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第7話


「未緒と渚が戻ってきてない?!」


 既に夜も更け、もう少しで日付が変わろうとしている。それなのに。


「はい、最初に未緒が居なくなり、それを探しに行った渚もまだ戻ってきていません」


 以前にもそういう事がなかったわけではない。

 まだ森の中になれていない頃に、森で夜を明かした事もあった。


 次第にそういった事は無くなっていったし、そういう失敗は基本斎宮の宮の敷地内から出ない私以外はあるようだけれど、だからといって心配しないで良いというわけではない。

 森の中には獣だっているのだ。


「すぐに探しに行かないとっ」

「他の者達が探しに行っています」

「私も」


 少しでも探す者が多い方が良いだろう。

 しかし、磐は首を横に振った。


「いえ、斎宮様はここに居て下さい」

「でも」

「もし貴方様に何かあれば、私達全員がーー大王に罰を受けてしまいます」

「っ!!」


 あの父ーー先代大王ならば、私に何かあった所でむしろ喜ぶだろう。けれど、母を同じとする兄がどうでるかは分からなかった。


「で、でも」

「それに、もし貴方様に何かあったら、未緒と渚が無事に戻ってきた時に酷い罪悪感を覚えてしまうかもしれません。下手したら、自害しようと」

「それは駄目!」

「ならばどうか、ここに居て下さい。いえ、申し訳ありません。私が不用意に心配させてしまったばかりに」

「報告するのは当然の事よ!磐は悪くないわっ」

「音羽姫様、必ずや渚達を見つけます。ですから、どうかお待ち下さい」



 そう言って私の両手を握り締める磐に、私は何も言えなくなった。






「磐様、未緒達はまだ見つかりません」

「困ったわ」


 磐は他の女性達から報告を受ける度に、溜息を漏らした。

 今までであれば既に見つかっている筈だと言うのに。


 いや、最初の頃はこちらも上手く見つけられなかったが。


「山の方に行ってしまったとか」


 この近くには山も湖もある。

 宮に居る者達で全てを探すとなれば、非常に難しいものがあった。

 しかし、それは未緒や渚も分かっている。


 余程緊急事態でもなければ、彼女達は自分達を探す者達が探しやすい場所に居る筈だ。


「もし、彼女達に何かあればーー」


 弱気になった一人の女性の呟きに、磐は厳しい声を出す。


「そんな事を言ってはなりません」

「も、申し訳ありませんっ」


 涙をポロポロとこぼす女性の肩に磐は手を置いた。


「泣かないで。ごめんなさい、貴方を怒ったわけではないの。もちろん、未緒と渚もよ。未緒は時々向こう見ずな所もあるけれど、わざと周囲を困らせようとはしない子だわ。そして渚も周囲をとても気遣う子。きっと、何か戻ってこられない理由があるのよ。といっても、渚がきっと未緒を見つけている筈だから、どこか安全な場所で待っている筈よ」

