表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/155

第44話 勘違い


「葛」

「大王」


 見つめ合う二人。

 互いに、類い希な男の娘と女性的な美貌の男。



 カリカリカリ



 カリカリカリ



 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ狩りーー




「「ちょっと待て」」



「まだ!まだ挿絵を描くまでは!!」



 なんか貴重な紙に凄まじい勢いで書きまくる女性が一人。



「あと、あと五分!」

「誰が五分も渡すか」

「くっ!唸れ私の右手!」

「切り落とすよ?!」



 いつの間にか、光明の右手にはこの国の神剣が握られていた。政権交代の際に光明の相棒として多くの敵を屠ったそれは、今、妖しい輝きに満ちていた。神剣というか、むしろ魔剣に見えて仕方が無いが。


「相変わらず淑宝殿の部下は面白い方が多いですね」


 葛も笑顔が引きつっている。


「葛様ーー」


 彼女は、そっと葛に見える様に一枚の薄い本を取り出した。


 表紙には、大きく葛×ーー。


「淑宝様が、葛様の出方次第ではこの薄い本を市場に広めると」

「是非お願いします」


 それは、葛と葛の愛する奥方が主役となる恋愛小説だった。すれ違いながらも愛を深める、壮大な恋愛話だった。


「我慢しましょう、大王」

「我慢するな!男ならその物を力尽くで奪え!」

「いえいえ、女性に酷い事はしたくはありません」

「女性……」


 光明には、女性という名の皮を被った狼にしか見えない。


「それで何か用ですか?」

「堕神が高倉に接近、淑宝様が迎え撃っております」

「そうですか」


 光明の言葉はあっさりとしていた。それはすなわち、彼が既にその事実に気づいていたという事に他ならない。

 一方、彼女ーー音羽姫付きの侍女もそれに気づいていたし、彼女の報告は言わば単なるお知らせ程度に過ぎない事も十分理解していた。


「既に黄牙と叶斗が向かっているよ」

「ありがたき幸せ」

「神は行かないのですか?」


 葛がクスクスと笑う。


「ちょっと別件の用事があってねーーそれに、今回の堕神程度であれば、私達で事足りる」


 今も毎日、顔を合わせる度に神から受ける口づけ。


 それと同時に、与えられた力に限りがあるからこそ、少ない力で大きな影響を与える神術を開発し続ける自分達。


 また神力を節約する様々な方法を日々考え、生み出し編み出す日々。


「それに、黄牙と叶斗が淑宝に協力すれば百万力ではないか」

「それはそれは」


 葛は人の良い笑みを浮かべ、侍女も恭しく頭を下げた。


「音羽は、森かい」

「御意」

「ならばそちらはひとまず安心だね。とりあえず、一般の者達が巻き込まれない様にだけ注意しておくれ」

「そちらは既に避難が完了しております」

「それでも何があるか分からないからねぇ」


 大王の宮殿の敷地内全体に結界を張り巡らせている光明の米神を、一筋の汗が流れ落ちていく。


「大王」


 葛が笑みを消した。


「どうやら一体だけじゃなかったみたいだね。もう一体」

「高倉でしょうか?」

「いや違う。別の方面からの侵入だ。いやはや困ったね。一箇所だけの修復ならまだしも、もう一箇所も修復となると」


 神と交合をしていた時ならばまだしも、口付けだけでの力の受け渡しには限界がある。その限られた中で、光明は強力な結界を張り続ける。


 そんな中で、結界に穴を開けるという事は、光明には決して小さくはない負担を与えているという事である。


「陽動でしょうか?」

「さあね?ただその場合は、普通は先に高倉と別の場所に現れると思うけれどーーまあ、今はそれよりも避難を優先させよう。そちらの避難はまだ済んでいない筈だ」


 高倉とは正反対の場所に現れた新たな堕神。

 現場はさぞや混乱している事だろう。


「そちらには、私が参ります」


 侍女が頭を下げると、音も無くその場から姿を消した。


「では私もお忙しいのでお暇しますね。後で、効果の高い傷薬を格安でお譲りします」


 こんな時でも商売を忘れない商人魂逞しい葛に光明はくすりと笑う。

 しかしその間にも、汗が彼の米神を流れていった。



「……耶麻、来伝、頼んだよ」



 光明はこの場にいない彼女達に、新たに騒動が起きている場所の未来を託した。











「ああ、やはり此処に居られたのですねーー」


 茂みから突如出て来た相手に、私は心臓が口から飛び出ると思うぐらいに驚いた。それでも、声を出さなかった自分を褒めてあげたい。


 青年ーーそう、青年。

 年の頃は十代後半ーー私よりも年上だろうか?


