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第62話 ぶつかり合う心


 一族の悲願だった。

 長年をかけて、ようやく達成した悲願だった。


 これで、これでようやく。



 一族は、誰にも圧されぬ力を手に入れられる。




 そう、もう二度とーー理不尽な権力に振り回される事もない。




 大切なものを、奪われたりはしない。





 その為ならば、何だってする。





 この、神に愛されし国を守り続ける為に。





 その為には、一族は子から老人まで全てが駒となる。





「許さない!許さない!許さないっ!!我が一族の、ようやくの悲願の達成を無に帰すなんて!!お前のせいで、お前のせいでっ!!」




 狂った様に叫び続ける彼女の憎悪入り交じる視線が、突如遮られる。

 私の前に立ったのは、神だった。


「ふん……人の欲望は本当に尽きないな。自分達の願いの為なら、神すらも利用する」

「神……」


 丁度、私に背を向けて彼女と向き合う神。それは、私を背に庇う様な光景という、あり得ない状ーー。


「ったく、本当にお前は不細工の上に輪をかけた馬鹿で、しかも」


 あ、いつも通りのけなしっぷりだ。

 庇われている様に思えたけれど、こちらの恥ずかしい勘違いだったようだ。きっと神はそんな事を考えて行動などしていない。


「ふっ、まあいい。お仕置きすれば良いからな、くっくっくっ」


 そのお仕置きが誰に向けてなのかーーいや、私だ、絶対に私だ。

 あと、神なのに魔王の様に思えるのは何でだろう?



 頼れる背中ではなく、恐ろしい未来しか暗示していない背中に、私は今、全力で後ずさりたかった。



「どこに行く?」

「ひっ!!」



 後ろに目でもついてるんですか?!



 いやいや、神だから実は本当に背中に目がついているのかもしれない。



「言っておくが、逃げたらどうなるか分かってんだろうなぁ?」

「ひぃぃぃぃぃぃいっ」



 味方?いや、一応夫である神からの凄まじい威圧感と脅しに、私はその場に座り込みそうになった。いや、座り込んでなんていられない。動けなくなったら、死ぬ!!



「お前のせいでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」



 女性の絶叫が響く。



 ごめんなさい、今完全に貴女の存在を忘れていました。それよりも大切な事が私にはありました。



「貴様さえ!貴様さえ居なければっ!お前に分かるか?!長年をかけて我が一族が積み上げてきたものを一瞬で壊された我らの気持ちが!!何故、お前の様な化け物に!!」

「いえ、結構時間かかってました」

「貴様のせいだ!!死ね!死んで償えっ!!お前など必ず地獄に堕ちるっ!!」



 例えそうだとしても、何もしないで後悔して死ぬよりはずっと良いと思う。それに……もし地獄に堕ちるならば、確実に阿良斗大王ーー父を道連れにして悔いなく行きたい。いや、父に組みした者達全員道連れにしてくれよう、全力で。



「ふふ、ふふふ、ふふふふふふっ」

「……」



 どこかの回路が切れたのだろうか?



 神はこの時、果てしなく音羽を遠くに感じた。



「お前など地獄に堕ちろ!!」

「堕ちる時は、何が何でも私の抹殺したい人達全員道連れにしてからです!!」



 しかも、なんかとても恐い事を言った。



 あとたぶん、その抹殺名簿に自分は確実に載っているだろう。



 まあーー




 簡単には殺されないけどなぁ?




 唇を引き上げ、彼はニタリと笑う。



 それは神が持つ傲慢そのものの姿だった。



「それに!!神神神五月蠅いですけど!!この神は貴女達の物じゃありません!!例え、貴女達が手に入れようとも、私はそれを許さない!」



 音羽が愚かにも、狂女に向けて叫ぶ。その腕に、堕神の、神の魂を抱いたまま。



「これ以上、他者を玩具にさせてたまるものですかっ」





 玩具?




 それは、果たして狂女の声だったのだろうか?



 凄まじい怨念と憎悪が入り交じっているにも関わらず、静かすぎる声音に、音羽がビクリと体を震わせる。その殺意漲る鋭く冷たい視線から音羽を隠すように立つのと、狂女が言葉を続けるのは同時だった。



「玩具?玩具ですって?」

「……」

「玩具?!一族の悲願の宝を!!我ら一族が望んで望んで止まないこの宿願の成就の為の宝を玩具扱いだと言うのか?!」

「玩具じゃなかったら何だって言うんですか!!自分の息子すら虐待」

「虐待じゃない!!」






 虐待じゃない?


 この女性は一体何を言っているのだろうか?



