第8話
大王の宮殿では謁見の間。
斎宮の宮内にも、それに値する場所がある。
普段は使われていないそこは、それでも綺麗に掃除されており、すぐにその場所に場は設けられた。
数段高くなった場所に座る私と向かい合うように、けれど数段下の床に正座する黄牙はーー。
(あれ?やっぱり絶対におかしいよね、これ)
どう見ても、妖艶な黄牙の方が斎宮に相応しい。というか、前に比べて何というか色香がより強くなっている気がするのですがどうしてでしょうか?
いやいや、今はそれはどうでも良くて。
「お久しぶりです、斎宮様」
「お久しぶりです、えっと……一月ぶりですか」
「正確には一月と少しですね」
意外に細かい黄牙の答えに、私は顔を覆う布の裏で苦笑した。
「その、思ったより早い再会で驚きました」
大王の居る都からここまでの距離を考えれば、戻ってそこで報告して戻るまで数ヶ月はかかるだろう。しかも、布類やら何やら頼んでいた物を準備すれば更に時間はかかる。
先にある程度の事を書き記した書状を届けていたとしても、そこまで早くはならない筈だ。
とはいえ、この外界から切り離された様な斎宮の宮から出た事のない私には分からない方法があるのかもしれない。大王が代替わりしていた事すら知らないぐらいの世間知らずだから、あり得る。
この場所には、私と磐、彼の三人しか居ない。
流石に来た者達全員を中に入れるのは難しいけれど、磐が強固に反対したのだ。
「斎宮様は本来殿方の前に姿を現してはなりません」
大王の使いではあるが、だからといって直接会えば慣例を破る事になる、民に示しが付かないと言われた。黙っていれば大丈夫とはならないらしい。まあ、そうだろう。
とはいえ、私の言葉を磐を通してやりとりするのは時間がかかりすぎるのでやめて貰った。それさえも強行しようとする磐を説得するのは大変だったけれど、直接言葉をやりとりする気楽さを考えればその苦労も報われる。
「斎宮様もお健やかにお過ごしになられていたようで何よりです」
「まあ、いつも通りです。それより、かなりの強行軍だったのではないですか?」
「いえ、何も問題はございません。それより、大王に斎宮様の現在のご様子についてお話させて頂きました」
「あ、そ、そうですか?」
現在の大王ーーあまり接点はないが、母を、いや、両親を同じくする兄は何と言っていたのだろうか?ふと視界の隅に何か震える物を見つけて顔を右にずらせば、磐が小さく震えているのが見えた。
「磐?」
「……」
「斎宮様の現状について知った大王は、酷く嘆いておられました」
「へ?」
嘆く?
「ええ。斎宮でありながら、節約に節約を重ね明日の生活に怯えられるご様子に酷く心を痛められていました」
「あ、いえ、別に怯えるまではーー節約はしてましたけど」
「本来、国の為に祈る斎宮様が祈りに集中出来る様に、それ以外の事については周囲が不自由のない様に取りはからうべきです。本当に、お労しい」
「いや、宮に仕える皆はよくやってくれてます」
「ええ、ええ!そうでしょう。ですが、この宮に物資を運ぶべき場所がきちんと機能していなかったのです。ああ、先代大王は愚かではありましたが、偉大なる斎宮様の生活を自分の怠慢で脅かすなどあってはならない事。あれは最早罪人です」
先代大王を罪人扱いする黄牙に、私は思わず顎が外れそうになった。それを誰かに聞かれたら不敬罪で処罰されてしまう。
「あ、あの、いえいえそんなっ!先代大王様のおかげで私達はここでつつがなく」
「ですがもう大丈夫です、斎宮様」
あ、話聞いてくれてない。
「我が大王は、斎宮様の窮状を知り、このままには決してしないと言われております。つきましては、皆様のこれまでの働きに対するお褒めの言葉を授けるべく、皆様の都への帰還を命じられました」
「はい?」
「っ!!」
磐の顔が真っ青になる。
確かに突然戻れとは驚きではあるが。
「あの、そんな、急に」
「何を言われるのです?そもそも貴方様は先代大王の斎宮様です。大王が代替わりすれば、斎宮様も新しいお方が選ばれるもの。これは当然の事なのです」
確かに黄牙の言う通りだった。
私は先代大王の斎宮で、新しい大王が立てばそれに伴い新しい斎宮が選ばれる。
私はもう、過去の斎宮なのだ。
「……」
「どうしました?ああ、不安なのですか?そうですね、突然この様な事を言われてもと思われます。しかし、新しい大王が立てば新しい斎宮が立ちます。本来であれば、新しい大王が立つにあたってそれなりに準備がありますし、その時点で連絡が行き斎宮様も次代の斎宮様に交代するべく準備を始めます。しかしそれがなかった。心の準備をすぐにするのは難しい話です」
黄牙は同情する様に頷いた。
「ですが斎宮様、貴方様はもう十分に働かれました。先の大王に追われるように斎宮の宮に入られ、ずっとあの愚かな大王の為に祈り続けた。あの大王は自分さえ良ければ他の事なんてどうでも良い。もし代替わりしていなければ、必要な物資一つ今も、そして今後も届ける事などなかったでしょう」
「……」
「今の大王様は、そんな不遇の斎宮様が少しでも健やかにいられるように、そして今までの苦労に報いるべく都に戻ってきて欲しいと言われています。貴方様は大王の妹姫。本来であれば、多くの者達に傅かれ、宮殿で華やかに暮らすべき存在。大王はそれを望まれております。遠くに追いやられた妹姫の帰還を心から願っております」
「……お兄様」
殆ど顔も合わせた事もなければ言葉も交わした事もない兄が、そこまで。
というか、どうしてそこまで思ってくれるのだろうか?
