第6話 因果応報
未緒、また必ず来るからね、その時はーー
未緒を妹の様に可愛がってれくれた彼に、未緒はすっかりと懐いていた。あの大きいが繊細な白い手に頭を撫でられるのはとても気持ちが良く、いつの間にか眠ってしまう未緒にも彼は優しかった。
自分に兄が居れば、きっとこんな感じなのだろうか。
渚は余り近づいては駄目だと五月蠅いが、未緒はそれを気にせず彼の元に通い続けた。
「早くまた来ればいいなぁ」
都に戻ると言った。
都はここからとても遠い。
だから、またここに来るとしてもそれはずっとずっと先のことだろう。
それでも、未緒は早くその日が来るのを待ち続けていた。
「未緒!また此処に居たの?」
彼が滞在していた部屋の縁側に座って外を眺めていた未緒に、渚が声をかける。
「うわっ!」
「もう!あれから毎日ここに居るんだから!今日の夕食の食材集め、未緒の当番でしょう?」
「あ、忘れてた!」
「忘れてたじゃないでしょう?!未緒が集めてくれないと、みんなご飯抜きになるんだから」
「ごめんなさい~っ」
ここでの掃除や洗濯、料理、食材集めは皆交代で行なっている。
そこには年齢は関係なく、皆で協力し合いながら生活していた。
慌てて飛び出す未緒の後ろ姿を、渚は悲しげな表情で見送った。
「……未緒、ごめんね」
未緒は黄牙を待っている。
でも、もう彼はここには来ないのだ。
それを彼女が知った時、未緒はどうなるのだろうか?
未緒は鼻歌を歌いながら、森の中を食料を求めて歩く。
けれど、今日はいつもの所には余り山菜の類いはなく、気づけば【斎宮の宮】からどんどん離れた場所を歩いていた。すると、少しずつ山菜もちらほらと見られるようになり、未緒は背中に背負った籠の中にそれをぽいぽいと入れていく。
「これで半分かぁ」
もう少し採っていけば、明日の分もまかなえて明日の食料採取の人達も楽になるだろう。未緒は忙しく働く年上の彼女達を気遣い、もう少し山菜集めをする事にした。
そうして、気づけば森の出口近くまで来ていた。
「う~ん、今日はなかなか見当たらないなぁ」
きょろきょろと当たりを探し、出口まであと少しという所だった。
未緒は木々の向こうに何かを見た。
「あれ?」
また誰か行き倒れている?
いや、違う。
風に乗り、微かに聞こえるそれが泣き声であると気づいた未緒は、反射的にその方向へと向かって走り出していた。
「黄牙ーー」
「ほうっておいてくれ」
黄牙が発見されてから、一週間。
彼はまだここから離れようとはしなかった。
強制的に黄牙捜索で滞在していた場所に連れ戻しても、目を離せばすぐにこの場所に戻ってきていた。
彼は焼け野原となったその場所の前に座り込み、また歩き回っては彼女達の名を呼ぶ。
その姿は見る者達に鬼気迫る物を覚えさせるが、同時に凄まじい色香を放ち、周囲を圧倒した。
「確かに居たんだ」
「ああ」
「この手に抱きしめたんだ」
「分かってる」
黄牙とは遠縁の親戚同士だが、家が隣同士で幼馴染みでもあった彼は宥める様に言葉を返した。黄牙が聞こえているかどうかはどうでも良い。ただ、こんなにも彼女達を求める黄牙が哀れでならない。
そして自身も、どこかで黄牙の言う事が本当だったら良いと思っていた。
家族を奪われ、黄牙と同じような境遇に落とされた彼にとっても、黄牙が名を呼ぶ一人はかけがえのない存在だった。
既に結婚しても良い年齢に入っているにも関わらず、こうしてその相手を引きずるぐらいには彼女を思っていた。
そう……今も目を瞑れば思い出せる。そして目を開けた時に、そこに居ない現実に酷く落胆ーー
「黄牙お兄ちゃんっ」
突如何もない場所から現れた彼女に、黄牙と共に彼もまた驚愕した。
「どうしたの?!泣いてるの?!どこか痛いの?!」
「み、未緒っ」
しかし先に我に返った黄牙が、自分に駆け寄ってきた未緒を引寄せ抱きしめた。
「い、痛いっ!苦しいよ、お兄ちゃんっ」
「ああ、未緒、未緒、未緒っ!」
「お兄ちゃんっ」
「やはり夢じゃなかったんだ!ああ、お前は幻覚なんかじゃない、お前は本当にーーお前にも見えるだろう?!未緒がっ」
黄牙が涙を流しながら幼馴染みでもある彼に問えば、彼は呆然としたまま呟いた。
「……ああ、見える」
未緒の瞳が、彼を映す。その瞳が、ゆっくりと見開かれていく。
「あーー」
小さな声が響いたかと思うと、未緒の体が震え始めた。
「未緒っ?!」
「あーーっ」
真っ青になった未緒に、黄牙がその体を抱え直そうとした時だった。
未緒が黄牙を突き飛ばす。
「あっーー未緒っ!」
黄牙の手から逃れた未緒が、そのまま元来た道を走り出す。体勢を立て直すまでに時間がかかった黄牙の代わりに、彼が走り出す。
けれどあと少しという所で、未緒の体は虚空にかき消えた。
「え?」
伸ばした手は空振りし、掴む筈だったものは消え去った。
「……なん、で?」
「未緒おぉぉっ!」
黄牙が泣き叫ぶ。
彼の悲痛な悲鳴が空に木霊した。
炎が迫る。
泣き叫ぶ声が聞こえる。
未緒、こっちだ!!
