ひろふみ上京
その3
ひろふみは、東京駅に降りたあと、いくつかの百貨店を回った。
正直、東京の交通網に驚き、各店舗の大きさにも驚いていた。そして、なにより人の多さに疲弊していた。
バブルが弾けたとはいえ、一般の人々には未だ深刻なダメージは伝搬しておらず、百貨店は多くの人で賑わっていた。
ひろふみは、老舗の佃煮や海苔の店を中心に回わり、試食をしたり、綺麗にディスプレイされた品々を見てまわった。
5つ程百貨店を回ったあと、知り合いに書いて貰った地下鉄の乗り換えメモを頼りに、宿のある街を目指した。
その街に降りると、それまでの東京と全く違う雰囲気だった。若きころの ひろふみが知っている日本だった。道に張り出した、とってつけたようなビニールの雨よけの下で酒を飲み、モツなどを摘まむ人々、なんとなく安堵をえた ひろふみは、知人に書いてもらった手書きの地図に従い宿を探す。
旅館 素松屋。
ここだ。古く大きな建物。
その門をくぐり、引き戸をガラガラとあける。
やがて、おくから一人の老人が出て来て、三つ指を付く。
『西岡 ひろふみ様ですね。遠いところをよくいらっしゃいました。お疲れでしょう。お部屋に御案内いたします。』
几帳を済ませ、12畳ぐらいはあるだろうか、古いがしっかりした建てつけの部屋に案内された。
布団は自分で敷くことや、食事は台所から自分の分をとってきて、部屋で食べることなどを教えられた。
こんな時代に、こんなところに泊まる人は物づきだと思いつつも、逆に落ち着くものだなぁとも思った。
大きな共同風呂で汗を流し、言われた通り、台所で大きな盆にのった夕食を部屋に運び、煙草に火をつける。紫煙が天井をまう様子をみながら考えた。
やはり、うちのびん詰をあんな百貨店で売るのは無理だ。一品しかないし、味には自信があるが、人を惹き付ける華やかさがない。
やはり、大分の固定客に買って貰うのが妥当だ。
暫くそんな事を考え、持って来た盆を見た。
小さなお櫃に、汁もの。焼き魚に、卵焼き、漬物。粗食ではあるが、是で十分。寧ろ安心して、お櫃から茶碗に米をよそる。
普段の食事と変わらず、ここならしばらく滞在できるなと思った。
食べおわった盆を台所に返すついでに、ひろふみは、十兵衛に、電話をかして欲しいと頼んだ。
ひろふみは、社長に、東京に着いたことだけ伝えた。
部屋に戻ろうとした時、十兵衛が声をかけてきた。
『簡単な食事で、申し訳ありませんでした。よろしければ、一杯やりませんか?お客様一人ですし。私も退屈なので。』
ひろふみは、確かに暇だし、酒は有り難いと思った。
十兵衛の部屋に行く前に、持参したびん詰を一本取りに行き、2人で飲み始めた。
うるかを紹介したあと、十兵衛の1升ビンから酒をうけ、ざっかけない世間話をはじめた。
つづく