「そのお心遣い、心より感謝いたします」
「では」
「ですが、なにぶん急な事過ぎて頭がついていかないのです。少しお時間を頂けないでしょうか?」
「時間ですか?何を悩まれるのです?準備なら私達の方で行ないます」
「準備は……」
というか、彼が従えて来ている者達の中に女性は見えなかったが。
「ああ、女性達も本来は来たかったのですが、いかんせん強行軍ですからね。都にて、斎宮様のご帰還をお待ちしております」
「それはありがたいです。ただ」
私には二つの心配事があった。
それは決して見過ごせない、心配事。まず最初の一つ目の心配事について口を開いた。
「実は、こちらの事情で申し訳ないのですが、この宮に仕えてくれている女性が二人、行方不明なのです」
「行方不明?」
「はい、一週間前から森に行ったまま帰ってこなくて」
私が都に戻るとなれば、まだ帰ってこない彼女達を置いて行くという事になる。そんな事はーー。
「ああ、あの二人でしたらこちらで保護していますよ」
「……えぇ?!」
「森で迷った末に森の外まで来てしまったようで、丁度私の部下達が保護したのです」
「そ、そうなんですか?」
「っーー」
磐が悔しげに黄牙を見つめる。なんでそんな顔をするのだろうか?
「ですから大丈夫です。彼女達には先に今回の事について話し、斎宮様と共に都に戻るのを今か今かとお待ちしていますよ」
「そ、うですか……その、ああそっか、戻るってなると仕えてくれている皆も一緒なんですね」
「ええ、それは当然ですよ。新しい斎宮様には新しい傍仕えの者達が付きますから」
黄牙はにっこりと笑い、頭を下げた。
その笑みに思わず頷きそうになったがーー。
「あ、あのもう一つ!」
「はい?なんでしょう?」
艶やかな笑みを向けられた私は、それに流されそうになる自分を叱咤した。流されてはいけない。これもきちんと聞いておかないと、皆の進退に関わるのだ。
「私の、この宮に仕えてくれている者達の素性はお知りですよね?」
「素性ですか?それはもち」
「この宮に仕える全員が、王都にて処刑を明日に待っていた罪人達であると」
だからーーそう続けようとした私の全身に、ぞわりとした物が走った。反射的に顔を上げた私の視線が、黄牙の視線とぶつかった。冷たい、どこまでも底冷えする眼差しに、私は凍り付いた。
「罪人、ですか?」
それでも、一瞬だけその冷たさが弱まった隙に、私は自分を奮い立たせた口を開いた。
「そ、そうです!それも、大王様のお怒りを買った大罪人達です!」
また、冷たい物が強くなる。
「わ、私が斎宮として任地に赴くのを明日に控えてもまだ、私の傍仕えが決まらなくてーーまあ、当然ですよね。私も父に疎まれていて……それでその時」
その時ーー
「大罪人として処刑される人達が居て」
そう、居て……そう、居たのだ
それで
「いくら高貴だと言っても、こっちを蔑む様な人達を側に置くぐらいなら、その大罪人達を世話役として連れて行った方がよっぽどマシって言ってーーその、処刑されるよりは強制労働付きの追放の方が良いだろうし、それにその事を恩に思って一生懸命仕事してくれるかもっていう打算もあって」
「それでも大罪人を傍仕えになど、勇気がありますね」
まあ、普通はそうだろう。
けれどーー
「いやまあ、普通はそうなんですけど……でも」
「でも?」
「私には、彼女達が罪人には見えなかったから」
そこに居た誰も彼も。
むしろどんな罪を犯したのかと叫びたかった。
「その、世間知らずって言われたらそれまでです。本当に世間知らずですから。でも、相手が自分に対して害意を持つか持たないかぐらいは分かります。腐っても、大王の姫ですからね。で、その直感に従ってみて、私は傍仕えに、斎宮に仕える者達として引き取ろうと思ったんです」
私は黄牙を真っ直ぐに見た。
「それに、罪人とか言っていますけれど、当時はあの大王様です。その、色々とまあ、色々とあるお方で……気分で物事を言う所もありましたし、自分の欲望に忠実で……そのせいで、多くの方達が苦しんだりもしました。私はその、娘で、他の方よりは大王のなさり様を知っています。ですから」
そこからしても、彼女達は罪を犯して罪人にされたのではなく
「それでも……当時の大王に罪人とされ、斎宮に仕える代わりに罪を減ぜられました。それこそ、向こうからすれば死ぬまで働いてここで骨を埋めろと思っていたでしょう。それなのに、都に彼女達が戻れば、彼女達について色々と」
「彼女達は罪人ではありません」
「え?」
黄牙はきっぱりと私に言う。