「虐待?!違う!!これは神を降ろす為に必要な儀式の一つよ!!」

「……はぃ?」

「それも分からないのに斎宮をしていたとは世も末ね!!」

「……はいぃ?」


 馬鹿にした様に笑われた私の米神が、痛い程にヒクつく。



「では、一体どの様な儀式でどう必要だったのか、この無知でお馬鹿な私にも教えて下さりますか?」

「いいわ!!」



 そして女性から語られた内容は、簡単に私の堪忍袋の緒を叩き切った。



「神の依り代になる器は、血筋も能力も全て最高でなければならない!!けれど、人は優秀であればある程、自我ーー精神力が強くなる。例え、どんなに控えめに見えてもね!!でも、それだと駄目なのよ!神の依り代になる器に宿る魂が出しゃばったら降りた神が押さえ付けられるかもしれない!いえ、例え押さえ付けられなかったとしても、神が力を振るうのを少しでも邪魔をする様な邪魔な人格はいらないのよ」

「……」

「だから、神の依り代に選ばれた相手の精神を極限まで削る必要があるの。その為に」

「息子さんを徹底的に虐待したと」

「虐待じゃないって言っているでしょう?!精神を削り、より神の依り代として完璧になる為の試練であり、儀式なのよ!!」

「実の息子を傷付けてまでする事?!」



 私の怒声に、女性もまた怒鳴り返してきた。



 あり得ない、言葉を。



「私が産んだのは神の依り代よ!!全ては神を降ろす時の為に私はあの子を産み、あの子は産まれたのよ!!あの子は神の依り代として産まれたの。それ以外の存在理由などある筈がないじゃない!!あの子は神の依り代になる為に居たのであって、依り代になれなければ生きている価値などないわっ」

「貴女は……」


 もう、怒りすぎて言葉すら出ない。


 でも、これでよく分かった。



 彼女は、やはり母親なんかじゃなかった。



 神の依り代を産む事に命をかけ、そしてその依り代を最高の物とする為だけに振る舞い続けた。それが、産まれた我が子の人権を無視するばかりか、息子の人生をめちゃくちゃにした。



 息子を、自分の子をなんだとーーいや、駄目だ。

 この女性は母親じゃない。母親じゃない相手に何を言ったって、無駄なのだ。



 けれど、悲しいーー



 彼は一体何のために産まれたのだろうか?



 もう幾度問いかけた疑問。



 彼は許されない事を沢山したけれど、それだってそもそも、この、女性が。



 彼女とその一族が。



「返せ」

「は?」

「神の依り代は失われたけれど、まだ神の魂はある!!その魂を渡しなさいっ」

「ふざけないで!!」



 ダンッと地面を踏みつける。

 けれど、思ったより地面は何の変化もない。ここで亀裂とか地割れとか起きたら良かったのに!!



「おい、変な事を考えるのはやめろよ」



 神が何か言っているが気にしない。



「ふざけないでふざけないでふざけないで!!ふざけた事を抜かすなぁぁぁあっ」



 私は腹の底から全力で叫んだ。

 相手に、負けないように。



「何が神の依り代よ!!この頭おかしい気狂い女!!一族が何よ!!何が一族の宝よ!!そんな、そんな自分の息子すら犠牲にする一族なんてっ」



 私はこの時、分かっているようで分かっていなかった。

 いや、本当は何も分かっていなかったのだ。



 例え自分にとって大切な事でも、相手にとってはそうではないという事を。

 そして、相手にとって命より大切な事が、私を含めた他の人達には何の価値がない事もあるのだと。




 だから私は、私はこんなにも残酷な事をあっさりと言い切る事が出来たのだ。





 彼女や、彼女の一族、そして長い歴史の中で抱いてきた宿願。




 そして誇りを。





「そんな一族なんて、滅べばいいのよ!!」





 歯を食いしばり、長い時を必死になって生きてきたーーそう、彼らは彼らなりに、一族は一族なりに生きてきた。その全てを無に帰す言葉を。




「この世に一番いらない邪魔な存在です!!」




 相手の存在価値をどうこう言う権利なんて、誰にもありはしない。例え、私にとってはそうでも、他の者には違う。いや、それ以前に、そんな言葉を言ってはならなかったのだ。それは余りにも酷すぎる言葉。



 と同時に、その言葉を吐く事は、あの少年を、青年を人として扱わずに最期まで物として扱い続けた者達と同じ場所まで堕ちるという事でもある。




 どんなに怒っても、腹が立っても。




 言ってはならない言葉があるーー




 私自身、後にそう思ったのだ。




 この時、誇りを穢され、存在そのものを無駄だと言い切られた相手はどう思ったか?




