#02 【金属の翼/Metal Wing】
やれやれ、真のエロ鼠なら今のタイミングで来るだろうに、修行が足りねえぜ。
Rは汗ばんだ手で、しっとりとした首筋をなでた。
そもそも、俺がここにいるってことは、あのクソったれな鼠小僧が助けてくれたんだから、奴は無事なわけだ。流石に【速射】とかいうパクリ呪文の奪取には失敗しただろうが、もう一度敵の会社……たしか御園居研究所とか言ってたな、そこにアタックするのか、はたまた別の仕事に手を出すのか、プランを練り直す必要がある。
Rは服を用意するため、焦げ茶の桐タンスに向かって指を弾いた。
「――あれ?」
普段ならこれでタンスが開き、部屋一面に衣装が展開するはずなのだが、どういうワケか微動だにしない。
Rはもう一度指でOKサインを作ると、タンスに向かって小気味よく弾いた。人差し指の爪で中指の腹を叩く――これが「マナップ」と呼ばれる動作である。三回四回とテンポ良くマナップするが、うんともすんとも言わない。
おいおい、タンスのストライキかよ……。
Rはぶつくさ文句を垂れつつも、しゃがみ込んで把手に指をかけた。反応が悪いときは、現実同様に開けることも出来るのだ。
しかし今回は、裸の美女が手ずから引いてやっているにも係わらず、ビクともしない。
「え? おいコラ、初心かテメー」
これは、荒巻良太郎というプレイヤーへの許可で開くように設定しているため、アバターが変わろうとも開く仕組みのハズであった。もちろん、電脳世界で衣装など安いから、その気になればいくらでも調達できるのだが、やはりお気に入りのコーディネイトというものはある。
また、不具合をOK社の日本支部に訴えようにも、マホロバ内の新宿まで赴く必要があるため、結局スッポンポンでは顔が出せない。
Rはタンスを開けるのを諦めると、やおら立ち上がって姿見に目をやった。
「公序良俗違反、だよなあ」
鏡に映る豊満な長身モデルを見たRは、右手を腰にあてて左手で銀髪を掻き上げた。
ストリーキングをする美女という絵は結構な需要がありそうだが、それでも違反は違反だ。まあ、企業への潜入仕事の方がよほど違反という気はするが、それとこれとは別である。
Rはマナップで《人間変身》を解除した。白く柔らかかった肢体から、暗灰色の頑丈な岩へと舞い戻る。目線の高さも、人間時の半分ほどに低下した。
やれやれ……。まあ、大規模なバージョンアップ時っつーのは、不具合が付き物だよな。とくに、こんな素晴らしい「まろやかさ」を実現したならしょうがない。――ああ、しょうがない。
いつもより寛大な心の持ち主となったRは、外出前の嗜みとして呪文リストのチェックを始めた。
ほぼコレクション目的だったアバターだから、電脳死を完全に防ぐ【不可侵】1枚のみをスロットに放り込んで仕舞いかと思ったが、呪文カード60枚がきっちりと入っている。まあ、リアルさを大幅に減らす【不可侵】状態でこれなら驚愕なので、さもありなんだが。
呪文構成は、相手の魔法1つを封じる【封印】4枚に始まり、各種いけ好かない黒魔法が取り揃えてあった。他は銀をメインに据えている。Rは【踊る自動人形】の1枚を確認し、ニンマリと笑みを浮かべた。
自称「よんさい」のランペルなどは、「Rの戦い方ってチクチクだよね~」と常々茶化しており、「そりゃテメーだろ」と返すのがお決まりだったが、確かに一撃離脱が主である。
もっとも、吸血鬼のときと同じ魔法を突っ込んでいたため、立ち回り方については熟知していた。岩なのだから【石つぶて】あたりでデッキを組んでも面白かった気はするが、些末な事である。
屋外に出るに際し、Rは一通りの補助呪文を自分に張っていった。
ん? ――何か妙だな。
魔法を唱えた場合、レベルの数字分だけ疲労し、その後1秒ずつ回復するはずなのだが、今はすぐさま回復した気がする。体の精査でスッキリしたせいか、呪文も素早く唱えられたようだ。
――ま、「良い変化は笑ってスルー」、か。
古式ゆかしいマホロバの標語に従ったRは、バンガロー風の山小屋からゴロリゴロリと転がり出た。
外は深緑が取り巻く徳島の祖谷渓谷で、辺りには人っ子一人いない。もちろん、生きてる岩もRだけだ。
ふぅ、ここはいつ来ても落ち着くな……。
Rはゴロ~リと周囲を見回した。
ちなみに、選んだ決め手は、「深山幽谷をDIY! 仮想空間売ります、OK!」というチラシを見たためである。祖谷山林道とかいう林道の近くに、国道439号のおにぎり標識があったのだ。
「与作!? こりゃ買うしかねえ!」
すぐさま連絡を入れて飛びついた。後悔はしていない。
