第31話 渚の思いと黄牙の思い
その音色は、多くの者達を虜にする美音。
それを奏でるのは、思わず溜息をつく程の清楚な美しい少女だった。
細く長い白い指が、琴の弦を弾いていく。
奏でられる曲は、【蒼紅恋歌】。
この国に古くから伝わる恋歌だが、弾きこなすにはかなりの腕前を必要とする。
それでも、彼女は使い慣れた琴で上手にそれを弾きこなしていった。
音色は空気に溶け込むようにして、外へ外へと広がっていく。
彼女は少しでもその音色が外に向かって広がる様に願いながら琴の音を奏でていく。
外に自由に出る事が許されない自分の代わりに、彼女の下に届くようにーー。
「渚様、奥様、旦那様がお帰りです」
自分付きの侍女の弾んだ声に、渚は弦を弾く指を止めた。
程なくして、彼女の下に旦那様と呼ばれた相手ーー黄牙が姿を見せた。
「渚、今日も健やかに過ごせましたか?」
彼は渚の隣に座ると、その手を取り口づける。美しい横顔にさらりと黒髪が流れるだけで、例えようもない色香がこぼれ落ちる。
そこに居るだけで、周囲を圧倒し魅了する妖艶な色香と魅力を放つ黄牙は、渚が過去に覚えている彼とは違う。けれど、どれだけその美貌が磨かれても、色香が増していても、彼が時折浮かべる笑みは渚が良く知る笑顔だった。そして、どれだけ美しくなっても、その中身は、渚を大事にしようとしてくれている所は変わらなかった。
大事にーー
そう考え、渚は心の中で苦笑した。
自分はバカになってしまったのだろうか?
渚は自分の足に今も嵌められている足枷を思う。
そこから伸びる細い鎖は、決して外れない様に打ち付けた鉄の輪に繋がっている。
この部屋の中は自由に動けるし、廁や浴場に行く際には鎖は外される。
けれど、部屋に繋ぐ鎖は外されても、二本の足に嵌められた足枷と、その足枷を繋ぐ短い鎖そのものが外される事はない。
今までも、そしてこれからも。
「ああ、琴を弾いていたのですね」
「……」
外には出られないけれど、侍女達という情報源がある。まだ年若い新人は、優秀だけれど少々口が軽くある。他の侍女達とも交流がある為、斎宮の宮に居た他の女性達の現状をそれとなく聞き出せば、皆、自分と似たり寄ったりだと言う。
自由を戒める枷。
広い部屋を与えられても、そこから満足に出る事すら許されない。
「私が憎いですか?」
黄牙の言葉に、渚は彼を見た。
憎い?
それは、私から自由を奪った事について?
それとも、泣いても拒んでも、無理矢理体を奪われる事について?
それとも、あの斎宮の宮での生活を奪った事について?
いや、もしかしたら、私と未緒を人質にして斎宮の宮を崩壊させた事だろうか?
それについてならば怒りはある。
けれど、渚はそれ以外の事については、憎いかと問われれば頷く事は出来なかった。
普通なら、強引に攫われて閉じ込められ足に枷まで付けられて、そして体を奪われ続ければ相手を憎んだっておかしくはない。殺したいと憎んでもおかしくはないのだ。
でも、渚は黄牙を憎めなかった。
だって、そもそも一番最初に彼を見捨てたのは渚の方だ。
彼が阿良斗大王の下で地獄を見ていると分かっていたのに、渚は斎宮の宮での安楽な生活を取った。
酷い拷問と暴行を受け、体中傷だらけにされ、生きているか死んでいるかも分からない状態にさていたとしても。
それでも、阿良斗大王の妃にされて苦しむ黄牙を、渚は捨てたのだ。
そしてのうのうと、あの斎宮の宮で穏やかに幸せに暮らしていた。
その間、彼はどれ程の苦しみを味わっていた事だろう?
今は幸せーーいや、今が幸せなら良いのか?という話だ。
七年前、渚は死を覚悟した。
ボロボロの体でようやく辿り着いた斎宮の宮に閉じ込められ、火を放たれた。
燃えさかる劫火が服を焼き、肉を焼き、悲鳴を上げる喉すらも焼き尽くそうとしたその時。
ーーーーーーーーー!!
