しらす丼(1)
大陸の内陸部は乾燥し、晴天が続く。
夏場はよいのだが、秋、冬と寒くなるに従って放射冷却によって明け方は冷え込む日が増えてくる。
だが農民は畑仕事を始めるため、その時間帯から起きて大門前へと集まる。
同様に、遠くまで荷馬車で移動する商人たちも、朝早くから出発の準備を始めるのである。
天馬亭に宿泊する商人たちも同様で、朝一つの鐘が鳴る前に目覚め、早朝から出発するべく大きな商団が出発するべく荷物のまとめと確認を行っている。昨夜から宿泊していたのは約二〇人もの商団で、護衛のための傭兵がつけば三〇人を超える規模になるだろう。
「いやぁ、今回も世話になったな」
商団をまとめるハビエル・サンチェスが見送りに来たウーゴに話しかける。
商団の長ともなると充分な経験と知識が求められるのは当然だ。だが、それ以上に必要なのが人脈。
どこの領地に行けば何が特産品で、何がよく売れるのかということくらいは知っていて当然。更に一歩踏み込んだ情報――今年はその特産品の収穫量が多いのか、少ないのか……そこでよく売れる商品が今年はどの程度流通しているのかなど、生の情報を入手できるだけの情報網を持つことが大事なのだ。
ハビエルにとって、宿屋の主人は一番の情報提供者だ。理由は簡単――他の商人も宿屋の主人と情報交換しているからだ。これが、村を回る行商人が多い安宿では意味がない。他の商団が宿泊するような宿屋でなければハビエルにとって必要な情報が得られない。
もちろん、ウーゴはハビエルにとって素晴らしい情報源なのである。
「いえ、いつもご贔屓くださりありがとうございます」
ウーゴにとっては大人数が宿泊し、酒代も含めてたっぷりとお金を落としてくれるのでありがたい客でもある。
「そういえば、亭主は私と同じネブリンド地方の出身と聞いたのだが――どこの出身だい?」
「私と妻はダズール出身です。あそこの跳鯱亭で修行して、ここの宿屋を紹介されたんですよ」
「ほぅ、私はマルシール生まれのマルシール育ち……といっても年の半分ぐらいはこうして街をでているんだがね」
ハビエルは低く渋みのある声で苦笑してみせる。
商団を構えるほどの商人になると、街と街単位での商売が基本。相手の街は国内に限らず、隣国などにも足を伸ばすのが普通だ。一度街を出ると半年近く旅をすることも多い。
「マルシールも海に近い街ですが、長く空けていると魚が恋しくなりませんか?」
ウーゴ自身、十数年前にマルゲリットに来てから海の魚には縁がなかった。手に入ったとしても干鱈くらいのもので、新鮮な海の幸にずっと飢えてきたのである。
街に戻れば食べられるからといっても、半年も食べられなければハビエルもその味に飢えてくるだろうと思った。
「そうだな、私もここ三ヶ月くらいは海の幸とは縁がない生活をしている。そろそろ、串に刺して焼いた『鯵』や『鯖』なんかを食べたいものだ。
戻ったら、捕れたての魚に塩を振って焼いて食べようといつも思ってるよ」
「それはまた豪快な。考えただけで涎が溜まってきてしまいます」
ウーゴはクリスの店に足繁く通っているのだから、もうそこまで海の魚に飢えているわけではない。ただ、ほぼ同郷に近いハビエルに親近感もあることから、ついクリスの店のことを教えてしまいたくなったのだ。
だが、ウーゴはそこで考え直す。
ウーゴにとってハビエルは上客。外に朝食を食べに行かれてしまうのも悔しい話である。その分、売上も下がるのだ。
幸いにもハビエルたちはここから九日かけてマルシールへと帰るのだから、帰ってすぐにでも魚を堪能してもらえばいい。そう考えると、ウーゴの気持ちも楽になる。
「宿屋というのは休みがないからな。あんたの分も俺が魚を食っておいてやるよ」
「ええ、よろしくおねがいします」
ハビエルはどこかニンマリとした笑顔をしてみせる。
だが、ウーゴにすればクリスの店があるのだから悔しい思いをすることもない。逆に何か達観したかのような表情でハビエルの言葉を返した。
自分はこのあと妻のヘマ、娘のイレネ達を連れて海の魚料理を食べに行くのである。逆にそのことを自慢できないのが悔しいくらいだが、相手は大事な顧客。ここで心象を悪くするよりも、気持ちよく帰ってもらったほうが次にこの街に来たときの印象も変わるというものだ。