余談だが、仮想現実の区画だけを売り出すというパターンはわりと多かった。売り手は田畑や山林の有効活用が、買い手は新規開発のしやすさが魅力なのである。そのため、数年前の法改正時より、ひなびた田舎に結構な特需をもたらしていたのだった。
※ ※ ※
【金属の翼/Metal Wing】
銀/レベル3/ミドルクラス
分類:道具
効果:【金属の翼】の付いたキャラクターは《飛行》を持ち、移動速度が1増える。
「憧れたんだよ」
「鳥にですか?」
「いや、自由な世界にさ」 ――博士と人造人間の会話
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収録版:MP、改訂版
※ ※ ※
国道439号の上空50mを、Rは【敏速】付きの【金属の翼】でかっ飛ばしていた。
――いやはや、はたから見ると実にアヤしい隕石だよな。
苦笑しながら着地をしたRは、かずら橋近くの「門」をごろりと通り抜けた。その後、いくつもの「門」を経由して、東京の日本武道館前に到着する。
現実なら飛行機を使っても3時間はくだらない距離が、ものの10数分で行き着いた。つくづく世界は狭くなったものである。
西にある市ヶ谷駅を目指して、靖国神社の方へとまたもや飛んで向かう。使う呪文は【金属の翼】のみ。都心は流石に飛行少年&少女が多いので、【敏速】は控えておく。
ったく、どいつもこいつも浮かれやがって。死ぬリスクが怖くないのかね。
呪文リストに【不可侵】1枚だけを突っ込んでおくと、ぐっとリアルさが減り、他の呪文が一切入れられない代わりに、電脳死がなくなる。ならばみんな【不可侵】を導入するだろうと予想した人間も少なからずいたが、あに図らんや、ほとんどの者が入れないまま今にいたる。
一時期、こんな文章が流行った。
OK社社長★カルイザワ「車、列車、飛行機、いずれも事故を起こしてるよなぁ? じゃあ今、それらは廃止されてるか? ねえよなぁっ! ナイフや銃は危ねえぜ。じゃあ、全廃されたか? されてねーっての! なっ? どれもこれも、使う奴の問題なんだよ。そこへいくと、俺達ゃ実に親切だよなあ。なんせ、多大な労力と金と金とそのまた金をかけて、【不可侵】って魔法を提供したんだぜ? これさえ導入すれば、絶対に電脳死は起こさねえ! 絶対にな!! 現実世界にこんなシステムがあるか? あるわきゃねーっ!! さあみんな? 俺様達の良心的な行いに、嬉し涙を流しやがれえっ! ハッハー!」
おそらくアンチの仕業だろう文言は、一定の同意と嘲笑こそ得たものの、結局OK社が【不可侵】を全面採用する動きには至らなかった。表社会で遊ぶ分にはそこまでおかしな奴には出くわさないし、よしんば出たところで、逆に撃退できるのだ。万が一撃退できなくとも、大抵の場合は【終了】一発で事足りる。
もっとも、最たる理由は時間の短縮であった。脳死するぐらい神経が深く没入していることにより、現実の1秒がマホロバではおよそ3秒に感じられるからである。そのため、みんな挙ってフルダイブを選択するのであった。今では、同じ「秒」という単位だと判別しづらいというので、マホロバのほうは「コマ」という単位で呼ばれるほど一般的である。
なお、脳神経の伝達は、神経系の中では速度が遅いことで知られる。しかしOK社は、アバターの中にも疑似神経を構築するという、「頭のおかしな」(褒め言葉)処理をすることでそれを克服。リアルを超えたリアルの実現に、今も邁進している。
――やれやれ、そのスタンスが電脳世界にも死を実現させちまったってェのに、懲りねえ面々だぜ。
Rは内心ほくそ笑んだ。【不可侵】なしで入っている人間の大半は、脳死の恐怖など「どこか遠い世界の話」であって、「ちょっとしたスパイス」ぐらいにしか捉えていないのだろう。
まっ、俺が死に近かったから特別考えちまうのかねえ……おっ。
高度を保ったまま市ヶ谷駅近くまでやってきたRは、低空を飛行する鈍色のドラゴンを発見した。
(おいおい、【鋼鉄の竜】か? 喚んだ奴はしっかり飼っとけよ)
妹の学校だってこの近くなんだぞ。木の柔肌に傷がついたら立ち枯れしちまうだろ……。
Rは何気無く視線を向けた。そこには、〈樹木〉こそ生えていなかったが、代わりに、《人間変身》を使った〈水玉〉が逃げている。群青色のしっとりとした長髪をポニーテールでまとめた美少女で、人間時のRより頭一つ分以上小さい。そのくせ、胸はRと遜色ないほど豊かで、水着のような濃紺の衣装をパツンパツンに押し上げている。
――おやおや、あれだけの胸を誇るってことは、現実だと色々ザンネンなのかもな。体型を自分の理想に変えるっつーのはよくある話だ。
