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肉汁爆弾(ミンチカツ)

にくじる……

なんて魅力的な響きなんでしょう……



 時計の針が五時を指すと、クリスが引き戸のカギを開ける。

 実は、このカギを開けるのがクリスなら異世界あっちに繋がり、シュウが開けると日本の世界に繋がる仕組みになっている。


 クォーンカーン……クオォーンカーン……


 ちょうど三時間、日本と異世界の間に時差があるので、引き戸を開くと夜二つの鐘の音が聞こえてくる。

 クリスはこの鐘が鳴るのを待っていたかのように、エドガルドが来ると思ったのだが、意外にも静かだ。


 店の近くにある道具屋筋で帰りに買った薄紅うすくれないの着物に着替えたクリスは、不思議そうに店の引き戸をそっと開く。

 彼女の父親であり、このマルゲリットの街の主であるエドガルド・R・アスカはまるで時間をつぶすかのように独りそこで立っていた。

 時間が来たらすぐにでも店内に入ってしまうと、とても楽しみにしていたように思われてしまうのが恥ずかしいというのが伝わってくる。


「お父さま、何をしてらっらしゃるの?」

「あっ……ああ、もう時間だったか……その服装はなんだ?」


 そういうと、エドガルドはクリスと共に店内に入ってきた。


「いいでしょ?

 これは日本の伝統的な衣装なの。簡易版だけどねー」


 クリスは、着物姿でくるりと回り、全身を見せる。

 もちろん、歩く時はしずしずとなるのだが、業務用だから生地はポリエステルで、上下セパレートが可能な簡易タイプである。

 本格的な着物となると、着付け教室に通わなければクリスひとりで着るのは無理だ。だから、本格的な着物も欲しいと言っているのだが、その前に着付け教室に通う必要がある。


 クリスはエドガルドをカウンターに案内すると、自分もその隣に座る。


「こんばんわ」


 シュウが挨拶すると、客席からは見えないところに設置されたビアサーバからよく冷えた生ビールを差し出す。

 その生ビールを見て、クリスはシュウと目を合わせると、首を傾げる。「わたしの分は?」という意味だ。


 シュウは少し苦笑いをしながら、生ビールを注いでクリスに渡す。

 クリスは十七歳だが、「コア」と呼ばれる異世界では十五歳で男女は成人するので、遠慮なく酒を飲むことができる。もちろん、シユウも自分の生ビールを注ぐ。


「まずはカンパイしましょう」


 シュウがそういうと、三人はグラスを軽く当て、ビールを飲む。


 七対三になるように注がれた琥珀色の生ビールは、口元に持ってくると軽くホップの香りがする。

 エドガルドは、泡を避けるように口にジョッキをあてると、ゴクゴクと飲む。

 麦芽とホップだけで作られた本格的なビールは、カラメルのような風味が鼻腔へと広がり、舌の上には麦芽の味と仄かな甘み、ホップの苦みが広がる。


「プゥハッ!これは美味い!!

 ゴクゴクと飲み込むと喉がチリチリと焼けてくる感触はこの泡がでることにあるのだろうが、これほど渇きを癒してくれる酒はないだろうな」


 隣で「苦いっ」と言いそうな顔をしているクリスは、そこまで気に入ってはくれないようだ。


「発芽した大麦と、ホップっていう草の花を採って作る酒なんですが、汗水たらして働いた後の一杯は最高ですね」


 シュウはその琥珀色をしたビールをほぼ飲み切ってしまうと、ジョッキを置いて説明する。

 そして、厨房の奥へ入り、今度は鞘の中に入ったままの豆を笊から大鉢に移し入れ、同じくらいの大きさの鉢を持ってカウンターに戻る。


「丹波黒大豆の枝豆です」


 シュウはそう言ってエドガルドの前に、豆の入った鉢を置くと、一つ取って食べてみせる。

 エドガルドは初めて見る鞘入りの豆を手に取って、中の豆を絞り出す。

 鞘は両端に切り込みが入れてあり、チュルンと豆が出てくるのだが、黒大豆というだけあって少し黒みがかった実は、濃厚な豆の風味と味わいを口の中に広げる。また、豆自体も塩味を持っているのだが、鞘についた塩が口に触れて豆の持つ甘みを更に引き出している。


 そして、そのほんのりとした甘みが、ビールの苦さや、炭酸の爽やかさにとても合う。


「これは美味い豆だ。どうすればこんなに柔らかく茹で上げられるんだ?」

「これは軟らかく煮た豆ではなくて、乾燥させる前の……未成熟な豆を茹でてるから柔らかいんですよ」


 シュウはエドガルドの問いにそう返すと、残ったビールを飲み干し、エドガルドのビールだけを注いで渡す。そのまま厨房に残り、牛と豚の合挽ミンチを冷蔵庫から取り出すと、炒めて冷ましておいたみじん切りの玉ねぎやパン粉、摺り下ろした生姜、キャベツのみじん切りと共にボウルに入れ、塩や胡椒で味を調えると、水を加えて練り始める。