彼の手に引っ張られ、未緒は走り続ける。
どこに逃げたら良いのか。
後ろからは、自分達をーーいや、彼を探して捕えようとする者達の足音が聞こえてきた。
探せ!
見つけ出せ!
少年は傷付けるな!!
他は殺しても構わん!!
男達の荒々しい足音と、怒声が聞こえてくる。
未緒、大丈夫だからーー
そう言って、彼は未緒を安心させる様に微笑み
居たぞ、ここだ!!
未緒っ!!
彼と引き離された
そして、その後に起きたのは
「いやあぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げる未緒に、隣で眠っていた渚は飛び起きた。
今日の夕方に真っ青な顔をして戻ってきた未緒に仰天した渚は、何が起きたのかと問いただした。けれど、泣き続ける彼女にそれ以上聞き出す事は難しく、その後も様子を見守っていた渚は今も泣き続ける彼女の泣き声が紡ぐ言葉に一気に青ざめた。
未緒は記憶を取り戻しかけているーー
あの忌まわしい、辛く恐ろしい記憶を
まだ幼かったがゆえに、忘れる事が出来た記憶を
渚は未緒を抱きしめ、その背中を優しく撫でる。
騒ぎを聞きつけて様子を見に来た者達も、未緒の様子から記憶が戻りかけている事に気づいた。
「渚ーー」
「大丈夫、大丈夫よ」
同僚の一人が声をかけてくるが、それに対応している暇はなくひたすら未緒を宥める渚。
「……」
完全にパニックを起こす未緒を、声をかけた女性が痛ましいものを見るように見つめた。と同時に、他の記憶を失っている面々の様子が気にかかる。
この場所に居る者達の三分の一は記憶を失い、あの時の事は覚えていない。今の所彼女達に記憶が戻るような節はなかったけれど、もし未緒を見てそれが引金になって記憶が戻る様な事があればーー。
記憶を受け入れるだけの許容量があれば良い。
けれど、それが出来ないならばーー。
「戻ってーー」
渚もそれに思い当たり、声をかけてきた同僚やこの状況を黙って見ているしかない者達に告げる。
「ここは私だけで大丈夫だから」
嫋やかな美貌の渚は、いつも物静かで儚ささえ感じる少女だった。けれどその瞳は今、誰よりも強い光を宿している。
「……未緒を頼むわ」
そうして、女性達は立ち去っていった。
「未緒の調子はどう?」
私の言葉に、磐は首を横に振った。
「夜は未だに魘されているようです」
未緒が泣きながら森から帰ってきたという報告、そして夜に魘されているという話を聞いてからもう一週間になる。日中はまだ良いが、夜になると酷く怯えるのだと言う。
「たぶん、彼との出会いがーー」
「ん?」
磐の小さな呟きに気づいた私が聞き返すと、何でも無いと言う様に首を横に振った。
「斎宮様は何も心配しなくて大丈夫ですわ」
「え、いや、でも未緒は大切な子よ。私にとっても妹みたいな子だし」
「……そう言って頂けて、未緒も幸せですね」
「磐?」
「いえーーどうか、斎宮様は今のまま健やかにお過ごし下さい」
「オトワよ」