皇女でありながら、自分達に手を差し伸べてくれた斎宮様。
共に火に巻かれながら、彼女は最後まで屈しなかった。
彼女の叫びを、渚は覚えている。
ずっと、ずっと。
渚達は、記憶を失った者達以外は覚えている。
そして創り出された新しい斎宮の宮は、ようやく今まで虐げられていた者達に穏やかな時を与えてくれた。
そしてその幸せに縋り付いた一方で、それぞれが阿良斗大王に奪われた大切な者達を捨てたのだ。記憶がない者達は仕方が無い。
けれど、記憶がありながら、捨てた者達はなんと罪深い事だろうか。
それでも、恐かった。
またあの地獄に戻るのが。
散々殴られ蹴られ、灼熱に焼かれた鉄を押しつけられ、水攻め火攻め、虫責めに蛇責めにされた。汚物塗れにされた事もあったし、猛獣をけしかけられた事だってあった。
爪はぎ、皮剥、その他様々な拷問にかけられーー余りの苦しさに狂いかけた。
けれど、狂う事は出来なかった。
不思議な事に、狂いかけても完全には狂えなかった。
殺したいほど憎いと言いながら、殺さない様にじわじわと苦しめる阿良斗大王達。
そんなに自分達の存在は彼にとって憎らしいものだっただろうか?
そこまで、自分達の存在は、この世界に不必要だったのだろうか?
助けてと願った。
でも誰も助けてはくれなかった。
それでもーー
愛してます、阿良斗大王様ーー
彼が、黄牙がそう言って阿良斗大王に縋り寵愛を求める姿が思い出される。そして決してあわせてはくれない視線の端っこに、私は気づいてしまった。
彼は私を、いや、私達ーー私と未緒を守ろうとしてくれた。
渚達の扱いが少しでもマシになるように、罪人から解放されて自由になる様にしようとしてくれた。
その為に、彼はしたくもない事をした。
矜持も何もかも投げ捨てて、阿良斗大王に自ら侍り痴態をさらして媚びる様になった。阿良斗大王の望むがままに愛を囁き、自らを捧げた。
そこまで、してくれたのに。
彼は必死になって、渚と未緒の助命の為に力を尽くしてくれた。
あれ程優しくて温かくて、気高い人に、畜生よりも劣る人生を自ら選択させてしまった。彼が彼らしく誇り高く死を選べなかったのは、全て渚達のせいだ。
いや、彼が死ねなかった事だけは良かったと思う。彼には死んで欲しくない、黄牙には生き延びて幸せになって欲しかった。
優しい人、温かい人。
渚と未緒の為に、沢山沢山頑張ってくれた。
なのに、渚はそんな彼を見捨てたのだ。
未緒は違う。
あの子は記憶を失ってしまった。
そして渚が未緒に真実を終えなかった。
本当の事を全て隠して、彼女から兄を奪った。
誰が許しても、渚自身が許せない。
それは渚だけではない。
他の、記憶を失わずにいた女性達の誰もが持つ共通の思い。
彼を見捨てて自分だけが幸せになった事への罪悪感が渚を支配する。
本当はーー殺して欲しかったのだ。
黄牙と再会し、彼が渚をその瞳に宿したその時に。
罵り、罵倒し、お前は卑怯者だ!酷い女なのだ!!そう責めて欲しかった。
そして、この穢れた体と魂を粉々にして欲しかった。
けれどそこまで考え、渚は自分を嘲笑った。
それこそが余りに身勝手ではないのか?