 美しい容貌をしているその男は、精悍というよりは甘い顔立ちをしていた。


 女性であれば、その美貌にくらりとくるだろう。


 けれど、黄牙や叶斗の美貌を見慣れている私には、その美貌がもたらす影響はそれ程ではなかった。むしろ、黄牙達の美しさに比べれば、彼はまだまだ磨き足りないといった感じすらする。


 綺麗だけれど、ただそれだけ。


 黄牙達の様なハッとする様な、思わず息をする事すら忘れてしまう様なそんなものはない。


 そしてその身のこなしも、黄牙達に比べればまだまだ荒削りだと言える。


 そんな感じに、いつの間にか審美眼というか、観察眼が鍛えられてしまっていた私は、青年の突然の登場には慌てたものの、逆に言えばそれだけで済んだ。


「ああ、お探ししましたよ」


 演技がかかった様な、身振りと手振りだけが大げさな様子で彼は私に訴える。


 というか、この人に探される様な事を私はしただろうか?


 そもそもこの人は誰だろう?


 いや、大王の宮殿の敷地内に居るのだから宮殿に仕えている者だろうけれど……上層部?それともそれに準ずる者達?


 そう考えた私だけれど、すぐにその考えを否定した。


 確かにその可能性もあるけれどーー彼は違う。


 美しいけれど、優雅だけど。



 それでも、黄牙や叶斗、淑宝達とは違う。



 次元がーー。



「侍女達は居ないのですか?」



 青年の質問に、私はハッと我に返った。



 その質問にどう答えようかと思った。侍女達は、淑宝達は今、私の代わりに危険な目にあっている。



 そこで私は思い至った。



 もしかして、彼は私を保護しにきたのだろうか?



 淑宝達が私の代わりに危険と対峙する中、ここに一人で残された私を心配して彼女達が彼を私の所に向かわせてくれたのだろうか?



 私は淑宝達の気遣いに、心が熱くなった。

 と同時に、何も出来ない自分に激しい自己嫌悪を覚える。



 淑宝達はあんなにも私の為に危険に立ち向かってくれているのに、私は何も出来ない。



 ただ、だからといって淑宝達の邪魔をする事は出来ない。向こう見ずに危険に飛び込む事は出来ない。そんな事をすれば、余計に淑宝達を危険な目に遭わせてしまう。



 私は既に失敗している。



 一度、二度ーー。



 だからもう、失敗は出来ない。



 そして、皇女として、上に立つ者として。



 私を守ろうと堕神に立ち向かってくれる彼女達を信じて待つしかないのだ。



 それしか出来ない。



 いや、違う。



 それが最善で最良たる選択であると信じて。



 絶対に、淑宝達は迎えに来てくれる。

 傷一つなくとまでは言えないかもしれないけれど、それでも、彼女達は私を迎えに来てくれる。



 だから、耐えろ。


 耐えろ、耐えろ、耐えろーー。



 役に立たないならば立たないなりに立ち回るしかない。

 自分よりもずっとずっと強くて頭が良く経験に富んだ者達が言うならば、それに従う。

 もちろん、経験が全てでは無い。

 経験は時として、物事の判断と実行を遅らせる事だってある。


 それでも、今私がしなければならないのはーー。



 私はドクドクと脈打つ心臓を押さえる様に胸の前で両手を握り締めた。

 そして淑宝達の勝利を願う。



 そんな中、淑宝達から遣わされたと思われる青年が口を開いた。



「ああ、怯えているのですか?」



 彼が労しそうに問いかけてくる。

 心底心配だと言わんばかりの彼に、私はお礼を言おうとした。



「大丈夫ですよ、雛美姫様(ひなみひめさま)ーー」



 え?



 青年が私が頭に被る薄絹ごしに、耳元で囁く様にその名を口にした。




 雛美?



