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第4話

「お客様はどうしてる?」


 私の問いに、傍で食事の準備をしていた磐が顔を上げた。


「ーー順調に回復されているようです。それにしても、斎宮様ともあろう方が殿方と二人っきりになるなんて」

「いやいや、そもそもそうなったのは、磐が部屋の前で一人離脱したからでしょう?あと、それが分かってたならもっと早くに止めてよ」


 あと、相手が目覚める前に一度顔を見に行ってしまっている。


「止めても聞かなかったじゃないですかっ」


 その言葉に、そういえば止めていたような気がする。しかし、部屋の前まで来て私を置いていったのはこの磐である。


「せめて布を被っていればまだ良かったのですがそれもせず」

「ここには女性しか居ないからねぇ」


 基本男性の居ないこの宮では、顔を布で覆い隠す必要はないどころか寧ろ剥き出しで出歩いていた。そもそも、皆知っている者達だし、何かと五月蠅く言う者達も居ない。大王の居る都からも遠く離れた場所だし、人里からも離れているとあれば、少しぐらい自堕落な生活をしたって良いだろう。


 きちんと祈りとかやるべき事はしているしっ!!


「というか、あの人が元気になって都に戻ったら布問題も解決よね」


 まだその話はしていないけれど、帰る前にはお願いしようと私は企んでいた。これで先の憂いもないと喜ぶ私は、磐の複雑そうな表情に気づかなかった。





「渚、渚、待ってくれ!」


 後ろから追いかけてくる彼の懇願を、渚は振り払う様に走り続けた。

 宮の敷地内を出た渚を待っていたかの様に現れた彼に悲鳴を必死に飲み込み、彼女は森の中を走り続ける。しかし、慣れている筈の渚を彼はあっという間に追い詰め、その腕を掴んだ。