しばらくRが注目していたため、少女の上部に吹きだし型の情報が展開される。
(ふうん、名前は「水脈・シエーナ」、リアルじゃ15才か……。と、ああ、竜が大口開けたな)
案の定、ドラゴンが青い炎を吹き付けた。逃げ切れなかった〈水玉〉の少女は、煙を上げて黒焦げになる。衝撃対策はないようで、動作も緩慢だ。フード付きの白いパーカーにも【防火】はないらしい。
おいおい、【不可侵】もなしかよ? 〈水玉〉達は青なんだから、せめて盾ぐらいは展開しろよな。
どんな攻撃だろうと一回ノーダメージにする、青魔法のレベル1、【巨大な盾】。愛称は盾、もしくはグレイシー。各人8つずつもっている自分の魔色を、1つでも青に突っ込めば唱えられるという「軽さ」がウリだ。また、魔力コストの安さと、あらゆる場面で使い所が生まれる汎用性も魅力である。「たった一発で消えるから、結局ジリ貧だ」という反対意見も根強いが、デカいダメージが予想されるときはやはり重宝される。大抵ターゲットは自分自身のため、熟練者の間では、敵の必殺技を「見てから」使って間に合う点も高評価だ。
(もっとも、俺は【無敵の盾】が好きだがね)
銀っていいよな、銀。
Rは大きく方向転換すると、銀レベル2の【無敵の盾】を唱えた。そのまま竜に向かって勢いをつけて加速する。激突直前に【金属の翼】を消し、背中からゴガァァンとブチ抜く。
(どんなに硬いデカブツも、地球の重力にゃあ勝ち目なし、と)
どてっ腹から飛び出した瞬間、激突時に消えた【無敵の盾】を再度張って自由落下した。大都会の真ん中にド派手な衝撃音とクレーターを与えるが、R自身は無傷で着地である。
うっし成功、体当たり。――やれやれ、マジで隕石になっちまったな。
グラグラと揺れて苦笑したRは、消えゆく竜の残骸を前に、グルンと一回転して勝ち鬨代わりとした。地面はじきに元通り、このあたりはマホロバの面目躍如である。
「あ……、ありがとうございます!」
ゆっくり近付いてきた〈水玉〉の少女が、深々とお辞儀をした。
(なあに、気にすんな)
Rは余裕たっぷりに【精神感応】で応じた。その傍ら、意識は水着に包まれた二つのたわわな水風船へと引きつけられる。
ヤッバいな、この嬢ちゃん……。細い両腕で挟み込んじまって、俺が見上げたら「てんこ盛り、更に倍!」だぜ?
まったく、わがままバディを持て余してる感じが、ケシカランな。俺が俺を堪能してなかったらアブない所だったぜ。
Rは、雄大なる曲線美に大いなる感謝をしつつ、心の網膜にしっかりと焼き付けた。
「あの、お強いんですね? えーっと、ン、ゴーロク、ン……」
(ンゴロンゴロ、アールだ)
すまねえ、凝った名前で呼びづらかったな。Rは反省した。
(Rで構わねえ。そっちは……水脈、でいいのか?)
「あ、はい」
(よし。それじゃあ、水脈)
Rは「柔らか凶器」の破壊力を払拭するため、(オホン)と大きく咳払いをした。
(いいか? いくら【終了】が二秒だからって、こっちの体感だと六秒だぞ? こういうアクシデントも起きるんだから、次からは【巨大な盾】ぐらい張っといた方がいいぜ)
「は、はい」
(そうか、分かったならいいんだ。じゃあな)
「あっ! ちょっと待って下さい!」
(うン?)
クールに去ろうとするRを、水脈が慌てて呼び止めた。そのさい、不用意に走ったため、水着の中身が舞い踊る。
――ぶほっ! うぉい! 揺れる、揺れるってバルーン!
(おおおぅおお落ち着けよ)
――イカン、俺がまず落ち着け。
ごろんと半回転したRは、地面で頭を冷やした。ひとまず心頭滅却したものの、視線は未だ余震の続く水ようかんに釘付けだ。
おいおい……、補正なしだとあんなに揺れるのかよ。ブラとかないだろうし、エッグいな~。うっかり切っちまったのか知らねえが、絶対「揺れ制限」が入ってたハズだろ。誰か教えてやれよな。
正確には、「姿勢制御」という項目があり、その中に「胸部」という小項目が存在するのだ。これは始めからチェックが入っているハズなので、意図してオフにしない限りは、一部が大暴れという事にはならない。おそらくだが、初心者の水脈が誤ってチェックを外してしまい、そのまま放置してしまったのだろう。
ったく、しょうがねえな……。
Rはすぐにそれを知らせようとして、待てよと思い直した。
これほど見事なバルーンダンスを披露するなど、もはや遺産ではなかろうか。きちんと保護し、後世に伝えるべきでは――。
一瞬のうちに葛藤を断ち切ったRは、結論を出した。
まっ! 俺は教えるよりも、自然に気付けってタイプだしな、うん。
煩悩の石塊となったRは、振動の収まった双子の山を見てほっこりした。