一方のハビエルはなぜか羨ましそうな言葉が聞けず、拍子抜けだ。ちょっと言い過ぎたかと勘ぐって、バツ悪そうに頬を人さし指で嗅いている。
そこに十六、七歳くらいの少年が駆け寄ってくる。少し冷え込んだ朝だと言うのに、薄らと汗をかき、呼吸を弾ませて白い息を吐き出している。
「親方、用意できました」
「お、そうか。おつかれさん、お前は少し休んでいなさい」
よく見ると目元や口元にハビエルの面影が見て取れる。
「はい、ありがとうございます」
少年はハビエルに礼を述べると、荷馬車の方に向かって走って戻っていった。
「休めと言ってるのに走ってどうする!」
ハビエルが怒鳴りつけると、少年はこちらを振り返り、手を振ってそのまま遠ざかっていった。とても元気な少年である。
宿帳の記載を思い出すと、確かにハビエルと同じサンチェスという屋号をつけた名前があったことを思い出す、
「あちら、息子さんで?」
「ああ、そうだ。私の長男で、名前はサムエル。今年で十七歳だ。
今回、初めて商団に参加したんだが――若いからか、体力が有り余っているようで困るな」
ウーゴの息子、セリオはまだ十二歳。
五歳も離れていると、体格的にも体力的にも比較するのは難しい。
「他に、同じくらいの年頃の見習いは?」
一昨日、セリオが倒れてしまったことでウーゴは少し自信を無くしたのだろう。ほぼ宿の中で仕事をしている立場では宿泊客との会話は増える傾向にあっても、他の商売をしている人たちや同業者と話す機会もなかなかない。
これを機会にハビエルのところではどうなのか、聞き出したいと考えたのだ。
「あと二人ほどいるが……どうかしたのかい?」
「いや、うちの息子なんだが……」
出発時刻が近づいていることもあり、ウーゴは手短にセリオのことを説明し、相談してみることにした。
◇◆◇
ひととおり話を聞いたハビエルは、眉間にしわを寄せ、何度も顎先の肉を指でつまむように擦る。
「体力的なものは様子を見ながら面倒見るしかないが、恋煩いかぁ……」
「ええ……」
セリオと共に朝めし屋に行ってから、セリオの様子がおかしくなった。明らかにシャルに対して好意を抱いていることがわかる反応をしていたからだ。
それに、その後のセリオはぼんやりと何かを考えていることが多いし、実際に朝めし屋のクリスのもとに伝言を頼んだだけで話も耳に入っていない様子だったのだ。
「サムエルはどうだろう。初恋などしていたかさえ知らんなぁ……」
さっきは休めと怒鳴っておいて、ここで馬鹿正直に息子を呼びつけて訊くなどということまではできないのでハビエルも少し困り顔だ。
「そういう気持ちになることが恋だって教えてあげられればいいんですがね……」
「なんだ、その息子の――セリオにはそういう友だちなどがおらんのか?」
「この辺りで店を持つ商人たちは居住区に家を持ってますからね。宿屋って商売はそこに寝泊まりするものですから、セリオは遊び相手に恵まれてなかったのかも知れません……」
セリオに同い年くらいの友人が少ない……いや、いないことにウーゴは気がついていた。
宿屋という職業柄、住居は宿の中に作らざるをえないし、遊び相手といえば近所の子どもよりも馴染みの宿泊客の方が多いのだ。
「それはまた子育てにはいい環境とは言えんなあ。まぁ、私も旅にでていることが多い身だから人のことは言えんのだが……」
「そこは似ているようでまた違う気もいたします」
普段から親が側にいない環境で育つということと、大人しかいない環境で育つということは明らかに違う。
親がいない、愛情を受けて育っていない子どもは人と親密になることを怖がる傾向がでる。せっかく友人ができて仲良くなっても、その友人が自分から離れていくことを恐れてしまい、つい自分から距離を置くようになって孤立する子に育ちやすい。
サムエルは父がいない間、母の愛を確りと受け取って育った。
ハビエルはマルシールにいる間は徹底的に息子を愛したのである。
一方、幼い頃から大人たちと会話してばかりな子どもは、他の子どもたちと何を話せばいいのかわからない。その結果、話題に入ることができないばかりか、大人たちの真似をして自慢話ばかりしてしまうのだ。