「何を作ってるんだ?」


 エドガルドは普段の生活で料理の工程を見ることはない。専属の料理人が調理し、メイドがサーブしてくれるものを食べていることが多いので、シュウが作る料理の工程に興味があるようだ。


「まぁ、お楽しみに」


 シュウはニヤリと笑って返事をすると、ボウルの中身をひとくちサイズに丸め、両手で叩くように空気を抜く作業を始める。

 そして、小麦粉、溶いたたまご、パン粉をつけて揚げ始めた。


 シャーッ シャヮーッ シュヮーッ


 肉ダネを入れてすぐの時は、パン粉が高温の油に触れて高い音を立てる。その後は少し低い音でシュワシュワと勢いよく泡を出す。

 頃合いを見て裏返すと、表面はきつね色に揚がり、裏面はこれから揚っていく。


 衣が最初に固まり、次にその中の肉ダネが熱で固まる。溶けだした脂や水分が衣で封印されているため衣がパンパンに膨らんでくるが、まだ揚げあがりではない。

 しばらく待つと、気泡のはじける音が高くなる。それを箸で持ったとき、気泡が弾けるような振動が伝わってくればでき上がりだ。

 キャベツを刻んで大皿にのせ、トマトとポテトサラダを添えた頃合いで油切りが終わる。まだ揚げたてのミンチカツを空いたスペースに重ねるように置いて、エドガルドの前に置く。


「ミンチカツです」


 シュウは料理を置くと、レモンを絞り、ウスターソースをかける。


「これは、フォークで刺して食べるのが一番美味しいので、小さく作ってあるんですが……」

「そうか!じゃ、そうするぞ!」


 シュウが話し終わるかどうかというタイミングで、エドガルドの手が伸びる。


 サクッ……


 とても軽い音がすると、エドガルドのフォークが刺さり、そのまま口の中に放り込まれる。


「んごわっ!!」


 父エドガルドの真似をしようとしたクリスが、エドガルドのリアクションを見て固まる。


「ああ、だから……熱いから気をつけてくださいって言おうとしたのに……」


 シュウは心配そうな顔をしながら、小型の肉汁爆弾を口内で破裂させたエドガルドを見る。

 あまりの熱さに口の中のモノを出したいが、それはマナーに反することで、領主のプライドが許さないのか、必死で我慢しているようだ。


 ホフッ……ホフッ……ホッ……ホッ……


 ようやく落ち着いたのか、吐息で冷やしながら体勢を整えるのだが、恐らく口のなかは火傷状態だろう。


「少し齧って、肉汁を吸ってから冷まして食べるといいよ」

「うん、そうする」


 しばらく目が点になったような表情で父エドガルドがミンチカツを食べる姿を見ていたクリスだが、父の真似をすることなく安全に美味しく食べられる方法をシュウが教えてくれると、素直にそれに従う。


 シャクッ……


 クリスは全体の四分の一程度を齧り、溢れてくる肉汁を吸いだす。


「うわっ!中からすっごく美味しいスープが溢れてくるっ!すっごい美味しいっ!!

 ああっ……全部吸っちゃうのもったいないし、どうしよっ!」


 中から出るスープに余計なことはせず、素材だけの味でまとめているのだが、生姜と胡椒の香りが口の中に広がると、獣肉臭さを抑えてくれる。玉ねぎはじっくりと炒めることでメイラード反応を起こし、更なる甘みを生み出しているし、牛と豚の肉や玉ねぎの甘みだけでは重くなるところを、キャベツがまとめ上げることで、油で揚げた料理なのに、食べやすくしてくれている。