 その名前に、私は思わず首を傾げた。



 私の名前は、音羽だ。

 母が付けてくれた、大切な名前だ。

 貴方の声がどんな場所にも羽ばたき奏で、紡がれる様にと名付けられた。



 そう……音羽(おとわ)



 それが、私の、名前。



 なのに違う名を呼ぶ彼を、私は凝視した。


 しばし、彼と見つめ合う形となった私の頭が、ぐるぐると回り出す。



 もしかして。



 私は自分が被っている薄絹の事を思い出した。

 これは私の物では無い。

 私の薄絹は泉に落ちてしまい、これはあの彼女のーー。



 ああそうだ。



 泉を挟んで向かい合った少女。

 彼女から飛んできた薄絹だ。

 それはすなわち、これは彼女の薄絹という事で。


 ああそうだ。

 だから私は急いで彼女にこの薄絹を届けようとしていたのだ。


 けれど、突然誰かが近付いてくるのに気づいて慌ててその薄絹を被ってしまった。



 これは、あの少女の薄絹。



 その薄絹を被った私を見て、青年は雛美と呼んだ。



 きっと、あの少女の名前が雛美なのだろう。



 そう考えれば、全てが理解出来たし納得出来た。



 と同時に、この青年が私を雛美という少女であると勘違いしている事に気づいた。まあ、声も出していないし、顔はそもそも薄絹で見えていないし。


 けれど背丈で分からないだろうか?


 私に比べて雛美という少女の方が少し小柄だった気がするがーーああでも、池を挟んでだから、もしかしたら同じぐらいだったかもしれない。



 雛美ーー。



 雛美姫様ーー。



 姫様?



 この大王の宮殿で姫様と一般的に呼ばれるのは、先代大王の皇女達である。豪族や貴族の姫達であれば、姫とは呼ばれない。

 それは、皇女達と区別する為であり、また大王という貴い地位にいる血を引いた者達に対する敬意でもあった。


「……」


 という事はつまり、だ。



 雛美という少女は。



 私は必死になって頭の中の情報を整理した。



 現在の大王である兄には、まだ子供は一人も居ない。当然、皇女も居ない。



 今現在、大王の宮殿にいる皇女達は全て先代の皇女達である。



 そう、はっきりいってあの種馬としては大いに繁殖力に定評のある父が、美しい妃達に手当たり次第に産ませた結果、沢山出来た皇女達。

 皇子達も美しい者達ばかり居るが、皇女達もまた美しい、可愛らしいと、とにかく類い希なる美貌の持ち主達が揃っている。


 あの父の執念と言えばそれまでだが、とにかく美人揃いなのだ。


 そんな中で、唯一の失敗作がこの私だ。


 何がどうして、どんな変化が起きてこうなったのか。



 父の執念を上回る何かが起きたのか?


 そしてあの父の執念を上回る何かとは一体何なのか?


 恐ろし過ぎて考えるのも大変だし、余り考えたくはない。



 いや、とにかく雛美という少女は、あの父の娘である皇女だろう。

 つまり、私の姉か妹。



 一番上の子供は私の兄だけれど、一番上の姉は私ではない。


 もうとにかく、鼠か己?!という程に次から次に子供を産ませていた父。

 一年に何人も妊娠させていた父。


 あれでもう少し常識があればーー少なくとも、実の息子に血迷って皇后にする等言い出さなければ。神を堕とさなければ。


 いや、そもそも手当たり次第に気に入った者達を男女関係なく後宮に拉致監禁しなければ。


 確かに、好色な大王というのは過去を見ても、いや、他国の王にだって好色な者達は居た。気に入った者達を手当たり次第に拉致監禁して後宮に入れた者達も居た。


 それが権力者なのだと言われればそれまでた。



 けれど、そういう者達が過去に居たからといって、この先も居ても良いという事にはならない。



 むしろ、そういった過去に存在した愚かな統治者達の愚行を反省し、反面教師として自分を律して同じ様な事はしない様にするべきではないだろうか?