彼の矜持も何もかも奪い、彼を見捨て、更には彼に人殺しまでさせようというのかーー。
死にたいならば勝手に死ねば良いのだ。
彼に殺して貰うなんて、彼に対する侮辱である。
黄牙はこれから先、もっともっと大きく成長する。更に位を高くし、大王の寵愛深い臣下となるだろう。そんな彼は、もっと高貴で清らかで聡明な姫君との縁談が望まれるだろう。いや、既に望まれている。
邪魔者は渚だ。
彼を見捨てて逃げたくせに、彼の恩情で末端の妻に加えて貰っている。
けれど、それでは駄目なのだ。
彼はこんな卑怯者の女になど関わっていては駄目だ。
だから、彼の目を盗み、彼の手を煩わせる事なくこの命を終わらせる必要がある。
なのにーー
「何を考えているのですか?」
黄牙が私の顔を覗き込む。その浮かべた笑みが、ぐにゃりと歪んだ様に見えた。
「ああ、この前隠していた箸は回収させて貰いました」
思わず目を見開く私に、黄牙がクスクスと笑う。
「駄目ですよ?あんな箸一つじゃ致命傷は得られない。ああ、きちんと箸を回収しなかった侍女も問題ですねぇ」
「ち、違う!あれは私が勝手に」
「それでも、危険なものは貴女の側に置かない様に命じています。にも関わらず、それが出来ないのであれば貴女の傍に居る資格などない」
「ま、待って!」
このままでは侍女が罰せられてしまう。
私は必死に黄牙の恩情に縋った。
「私が悪いの!侍女は悪くないっ!だから酷い事をしないでっ」
「ええ、ええ!貴女は優しい娘だ、優しすぎてこちらが心配になってしまう程に!!でも大丈夫、貴女を煩わせる全ての事を私は打ち砕いて見せましょう」
「お願い、違う、ごめんなさい、謝るからっ」
「謝って、貴女は許してくれましたか?私を」
「え?」
「ーー大丈夫。少々侍女として再教育をするだけですよ。ふふ、もう二度と、主に危険が及ばない様にね」
「あーー」
「そうそう、渚に一つご褒美を持ってきていたんですよ?でも、この様に貴女の身が危険に陥るのならばねぇーー」
黄牙はクスリと笑みを浮かべる。
「ご褒美?」
「ええ、叶斗から頼まれましてね。未緒が音羽姫様を恋しがっておられて食事も睡眠も満足に取れていないらしく非常に心配しているのですよ」
「未緒ーー」
壊れてしまった未緒。
それでも、音羽姫様と短いながらも再会が許され、共にいる事を許された。そして、その交流の中で未緒は言葉を取り戻したと聞く。
「ですが、音羽姫様が毒殺されかけ、また体調を崩される事が多くなってきた事で、しばらく交流を停止する事になりましてね。でも未緒は音羽姫様を恋しがって泣くばかり。また体調を崩してはどうしようもないとして、それならば斎宮の宮でも仲が良かった渚との時間をという話が出まして」
「え?」
会わせて、くれるの?
あの日、捕らえられた日から直接会う事は出来ていない。
言葉を交わしたのも、未緒が壊れたあの日が最後だ。
未緒に会わせて欲しいと泣いて懇願しても、駄目だった。
叶斗に直接頼み込もうにも、彼は渚の下を訪れる事はなかった。ならば大王に直接願い出ようにも、黄牙がそれを許さない。
渚は閉じられたこの部屋から出られない。
離宮の外など、もってのほかだった。
渚が今居る縁側に面した庭も、宮殿の内部に造られた中庭だ。
まるで箱庭。
斎宮の宮も同じ様なものだったけれど、渚の心も体も自由だった。あの中で渚は自由に走り回る事が出来た。
でも今、渚は走る事が出来ない。
歩くのには支障がないけれど、走る事の出来ない長さで左右の足枷の間を繋ぐ鎖の長さは調節されている。
逃亡防止の足枷と鎖が忌々しい。
未緒に会わせてーー!!
未緒の心が壊れたのに気づいた時から、渚はずっと懇願していた。未緒に会いたい、会わせて。
自分のせいだと泣き続けていた未緒に違うと言いたかった。
未緒が悪いのではない。
きっといつかはあの箱庭は、斎宮の宮の存在は明らかになっただろう。それが早まった事に未緒が関係していないとは言えないけれど、でも未緒が悪いのではない。
きっと、それはもう運命だったのだ。
抗えない、運命。
親しい者達を奪われ、黄牙を阿良斗大王に奪われ渚が罪人として囚われたのもまた運命。
どんなに努力しても、変える事の出来ない、絶対的なもの。
「未緒に、会いたい」
渚の口からぽろりと言葉が転がり出てきた。
会いたい会いたいと願い続けた。
会わせてと泣き叫んで懇願した。
それでも、どこかでそれが叶う筈がないのだと諦めてもいた。
なのに今、その願いが叶うかもしれないとあって、渚はなりふり構わない気持ちとなった。
「ですが、貴女の安全が確保出来なければ難しいですね」
「で、では!未緒を私の所に連れてきて貰えませんか?!」
そう言って、渚はそれが難しいかもしれないとも思った。
あの叶斗が、未緒を外に出すだろうか?
自分の離宮から一歩も出さずに未緒を囲っていた叶斗。壊れていた未緒の足には足枷や鎖こそないと聞いてはいたけれど、見張りの侍女達は常に傍に居た。
いや、そもそもこの話は本当なのだろうか?
