクリスがマルコに尋ねる。
「小さい魚だというのに、その生命力の強さを感じさせる美味さがある魚だったよ」
マルコはお茶漬けでごはんを食べたあと、背もたれに全体重をかけてくつろぎながら、そう声を発した。
「ああ、わたしたちも堪能させてもらった。なあ、パメラ」
「ええそうね。ここ十年はこんなに美味しい干物を食べてないわね」
エヴァンとパメラのふたりは幸せそうな顔をして、感想を述べる。
「ありがとうございます!」
クリスは嬉しそうにお礼を言うと、丁寧に頭を下げる。
マルコはメイド服姿では頭を下げる姿は似合わない気がしていたが、着物姿のクリスが頭を下げると、とても礼儀正しく接してもらえている気がする。
「ところで、この店ではどんな干物をあつかってるんだい?
よかったら、クォーレル商店の塩干物も扱ってもらえないかなって思うんだが……」
「うちは『干し鱈』が主で、こんな上等な干物とか扱えないよ。海辺から運ぶ途中にダメになるしね……」
せっかくのマルコの提案だが、エヴァン自身が干物の扱いには限界があることを悟っている。
また、マルコの話ではこの朝めし屋には、空間魔法を使える知人がいるらしく、海辺から新鮮な生魚や干物を買い付けてくるようなので、エヴァンはどう足掻いても太刀打ちできないことを知っている。
「こんな干物が安く買えるなら、よろこんでお付き合いさせてもらいますよ」
シュウが笊に乗せて持ってきたのは干し貝柱だ。
日本で買えば、親指の先ほどの大きさのもの三つで千円くらいする。一円=一ルダールとすれば、こちらで千ルダール相当は銅貨十枚だ。
「『ホタテ』の干し貝柱かい? マルコ、仕入れを頼めるかい?」
エヴァンのところは干し鱈が主ということなら、普段は無いのだろう。
「ああ、たぶんだいじょうぶだ。これは美味いのか?」
マルコが簡単に返事をするが、食べたことがないので、味が気になるようだ。
「ええ、これを入れて炊いたごはんは美味いですよ
明日、出しましょうか?お値段も高くなりますが……」
「ああ、明日から三日間は隣の宿場町に商品を運ぶので来れないんだよ……」
「じゃぁ、余裕をみて、五日後に用意してお待ちしていますよ」
「本当か!よく合うおかずも用意しておいてくれよ!」
こうして五日後の貝柱ごはんを約束し、マルコとエヴァン、パメラは席を立って帰っていった。
初稿 2018/10/02
2019/04/28 食材の表現を変更。