「は、離してっ」


 渚は必死になって暴れた。


 思えば自分はバカだった。

 あの時、動揺を隠して接するべきだった。それが出来なくて、結局後々取り繕った物全てを見抜かれてしまった。そして今、こうして逃げ出してしまった。


 何も無いなら、堂々と接するべきだったと言うのに。


「渚ーー」


 彼が渚を後ろから抱きしめる。

 その温もりに、渚は全てを捨てて縋り付いてしまいそうだった。

 しかし、その温もりを受け入れる資格など、今の渚にはない。


 渚は卑怯者だ。


 全てを捨てて安穏な暮らしを取った渚は、忌むべきものだ。今も残された者達がどんな目に遭っているか等簡単に想像出来た筈なのに、渚は動こうとしなかった。


 恐かった。

 恐ろしかった。


 また、あの辛くて苦しい場所に戻されるのが。


 それに、渚に待っているのは結局は「死」である。


 それが分かっていて、また再びあの場所に舞い戻る事なんて恐くて出来なかった。


 渚は卑怯者。

 そう、卑怯者なのだ。


 自分の身さえ良ければ良いという、愚かで身勝手な卑怯者。


 だから、彼が与えてくれるぬくもりを受け入れる資格はない。


 いや、もしかしたら彼は自分を断罪しに来たのかもしれない。


 ふとその考えに思い至った渚を、彼はより強く抱きしめた。



「渚ーー本当に、お前なんだな」



 何一つーーいや、昔と違いより体付きは女らしくなったし、その顔立ちも少女から女性に花開こうとしている。けれど、根本は何も変わっていない。


 彼の傍に居た頃と何一つ変わらない。


「私は、渚ですけれど、私は貴方の事なんて、知りません」


 喉がからからと乾く。

 乾きすぎて張り付きそうになる中で、必死にそう伝えた。



「渚ーー」



 自分を見ようともしない彼女に、彼はもどかしさを感じた。あの日、あの時、彼女は必死になって攫われそうになる自分を渡さないように立ち向かってくれた。

 それがあの男の怒りに触れ、彼女はーー。


 繋いでいた手は引き離された。


 その手をその後ずっとずっと遠くに離れていき、消えた。



 絶望する彼の後ろで笑っていたあの男が奪ったのだ。



 自分達の大切な者達全てを奪い去り、欲望のままに国の頂点に居座っていたあの男を思い出せば今でも腸が煮えくりかえる。


 あの日から、見える世界から全ての色が抜け落ちた。



 けれど今、自分の腕の中に奪われたものがある。

 引き離され、二度と掴めない場所へと奪われたものが、あるのだ。


「君は渚だ。渚、私だ、黄牙(おうが)だ」

「……」

「ああ、ようやく、ようやく出会えた。もう、二度と会えないものと思って……ああ、これは奇跡だ」


 いや、賊から逃げ延び辿り着いた焼け野原。

 そこで行き倒れた自分がここの住人に助けられた時から、まるで夢の様な日々が続いている。いや、例えこれが真実夢の出来事でも構わない。


 もしかしたら、本当の自分は既に死んでいて、今ここに居るのは魂だけの存在でーーああ、だからか。


 だから、彼女達に出会えたのだ。



「……」



 自分を抱きしめ縋り付く黄牙に、渚は振り払おうとしていた動きを止める。



「渚、渚ーーああ、ずっとずっと会いたかった」



 何事もなければ、自分達は夫婦になっていただろう。

 けれど、それももう過去の事である。



 相変わらず美しい黄牙に、渚は眩しさを覚えた。

 光り輝く様な美貌の黄牙とは裏腹に、渚は静かなーーそれこそ居ても居なくても分からない様な影の薄い少女だった。


 黄牙が自分の婚約者だと知って喜んだ過去は確かにあった。


 けれど今の渚には重くのし掛かる負担でしかない。


 いや、もう婚約の約束など無いのだ。


 あの日、渚は死んだから。

 いや、それよりももっとずっと前ーー彼があの男に連れ攫われた日に、その話は無くなった。


 家族を殺され、幼い未緒と寄り添い自分達に刃が振り下ろされる日を怯えて待つかなかった日々。



 そんな自分達を助けてくれた、斎宮様。



 彼女のもたらした安穏な生活を渚が取ったその日から、渚は黄牙の隣に居る権利を無くしたのだ。



「……もし仮に」


 渚が口を開く。


「もし仮に、私が貴方の知る渚だとしても」


 渚は一つ一つ噛み締める様に、その言葉を紡ぐ。



「貴方が恐ろしい目にあっているのを知っていながら、ここで安穏と暮らし続けた私には貴方の隣に居る資格はない」

「渚」

「どうぞお戻り下さい。そして体を休めて下さい」



 そう言うと、渚は彼の腕を振り払って走り出した。彼はもう追っては来なかった。





 未緒は兄によく似た青年の帰りを待っていた。

 渚は五月蠅く言うけれど、未緒は気にしない。


 そうして待ち疲れて彼が滞在する部屋で眠りこけてしまった未緒は、ゆらゆらと優しく揺すられている気配に目を覚ました。


「あ、お兄ちゃん」


 彼の名前は聞いた。

 兄と同じ名前だ。


 もう朧気になりつつある、兄の顔は余り思い出せない。けれど、彼を見た時、兄によく似ていると思った。


 そんな彼が、未緒を抱っこしている。


 未緒、未緒は可愛いねーー



 まだ揺り籠の中で眠っていた幼い頃、年の離れた兄はそうやって未緒に手を伸ばして撫でてくれた。



「未緒、未緒ーーお前は本当に可愛いね」



 そう言って未緒の頭を撫でる彼に、未緒はまどろみながら彼の胸に顔をすりつけた。





 そうして、彼が滞在して一月が経過した頃だった。

 傷の癒えた彼が挨拶をしたいと私に申し出た。斎宮と二人っきりにはーーと渋る磐と、渚の心配は最もだが、一応この宮の主であり、彼を拾って世話してきた責任があるので、私はそれを了承した。


 とはいえ、二人っきりはまずいので、一応数人の傍仕えを部屋に入れ、私自身も顔を布で隠した。もう今更だが、やらないよりはやった方が良いだろう。


 宮の主らしく、数段高くなった場所に座り、少し離れた場所に正座する彼を見下ろした。


 相変わらず美しい彼。

 彼こそが、斎宮と言われても誰もが信じるだろう。


 もう少し、もう少し美しさが欲しかった。せめて人並みぐらいには。


 平均よりも下の美貌は、もはや美貌とすら呼べないが、それでも産まれ持った物だとして私は心の中で溜息をついた。


「お元気になられて良かったです」

「はい、これも全ては皆様のおかげです」

「いえ、私達が出来た事はそれ程多くはありません。全ては貴方自身の努力です」


 そう言うと、彼がふわりと微笑んだ。まるで花のような可憐な笑みに、私は思わず顔を紅くした。


「命を救われた恩を忘れはしません。一体、どうお返しすれば良いか」

「そんな、お返しなんてーー」


 と、そこで私は思い出した。


「布」

「え?」

「あ、その布、布が欲しいです!えっと、貴方は大王に仕える官吏でしたよね?」

「は、はい。ーー布、ですか?」

「はい、あと針と糸も欲しいのです。その、恥ずかしながらここに来てから外からの物資補給はなく、節約に節約を重ねていたのですが、布類に関しては日々心許なくなっていくばかりで」