未緒を外に出す事を許可するとは思えない叶斗。
そして、黄牙もまた渚が外に出る事を好まない。
どちらも出られないとなれば、会う事すら難しいのでは?
もしかして、謀られてしまったのだろうか?
不安になった渚だが、黄牙が今まで悪意を持って自分を騙した事は無かった。出来ない事は出来ないときっぱりと言い切っていた。
特に、斎宮の宮に居た者達に関する事に対しては。
「……良いでしょう。ええ、そうするつもりでした」
「え?」
キョトンとした渚に、黄牙が蕩けるような笑みを浮かべた。
「妹の事については、私も心配でしたからね。それに、未緒の肉親は私ただ一人。すなわち、この離宮こそが、未緒にとっての実家のようなものです。私も久しぶりに妹と交流を深めましょうか」
ただし、もう二度と愚かしい真似を貴女がしない事を誓うのでしたらねーー
にこりと笑う黄牙は、まるでその微笑み一つで国を傾けたとされる傾国の美姫の様に艶めかしく美しかった。
渚の顔に驚きと喜色が浮かぶのを見ながら、黄牙は思わずその体を抱きしめたくなる自分を必死に押さえ付けた。
もう少しこの顔を見ていたい。
まあ、渚の事だけを考えて今回の再会を仕組んだわけではない。
黄牙自身、未緒と会う事を楽しみにしていた。
未緒が壊れてしまった後、黄牙は兄として未緒の下を時折訪れていた。けれど、未緒は黄牙にも何の反応を示さなかった。
それが自分達の選んだ道だーー
そう割り切ったが、それでも未緒の心が癒される事を願った。それが自分達には出来ずとも、他の誰かに託した。
身勝手で愚かしい事だろう。
自分達の手で未緒の心を壊しておきながら、なんて酷い。
手放せば良いのにーー
そう言われるのかもしれない。
手放せば、彼女達を諦めれば全てが上手く行くのに。
誰もが幸せになれるのに。
そうであったならば、どんなに良かっただろうか?
けれど、そうではないと思い知らされた時に、黄牙はどこまでも非道な道を突き進む事に決めた。修羅の道を進み、殺伐とした謀略と権謀術数が蔓延る伏魔殿に身を沈める事を決意した。
元々、大王に仕えると決めたからには、戦いの場に身を置く事は覚悟していた。そして、謀や計略、権謀術数の嵐の中で勝ち抜いてきた。
忠誠と光明大王と神にのみ捧げられる。
もう二度と奴隷に戻らない為には、何が何でも力を得るしか無かった。
戦うしかか無かった。
けれど、どこかで虚しさを感じていた。
黄牙が守ろうとしたもの、唯一残された妹と許嫁はもう居ない。
業火に焼き尽くされ、苦しみながら死んでいった二人。
それ以外の何もかも全てはとっくの昔に奪い取られて。
矜持も何もかも、打ち砕かれて。
それでも、黄牙は許嫁と妹の為に生き続けた。
許嫁を救う為には、黄牙は阿良斗大王の命じるがままに振る舞う事すら苦にならなかった。妹を救う為には、黄牙はどんな事だってした。
渚は気づいていた。
自分を助ける為に、黄牙が自分の矜持も何もかも投げ捨ててしまった事を。
彼女の、彼女達の命乞いの為に、阿良斗大王に媚びを売っている事を。
夢も希望もなかったあの頃。
せめて、渚達だけでも自由にしてやりたかった。
そして彼女達が自分の事に囚われずに、どこか遠い場所で幸せになって欲しかった。
自分では、彼女達を幸せにしてやる事は出来なさそうだったから。
自分が傍に居る事で、彼女達が不幸になる事は分かりきっていたから。
けれど、現実は残酷だった。
彼の目の前で、彼女達は焼き殺された。
苦しめて苦しめて、散々苦しめた挙げ句に、あの獣は渚達を殺したのだ。
目の前で唯一残された宝物が焼かれていくのを黄牙は目の当たりにさせられた。他の者達もそうだ。
そして、自分達の中から全てを奪い、阿良斗大王だけを愛する心を持つようにあの獣は仕向けようとしたのだ。
そんな事、ある筈がないのに。
心を壊してでも、自分だけを愛させようとしたあの男。
自分が気に入った者であれば誰彼構わず、性別すら問わず、何を犠牲にしても、誰を殺してでも。たった一人ではなく、気に入った者達全ての心を得ようとした傲慢な男。