「先代大王によって、多くの冤罪が作られました。そしてそれにより、多くの者達が罪人とされていきました。現大王は即位してすぐに、今まで罪人とされた者達の罪状を洗って多くの冤罪を見つけ出し、不当に罰を受けていた者達を解放しました。もちろん、彼女達も。ですから、もう彼女達は罪人ではありません」
「……本当ですか?本当に?!」
私は思わず立ち上がり、黄牙の所に駆け寄り彼を見つめた。
「本当にですか?!」
「ーー勿論ですよ、斎宮様」
「じゃあ、彼女達は都に帰っても大丈夫なんですよね?!酷い事をされないんですよね?!」
「はい、当然ではないですか。ええ、それもこれも、処刑を明日に待つ彼女達を斎宮様が保護し、彼女達の冤罪を現大王が晴らすまでの時間を稼いでくれたおかげでございます」
「ありがとうございますっ」
「斎宮様……お礼を言いたいのはむしろこちらです」
黄牙は深々と頭を下げる。
「斎宮様、そして宮様に仕えてた者達にも大王は感謝しておられます。今までよくぞ不遇の時を耐えて下さいました。ですが、もう良いのです。どうか、都に戻られ大王の傍で健やかにお過ごし下さいませ」
それは辺境の地に飛ばされた斎宮であればすぐに飛びつきたくなる様な台詞だった。甘やかされ大切にされてきた大王の姫であれば、喜んでそれを了承するだろう。
けれど、私は頷こうとして……頷けなかった。
私に仕えてくれていた者達の事を考えれば、すぐにでも頷くべきだろう。彼女達の中には、口にはしないが王都での暮らしを懐かしんでいる者達だっている筈だ。
それが、私に仕える為にこの辺境の地まで来てくれて、ずっと懸命に仕事をしてくれたのだ。
少なくなっていく物資に不平不満も言わずに、頑張ってくれた。
王都であれば、欲しい物は手に入る。
それに、斎宮に仕えていたという事は一つの大きな称号にもなる。この先結婚する際にも、重要な証になるのは間違いない。
そうーー結婚。
既に年齢的に嫁き遅れと言われる年齢に達している者達も居る。いくら斎宮に仕えていたという過去を持っていても、あまりに年齢を重ねれば嫁ぎ先が無くなってしまう。それに、子供を産むとしてもなるべく早いほうが良い。
「斎宮様、何も心配する事はありません」
「……」
分かっている。
彼らに任せれば何も問題はない。
こっちが考えるより余程上手に行なってくれる筈だ。
なのにーー何故だか頷けない。
「大王のお言葉を疑っておられるのですか?」
「っ?!そ、そんな事は」
「いえ、良いのです。皇族として、ある程度の警戒心は必要ですから。ああ、忘れていた。こちらを」
黄牙は一つの書状を懐から取り出した。
そこには、私の名前が書かれていた。
それを受け取り開くと、そこには妹を心配する兄の言葉に溢れていた。そしてどうか都に帰ってきて欲しいと懇願し、妹を気遣う言葉で結ばれている。最後には、大王の証の印が押されていた。
これは紛うことなく大王の証。
いや、疑っていたわけではないけれど、これでもう誰であっても否定出来ない。
けれど、どうして私は頷けないのだろう?
何故?
頷きたいのに、何かが邪魔をする。私を必死に押し止めるのだ。
頷いては駄目だと、必死に叫ぶのだ。
どうして?
もう心配事は何も無い筈なのに。
未緒と渚は彼らが保護してくれていて。
斎宮の宮に勤める女性達は罪人ではなくなった。冤罪だと証明された。罪を犯しての恩赦ではなく、最初から罪を犯していないと、彼女達は被害者だったと認められたのだ。
何も心配する必要はない、筈なのに。
「斎宮様」
答えを急くように、黄牙が私を呼ぶ。
「大王様からの書状は確認しました。そして、不安なことも解消しました。けれどーー」
書状を確認して、不安も解消した。
なのに、私の中の誰かが私を押し止める。
「やはり、余りにも突然の事で、少し落ち着いて考えたいのです。それに、お返事もしないと」
「返事は直接宮様のお口からどうぞ。大王様はさぞや喜ばれるでしょう」
「そ、それでも、どうか、遠い地に追いやられた妹を哀れと思うのなら」
「斎宮様!!」
自分の意思に反する様に、私の口が勝手に言葉を紡いでいく。
いつの間にか土下座する私に、磐が悲鳴を上げる。またこれには黄牙も驚いたようで、息を呑む気配がした。
「お願い、します」
「……余り時間は差し上げられません。大王は斎宮様の帰還を今か今かと待っておられます。せいぜい、一日です」
「それで十分です」
私は顔を上げると、困惑した様子の黄牙に改めて頭を下げた。もちろん、磐に怒られたが。