 その言葉に、彼が目を瞬かせた。


「あ、その、まだ不足してどうもならないというわけではないです!ただ、このままで行くと足りなくなるのは確実ですので」


 まさか裸で暮らせと言えるわけもない。


「それで、どうか大王に物資の補給をお願いしたいと」

「物資が……補給されないのですか?」

「は、はい。ここに来てから一度も」


 その言葉に、彼が不思議そうな顔をした。


「貴方様は斎宮様ですよね?」

「え?も、勿論当然ではないですか」

「大王の御代の安寧を祈る斎宮様。なのに、貴方様が健やかに過ごされる様になっていないと?」

「す、健やかですよ!た、ただ、物資が補給されないだけで」

「それは健やかと言えるでしょうか?まともに物資が補給されず、節約に節約を重ねられて……何ともお労しい」


 目元を袖で拭う彼から、ぶわりと色香が放たれる。


 それを必死に振り払いながら、私は何とか言葉を続けた。


「そ、その、確かに斎宮ですが、その、大王とは余り関係が宜しくなくて」


 私は一体何を言っているのか?

 例えそれが周知の事実であろうとも、実際にそれを口にするなんて余りにもバカだ。

 大王に、この国の最高権力者との関係が無いなど口にすれば、下手すれば価値無しとして軽んじられてもおかしくはない。誰だって、大王が嫌っている相手と関わり合いたくないだろうし、近づきたいとも思わないだろう。


 完全に下手を打った私が言葉を詰まらせる中、彼が口を開いた。


「大王と仲が」

「は、はい、いや、その」


 何と言って良いのか。

 更に焦る私は、支離滅裂な事ばかり言ってしまう。


「その、まあ仕方の無い事です。父君が私を嫌っているのは昔からですし。あ、いえいえ、阿良斗大王(あらとおおきみ)様は偉大な方」

阿良斗(あらと)?今は光明こうめい大王ですが」

「はい?」


 光明?


 その名に、私の中で一人の人物の姿が蘇る。


 その名を持つ存在は確かに居る。



 それは



「光明お兄様?」



 私と両親を同じくする、五歳年上の兄だ。

 父の大王にとっては初めての子にして第一皇子であり、また正妃腹の正真正銘正統なる皇位継承者だった。

 私とは違い、産まれた瞬間から夜空に輝く月の様な清廉で神秘的な美しさを持つ麗しい佳人で、成長するにつれてその美貌は更に磨かれていった。

 また非常に聡明で大王としての才能にも恵まれ、父のお気に入りであり、常に父が傍から離さずに居た。


 父に疎まれた自分とは大違い。


「やはり貴方様は、光明様の妹君」


 やはり?


 首を傾げる私に、彼は頷いた。


「阿良斗大王は数年前に逝去され、現在は光明様が大王となられています」

「え、え、ええぇぇぇぇっ?!」



 それは初耳ーーというか、初耳だ。

 というか、いくら何でも普通大王が変われば斎宮の宮にも報せが来るだろう。

 そもそも、大王が変われば斎宮も代替わりするのだから。



 もしかして忘れられていた?



「その様子では、今まで知らなかったご様子ですね」

「は、はい」


 素直に頷く私に、彼は同情する様に微笑んだ。


「私は光明大王様にお仕えしています。どうぞ、宜しくお願いいたします」


 そうして頭を下げられた私は、「これはご丁寧にどうも」と返してしまう。普段なら「斎宮様……」と窘める筈の付き添いの女性達の声も今は聞こえない。ただ、今聞いた大王の代替わりに戸惑いの声を上げていた。


「お兄様が大王」


 兄とは余り親しくないーーというか接点がなかった。兄は父のお気に入りで、常に傍に置いていたけれど、私は父から常に遠ざけられていた。


 そんな親しくもない妹が斎宮になっていたのだから、もしかしたら忘れられていたのかもしれない。


 大王は大変な地位だと言うし。


「忘れてなどおりません」

「え?」


 彼の優しい声に、私はいつの間にか俯かせていた顔を上げた。


「忘れてなどおりません。ええ、忘れるものですかーーその、ただ色々と代替わりで忙しくて……」

「あ、そ、そうですか。それは仕方ない事ですよね」

「ええ。あの方は本当にお優しいお方です。お優しく、お強い。だから、貴方様がこの様に生活に困窮していた事に酷く心を痛められるでしょう」

「は、はぁ……いや、その、困窮までは……」

「都に帰りましたら、すぐにでも光明大王様にご報告致しましょう。ええ、何も憂い心配する事はございません」

「あ、ありがとうございます」


 力強い言葉に、私はコクコクと頷いた。



「そうと決まれば善は急げです。一刻も早く都に戻らなければ」

「あ、はい。あ、じゃあ荷物の準備をしますね。都までは遠いでしょうし」

「ありがとうございます」


 そうして微笑む彼に、私は斎宮の宮のとりあえずの問題が解決した事にホッとした。



 そう、その時はまだ気づいてはいなかった。




 この、安穏たる生活が崩される日が迫っている事を。


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