あんなもの、愛じゃない。
あの男は声高に叫んでいたけれど、あれは愛などではない。
今でも、黄牙は阿良斗大王と彼に組した者達を憎んでいる。
全員を殺せたわけではない。
逃げ延びた者達も居る。
彼らを全員皆殺しにするまで、ただそれだけの為に黄牙は生き延びる事を決意した。そして、光明大王を助けたいと思い、その為に生きなければならないから行き続けた。
ただそれだけ
他の者達だってそうだろう。
守る者が他にも残されていた耶麻や、愛しい者を取り戻せた来伝達などは幸せな部類だった。けれど、それだって彼女や彼らがそれぞれ死ぬ思いでがむしゃらに努力したからこそ、その手に残ったのである。羨ましくは思っても、嫉妬したり憎しみを抱く気持ちはない。
彼らは彼らの、こちらが想像も出来ない努力をして、その幸せを勝ち取っただけ。
それはむしろ誇らしくさえ思った。
黄牙は常に絶望の中にあった。
渚と未緒を失ってから。
阿良斗大王が死に、妃と言う名の奴隷から解放されてからも。
そして、再び未緒達に出会うまで、ずっとずっと。
そうーー未緒達に再会出来た時、黄牙は初めて救われた。
生きていて良かったーーそう、思えたのだ。
良かったねぇ、黄牙ーー
光明はまず何よりも、そう言って黄牙を祝福してくれた。他の女性達も居たと知って嬉しいにもかかわらず、それらを押し隠して、まず黄牙を祝福してくれたのだ。
そんな、優しい主だからこそーー黄牙はあの方に仕えたい。
と同時に、黄牙は今度こそ未緒と渚を守りたかった。
その為ならば何だってする。
他の斎宮の宮に仕えていた女性達、そして地中で守られていた男性達に関しては、それぞれの関係者が、黄牙の仲間達が全力で守るだろう。
だから、黄牙は未緒と渚を守る事に全力を尽くせる。
ああ、ただあの方だけはーー
黄牙は、未緒に会いたいと悲しそうに言ったあの姫を思い出す。
音羽姫様
自分達に幸せを取り戻させてくれた姫君
見た目は確かに醜いのかもしれない。
けれど、皮一枚のそれが何だと言うのか。
人間は見た目ではないと言いながら、実際自分の伴侶となる相手が醜ければ嫌だという者達は少なくはない。
けれど、阿良斗大王は見た目は息を呑む程美しくてもその中身は酷く醜く、他の奴隷商人や盗賊山賊、その他上層部などにも美しい者達は居たけれど、やっている事は畜生にも劣る鬼畜なものばかりだった。
楽しみで人を殺し、狂わせ、犯し、玩びーー。
最後まで反省すらしない者達が大半だった。
いや、反省の言葉を口にしながらも、ただそれは生き延びたいが為のものだと黄牙には分かっていた。
心からの謝罪を引き出す事が、こんなにも難しいなんて。
黄牙はどうしようもない現実に、また絶望した。
それでも、大王の臣下として忙しい日々を送る中で、黄牙はひたすら体を動かし続けた。
それが報われたのだ。
守ろう、今度こそ
彼女達が幸せに生きていける様に、笑顔で安全に生活が出来る様に。
その為に、この国が戦火に焼き尽くされないように日々駆け回った。
そう、守ろう、絶対に
幸せをくれた、あの方への恩返しの為に。
音羽姫を守る為に、黄牙は持てる力の全てを使う。
そしてその力をより偉大なるものとする為に、日々自分を磨き続ける。
それでも、少しだけ、少しだけで良い。
黄牙はようやく話が出来る様になった妹を抱きしめたいと思った。
頑張って、頑張って、頑張って走り続けて。
愛する女性を鳥籠に閉じ込めるしかなかった罪悪感と自己嫌悪。それでも、その道を選び、これからも選び続けると決めたのは自分。
でも、少しだけ。
昔のように、妹を抱きしめたかった。
その傍で、渚に昔のように微笑んで欲しかった。
ああ、愛しているなら離れなければならない。
本当に愛しているなら離れるのも愛だ、究極の。
では、離れても殺されると知ったならばどうすれば良い?
離れたが最後、相手が惨たらしく惨殺されると知ったならば。
これは自分の我儘。
故に、この魂が地獄に落ちようとも、黄牙は後悔などしない。