自慢ばかりする子どもは、他の子どもからすると退屈な相手になってしまう。
幸い、セリオは自慢するような子どもにはならなかった。
職業柄、両親が頭を下げるところを見かけることが多かったのもあるかも知れない。ただ、その頭を下げるということの意味を知ったのもここ数年――厨房に入るようになってからだ。
自慢する相手もいないし、自慢することもない。宿泊客が相手をしてくれても、自慢話を聞かされるばかり。
仕事は三年目に入ってもナイフすら持たせてもらえない、見習いの小僧……。
これがセリオの自己評価である。
「私から言えることは、もっと褒めてやることだな。
まずは自信をつけさせないとどうにもならん。恋の話は――そういえば娘がいたよな?」
「ええ、九歳と七歳の娘がおります」
「娘に任せるほうがいいんじゃないか?」
「娘に……ですか?」
ハビエルは自信に溢れた目線でウーゴを見つめると、ゆっくりと頷く。
一方のウーゴには、なぜそこまで自信を持てるのかが理解できなかった。
「女というのはすぐに群れるからな。子どもといえど、相手の娘と仲良くなるのも早いだろう。相手の娘から何か聞き出してくるかも知れんし、上手くセリオとの橋渡しをしてくれるかも知れんぞ?」
「なるほど、それはそうかも知れませんね」
正直なところ、ウーゴの目から見てシャルはまだ幼い。まだまだ恋愛感情など持つような娘ではないと思っているが、娘のイレネが刺激すれば少しは意識を持つようになるかも知れないと期待した。
とはいえ、容姿などを考えると明らかにセリオはシャルに釣り合っていないし、領主の娘であるクリスと寝食を共にしている娘なのだから、身分的にも難しいとは感じている。
「よし、今日はその店に娘を連れて行く予定なので、友だちになってもらうように話をすすめるようにします」
「そうだな。それがいい」
結論がでたことにホッとしたのか、ハビエルもなんだかスッキリとした表情をしている。
心から心配してくれている古い客に、ウーゴは心から感謝の気持ちを述べた。
◇◆◇
すべての準備が整い、ハビエルたちマルシールの商団が出発するべく宿を立つ。
向かうは北にあるダズールの街である。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
ハビエルたちの馬車が大門に向けて出発するのをウーゴは見送る。
天馬亭に宿泊する客で、今日のうちに出発する予定だった客は、これで最後である。
新たな宿泊客は午後遅くなってからやって来るので、ウーゴには自由な時間ができることになる。
ハビエルたちの馬車は傭兵たちと合流し、一台ずつ大門を潜り、最後の一台が門の向こうへと消えていく。
「あんた、どうすんのさ」
「あ、ヘマか。そろそろ準備して出なきゃいけないな。イレネはどうしてる?」
「たぶん、部屋だよ。アタシは久々の外食だからね……気合いれてくる」
「あ、ああ……うん」
ウーゴにしてみれば朝めし屋はただの〝めし屋〟だ。確かに珍しい海の魚料理を出しているが、それ以外の料理で実力を測ったことがないので、そんな評価になってしまう。
だから、「そこまで気合を入れる必要などないのに……」などと思いつつ、イレネの部屋へ向かう。
階段を上がり、五階の客室が並ぶ廊下の一番奥にある小さな扉を開く。そこにはまた階段があり、屋根裏へと繋がっている。ウーゴ、ヘマ、イレネが暮らす部屋、セリオやルビオやフェデリコが暮らす部屋などが並んでいる。
ウーゴは自分たちが暮らす部屋に入ると、一番奥にあるイレネの部屋の扉を拳で小突くようにノックする。
「イレネ、出かけるぞ。準備はいいか?」
「うん。だいじょうぶー」
部屋の中から声がすると、閂が抜ける音がして扉が開く。
「おいおい、イレネもおめかししたのかい?」
「だって、はじめてお外でごはん食べるんだもの。こういう日はおめかししなさいって、母さんが言ってたからねー」
イレネが来ている服は、今年になって作った新しい服だ。生成りのシュミーズの上に草木染めの茶色のスカート、その上に朱色のオーバースカートを巻いている。襟元には茶色のスカーフ、頭にはモップハットという出で立ちだ。成長期なのであちこちで余っているのを糸でつまんだり、紐で括って誤魔化しているが、かなり気合の入った服装である。