私が言い直すと、磐はどこか儚さを含んだ笑みを浮かべた。それは酷く美しくて、今にも消えそうな予感を私に感じさせた。
真っ青な顔をして自分を呼ぶ彼の顔が蘇る。
黄牙のあんな顔を思い出す度に、未緒は傷ついた。
けれどーー
黄牙の隣に居た、あの人。
あの人を見た瞬間、恐いものが追いかけてきた。
あの人はーー
違う
あの人は恐くない。
けれど、あの人を見ると恐い物が見えてしまう。
今まで見ようとしなかったものを強引に見させられる。
「恐い、恐いよぉ」
シクシクと泣く未緒は、森の中ーー自分のお気に入りの大樹の根元に居た。
いつも悲しい事がある度にここに来ていた。
不思議とこの場所は未緒を落ち着かせてくれる。
以前にも、こんな場所があった気がする。
気づけば眠りに落ちそうになっていた未緒は、その声を聞いた。
「あーー」
また聞こえてくる。
それは、次第に大きさを増していく。
絶望に彩られた叫び。
必死に求め、けれど得られない者が生み出す慟哭。
引きずられるーー
斎宮の宮に居た時には耐えられたそれは今、未緒をその音の発生源へと走らせた。彼女が不幸だったのは、巫女としての才能が高すぎた事だろう。
そして人の気持ちに影響される、精神感応力を強く持つ彼女はその溢れる悲しみの発生源へと近づいていく。
古来、人の悲しみを癒す為に生まれたとされる巫女。
神の無聊を慰める為に生まれたとされる巫女。
それが全ての不幸の始まりーー
未緒がその場所に辿り着いた時、もう少しで日が落ちる頃だった。
彼はそこに居た。
その場所に四つん這いになり、嘆く彼に未緒は一歩ずつ近づいていく。
「お兄ちゃんーー」
未緒が項垂れる彼に触れようとしたその時。
「み~つけた」
黄牙が顔を上げ、笑った。
「未緒、未緒?どこに居るの?」
渚はいつまで待っても帰ってこない未緒に嫌な予感を覚え、森の中を探していた。森の中を泣きながら帰ってきた後も、未緒はこうして森の中を歩く事をやめない。
それで気が晴れるならと五月蠅くは言わなかったが、既に日が落ちてからも帰ってこない事に渚は一緒についていけば良かったと後悔する。
見つけたら、暫くは森に行かない様に注意しなければ。
「未緒、未緒?!」
走り続ける。
闇に染まった森の中を、ただひたすら。
渚、早くーー
あの日もそうだった。
黄牙に手を引かれて、焼け落ちていく家を、町を後ろに逃げた。
助けようにもどうにもならない。
自分の無力さが痛感された。
そして、ただ一人残った彼もーー
渚ーーっ!!
彼すら奪われて
渚ちゃん、渚ちゃん
泣きじゃくる未緒だけがその手に残った。
そして始まった地獄の日々。
未緒だけは助けたい。
未緒だけは助けて欲しい。
そんな願いさえ、叶えられなくて。
同じ様な境遇の女性達は多かった。
そして、自分達に下される刃に日々怯えて過ごした。
大丈夫だよーー
そんな自分達に差し伸べられた手
この者達は私の世話役として同行させます
どうせ、私のような者には高貴な者達は同行しないようですし
斎宮が一人で宮に送られるのは流石に大王の権威が疑われますよね?