 ゴクッゴクッゴクッ……


 ビールが喉を通る音がすると、エドガルドのジョッキがまた空になった。

 そして、苦いという顔をしていたクリスのビールも空になっている。


「揚げ物とビールの組み合わせは鉄板ですからね」

「ああ、すごく美味いのだが、口の中を火傷してしまったぞ」


 シュウも、エドガルドが本当に一口で食べてしまうとは思わなかったのだが、残っていたビールを飲めなくなるほどのダメージはなかったようで、少し安心した。


「お義父さんを日本に遊びに連れていくというお話ですが……クリスと話し合いました」


 ゴクリッ


 シュウの言葉を聞いて、エドガルドが唾を飲み込む音が聞こえる。

 認められるかどうか、不安でまた喉が渇くのだろう。考えてみると、このビールの飲み方にも少なからず影響しているのかもしれない。


「条件付きで認めることにします」

「おおっ!!」


 シュウの言葉に、思わずエドガルドは歓喜の声をあげそうになり、顔にも安堵の色が浮かぶのだが、まだ条件を聞いていない。


「で、条件とは?」


 少し不安そうに顎を触りながらエドガルドが尋ねてくる。


「まず、オレとクリスの話は最後まで聞くことです。

 今のミンチカツでもそうだったように、しっかりと話を聞けば何でもないことでも、聞かなければ大変なことに繋がります」


 ミンチカツで例えるのはとても効果があったようで、エドガルドは肩や眉尻を落とし、話を聞いている。


「うむ、わかった。婿殿の言うとおりだ。

 約束しよう、必ず話を最後まで聞くようにする」


 ピクッとクリスが動くと、シュウもしっかりと語尾を聞き取っており、念を押す。


「聞くようにするではなく、聞くです。

 もし、日本でオレやクリスとはぐれて迷子になったらどうするつもりですか?」

「むっ……そっ……それは……」


 正直なところ、エドガルドは何も考えていなかった。

 妻であるソフィアが日本に行ったことがあるとわかったのは、ソフィアの遺言状にそのことが書いてあったからだ。クリスは魔法書ではなく、ソフィアが生前にかけておいた魔法により日本の、シュウの店に飛び込むことになり、!異世界コアに戻ってエドガルドに日本のことを話して聞かせた。その時に、日本というところは魔法が使えない場所であるだけに、科学文明が進んでいることをクリスから聞かされ、どうしても行ってみたくなっただけだ。


「そ・れ・は?」


 クリスがエドガルドの返事を急かす。

 こうまで何も考えていなかったのかと、実父のバカさ加減に嫌気がさしたが、これも少年のようなエドガルドらしさなのかも知れないと思い、クリスは諦める。今日はシュウにすべて任せることにしたのだ。


「ちゃんと話を聞ける自信がない……」


 エドガルドは開き直ったのか、本音を漏らす。

 確かに、普段からちゃんと話を聞けない人が、突然、最後までしっかり話を聞いて行動するということは無いだろう。

 トレーニングが必要だ。


「では、練習しましょう。毎日、他人の話を最後まで聞くこと。その努力をすること。

 その成果を七日に一回、確認しますから店に来てください。夜の一つの鐘の時間でいいですから。

 七日に一回、三人で夕食をとりましょう」

「おおっ……」


 週に一回、クリスと食事ができるという確約がとれたのだ。

 エドガルドはこれほど嬉しいことはなく、目頭が熱くなる。


「それと、どこに連れていくかはオレに任せてもらいます。

 あと、日本でその服装はまずいので、服を用意しますから執事の方でもいいので、サイズを知らせるように伝えてください」


 ロココ調とでも言うのだろうか、エドガルドの服装は豪華な刺繍が入った上着に、同じ刺繍が入った色違いのベストを着ており、膝下くらいの長さのズボンと長いソックスと皮の靴という恰好である。確かに、この服はすごく恰好いいのだが、日本で着ていると職務質問の対象者になるだろう。


「メイド服にしてもらう?」

「それは勘弁してくれ……」


 クリスの弄りにエドガルドは尤もな反応を見せる。確かにそれも間違いなく職質対象者になるのでシュウが認めないが、早ければ十月には連れていけるとなるので、とりあえず一式揃えておいて、寒ければ、現地購入する前提でシュウは考えていた。


「まあ、まだ他にも条件はあるので、もう少し飲みながら話しましょうか」


 そういうとシュウは立ち上がり、日本酒を出してきて、京都で買ってきた漬物を並べる。


 このあと七時間後には朝めし屋の営業が待っているが、シュウはもう少し義父(おや)孝行することにした。




初稿 2018/9/28

2019/04/28 食材の表現を変更。領主の名をエドワードからエドガルドに変更。

妻の名をシェリーからソフィアに変更


ミンチを揚げたんだからミンチカツ……関西はそう呼びます。

関東だとなぜ「メンチカツ」なのかって考えると夜も眠れません。


クリスがひとくちで食べようとしたのを見て、シュウはやっぱり親子だと思ったようです。

口に出さないのも、仲良く暮らすためにはたいせつですよね。


朝めし屋-異世界支店-、明日から通常営業?

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別のペンネームで、新たに投稿を始めました。

町家暮らしとエルフさん ――リノベしたら庭にダンジョンができました――

イタリアン、スペインバルを舞台にした一人称視点の作品です。よろしくお願いします。
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