 確かに権力者は一夫多妻が基本ではある。


 けれど、いくら一夫多妻だからといって、伴侶ある男女や、婚約者が居る男女、また伴侶や婚約者が居ない場合や、まだ幼い者達を気に入ったからと言って相手の意思を無視して拉致監禁して良いわけがない。しかも、止めようとする者達を皆殺しにし、住まいを焼き払い、彼らの大切な者達を罪人に堕として良いわけがない。


 それが統治者の特権だから仕方が無い。

 絶対王政なのだから王の言う事は絶対だ。


 そう声高に叫ぶ者達も居るだろうが、それならば私だって言おう。



 一夫多妻と気に入った者達を拉致監禁しまくり強制妊娠させて玩ぶのは同じじゃない!!



 私はいかに父が愚かなのかを、改めて思い知った。



 愚か過ぎてもう言葉も出ない。



 父は……父は、統治者としては決して能力が低いわけでなかった。



 もし、もっとまともな思考をしていれば、覇王や名君とは言われなくても、この国を平和に維持して統治していたとーー。



 母が。





 あの方は、決して大王として能力が低いわけではないの


 そう、本当は





 母はそう言って、悲しそうに顔を歪ませていた。



 母は、母は。




「雛美姫様」



 青年が、甘い声で私に語りかける。


 私は今の現状を思い出した。



 一方、何度も私を呼んでいたにも関わらず反応を示さなかった事がいかにも不満だと言わんばかりの青年が、私の腕を掴んだ。


「っーー」

「この様な場所に、貴女様は相応しくありません」


 青年は滔々と歌うように言う。


「いえ、そもそも貴女様が相応しいのはこの私の隣です」


 その言葉に、私は目を見開いた。


 彼は何を言っているのだろう?


 いや、違う。これは私にではない。



 彼は、雛美に言っているのだ。



 雛美という皇女に対して。



「ああ、なんと腹立たしい事か!貴方様が、新しい斎宮に選ばれたと聞いた時のこの私の絶望が分かりますか?!」



 新しい、斎宮?



 呆然とする私を余所に、青年は言葉を続ける。



「どうして?!何故、貴女様が?!貴女様の様に若く美しい、気高き皇女が斎宮など!!そんなもの、あの先代斎宮がそのまま続ければ良いものを!!遠い僻地に籠もる斎宮など、あの醜い皇女にこそ相応しい!あの不細工な、醜き女にこそっ!!」



 青年の言葉が、私の胸を貫いた。



「大王も何を考えておられるのか!!雛美姫様は確かに尊きお方だ!けれど、あんな僻地のかび臭い宮殿に押し込め、ただただこの国の安寧を願うだけの存在にするなど考えられない!あの方は、雛美姫様は国の中心にいてこそ輝くお方だ!私の隣で華やがなければならないお方なのだ!!}



 忌々しいとばかりに吐き捨てる青年に、大王への不敬を説いた所で聞き入れる事は無いだろう。



「もちろん、私達は反対しました!!大王に何度も考え直す様に懇願しました!!ですが、あの大王は決して受け入れては下さらなかった。ああ、偉大なる聡明な大王ともあろう方が!!いいえ、大王は悪くはないのです。きっと、あの醜き先代斎宮が大王をたぶらかしたのです!大王の優しさにつけ込み、自分が斎宮を辞めたいがばかりに、雛美姫様を生け贄にと差し出したのです!!ああ、なんたる愚行かっ!」



 青年は私を、先代斎宮であった音羽をひたすらに罵る。それこそ、およそ口には出来ない様なおぞましい言葉すら軽々と口にした。


 それは女性としての尊厳も何もかもを傷付け粉々にする様な言葉すらあった。


 青年は憎悪の眼差しを浮かべ、先代斎宮に侮蔑と罵倒をの言葉を吐き続ける。その一方で、雛美をひたすら褒め称え、愛の言葉を吐き続けた。



 そう、愛。



 彼は雛美を慕っている。



 慕って、慕って、だからこそ、それが裏返って音羽に対する憎悪へと変化しているのだ。



 いや、別に雛美を慕っていなくても私は不細工だけれど。



「あの不細工の皇女が!!いや、あの様な塵は皇女ですらないっ!!」



 もう彼の中では音羽は皇女ですらないようだ。一応、大王には劣っても皇女に対しても不敬罪というものはある。しかし、こうして誰が聞いているかも分からない外で、こうも先代大王の皇女にして、現大王の妹姫を罵るとは逆にその胆力に恐れ入る。


「ですが、ですがもう大丈夫です!!雛美姫様!この、この私が姫様をお救いいたします!!」



 救う?どうやって?