「磐様」

「さあ、早く探してあげましょう。そして、もう心配かけないでって言わないと。それに、きっとお腹も空いているでしょうから、美味しい料理も用意しないと」


 その言葉に、涙を拭った女性が大きく頷いた。そして、他の女性達と共に再び未緒達を探しに行ったのだった。


「磐様」

「なに?」


 自分の側近の立場に居る女性が、後ろからそっと近付いてくる。


「森をこれだけ探しても居ないとなると、もしかして森の外に出たのでは?」

「……」

「それに、未緒はあの方ーー黄牙様を慕っていました。もしかしたら、彼を恋しがって」

「例えそうだとしても、あの子は不用意に森を出たりはしないわ」


 厳しく言い聞かせてきたのだ。

 森の外にだけは出るなと。


「ですが、もし彼が」

「彼はもうここには来られない」


 磐の断言に、側近の女性が黙る。


 そう、もう二度とここには来られないのだ。


 それを報せずに見送ってから、もう一月近くが経過する。



 見送った者達は、記憶のある者達は、外の真実を知る者達は、またここに戻ってくると言って立ち去った彼に酷い罪悪感を覚えている。

 けれど仕方が無いのだ。

 彼だってきっと分かってくれる筈だ。


 新しい大王の元で新たな人生を歩み始めた彼には、これから沢山の輝かしい未来が待っているだろう。自分達の様な過去の遺物にかかずらっている暇など彼にはないのだ。


 自分達の事など忘れて幸せになって欲しい。


 きっと最初は恨み悲しみ激怒するだろうが、時間の流れが解決してくれる筈だ。



 そもそも、自分達には彼の、彼らの前に姿を現す資格なんてないのだ。彼らと言葉を交わす事さえ許されない。


 自分達は捨てたのだ。


 いくら苦しくても、辛くても、未だに苦しみ続けている彼らを捨てて、自分達は安穏たる生活を取ったのである。


 そんな卑怯者の自分達が、今更どんな顔をして彼らの前に立てと言うのか。



 忘れて欲しい。

 忘れ去って欲しい。



 自分達の事など、過去の愚かな愚物として、何の価値もないとして捨て置いて欲しい。



 それがいかに卑怯で傲慢な考えだとしても。

 身勝手な考えだとしても。



 そうするしか、無力な自分達は生き残れなかった。

 声を上げる事で、再びあの過酷な日々に舞い戻る勇気は無かった。

 そして舞い戻ったとしても、自分達に待ち受けていたのは「死」しかない。


「大丈夫、きっと。だって、大王はとてもお優しい方だもの」


 自分が知る、あの光明皇子ならばきっと。


 磐は立ち去る黄牙を見送りながら、謝罪と彼の未来が輝かしいものであり続けるように祈った。彼を見送れなかった未緒と渚の分まで。



 自分達の事など忘れてしまえ。

 これは一時の夢。



 ここの秘密を守る為ならば、彼を殺すのが一番確実だった。

 けれどそんな事が出来る筈がない。

 渚に泣き付かれなくても、誰一人、ここに住まう誰一人として、それを考えても実行出来る者は居ない。


 彼には幸せになって欲しい。

 ここには居ない、彼女達の大切な者達の分までも。



 それが、あの光明大王の元でならきっと出来る。


 大丈夫、絶対に。



 例えここの事が彼の口からもたらされても、彼を傷付ける事を考えても出来なかった、むしろ絶対にしたくないとすら思った磐達はある意味優しく、そして酷く愚かだった。

 それでも彼女達は決してその道を選ばなかっただろう。


 実際、彼女達はその事についてだけは後悔しなかった。



 あの時、彼を殺していればーーなんて




 後に降りかかる彼女達への悲劇の中で、その言葉は最後まで誰の口からも出なかった。






 渚達は見つからなかった。

 あれから一週間が過ぎても。


 次第に焦りは酷い焦燥感へと代わり、斎宮の宮は常に落ち着かなくなった。


「渚達はまだ見つからないの?」

「……はい」


 思いの外きつくなってしまった物言いに、磐が土下座したまま答える。違う、そんな風に責めたいのではない。ただ、心配なだけなのだ。


 そして斎宮だからと何も出来ない自分が酷くもどかしい。


「磐、もう斎宮だからとか言っている場合ではないわ。私も探します」

「いえ、宮様はここに」

「そう言ってもう一週間よ!」


 もう一週間にもなるのだ。

 いくら渚達でも下手したら死んでしまうかもしれない。


「どうか、もうあと一日」

「そう言って見つからなかったじゃない!分かってるわ!みんな一生懸命探してるって!でも、それで見つからないなら少しでも人手が必要じゃない?!それに渚も未緒もこの宮の大切な者達よ!その大切な二人をどうして私が探してはならないの?!斎宮が何よ!この国の安寧を祈るけれど、だからってそれ以外の大切な物をほったらかしにしていいわけじゃないっ!!」


 私の気迫に、磐が体を震わす。


 ああ、また磐を怯えさせてしまった。


 仮にも大王の姫で、斎宮の私がこんな風に言ったら、磐が追い詰められてしまう。それが分かっているのに、私は。


「斎宮様……」

「危険な事はしない。一人で突っ走ったりもしない。だから」



 私にも手伝わせてーー



 そう言葉を続けようとした、その時だった。



「磐様!!」



 飛び込むようにして、宮に仕える女性が一人、私の部屋に駆け込んできた。


「どうしたのですか?」


 この斎宮の宮の女性達の纏め役でもある磐は、それに相応しい威厳を持って対応する。というか、その美しさと気品、威厳、どれをとっても絶対に私じゃなくて磐が斎宮に見えてならない。


 きっと、以前助けたあの彼もそう思っただろう。


 私は後ろを振り返り、鏡に映る自分の顔を見た。


 平凡ーーうん、平凡。

 何とか地味顔に分類されるが、かなり不細工の方に傾いているこの顔。

 たいてい初めてこの顔を見た相手は二度見三度見するし、その後は嘲笑と侮蔑の嵐である。


 まあ、大王の姫がこんな不細工なんて早々あり得ないし。あの父である大王は美しいものが大好きだった。だから、自分の正妃や側室達は皆美しいし、産まれた者達も美しい者達が多かった。