強い眼差しで、真っ向から大王に立ち向かった姫様
あの方がそう言って下さらなければ、そこで自分達の命は潰えていた
大丈夫、もう大丈夫ーー
涙が出た。
嬉しかった。
だから、何一つとして後悔していない。
その先に待ち受けていたものがーーあの悲劇だとしても。
業火が全てを焼き尽くす。
何もかもを破壊する。
灼熱の炎が、肉を焼く。
それでも最後まで、私達はーー
突如、まばゆい光が渚を襲う。
気づいた時には、彼女は森の外に出ていた。
そう、森の出口から彼女は出てしまっていた。
「あーー」
今まで出口近くに来た事はあっても、その外には出た事はなかった。
出た事のある者達は斎宮の宮には居たけれど、誰もが口を揃えて言うのだ。
森の外は危険だから、出てはいけないーーと。
だから、布類の物資が少なくなってきても、誰も外には出ようとはしなかった。ただ、都からの物資を待つのみ。
それが来る筈がないと知るのは、記憶を失わなかった者達だけ。
渚もまた、知っていた。
森の外にこそ出てみなかったけれど、そこにある筈の真実を予想していた。
そんな彼女が今、外の土を踏む。
彼女はその光景に凍り付いた。
「未緒っ!」
未緒が居る。
少し走ればすぐに駆けつけられる場所に。
けれど、その未緒は泣きじゃくり、彼のーー。
「叶斗」
「ーー渚なんだね、本当に」
「渚ちゃんっ」
未緒が叶斗の腕に囲われながら、必死にこちらに手を伸ばす。
「未緒を離して!」
渚が未緒の元へと駆け寄ろうとする。しかし、その前を塞ぐようにしてその人物は現れた。
「み~つけた」
「ーーっ?!」
ぐにゃりと歪んだ笑み。
見る者によっては壮絶な色香を匂わせる美しい笑みなのに、渚には酷く歪んで見えた。
黄牙が、こちらを見下ろしている。
「ひっ!」
「酷いね、お前は本当に」
黄牙に手を取られ、そのまま引寄せられる。逃げようとしたが間に合わず、渚は捕えられた。
「酷い事はしないよ。なのに、未緒も泣いてばかり。私が、実の妹に酷い事をするわけがないじゃないか」
「っ?!」
慌てて渚が未緒を見るが、彼女は叶斗から逃れようと必死で聞こえなかったようだ。
「未緒は貴方の妹なんかじゃ」
「妹だよ」
「ち、ちがっ」
「そしてお前は私の許嫁だよ」
黄牙は渚の耳元で囁いた。
「そっくりさん?そんな事がある筈がない。私がお前を見誤るものか。お前を間違えるものか。お前は私の許嫁の渚だ。ああ、ようやく会えた。嬉しくて嬉しくて……なのにお前は酷い」
歌うように囁く黄牙の声に、渚はぶるりと体を振るわせる。
「私につれなくしたのは良い。でもね、渚」
くるりと視界が回る。
渚は地面に引き倒され、黄牙に押さえ込まれていた。
「私に嘘をついた事だよ。いや、正確には私に真実を教えなかった」
「し、ん、じつ?」
「そう。あの場所を出れば、森を出れば、二度とこちらからはあの場所に戻れないという事を」
知られてしまったーー
自分達が居るだけならばまだ何とかなった。
けれど、その真実の一つを知られてしまえば、あの場所は。
「必ずや大王の元に報告し、そしてお前達の所に戻ってくる。そう、戻れると思ったから、まずは大王への報告を第一にと考えた。必ず、また会えると思ったから。夢、そう、夢ーーそう思っていた、最初は。けれど、これは夢ではない、あの場所の事は全てが現実だと、そう思えるようになった」
あの場所での穏やかな日々。
死んだと思った筈の者達に再会出来た。
それは普通なら夢と思われるが、黄牙は次第にそが夢ではなく現実であると気づき始めた。
都合の良い夢。
違う。
これは現実なのだと。
「もう少し、もう少しでーーなのに、森を出てすぐに思い知らされた。突きつけられた。絶望を」
もう戻れないという、絶望を。
再び失った、取り戻せないという絶望を。
「黄牙……」
「ふふ、でももう大丈夫。取り戻した。けれどねーー私は記憶力が良いんだ」
黄牙の言葉に、渚は更に嫌な予感を覚えた。
そして彼が紡ぎ出す名前に、渚の嫌な予感は頂点に達する。
それは、あの斎宮の宮に居る者達の名前だ。
全員分の名前が紡がれ、愕然とする渚を余所に黄牙はケラケラと笑う。
「なん、で」
彼と顔を合わせていない者達も居る、筈なのに。
下手に情報を渡さない為に、交代でと言っていたが、実は世話役は固定されていた、筈。
「新しい場所での情報収集は必須だよ?」
こちらに気づかれないように情報を収集していたという彼に、渚は黄牙の恐ろしさを見た気がした。
「でさ、彼らも言うんだよ」
「え?」
「会いたい、取り戻したいってね?」
その言葉に応じる様に、複数の足音が聞こえてきた。
そして現れた人影に、渚は今度こそ完全に顔色を失ったのだった。