 それを、私はすぐに身をもって知る事となる。




「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」




 狂女が絶叫する。

 狂った様に叫び、体をくねらせる彼女は誰が見ても発狂したとしか思えなかった。



「一族!我が一族!我が一族をなんと!!お前に、何がっ」

「っ!!」

「お前に何が!!我らがどれだけっ!どんな思いで!!全てはこの国の為に!そもそも、お前達が」



 彼女は叫び続けるが、言っている内容が段々と支離滅裂となっていく。怨嗟と憎悪、憤怒と殺意、それらがたっぷりと含まれた言葉を紡ぎ続けるが、いかんせん言っている内容が飛びまくっている。上手く文になっていないどころか、所々で絶叫するので余計に上手く意味がとれなかった。



「要約すると、お前、死ねって事だ」

「要約しなくても分かってましたけど、ありがとうございます」



 例え自分に必要がない事でも、相手のしてくれた事には礼を言えと母に言われた。その必要が無い事が犯罪でなければの話ではあるが。



 しかし、お礼を言われた神は嬉しそうではない。大丈夫、こっちも「ありがとうございます!!助かりましたっ」という感情は込められなかった。出来れば、こう心を癒す様な発言をして欲しかったーー我儘かもれないけれど。



「許さない!死ねっ!我らはっ!死ね!この国の為にっ!我ら、我ら一族の思いっ」

「話が分からない、言い直せ」

「死ね!!どんな思いで!!死ね!!我らはっ!宝!神の依り代をっ!死ね!全てはっ」



 神でも、女性に意味のある文を発言させるのは難しいらしい。



 と、そんな事を暢気に思っていた私は、ふと女性の体の異変に気づいた。



 女性の白魚の様なほっそりとした艶めかしい肌ーーまず手だ。

 その手の甲で何かが蠢いているのが見えた。



「え?」



 その蠢いているのは、手だけではなくなっていく。

 頬、額、首、そしてーー。



「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「か、神っ」

「馬鹿だな。自分で堕ちたか」



 堕ちる?



 混乱する私を余所に、女性はどんどんその姿を変えていく。

 女性の下半身が膨れあがり、巨大なーーそう、蜘蛛へと変わっていく。あの、現実世界ではない世界で見た、あの姿そのままに。


 女性の上半身と、蜘蛛が合体したようなーー蜘蛛の背中から女性の上半身が突き出た様な。



 異形ーーそう、化け物の姿に。



 上半身は元の女性の姿だった。

 美しい、誰もが息を呑むような美貌の女性だった。



 しかし、手の甲からは鋭く大きな鎌が出現し、額からも鋭い刃が突き出ていた。

 いや、至る所から刃が出て来たそれは、現実世界ではない世界で見た時よりも、更におぞましい姿となっている。



「あぎゃっ!ぎゃっ、ひぎゃっ!あぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ」



 それは絶叫ーー悲鳴と言うよりも、咆哮だ。



「な、に、あれ」

「堕ちた」

「堕ちたって」

「堕神」



 神が、こちらに背中を向けたまま言う。



「堕神は神が堕ちた物を言う。けれど、それは神に限った事ではない。他の生物だって、堕ちる。そう、人間も」

「人間、も」



 堕ちる?



「堕ち、る」

「そう。神が堕ちたら堕神。人が堕ちたら、堕人おちびとと言ったか」



 堕ちる、人ーー堕人?



「滅多にない。堕神もな。けれど、その滅多にない中での、ある部分に入ればああなる」

「……」

「そう、あんな風に醜い化け物となる。普通はなかなか無いさ。けれど、極限まで行った奴は、あれだ」

「……」

「余程執念と執着を抱いていたんだろう。決して逃がさないーーそう、その思いに相応しい姿をしているじゃないか」

「……蜘蛛の、糸」

「そう。獲物をその糸で捕獲し、食らう蜘蛛。あの女に相応しい姿だ。いや、それは蜘蛛に失礼か。蜘蛛は生きる為にしている行為だからな。まあ、あの女にとっては、神の依り代を造り、そこに神を降ろすのは自分の命と引き替えにしてでも成し遂げたい事だっただろう。それを」


 神は振り返り、私を見て笑った。



「その矜持を粉々に砕かれた挙げ句に、大事いちぞくな物を侮辱されたんだからな」



 私の言葉がきっかけだと、神は暗に言う。



「お前が気にする事じゃない。これは勝負だ。互いの信念をかけた、なぁ?その勝負に、この女は負けた。だから、堕ちたんだ」

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