 というか、母を同じくする兄はあれ程神秘的な美しさを有していたのに、何故に私はその美貌の一欠片も持てなかったのか。


 国一番の美姫と名高かった兄ーーうん、美姫。


 ああ、思い出した。


 兄はその性別を超越した様な美しさから、皇子なのに皇女とか言われーーあ、なんか寒気がした。



 私はぶるりと震えた体を抱きしめた。



「なんですって?!」



 磐の悲鳴混じりの声に、私は慌てていわ達へと視線を向けた。



「なんで……分かったわ、すぐに行きます」

「磐?!」

「斎宮様、しばし御前を失礼いたします」

「何かあったの?!」

「それを確認する為に行くのです。どうか、斎宮様はこちらの部屋からお出にならないように」

「私も」

「駄目です!」


 磐がピシャリと私の言葉を叩き落とす。


「磐……」

「大丈夫ですわ、斎宮様。少し確認をするだけです。ではーー」


 そう言って、磐は報告をしにきた者と一緒に部屋を出て行ってしまった。






 まさかーーそう思った。

 けれど、実際にそこに駆けつけて見れば、彼らはそこに居た。



 斎宮の宮の正門まであと少しという所で、女性達数人が両手を広げて彼らの侵入を阻んでいる。しかし、どう考えても相手側が本気を出せば一気に突破されるだろう。


 ざっと見ても、五十名は居るだろうかーー。

 その先頭に立つのは。


「貴方はーー」

「お久しぶりですね、斎宮様付き侍女長ーーいわ様。いえ、正確にはこの国の豪族の姫ーー磐長姫いわながひめ様」

「っーー?!」


 磐長姫いわながひめーーその名を呼ぶ者はもう居ない。

 その名こそが、磐の本名。けれど、磐の実家である一族は既になく、磐がその一族最後の一人だった。


 大王の怒りを買い、歴史の闇の中に葬られてからもう十年近くが経つ。

 磐長姫という存在は、一族が滅亡すると同時にーーいや、磐長姫が処罰された事により滅んだ。


 磐長姫が一族を滅ぼしたのだ。


 そして、磐長姫は死んだのだ。


 だからもう磐長姫は居ない。


 磐長姫という姫はもうどこにも居ないのだ。



「居ますよ、ここに」



 違う、居ない。

 大王の怒りを買い、憎しみを向けられ死を賜った姫は。



「そうですねぇ?聡明と名高かった先々代大王様が結ばれた婚約、その婚約にて光明皇子様の許嫁の君とされた磐長姫様。そのせいで、自分のお気に入りの息子を自分から奪う相手として先代大王に憎まれ処罰された悲劇の姫君」

「……」

「先々代大王さえ亡くならなければ引き離される事は無かったでしょう。けれど、あの愚かな男は光明皇子が物心付く前から罪を犯し、それに気づいた先々代大王を殺害した。そして、唯一の救いとなる筈だった貴方を、光明皇子との仲を育む磐長姫に嫉妬して引き離し、貴方を処刑しようとした」

「……」

「それもただ殺すだけでは飽き足らず、酷い暴行を加えた末に奴隷として売り飛ばし」

「やめてっ!!」


 磐の叫びに、黄牙はクスリと笑う。


「恐いですか?先代大王が?そうですね。それだけの事をされたのですから。ですが、その先代大王は死にました。今は、貴方の許嫁の光明大王がこの国を統治しています。ええ、最初は大変でしたよ?けれど、あのお方は素晴らしい。あの悲劇が起きる前から少しずつ少しずつ準備していた。そして、あの悲劇によりその速さは増し、そして先代大王を倒し、自らが大王として立ったのです」


 磐は両手で口を覆う。あの、優しかった光明皇子が、誰かを殺すなんて想像が出来なかった。


「状況は人を変えます。光明大王が変わったとすれば、それは周囲のせいでしょう。あのお方は変わらざるを得なかった。そう、変わらなければ奪われ続けるのですから」


 そうして、あのお方はこの国の頂点に立ったのだと黄牙は歌うように言う。


「まあ詳しくは後でお話しましょう。今は、大王様の命を私は果たさなければなりません」

「近付かないでっ」


 この先にある斎宮の宮に入らせないように、磐は両手を横に広げて黄牙達の侵入を阻もうとした。


「困りましたね、大王様より斎宮様にお言葉を伝えるように私は命じられているのです」

「っーー」


 大王の、この国の最高権力者の命令は、いくら斎宮であろうとも拒めるものではない。そもそも、斎宮は大王によって与えられた地位である。神に仕えし斎宮はその世界では尊い立場にあろうとも、実質的な権力は殆ど無い。言わば、名誉職の様なものである。


「それに、渚と未緒に会いたくはないのですか?」

「……なんですって?」


 二人の名前を出した黄牙を、磐はきつく睨み付けた。


「大切にしていますよ。ふふ、当たり前ではないですか」

「貴方が、あの子達を攫ったのですか?」

「攫った?いいえ、むしろ彼女達から来てくれたのですよ。ふふ、本当に優しい子達ですから」

「あの二人を返して」

「返す?元々あの二人はこちらの物なのに?」

「それはっ」

「未緒は私の妹で、渚は私の許嫁。奪われ引き離されていましたが、見つけたならば保護して取り戻すのが普通でしょう?」

「それを彼女達が望んでいなかったとしても?」

「悲しいすれ違いですよ。それより、どうします?まあ良いですよ?私はどちらでも」


 その場合は力ずくでーーそう匂わせる様に、磐は唇を噛み締めた。

 他の女達も不安そうに磐を見る。中の一人が、黄牙の後ろに居る青年を怯えた様に見た。ああ、彼はーー。黄牙に負けず劣らずの麗しい青年は、怯える女性を甘く蕩けるような眼差しで見つめていた。


「さあ、どうします?」


 一歩、また一歩と距離を縮められる中、磐は口を開こうとした。



「あ、貴方、この前のーー」



 聞こえるはずのない声に、磐は勢いよく後ろを見た。そこに居たのは。


「斎宮様!!」


 頭に布を被った斎宮の存在が、その膠着状態ーーいや、押されかけていた状態をとりあえず押し止めたのだった。


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