 混乱する私を余所に、彼はまるで自分に酔うように言葉を紡いでいく。



 その様子に、私は彼に恐れを抱いた。いや、とっくの昔に抱いていたけれど、これはなんかもうまずい気がする。


 というか、淑宝達が私を気遣って遣わした者ではない時点でこうして接触している事自体が問題だろう。その上、この青年は私を雛美と勘違いしている。


 いや、むしろ今、その勘違いを正してしまったら……私が雛美ではなく、音羽だと知ったならば、彼はどうなってしまうだろうか?



 私は今更人違いですと言えない状況に青ざめた。


 けれど、とにかく彼の傍にこのまま居てはならないと本能が警告していた。



 知らず知らずの内に、体が勝手に後ずさっていく。



 すると、そのまま自分に酔い続けて周囲が見えなくなっていて欲しかったのに、青年は私の動きに気づいてしまった。



「雛美姫様?どうされたのです?」



 どうしてそこで気づくのか?



 そもそも、そんなに雛美に対して愛を叫べるのならば、こんな薄絹如きで間違えないで欲しい。というか、彼は雛美の顔をそもそも知っているのだろうか?

 皇女は基本的に外出の際や親しい者達以外には、薄絹を被って顔を隠しているので、一般市民はおろか、豪族や貴族でさえ皇女の顔を知らない者達は多い。


 だから実際には、美しいとか美人とか可愛いとか麗しいとかいう噂だけで、縁談を申し込むのが大半だ。中には、運良くその美貌を目の当たりにして縁談を申し込む者達も居るが。




 この青年はどちらだろうか?



 もしかしたら雛美としてやり過ごせーーいや、無理だ。



 いくら雛美の顔を知らなくても、私の素顔を見れば雛美であるとは思わないだろう。むしろ、この醜さからして、音羽姫であると思われる。まあ実際、私は音羽なのだけれど。



「どうして私から離れるのですか?」

「……」


 私が後ずさる度に、彼が近付いてくる。

 いや、後ずさらなくても近付いてくるだろう。


 このままでは絶体絶命だ。

 堕神に襲われた時よりも、毒で苦しんだ時よりも、現状は危機的状態に思えた。



 それ程、青年の雛美に対する執着が恐ろしかった。



 ただ雛美に懸想しているだけではない。



 この時、私は青年の雛美に対する黒い感情を肌で感じていた。彼は雛美の為なら、雛美を得る為ならばどんな事だってするだろう。



「ああ、怯えないで下さいませ。私はただ貴女様をお救いしたいだけなのです」

「……」

「ずっとずっとお慕いしておりました!!阿良斗大王がお亡くなりになられ、ようやく私にも雛美姫様を得られる機会が来たと喜んでいたのに、なのに、運命はなんと残酷なのか!!」

「……」

「聡明な光明大王は何も分かってはおられないのです!!あの憎き醜き先代斎宮に騙されておいでなのです!!いや、あの先代斎宮は優しい光明大王の良心につけ込み、雛美姫様を苦況に追いやろうとしている!!ああ、あんな先代斎宮など死ねばーーいやいや、それでは雛美姫様が斎宮に!いや、他の皇女様達も斎宮など駄目だ!!ああ、先代斎宮さえ斎宮を続けていればっ!」


 青年の目からどんどん光が消えていく。

 代わりに、闇よりも濃い黒い物が見えた。


「だが、先代斎宮!お前の思い通りになどさせない!!雛美姫様はこの私がお救い申し上げるのだ!!」



 この青年は狂っている。

 私にはそうとしか見えなかった。



 私の体が更に後ろに後ずさる。

 その時、パシャリと水音がして、私は反射的に振り返った。


 片足が泉へと踏み込んでいる。



 そんな私の耳に、青年の声が飛び込んできた。




「貴女様を斎宮になどさせません。そもそも、斎宮の資格さえなければ大王も貴女様を斎宮には任命出来ない」

「?」


 それはどういうーー。



 次の瞬間、私は青年に押し倒されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