「そ、そうか……」
服がかなり大きくはあるが、実にいい色合いで布を組み合わせているのでとても可愛らしい。また、モップハットは黄色に染められていて、赤茶色いイレネの髪色によく似合っている。
「どうかしら?」
実におしゃまな娘である。
相手になる客がいつも大人の男性だからか、もう背伸びを始めているような感じだ。
「とても似合ってるぞ。さすがは器量良しのイレネだな」
「ふふっ、そうでしょぉ?」
イレネは父親の褒め言葉を聞いて嬉しそうに相好を崩し、くるりとその場で回ってみせる。
思わず我が娘の可愛らしさに目を細めるウーゴだが、すぐに我に帰る。
「そろそろ母さんとロラも準備が終わってるはずだから、一階に下りるぞ」
「はーい」
ウーゴはイレネの手を取って、自宅を出ると階段を下りる。イレネはまだ新しい服に慣れないのか歩くにくそうにしているが、無事一階へとたどり着いた。
「イバン、いるか?」
宿の玄関にまでやってきたウーゴは、客室の方に向けて声を掛ける。
既に宿に宿泊している商人達は商品の仕入れのため街の外にでているため、声をかけても問題はない。
すると、年齢は三〇歳前後で痩せ気味の男が奥から慌ててウーゴのもとへと走ってくる。身長は一八〇センチ程度なのだが、痩せているのもあって身長だけは更に大きく見える。
体格的にはウーゴの方が痩せていないので大きいのだが、細くて背が高いと更に背が高く見えるものだ。
イバンはウーゴから二メートルほど離れた場所で立ち止まり、丁寧に略式のお辞儀をする。
「お呼びですか?」
「これからヘマ、イレネ、ロラと共に食事にでかけてくる。悪いが店番を頼む」
「承知いたしました。いってらっしゃいませ」
イバンは再度お辞儀をすると、先ほどいた部屋の方へと戻っていく。チェックアウトしたハビエルたちが使っていた部屋のチェックに戻ったようだ。
シーツ交換、ベッドメイキングや御虎子の交換は仲居が行うので、恐らく破損したものや、汚したものがないか確認するためだろう。
そこに裏庭で髪を整え、モップハットを被ったヘマが裏庭から現れた。
上品な色使いのスカート、オーバースカートを巻き、ボディスでウェストを締めたいつもの服装なのだが、着ている服は真新しいものばかりだ。すぐ横にくっついているのは末娘のロラだ。
「どうしたんだい?」
「い、いや……なんでもない」
いつの間に新しい服を作ったのだろうと不思議になるウーゴだったが、そこは敢えて尋ねないことにした。
変に深追いすると火傷することを長年の付き合いでよく理解している。
「それじゃ、少し早い気がするが向かうとするか」
「ええ、そうしましょう。ロラ、おいで」
「うん」
ヘマがロラを左腕に抱きあげる。七歳児なので結構な重さがあるはずだが、やはり鍛え方が違うのだろう。
「私、真ん中ね」
イレネはウーゴの左手を自分の右手に、ヘマの右手を自分の左手に握り込んで二人の間に収まった。
両手を同時に振って、両親と共に歩く少女の顔はとても幸せそうだ。
普段は仕事仕事で忙しい両親と共に食事に行く機会なんて、イレネにはないものだと思っていた。だが、思わぬ機会が転がり込んできたのだ。彼女にとってこれほど嬉しいことはない。
「なあ、イレネ。今からいくお店には同い年くらいの女の子がいるんだ。
できれば仲良くするようにな」
「うん、もちろんだよ!」
「ロラはぁ?」
常に宿の中にいたイレネやロラにとって、外の世界の人たちと触れ合う機会は少ない。
セリオでさえ遊び相手がいなかったのだから、二人には更にそんな機会は少なかったのだ。
「ロラも仲良くするんだよ」
ヘマがロラに言い聞かせる。まだ七歳で東通りにある店にまで遊びに行かせることなどできないが、ここでダメと言っては泣き出してしまうので、仕方がない。
――同い年くらいかぁ、どんな子だろ?
イレネは両親の腕にぶら下がりながら、期待に薄い胸を膨らませた――。
初稿:2020年10月4日
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次回投稿は 2020年10月11日 12:00 を予定しています。





