第一部 〈強き母親の爆弾〉
憂鬱な気分のまま始業式を過ごし、一日が終わる。
その後、志音の提案により少し自主練習を行うことになった。
黒羽は、決して千春の事が嫌いという事ではない。しかし、千春の行動に問題があった。
それは——
「黒羽――――‼」
例の訓練場に向かう三人の元へ何かが——主に黒羽へ向かって——突撃してきた。
ソレを黒羽がヒョイと躱すと、勢い余ったその何かが地面に倒れ伏した。
志音とケイの二人が、困惑した顔を浮かべている横で、黒羽はその物体を見下ろして言った。
「何やってんだ、お袋……」
仕事の都合で家を出ていき、久しぶりの再会となった彼女を見る眼にしては、明らかな侮蔑の色が浮かんでいた。
「えっ……この人って……さっきの……?」
志音がドン引きした様子で聞いてくる。彷徨った視線は、黒羽と床にひれ伏している物体の間を往復している。
「ってて……まったく……またお袋と言ったな? お母さんと呼べといつも言っているだろう。なんならママでも良いぞ?」
むくりと起き上がってとんでもないことを口走った人物は、確かに北条千春の形をしている。しかし、始業式で見た彼女からは想像もつかない言動をしている。
「なぁ、黒羽、これは本当にお前の母親か?」
千春の方に目を向けると、意味も無く胸を張り、目は宝石もかくやというほどに輝いている。
「よく似た他人とかでは——」
「——ない」
「そうか……」
ケイが、何かを諦めたような遠い目をしている。
「なんだ、私に不満でもあるのか?」
二人は顔を近づけて話していたのだが、千春には聞こえていたらしく、二人の間に割って入ってきた。
「お袋、そろそろ子離れしたらどうだ。鬱陶しいぞ」
辛辣。黒羽の言葉は正にそれである。
案の定顔を引き攣らせた千春は、そのまま涙目になった。
「く、黒羽……そんな事言わないでくれよぅ……お母さん泣くぞ……?」
既に泣いてるのに何を言う。よっぽどそう言ってやりたい黒羽ではあるが、さすがに言い過ぎたかと反省して口を開き、
「あ、そうだ黒羽。小学生の頃に彩芽ちゃんって居ただろう? ほら、幼馴染の大神彩芽。あの子も一緒にここに来てたぞ。部屋が無くて困ってたから、うちで暮らすように言っておいたからな。仲良くやれよ?」
先ほど涙目になっていたのが嘘かと思えるほどに表情を変え、ニヤリと笑う。
「……は?」
「いやー、これを言いに来たのに、黒羽の顔を見たらついつい本心が出てしまったよ。じゃ、そういうことだから。そのうち私も家にも帰るからな。ちゃんと待ってるんだぞ? じゃあな!」
「——いやいやいや、待て待て待て」
役目は果たしたと言わんばかりに去っていこうとする千春を引き留める。
いきなり何を言い出したかと思えば、幼馴染が学校に来ただの、一緒に暮らせだのと、処理が追い付かない。
「なんだ黒羽。彩芽ちゃんがいなくなって寂しがっていただろう? 親の都合とは言え、急に転校したからなぁ。会えなかった分うちで一緒に暮らすと良い」
「なあ、お袋。分かってるのか? あいつは女子だぞ?」
「そうだな。それがどうした。あの子も喜んでたぞ?」
噛み合わない。いや、噛み合う気が無いと言うべきか。そもそもの問題として、千春の思考回路はあまりあてにならない。こと戦闘においてのみ発揮される圧倒的な頭脳は、一般生活上では全くその片鱗を見せることは無い。
「ねぇ黒羽、彩芽ちゃんって?」
置き去りにされたためか、少し怒ったような表情を浮かべながら志音が問うてくる。
「彩芽ってのは俺の幼馴染だ。年は俺らより一つ下」
「へえー、可愛いの?」
「知らん」
恋愛に興味が無い黒羽からすると、顔はあまり気になる要素ではないらしい。
「まぁ、そういうことだ。私は仕事が残ってるから、戻りたくは無いが戻るぞ」
今度こそ良いな、と足早に去っていく千春。
とんでもない爆弾を置いて行かれたことに、黒羽達は気付かない。
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